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四大国が参加した和解の話し合いが終わり、一応の決着がついた。
あの後のエラーブル元国王は、エンジュに怯え、捕縛された兵に怯え、その姿はまるで汚泥を積み上げた塊の様だったという。
エートゥルフォイユは対外的な面を考慮して、強制的ではあるが国王が退位するということに決まった。
幼い頃に「王位を脅かし、国を揺るがす存在」として養子に出され、神殿に仕える王太子だった人物が、還俗し王位を継ぐことになった。
離れて育ったことが幸いし真っすぐな性格に育ったその男性は、なかなかの人格者であるとのもっぱらの噂だ。
これからのエートゥルフォイユが、穏やかにすごせるかどうかはこの者にかかっている。
そしてエートゥルフォイユは、コニフェルードの従属国になる。
不慣れな国王と国を支えていくため、経済的にも余裕のある大国が導くことになるという。
◇◆◇
ティヨール王妃は王陛下との婚姻を解消され、エートゥルフォイユへ戻されることになった。
最後まで悪びれることなく、堂々とティヨールを後にした王妃は、自分の方が被害者であると主張した。
国に戻ってからいかに自分がこれまで我慢していたかを訴え、賠償させるとまで吐き捨てていった。
ところが実際に戻ってみると、立場が一変していることに驚き、態度を変えた。
残りの人生を祈りを捧げて過ごしたいと、修道院へ逃げ込もうとしたが、エートゥルフォイユ元国王と並んで、塔に幽閉。
両名とも数日ののち、病死したとの正式な発表があった。
突然の事にティヨールの国民はたいへん驚いたが、エートゥルフォイユの国民は深い沈黙を守った。
◇◆◇
オルトリーブ元王太子は、ティヨール王宮の奥の塔にて変わらず幽閉されている。
国同士の色々な交渉が終わり次第、長く厳しい裁判が始まり、その後処罰が決まる予定だ。
幽閉されている塔の部屋では、遠くを見つめぼんやりと過ごしているようで、時々思い出した様にある令嬢の様子を聞いてくることがあるという。
さらに驚くことに、あれだけ酷い目にあったというのに、ティヨールの高位貴族の令嬢から続々と元王太子の減刑を求める嘆願書が届く。
「王太子のお心を癒して差し上げたい」「私であれば、元の優しい王太子へ戻してあげることができる」
そんな言葉がつづられた手紙を見て、王国中枢にいる高官は頭を痛めていた。
しかしそれには王陛下みずから筆をとり、今回の事の大きさ、国民への謀反、そして絶対に刑罰が軽くなることはない旨、丁寧に手紙にしたため、返しているという。
◇◆◇
ジャサントは、グランフルール王国へと引き渡された。
当初は神殿側からジャサントの処遇は、こちらへ任せてほしいとの打診があったが、国が断固として拒否をした。
神殿に預けては、厳しくても無期の下働きで終わってしまう…ジャサントが犯した罪は、その程度で収まるものではない。
ティヨールの国境から、グランフルールへ入ってすぐに、移送していた馬車が突然現れた集団に襲われ、ジャサントが連れ去られたとの報告が上がった。
翌日グランフルール城下の外れで、無残な死を迎えたジャサントの死体が発見される。
その死体には無数の魔法攻撃を受けた跡があり、多数の魔導士を殺し呪いの素材としたことへの報復だと囁かれる。
誰もその死体に祈りを捧げない、当然の報いだと人々は口にする。
最終的に死体を神殿が引き取り、哀れな魂が安らかに眠れるよう墓を建てずにひっそりと埋葬する。
◇◆◇
それは白い世界だった。
ゆらゆらと光が波のように漂い、陰影を映し出す。
ゆっくりと目を開けると、自分の部屋の中に午前の陽の光が柔らかく差し込んでいた。
なにも考えられず、ぼんやりとした頭で周囲を見渡すと、窓際でレースのカーテンを引いているハルディンがいた。
シュロールの記憶から、既視感がよぎる。
「…いつかの時のようですね?」
シュロールがハルディンへ声を掛けると、驚いた様子でハルディンはベッドの側に駆け寄ってきた。
「あの時は、今とは逆でした。」
腕に力を入れ上体を起こしながらシュロールは続ける。
ただ思ったよりも疲労しているようで、なかなか力が入らない。
「…ああ。」
気がついたハルディンは、シュロールの手を取り、背中を支える。
そのまま掌へとキスを落とす。
その様子をシュロールは、ぼんやりと見つめていた。
「あの時のハルディン様は、少し意地悪でした。」
ハルディンの気持ちがわからないままに、掌にキスをされたことを思い出す。
ハルディンは口元に笑みをたたえたまま、少し挑戦的に目を細めた。
「あれはお前が、男に対して警戒心がなかったからだろう?」
ベッドの端に滑るように腰を降ろし、シュロールと目線を合わせて話す。
「今だって寝衣姿の令嬢の部屋に、年頃の男と二人きりだ。この話が広まれば、お前の評判は落ち、好きな男と婚姻を結べなくなるんだぞ?」
ハルディンは自分で話した言葉に、含めるような笑いを漏らす。
「まあ…お前は、俺が貰うからいいんだけどな。…貰っても、いいんだろう?」
そう言いながら、自分の唇を目じりに、頬へと滑らせていく。
唇が重なろうという時に、シュロールはハルディンの唇を掌で押さえ、力を込めて自分との間に距離をあける。
頬を真っ赤に染めてしどろもどろの様子で、シュロールは抵抗した。
「申し訳ありません!今目覚めたばかりで、自分がどのような状態なのかわからないままなので…その、もう少し身なりを整えるまで、待っていただけると…。」
ふっとハルディンの力が緩むと、そうかと呟きながら少し距離をとる。
シュロールは安心し、体の力を抜き、息を吐く。
気がつくと顎に手がかかり、そのまま乗り出してきたハルディンは唇を重ねてきた。
驚き焦ったまま体を引こうとしたが、顎を掴まれて逃げ出しようがない。
ハルディンの温もりが唇から伝わってくる、その吐息に頭を麻痺させ、シュロールはゆっくりと目を閉じた。
顎を捕えたハルディンの力が抜け、ゆっくりと唇の感覚が遠のいてゆく。
近い距離のまま、ハルディンに視線が捕らわれてしまう。
「ではこれで、少し我慢するとしよう。続きはまた後で…楽しみにしている。」
そう言うと悪戯な視線を向け、微笑むハルディン。
「あの時だけではなく、今も意地悪です。」
シュロールは側にあったストールを引っ張り、顔を隠しながら呟く。
「ああ、そうだな。お帰り、シュロール。」
「戻りましたわ、ハルディン様。」
少し涙ぐみながら、二人は抱擁を交わした。
◇◆◇
ハルディンと元々話していた通り、シュロールの意識が戻ってから数日後、ハルディンはグランフルールへ旅立っていった。
シュロールと婚姻を結ぶため、相応しい爵位を獲得するためだった。
爵位が戻ったプラタナス公爵家へ戻ることや国内で爵位を求めることも考えはしたのだが、ハルディンはシュロールの為にグランフルールを選んだ。
ティヨール国内で爵位を獲得して、シュロールと婚姻を結べばフェイジョアへ残ることは難しい。
王都へ住居を構えると、いつか聖女だと言われるかもしれない。
ならば他国で爵位を賜り、フェイジョアに相応しい身分になるのが一番だろう。
一番はシュロールの為、しかしハルディンも、フェイジョアという土地を大事に想っていた。
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ハルディンが旅立ち、シュロールをとりまく状況は大きく変わっていった。
ひとつは聖女や魔力の事。
聖女の力だということを伏せるために、魔力を別の形で提供できないかとアシュリーの仲介で神殿より依頼があった。
シュロールの魔力には制約が多い為、研究の助手としてユージンが派遣されエンジュの邸へ滞在している。
今は色んな方面に相談しながら、液体から固形へ、できれば石鹸の形にできないか…そんな構想を練り上げている最中だ。
もうひとつは婚姻の事。
王太子が捕縛され、真実が明らかになった今、シュロールの悪評は消え去っていた。
人々の記憶に残ったものは、夜会での艶やかなシュロールの姿だ。
貴族であれば爵位を問わず、色々な方法でシュロールへ婚姻の手紙が舞い込む。
もちろん全て丁寧に断ってはいるが、諦めの悪い者は直接フェイジョアまでやってくる。
その度にエンジュに威圧され、王都へと逃げ帰っていくのだった。
◇◆◇
もうすぐハルディンが旅立って、一年になろうとしていた。
毎月決まって一言を添えた押し花が送られてくるが、一度もフェイジョアへ帰ってきたことはなかった。
そんな中いつもと違ったグランフルールの手紙が届く。
手紙を見ると封印にはカーマイン家の刻印、カメリアからの手紙だった。
それは近日中に訪問する旨を、知らせる手紙だった。
次回、完結です。