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「その前に、皆に知らせたいことがある。」
「シュロール=シネンシス公爵令嬢、前へ。」
鷹揚に腕をあげ、観衆である貴族たちにむかい、王太子であるオルトリーブが声をあげる。
着飾った貴族たちが波が引くかのように道を開け、こちらをうかがうように垣間見る。
開かれた道は眩しく、そして重い空気を纏っていた。
王陛下や王妃が何も行動を起こさないところをみると、すでに内容を了承済らしい。
人々の視線に含まれる感情は様々だったが、その視線を受け流し薄く微笑みながら優雅に前に出る。
「シネンシス公爵が娘、シュロール。参りました。」
ゆったりと淑女の礼をとり、王太子の言葉を待つ。
「うむ、皆もよく聞いてほしい。」
「私、王太子オルトリーブ=ティヨールは、シュロール=シネンシスとの婚約を破棄させてもらう!」
森の木々が風に揺らされるがごとく、ざわざわと人々の動揺が広がっていく。
「(やっぱり…。)」
◇◆◇
シュロールは事前にこの余興(婚約破棄)を予想していて、ある程度の計画を立てていた。
ただの婚約破棄だけならば、夜会へ招待などせず破棄の申し出の手紙だけですむはずである。
それをせずにこんな面倒な方法をとるということは、なにかしら含みがあるというもの。
お父様の様子をうかがっても、確信があることはわからずといった感じである。
このことからも公爵の位を賜っているとはいえ、お父様の王族からの信頼は低いのだろう。
まず、婚約破棄はこちらも願ったりである…からいいとして、あとはその後の落としどころである。
『国外追放』または『修道院送り』
この2つであれば、なんとかなりそうだと思った。
前世では病院にて、色々な人の世話になりながら生きながらえていた。
人の手を借りないと生きていけない前世を憂い、シュロールは身の回りのことを自分でこなしていた。
生活する上のでの金銭面も、研究費のおかげで何とかなりそうだ。
あとは研究などに使った本を残していくのが気がかりだった。
数冊を除いて、残していくか売るかを悩んでいると、これも思わぬ方向から解決したのだった。
『拘束』または『投獄』
この場合、きっとお父様は敵になるにちがいない。
公爵家として生き残る為に、早々に私を切り捨てるだろう。
また、ある程度地位にある協力者を必要とし、手段をいくつか準備しておかなくてならない。
幸いに共同研究者達は、国の中枢にいる者や発言力のある者たちばかりだ。
懐柔や逃亡、幾通りか計画を立てて状況に応じて実行できるように整えておいた。
◇◆◇
「ご返答、よろしいでしょうか?」
薄く微笑みを浮かべながら返すシュロールに対し、片眉を上げながらオルトリーブはシュロールに視線を合わせた。
「…っ…。」
両眼を見開き、一瞬の動揺がみられる。
王太子として人前にでるようになったオルトリーブにしては、珍しい光景だった。
最初にオルトリーブはシュロールを、「地味な令嬢だ」と思い、嘲りを含んだ視線で目の端にとどめていた。
だが近づいてみるとどうだろう、抑え目な色合いに対し、光沢や輝きを含んだ贅沢なドレス。
なにより目を奪われてしまうシュロールの艶やかな表情、憂いを帯びたグレーの瞳。
会わない間になにか変わったのかと思わずにいられないほどの成長ぶりに、オルトリーブは婚約の破棄を『惜しい』と感じていた。
しかし気が付いてしまった…シュロールが纏うその全身に、婚約者としてのオルトリーブの色が使われていない。
シュロールもまた、オルトリーブを必要としていないという意思表示なのだと。
羨望が…憎しみに変わる。
再び表情を引き締め、片眉をあげつつオルトリーブは答える。
「よい、申してみよ。」
「ありがとうございます。婚約破棄、謹んでお受けいたします。」
「(何故動揺しない、何故縋らない!)」
オルトリーブの奥歯が、ぎしりと音を立てる。
少し前までは縋られるのも鬱陶しい、さっさと終わらせてしまおうと、相手をする気もなかったはずなのに…今はあっさりとした返答に、怒りが込み上げてくる。
「ただ…理由をお聞かせ願いたいですわ。」
「自身が聖女であると王族、ひいては国民を謀ってきたこと。許すわけにはゆかぬ。」
本当は声高に皆に広め、糾弾し、罪悪感をもたせるつもりだった。
なのに、当初から決めていた理由を答えるのが精一杯だった。
婚約は破棄しても、なんらかの手段でシュロールをつなぎとめておきたい。
そんな思惑が、オルトリーブを締め付けていた。
「私は…自身が聖女であると名乗ったこともなければ、仄めかしたこともございません。」
「そのように誤解があったとすれば、私の努力が足りなかったのでしょう。」
少し悲し気に顔を背けるように角度をかえ、扇子を開き口元を隠した。
もう片方の手は、まるで辛さから庇うように自身を抱きしめている。
細い肩は頼りなく、見ている者は支えずにはいられない。
「…ですが、私はてっきり。親し気に他の女性と入場されたので…愛しく思う方ができたのでいらっしゃるのかと。」
視線を流すように、オルトリーブと後ろにいるブロンシュ王女に向ける。
「…んなっ。」
「まあ。」
指摘された二人の反応は、まるで違っていた。
オルトリーブは気まずさを隠せない様子で視線を避け、ブロンシュは楽しい物を見つけたという様子でシュロールを見つめた。
「…不敬である。」
オルトリーブはつぶやいたが、それをブロンシュが扇子で差し止めた。
「よいではありませんか、私も一度お話してみたかったのですわ。」
一歩前にでるブロンシュと、再び礼をとるシュロール。
お互いに何か含みをもっての会話になると、予感しての対峙だった。