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お父様であるシネンシス公爵より、客人がいるので居間まで来るようにとメイドより言伝があった。
朝が早い為、クロエは疎まし気にメイドを睨んだが、お父様のお呼びなら仕方がない。
この時間帯に公爵であるお父様が邸に迎え入れる客人、高位貴族であることが推測される。
どこから良い縁談が舞い込むかもわからない…今自分の置かれている立場でより良い相手を選ばなければ。
クロエは自分の手持ちのドレスの中で、自分をよく見せることができる物を選び、メイドに細かく指示を出し、丁寧に準備をしてから居間に向かった。
◇◆◇
どの位の時間がたったか…。
居間では皆が会話をするでもなく、クロエを待ち構えていた。
特に宰相であるプラタナス公爵は、両手を組み合わせ俯き考えを巡らせているようだった。
ようやく登場したクロエは、その場にプラタナス公爵と社交界の人気を二つに分けているハルディン公爵子息がいることに浮足立った。
ハルディン様といえば人気があるにもかかわらず、今まで婚約者を決めずにいる。
公爵家同士の縁談であれば、家柄にも申し分ない。
そしてなにより社交界で騒がれるほどの、美しく均整の取れた容姿はクロエを惹きつけるのに十分だった。
視線をちらちらとハルディンへ向け、頬を染めながら広間の中央まで来たクロエは、これ以上ない優雅な動作で礼を取った。
「シネンシス公爵が娘、クロエでございます。」
「本日はどのようなご用件で…。」
思わせぶりに顔をあげ、微笑みを浮かべて前を見る。
正面にいた人物に動きを止めた。
昨夜私の未来を貶めた張本人が、ゆったりとソファに座り、面白そうにクロエを見ていた。
隣には、昨夜あれだけ公爵家を貶めたシュロールが、澄まして座っている。
まさか…とクロエは手をそっと自分の口に当て、勘繰り始めた。
この集まりはお姉さまとハルディン様の婚約を、まとめるものではないのかしら?
しかしお姉様は、しょせん辺境伯の養子となるはず…ハルディン様には相応しくない。
ならば自分こそが公爵令嬢であると、婚約を結ぶのならどうだろう。
考えをまとめ、自分をよく見せるように体をくねらせ話しはじめようとした時、震える声で叫ぶ者がいた。
「この令嬢が、クロエ嬢だと…本当に?クロエ嬢に間違いないのか!」
プラタナス公爵はたまらないとばかりに、声をあげ頭を抱えた。
隣にいるハルディンは父の様子に狼狽し、クロエは自分に不手際があったのかと不安そうに見つめる。
クロエは年相応に可愛く、愛らしい顔立ちをしている。
ライトブラウンの髪の毛は軽やかに巻いてあり、ブルーの瞳とオレンジのチークと口紅が良く似合っている。
白の切り替えのついたサーモンピンクのワンピースに、オレンジとイエローの花のアクセントがクロエの可愛さを引き立てている。
どこからどうみても愛らしい令嬢であるには変わりなかったが、問題はそれ以外にあった。
「シネンシス…そなたは知らなかったのか…。」
プラタナス公爵の落胆は、見る者を動揺させた。
「そうか…あの騒動があった時は、前フェイジョア辺境伯夫妻が亡くなった後で…。」
「王宮にも過去を知る者は少ない、しかも辺境の地の貴族の特色など。」
「妻であるオルタンシア夫人からも、誰からも信頼を得ていなかったのだな。」
「それでも、そなたは知らねばならなかった!」
独り言のようにそう呟くと、最後は叫び声にも似た告発になった。
「フェイジョアの一族は、戦闘能力を一族に継ぐ為…どこへ嫁ごうと、どこの国から娶ろうとも…子孫のその瞳はグレーの色を有する。」
王家に連なる…それも国の重要な役職にいる者ならば知っているという。
クロエは呆然と、どこか他人の話のように聞いていた。
昨夜…黒いドレスを纏った伯母と名乗る女性よりもたらされた、『偽りの公爵令嬢』という事実。
お父様もそれを肯定してしまったが、それでもその事実は、他言しなければばれることはないと思っていた。
事実を隠蔽し、お姉様よりもたらされた公爵家の恥を乗り越え、高位貴族との良い縁談をまとめる。
それこそが自分がいるべき立場であり、未来の、心の安寧をもたらすはず。
見る者が見れば、私が偽物だとわかってしまう?
この私が…お姉様よりも愛らしく、誰よりも愛されるべき私が?
公爵家の正式な子ではないと言うことが…わかるというの?
顔を上げ、前を向くとフェイジョアの血を引く二人がこちらを見据える。
態度が違えど、二人とも漆黒の髪にグレーの瞳。
「私は…私はこれから、どう生きろというのですか?」
「不義の子?平民の子?」
「私を見て!どこにそれらが当てはまるというのです!どこからみても公爵家の令嬢…誰からも愛らしいと持て囃される容姿を備えているというのに!」
「目の色が違うだけでっ。」
シュロールは、何とも言えず眉をひそめ悲しい表情をした。
公爵令嬢であろうとなかろうと、自分に見合う慎ましさを持てばいいのだ。
クロエには今の豊かさにしがみつくしか、生き方を見いだせないのだと感じる。
エンジュは「ここまでか…。」とつぶやき、息を吐く。
「目の色が違うだけではない。」
「そなたに姉と同じ生き方ができるか?どれだけ虐げられても、自分を持ち…自分の存在を示そうとする。それこそがフェイジョアとして、他の貴族に一目置かれる存在なのだ。」
今までエンジュはクロエに対して、そこにいないものとして扱ってきた。
ただこの言葉だけは、子供に言い聞かせるよう…ゆっくりと目を見て話す。
その言葉はどこまで遠くにいても、心の奥底に響き渡るような力強さがあった。
顔を赤くし、目に涙を溜め、羞恥を堪えながらクロエは唇を噛みしめていた。
クロエにその強さはない…姉と同列にならない為、率先して姉を蔑んできたのだから。
クロエの為に発したエンジュの言葉が、きちんとクロエに届くといいと思った。
姉としてのシュロールの言葉は、もうクロエには届かないのだから。