13
広間を出て馬車乗り場へ向かう廊下の途中で、王宮の従僕に声を掛けられる。
どうやらお父様とクロエは、私の婚約破棄真っ只中に夜会から引き上げ、邸に戻ったらしい。
家族であるというのに、助けようとも見守ろうとも思わないなんて…。
きっと今頃、私に対して怒りを滾らせているに違いない。
シネンシス公爵家の馬車がない…。
代わりに王宮から手配する馬車がすぐに都合がつかないとのことで、夜会の控室で待ってほしいとのことだった。
できるだけ早く王宮を出たいが、馬車がないのではどうしようもない。
しかし、王宮の馬車がすぐに都合がつかない?
誰かの意図がありそうな気がして、不安が込み上げる。
『国外追放』『修道院送り』『拘束』『投獄』、そのどれでもなく『保留』なのだ。
時間が空けばあくほど、計画に歪みがでてくる。
進まない焦りもあって、早く邸に戻りたい旨を従僕へ伝えようとしたその時だった。
「…っくぁ、痛っ…」
突然の痛みが体を走る、体勢は崩され前のめりになるが、なんとか膝をつかずに持ちこたえた。
後ろから、二の腕を引っ張り上げられていた。
あまりの痛さに、目に涙が浮かぶ。
令嬢の腕を引っ張り上げるなんて…と振り返り様に睨み上げるとそこには初めて見る貴族令息がいた。
「あぁ、これはいい。これであいつも悔しがる。」
「知恵のまわる女は使いにくいんだが、まあ…これなら違う使い道の方が多いに違いない。」
勝手にそう言ってじろじろと値踏みをしてきた男は、口の端だけで笑っていた。
初対面でこれだけ失礼なことを言ってくる相手に、怒りが込み上げる。
振り切って逃げたいところだが、先程の従僕もこの男の目配せでこの場を去ってしまった。
呼吸を整え、穏やかに問いかけてみる。
「初めてお目にかかると思いますが、お名前を教えていただけますでしょうか?」
残った片方の手で扇子を広げ、口元をあわてて隠す。
なるべく穏やかな微笑を浮かべて、相手を見つめてみた。
「あぁ、名乗らないとわからないのか?」
「私はプラタナス公爵家、ハルディンだ。」
「公爵と言っても、お前の家なんかと一緒にするなよ。」
そういうとハルディンは、馬鹿にした視線でシュロールを見た。
少しクセのある赤褐色の髪に金色に近い茶色の瞳、整った容姿に夜会の為にあつらえたであろう金糸のジャケットと手袋。
納得したとばかりに、怒りを抑え込みつつ微笑む視線を向けながらシュロールはさらに問いかける。
「ハルディン様、礼を取りたいので離してはいただけないでしょうか?」
ふんっと鼻をならしながら、ハルディンはシュロールを放った。
バランスを崩しながらも、数歩後ろへ下がり距離をとりつつ改めて相手に向き合った。
「改めて…お初にお目にかかります。シネンシス公爵が娘、シュロールでございます。」
「かねてより社交界で有名な、見目麗しいハルディン様にお声をかけていただくなんて光栄でございますわ。」
「ですがあいにく邸に帰る為、急いでおりますので…ここで失礼させていただきます。」
ハルディン=プラタナス、宰相を務めるプラタナス公爵の嫡男で、次期宰相候補とも噂される程の頭の良さである。
王太子であるオルトリーブが正統派王子の品の良い上質な容姿を携えているとしたら、ハルディンは他者を威圧しても付き従えずにはいられないカリスマ性がある。
二人は方向性こそ違うものの、どちらも人を惹きつける魅力を持っていた。
ただハルディンには他人の感情を推し量ることをせず、謀を携えるクセがあると情報を得ている。
ここは余計な事を抱え込まない為にも、そうそうに解放させていただきたい。
「やはり可愛げがないな…だから、知恵のまわる女は嫌なんだ。」
「我が公爵家の馬車で送っていこう。」
「これからの話もあるからな。」
意図が分からない限り動くつもりのないシュロールは、次の言葉を待っていた。
顔を覆い、溜息をつきつつ、視線だけを寄こしながらハルディンは続ける。
「お前は私と婚約する。」
「私が娶ってやろうというのだ、ありがたく受けるがいい。」
「その為の話を、このままシネンシス公爵へ取り付けに行く。」
この時シュロールは自分の愚かさに、頭を打たれたようなショックを感じていた。
何故この可能性を考えていなかったのか…。
『国外追放』『修道院送り』『拘束』『投獄』この他にも、『王太子以外との婚姻』があったのだ。
そうなるとあれほど逃げ出したかった貴族社会と、係わらないわけにはいかない。
「…お、断りいたし…ます。」
ショックのあまり、声が小さくなる。
「よく考えて、物を言うのだな。」
ハルディンはシュロールの手首を掴み、壁側に押しやった。
壁に当たった背中と、掴まれた手首が痛い。
この紳士らしさを微塵も持ち合わせていない男は、女性に対して力を加減するということを考えないのだろう。
「私は…お前との婚姻に、利益を見出した。」
「お前を見たオルトリーブの顔を覚えているか?あれほどの動揺…きっと私の伴侶となった際には、悔しさを隠せないに違いない。」
ククッと喉で笑いながら、話を続ける。
「更にお前は次期王太子妃になるであろうあの女とも、堂々とやりあった。」
「派閥はできるかもしれないが、その価値は大きい。社交界にて次期王太子妃より、お前を推すものも出てくるだろう。」
「何よりお前には、他にも利用価値がある。」
「聖女かどうかはっきりしないうちは、国内にとどめたい王族の思惑。お前が今まで出した、魔力の研究の成果。」
「何より見目が良い。あの次期王太子妃より俺の好みだ。」
「断るというのなら、ここで断れないようにしてしまえばいいだけの話だ。」
そう言うと、シュロールの腰を引き寄せ、肩に口づけを落とそうとした。
「(…!)」
ここまできてようやくシュロールは、自分が危うい立場に立たされていると気が付いた。
ただでさえ婚約破棄で評判を落とす羽目になったというのに、ここで衣服を乱された姿を他の貴族に目撃でもされたら。
ハルディンに娶られる以外に、生きていく道はなくなるのだ。
心底嫌だと叫び出したい衝動にかられるが、恐怖で声が出ない。
抵抗しようにも手首と腰を掴まれ、身動きが取れなくなってしまっている。
残った片手で、ハルディンの肩を押しやろうと力を込める。
シュロールの力では押し返す事すらできず、自分の手袋がずれていくだけだった。
…あと少しでハルディンの唇が、肩に触れてしまう。
ハルディンの吐息が肩にかかったその時、その場の雰囲気にそぐわないおっとりとした女性の声がたずねてきた。
「これは、外交上の問題になるのでしょうか?」
「お話したいと、お探ししておりましただけなのですが…。」
シュロールとハルディンの動きが止まる。
ハルディンが体を起こし、声のする方向へと体を向ける。
そこには優雅に、それでいておっとりと赤いドレスを着た令嬢が柔らかく微笑んでいた。