17
公爵家の玄関へ続くスロープに到着した時、邸の玄関から騒がしい声が聞こえた。
馬車に残ったリアが心配して、待機してくれると言ったが私は断った。
騒がしい声の中心の人物に、心当たりがあったからだ。
リアに丁寧にお礼をいい、再会を固く約束して私たちは別れた。
リアと離れるのは寂しかったが、公爵家の騒ぎにリアを巻き込みたくない。
◇◆◇
玄関に近づくと声の主である、帰ったばかりのお父様とクロエが、思いつく限りの言葉で私を罵っていた。
「あの娘のせいで、我が公爵家の威信は崩れ去った!」
「あんな…あんな、なりそこない…早くどこか奥地に閉じ込めるべきだった!」
「ただでさえ、聖女になれもしない、落ちこぼれでしかないというのに…。」
「婚約破棄…婚約破棄、だぞ!」
「こんな、不名誉な…こんな…私のことを馬鹿にして!」
お父様はエントランスの中ほどで、落ち着きない様子でぶつぶつと思いを口に出す。
拳を握り、奥歯をぎりぎりと鳴らしながら親指の爪を噛む。
「王族に婚約を破棄された令嬢がいる家なんて…。」
「私の縁談は、どうしてくれるのっ!」
「お姉様のせいで、私が行き遅れたりしたら…ただじゃすまさないんだから。」
クロエは自分の扇子を握りしめながら、自分の縁談の心配をしていた。
「オルタンシアが生きていれば、この様に育てはしなかったのに。」
「…こうなったら、どこぞの有力な貴族の後妻にでもすえて、我が公爵家の発言力を強固なものにしなくては!」
「そうですわ、お父様。」
「ついでにお姉さまの持っている財も取り上げて、私の支度金に使えば…私にも良い縁が舞い込むかもしれません。」
「そうすれば、公爵家にとって利益になるに違いありません。」
名前を聞き、目に涙が浮かぶ。
お母様が生きていらっしゃったら、今の私に何を思うのだろう?
自分の名誉にしか興味のないお父様と、姉を踏み台にしようとする妹。
シュロールの母は幼い頃に亡くなったとしか、聞かされていない。
肖像画でお姿を、思い描くだけしかできない。
何度もお母様のお話をねだったが、詳しい話は教えてもらえなかった。
エントランスの入り口で立ち尽くし呆然とするシュロールに気が付いたお父様が足早に近づき、手を振り上げた。
「このっ、恥さらしがぁっ!」
…バシンっ!
頬を叩かれ、視界が歪む。
痛みよりも先に、衝撃に揺れる。
バランスを崩したシュロールは、そのまま床に倒れ込んだ。
「お前のせいで、お前のせいで…私がどれほど恥ずかしい思いをしたかっ!」
髪を引っ張り上げ、再び頬を叩く。
忌々しいものをみるように、クロエは扇子で顔を隠しながら、姉の様子を伺う。
シュロールを庇う者はいない。
ユージンもミヨンも、夜会へ出る前に、この家を出した。
二人はひどく反対したが、守るためにはどうしても譲れなかった。
「何が聖女だ!バカにして!」
「お前はこのまま、どこかの貴族に嫁がせる!」
「せいぜい、我がシネンシスの役に立て!」
そう言い終わると同時に、足で払い倒す。
「まず、喉をつぶす。女としての役に立てばよい。」
「あぁ、見た目だけは着飾ってやろう。せいぜい高位の貴族に気に入られるようになっ。」
実の娘である以前に貴族の令嬢とは、家の利益となる駒である。
愛情の有無よりも、利益の増減の方が大事である。
シュロールは考えていた、やはり自分の考えの外側にあった『王太子以外との婚姻』を勧められるのか、と。
ここからどうやって、逃げだす?
きっと嫁ぎ先が決まるまで、シュロールは監禁されるだろう。
ユージンとミヨンがいない以上、他のメイド達では逃亡の手引きは無理だ。
今はここをやり過ごし、時を待つしかない。
無意識にそっと、自分の喉に手を添えていた。
今まででさえ、理不尽な扱いに声を上げたことなどないというのに…。
そう思い抵抗をせず、耐えていたところに、公爵家の家令が足早に近づいてきた。
「ジェローム様!急ぎご報告が!」
その声にその場にいた、皆が振り返った時だった。
「ジェッローーーーーーーーーームッ!」
声を張り上げ、姿を現した人は…陰鬱な様相の女性であった。
漆黒の髪の毛は半分顔にかかり、目には光がない。
しかし身に着けているものの、色味は抑え目だが、品物は一級品に違いなかった。
男性が羽織るジャケットのようなトップをしたドレスを纏い、鞘に納め抜けないように紐で封印した剣を、杖のように扱っていた。
表情は乏しいが、目には力がある。
そしてシュロールと同じ、グレーの瞳。
「…義姉上、いや、エンジュ殿っ…。」
先程まで怒りを滾らせていたお父様が、みたこともない様子で狼狽している。
シュロールが婚約を破棄された時でさえ、見せたこともない表情に辺りにいた皆が息をのむ。
公爵であるお父様がこんなにも、動揺する相手。
「(義姉上…伯母様?)」
ゆっくりとお父様に近づいていく時に、少しだけシュロールと視線が交わる。
その視線には生気はなく、またシュロールに関心があるというわけでもない。
すぐに視線を、お父様に戻す。
「エンジュ殿、ご無沙汰しております。」
お父様から挨拶をし、礼を取った。
お父様より上の爵位でこんな方は、いないはず。
「久しいな、ジェローム。」
「なかなかに堅苦しい、挨拶じゃないか。」
表情は乏しいまま、軽い会釈ですます。
口調だけは、軽々しく親し気だ。
なのに…この重苦しい空気は、なんだと言うのだ。
誰一人、口を出せる気がしない。
それだけの気迫が、この女性からにじみ出ているようだった。