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馬に騎乗する男性のような装いで、エンジュは現れた。
その上から上質な紺色のストールを肩にかけ、体に巻き付けている。
黒髪は顔の半分を覆うようにおろされてはいるが、シュロールと同じように、サイドに流し緩く結わえている。
こうやってみると、シュロールの表情やしぐさは母親のオルタンシアそのものだが、エンジュもまた血縁を思わせるのに不足のない様相であった。
その場にいた男性たちは、自分より一回り小さいエンジュに対し、礼を取る。
その間を悠々とゆっくり時間をかけて通り抜けると、ソファのひとつに腰かけた。
「楽にしようじゃないか。」
そうエンジュが声をかけると、男性たちはようやく席に着くことができた。
現状が理解できていない、ハルディンも父親に倣う。
シュロールはぱちぱちと、目を瞬かせた。
エンジュがこの場にいるだけで、空気が、視線が重くなる。
かけた言葉とは反対に、エンジュはすこぶる機嫌が悪い。
「エンジュ殿、お元気そうで何よりだ。」
「王都にいらしていたとは、思ってもみなかったが…。」
プラタナス公爵は、無難な会話からはじめようとした。
この国の宰相として、自分の中で優先順位をたて、策を練っていた。
今回の婚約破棄以降の出来事、更にフェイジョアの二人に対して、少しでも多く情報を得る。
憶測ではあるが、昨夜のうちに行われたと思われるシュロール嬢の養子縁組を可能であればなかったことにする。
もしそれが叶わない場合は、ハルディンもしくは王族に連なる者との婚姻を、約束してもらう事。
これだけはなんとしてでも、成さねばならない。
「ああ…そこにいる誰かのせいで、来ざるを得なくなったんでね。」
エンジュは髪をかき上げながら、シネンシス公爵を見る。
その視線には、侮蔑の色が宿っている。
シネンシス公爵の方は、顔をあげることもできない様子だ。
どうやら想定以上のなにかを、仕出かしているらしい。
「ところで宰相殿、随分と早い訪問のようだが…急ぎの用でもあったのかな?」
「ええ、まあ…そんなところでしたが。」
「状況がかわりましてね、少し様子を見ようと思っていたところです。」
貴族としての笑みを顔にはりつけたまま、プラタナス公爵は自分の状況をさりげなく隠す。
シュロールが「フェイジョア」を名乗った以上、これはシネンシス公爵家とプラタナス公爵家の問題ではなくなったのだ。
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ただこの時点でもまだ、プラタナス公爵は打つ手はあると思っていた。
シネンシス公爵家にはもう一人、娘がいたはずだ。
昨夜、父親と姉と一緒に夜会に参加していたはず…ただ残念なことに皆がシュロールに目を奪われてしまい、よく印象が思い出せない。
それでもフェイジョアの血を引くものならば、なんとか王都につなぎとめなくては。
どんな令嬢であるかわからないが、王家に連なる高位貴族もしくはハルディンでもいい…婚姻をもってしばりつける。
フェイジョアの怒りを買い続けない為にも、どうにかこれだけはまとめ上げたい。
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「先程シュロール嬢より、挨拶をいただきまして…。」
「その際、フェイジョアと名乗られていたのですが…今回、エンジュ殿が王都に来られたのとなにか関係があるのでしょうか?」
視線だけで事もなげに「そんなことか」と息を吐く。
エンジュはシュロールに向けて手を差し伸べた。
いまだ入り口付近に立っていたシュロールは、エンジュに導かれ側まで寄り、その手をとる。
「我が姪殿はね、この度フェイジョアの養子に入り私の跡目を継いでもらうことにしたんだよ。」
「このことは王家も了解済みだ。」
そう紹介されると、シュロールはエンジュのソファの後ろに立ち軽くお辞儀をする。
王家も了承していることに、軽い苛立ちを抱えながらもプラタナス公爵は続けてシュロールに問いかける。
「それはシュロール嬢にとって酷なことを。」
「長年共に暮らしていた家族と別れるのは、心が痛むのではないでしょうか?」
「暮らしやすい王都とちがって、環境が変わることも考えねば…ご友人なんかは寂しがることでしょう。」
プラタナス公爵は、なるべく自分の言葉に感情をのせるよう心を込めて話す。
シュロールの立場に立ち、シュロールの気持ちに寄り添って発言していると思わせるように。
「そう…思うか?」
エンジュはプラタナス公爵を、下から覗き込む。
その目に光は宿っていない。
鬱々とした表情だが、視線だけは鋭く刺さる。
一瞬プラタナス公爵はひるんだが、シュロールに対し同意を求める様、視線を流した。
「…発言を?」
シュロールはエンジュに問いかけ、エンジュもまた軽く手を上げる。
「お気遣いいただきありがとうございます、プラタナス公爵。」
「私は家族に対し『心が痛む別れ』というものを、持ち合わせておりません。」
「幼いころから王太子の婚約者として隔離され、魔力発動の為、監禁生活を送っておりましたので、親しい友人もおりませんし…。」
「さすがに『恥さらし』や『喉をつぶす』と言われ、暴力を振るわれては…。」
そう言うとシュロールはサイドに流していた、髪の毛を持ち上げ顔から首に当たる部分にそっと手を添えた。
化粧と髪で最大限に隠してはいたが、唇の横辺りから首にかけて赤黒く紫にうっ血した後が残っていた。
そんなバカなっ…と、シネンシス公爵に目をやると、顔を青くし自分の手を手で覆っている。
その手には公爵当主としての指輪がはまっており、それが凶器となったのだろう。
「それでは、妹のクロエ嬢はどうするのです!」
「姉として慕っている貴女がいなくなれば、悲しむに違いありませんよ。」
シネンシスではダメだ、こうなったら妹への情に訴えかけるとばかりにプラタナス公爵はシュロールを責め立てた。
「昨夜、妹には…『どこかの貴族の慰み者になるべきだ』と言われましたわ。」
「悲しいことです。」
何を…この家族は、シュロール嬢の重要さがわかっていないのか?
取り返しがつかない程の暴挙に、プラタナス公爵は体の中の血が凍る思いだった。
エンジュはプラタナス公爵の話を、静観していた。
ここからどう話が進んでいくのか、楽しくもある。
ただその感情は、絶対に表にはださない。
「あ…姉であるシュロール嬢の喪失に、感情が暴走し…心無いことを口にしたのでしょう。」
精一杯の体で、プラタナス公爵はそう付け加えた。
もうシュロール嬢に王都へ残ってもらう手立てはない。
ここまで、仕出かしてしまっては…エンジュ殿がおとなしくしていることだけでも不思議なくらいだ。
「では…クロエ嬢が、辺境との懸け橋をつとめるというわけですね。」
おそろしく感情がこもらない声で、プラタナス公爵は言った。
ただの確認だったのだろう…まさかこれが当てはまらないとは、思ってもいない口調だった。
シュロールが聖女の可能性がある、そして聡明で美しい令嬢であることはわかっていた。
その令嬢が王都を去るのは、かなりの痛手である。
…がフェイジョアとの繋がりが、完全になくなるわけではない。
これ以上、エンジュ殿の機嫌を損なうのは得策でないことはわかっていた。
「我が国の宰相殿は、面白いことを言う。」
はっ、と顔を上げるとエンジュの皮肉な物言いと微笑みがあった。
「ジェローム、クロエ嬢を呼ぶといい。」
エンジュはシネンシス公爵に向かってそう言うと、楽しみで仕方がないという笑顔を浮かべた。
エンジュはシュロールの手を取り、自分の隣に腰かけさせるとゆったりと座り込みお茶を勧める。
クロエがメイドに呼ばれ、広間に呼ばれる間…誰一人口を開く者はいなかった。