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馬車は小刻みに揺れながら、王都を離れ、フェイジョアへ続く街道を走る。
過ぎ去る雲の流れは早く、季節が秋に変わったことを感じる。
小高い丘に向かって伸びるその街道は、石を敷き詰め、馬車が走りやすいように舗装されてある。
街道の両端は、腰の高さほどの柊の垣根で覆われていた。
柊には、魔除けの効果があると言われている。
トゲのある深い緑の葉に、旅の安全を祈る。
その柊にも小さな白い花が咲き始め、その柔らかく甘い香りが、これからの旅の期待を膨らます。
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フェイジョア辺境伯の馬車は、カメリアに乗せてもらった馬車とは違った意味で豪華だった。
全体の造りは重厚感があり窓は他のそれとは違い、小さく気密性が高い。
馬車の揺れに反して、座面に揺れをあまり感じられない。
魔石をうまく使い、快適に過ごせるよう工夫をしているとのことだった。
内張りや小窓にかかるカーテンなどは、重い紺色で統一され、金色のタッセルでまとめられている。
腰を下ろす部分は、ベンチの様な作りではなく木の飾り枠のついたソファの様だった。
「先程は…うまくかわせたじゃないか。」
エンジュは肘掛けに頬杖をつき、にやにやと楽しそうに話しかけてきた。
出立前に、シネンシス公爵邸で起こった出来事を言っているらしい。
「エンジュ様、そういう時は『よくがんばったね』というのですよ。」
微笑ましいものを見るように、向かいに座るフェイジョアの騎士が言う。
「はっ。…そう受け取ってもらって、かまわない。」
鼻で笑い、一瞬にしてエンジュの顔から、表情が消えていった。
考えを読まれたことが悔しかったのか、自分が纏っていた紺色のストールにくるまり、剣を抱き、顔をうずめ、寝る体制に入ってしまった。
「伯母様、フェイジョアのお話を聞かせていただく約束です。」
シュロールは慌てて、エンジュへねだった。
「…エンジュ。」
「?」
「エンジュで構わない、と言ったはずだ。」
シュロールは、大いに戸惑った。
今までの人生でメイド以外の、しかも目上の女性を名前で呼んだことなどなかった。
いくら本人の了承があるといっても、本当にそれは正しいことなのだろうか?
シュロールはいまだ、数日前に初めて会った、伯母との距離を測りかねている。
少し考え、エンジュを盗み見る。
ストールで顔を隠したエンジュは、シュロールの答えを待たずに、眠りに落ちようとしている。
ためらいがちに、名前を呼んでる。
「エンジュ様?」
そう問いかけると、ストールより片目をあげくぐもった声で告げてくる。
「フェイジョアは…王都より、寒い。」
それだけ伝えると再び、ストールに埋もれて行ってしまった。
◇◆◇
フェイジョアへ向かう街道の中で、最後の大都市ブローブランへ到着した。
今日はここに逗留し、翌日から一気にフェイジョアへ向かう。
馬車での移動の間、エンジュはほとんどを寝て過ごしていた。
いや…本当に寝ていたのだろうか。
一度隙間から、寝顔を見てみようと覗き込んでみると、眉をしかめ、片目を開けたエンジュと目が合う。
「なにか、あるのか?」
そう問われ、悪戯が見つかった子供の様に鼓動を早くする。
自身の前で両手をふり、なにもないことを告げるとまた、ストールに深く埋まり、眠りに落ちていった。
それでも道中の間ずっと、シュロールの隣にいてくれた。
食べる時には「これを食べろ」、眠る時には「それでは寒い」と。
話す言葉は少ないけれど、シュロールを家族として大事に思ってくれていることは良くわかった。
到着したのが遅かったせいもあり、まずは急いで買い物に走る。
フェイジョアの騎士に護衛をお願いして、足早に店が立ち並ぶ場所へ向かう。
次はいよいよ、フェイジョア領へ入る。
寒いと言われていたので、なにか羽織るものをと考えていた。
今でも王都にいた時より少し寒い、手持ちの服を重ねることによって寒さを防いでいたがこれ以上は難しい。
王都には劣るが、大都市だけあって様々な店が軒を連ねる。
カラフルな菓子を売る店や、鮮やかな鳥が店の看板を務める店、店先にお洒落な椅子を並べ飲み物を提供する店もある。
そのひとつひとつに、目が引かれる。
少し歩くと、シンプルな白い店構えのウインドウに、金色の看板の洋品店が目に入る。
店先に飾る、真っ白で少し厚めの襟がついたケープ。
店に入り手に取らせてもらうと、それは白い毛皮だった。
滑らかな手触りに、ほんのりとした温かみ、シンプルなデザインで、まるで新雪のように小さくキラキラと瞬く。
これこそが…と思わせる一品であった。
「これからフェイジョアでたくさん使うんだから…。」
少しお値段がはることに、理由をつけて購入を決める。
その日は良いものが買えたことに満足し、早く朝がこないかと思いながらわくわくした気持ちで眠りについた。
◇◆◇
「王都より寒いと言ったはずだが…。」
エンジュが不機嫌に腕を組み、シュロールを見る。
シュロールは馬車の中で過ごしやすいように、クリームイエローのワンピースに昨日のケープを羽織っていた。
足元は少し厚めのタイツと、靴は普段から履いているビジューのついたフラットシューズだ。
それに対しエンジュは、男性の様に上半身はベストにタイ、下半身は細身のスボンにブーツといった様相。
そして肩からは、豪華な大ぶりのシルバーの毛皮のコートをかけている。
何が足りないのかわからないまま、シュロールはきょとんとエンジュを見上げる。
「わかった…もういい。少し外す、出立の時間を調整し待機だ。」
そういうと、エンジュはいなくなってしまった。
残されたシュロールは、フェイジョアの騎士と共に馬車の中で待つことになった。
なにか怒らせたのではないかと、不安に襲われてしまう。
違う…エンジュは違う、ちゃんとシュロールのことを考え、大事にしてくれる。
それでも悪い考えが頭から離れず、眉をしかめることで涙をこらえる。
少しすると、エンジュが馬車に戻ってきた。
「これを足に。」
細い茶色の革紐に二粒の小さなガーネットをあしらった可愛いそれを、エンジュが右足首につけてくれる。
瞬間、足元から暖かい風がふわりと舞い上がる。
春風をまとったかのように、螺旋を描き、暖かく体を包み込む。
「ありがとうございます。…魔石…ですか?」
驚きと、嬉しさで目をうるませたシュロールは、おそるおそるエンジュに問いかける。
「ああ…。」
そういうとエンジュは自分の手首についている、同じものをシュロールに見せる。
「エンジュ様と…その…。」
エンジュはシュロールが何が言いたいのかと、片眉を上げる。
シュロールは思い切ったように、顔をあげエンジュに向ける。
「お揃いですね。」
「…お揃い…。」
「はい、お揃い。」
エンジュは片手で顔を覆い、俯く。
もう片方の手でシュロールを制し、少し待つように促す。
しばらく動かないと思うと「すまない」といい、馬車を出る。
馬車をあとにしたエンジュは、すたすたと人の目が届かない位置に移動し、大きく息を吐きしゃがみこんだ。
肩にかかるシルバーの毛皮を引っ張り上げ、体と顔をすっぽりと覆い隠す。
「…お揃い…お揃い…。恐ろしい、言葉の破壊力だ…。」
馬車を出たエンジュは、今まで受けたことのないほどの羞恥で、身をよじり、叫びたい気持ちを堪えながら笑っていた。