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「我が国は、ティヨールからの要請で挙兵したに過ぎない。今回はこちらも、被害を被ったと思っている。」
エラーブル国王は悪びれもせずに、言い放った。
年齢と共に大きくなった体を預け、のけぞるように座っている。
あくまでもティヨールを助けたのだという形を押し通し、各国の摩擦から逃げようとしていることがわかる。
「ではティヨールの王族が勝手をし、国の内部が混乱を極めていると知らなかったと?」
グランフルールの宰相、クラーテルヌ公爵が鋭く口を挟む。
「その通り!我が娘である王妃と孫である王太子から、辺境で謀反の疑いがあると助けを求められたのでな。微力ながらこちらからも、国をあげ、進軍したというわけだ。」
自分の言い分に自信を持って発言をするエラーブル国王だが、後ろに控える宰相の顔は冷ややかだ。
そんな言い分が通るわけがない…そう思っていることが、その表情からありありとわかる。
「そのお話だと…国の重要な要請を王自らではないことに、疑問は持たなかったのですか?」
それではまるで娘や孫のおねだりではないか…プラタナス元公爵は何故そんなことが理解できないのか、不思議に思う。
「王はすでに行方不明だったと聞く…王妃や王太子から要請が来ても不思議じゃあるまい?」
「そうです、王陛下は行方不明でした。それでもティヨールの内部が混乱していた事を知らなかったと?」
追及の手を緩めないプラタナス元公爵に、エラーブル国王は罵りの言葉を飲み込み口を歪ませる。
「我が国では、挙兵する際は必ず十分な裏付けを行なう。これは兵や民を護ることはもちろん、国の行方を大きく左右することだからだ。戦が起きれば、その後和平を結んだとしても必ずわだかまりが起きる。その時胸を張って進むことができるかは、最初の裏付けにかかっている。」
軍人らしい観点からの発言、コニフェルードのアルブール司令が落ち着いた口調で語る。
すでに兵を挙げてしまったのだから、後には引けない。
その正当性を示すのは、国の中心にいる国王の仕事だと言っているのだ。
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「結果…戦にならなかったのだから、別に問題ないだろう。」
しばらく考えたあげくに口から出てきた言葉は、その場にいた全員を呆れさせるに十分だった。
エラーブル国王は叱られた子供のように、そっぽを向きながら自分の言葉から逃げた。
「そんな話が通用すると、思ってらっしゃるのか?私たちの国は混乱し、民は不安を抱えていた。それに拍車をかけ脅かし、追い詰めたのは貴国ではないか。これが侵略でなければ、なんなのだっ!」
「知識を持たぬ国の民が、偉そうに。証拠はあるのかっ!」
プラタナス元公爵に厳しく追及され、顔を赤くし椅子から立ち上がったエラーブル国王は声を荒げた。
その返事に封を解いた、数十通の手紙が机に投げ出される。
「貴方と王妃、そして王太子の手紙のやり取りです。」
プラタナス元公爵は、その手紙を数通封筒から出しテーブルに広げる。
手紙にはエートゥルフォイユの紋章とエラーブル国王のサインが入っていた。
「そんなものは、いくつでも偽造できる。」
赤い顔をしたまま、馬鹿にしたような態度でテーブルを叩く。
話し合いの席でテーブルを叩くなど、マナー違反も甚だしい。
これにはエンジュも片眉をあげたが、まだ黙って見守ることにした。
「すでに王妃と王太子は幽閉され、ご自身達もエートゥルフォイユと組み、ティヨールを乗っとるつもりだったとの言質をいただいております。」
「それも、強要すればいくらでもとれる。しかも王族を幽閉?それこそ大きな問題ではないか。公爵ごときが…事の重大さをわかっているのか?」
何を言っても自分勝手な持論でくつがえしてくるエラーブル国王に、プラタナス元公爵は呆れ後ろに控えている宰相を見る。
エートゥルフォイユの宰相は物静かそうな男性だったが、その目はどこまでも冷ややかだった。
プラタナス元公爵の視線に、投げやりな笑みを浮かべて返す。
その表情に少しの疑問を持っていたところへ、アルブール司令が口を挟んできた。
「事の重大さを理解していないのは、そちらではないですかな?我が国の王女は、その幽閉されている王太子に殺されかけたのです。国を跨いでの王族の殺害…これが罪でなくてなんなのでしょう?」
「死んではおらんのだろう?そもそも、殺されかけたと言うのも疑わしいわっ!」
これには後ろに控えていた副官がテーブルの際まで乗り出してきた。
アルブール司令がそれを、制止する。
「…その言葉、我が国への挑発と考えてよろしいのか?」
手を組み口元を抑え表情を隠したまま、唸るような声でアルブール司令は聞き返す。
その威圧感にエラーブル国王は、椅子へと腰を落とし口ごもる。
「いや、そんなつもりでは…言葉が過ぎたことは謝罪しよう。」
「それでは王妃の手の者が、我が国から重要な宝を盗み、今回の事に悪用したという証拠がある…と、言えばどうでしょうか?」
ユードラン王太子が感情を殺し、淡々とした口調で話す。
「我が国の神殿に祭られていた『血の聖剣』…それを当時聖女候補だった平民の女が盗み逃亡。その後王妃の侍女となり、今回ティヨールの民を苦しめた呪いを造ったと自白しております。王妃の侍女であったことは多くの者が目撃しており、本人はエートゥルフォイユへ行き、聖女にしてもらえるはずだったと言っているそうです。」
「そんな平民の言う言葉などが、真実であるものか。そもそもその呪いとて、本当にあったのかも疑わしい。聖女の力で解呪されたと聞くが、そんなに都合良く聖女が出てくるものかね?」
どこまでも証言を覆す…正当性もないのに、大きな態度でエラーブル国王はユードラン王太子へ疑問を返す。
「…聖女はいらっしゃいます。それは神に誓い、私が証言いたしましょう。」
それまで後方に控えていた、アシュリーが一歩前に出る。
「ティヨール神殿、ダンドリオン司教と申します。聖女は訳あって、お姿を見せることができません。しかしその聖女のお力でティヨール国が救われたということだけは私が身をもって証明いたしましょう。」
「はっ、聖職者が何を。王族に向かい、無礼であろう!」
エラーブル国王は目の前にあった紙の束を掴み、アシュリーへ投げつけた。
舞い散る紙の束の中、エンジュの表情がどんどんと冷えたものへと変わっていく。
「では、私が証人となろう。今も蝕まれている王族を見れば、嫌でも理解できるだろう。」
そういって騎士に支えられ入り口から壁を伝いながら入ってくる人は、ティヨール王国国王、カレイドウェア=ティヨール国王陛下だった。
いまだに顔色は黒く、一人で立つことすらできない体で現れる。
「よっ、寄るな!呪いが…呪いが、うつったらどうするのだっ!」
死人を見るようにエラーブル国王は、静かに歩いてくるカレイドウェア国王に向かい、怯えるように叫ぶ。
「それだけ呪いの存在を信じておいて、否定も何もありませんな。」
声をあげたのは、エラーブル国王の後ろに立っていた宰相だった。
「国はもう終いです。陛下や陛下を見て育ったティヨール王妃は国や民を自分の物のように扱う。思うように動かねば、そうなるまでどんな手でも使う。今まで耐えておりましたが、限界です…エートゥルフォイユ兵、捕縛せよっ!」
素早く手を上げると、宰相の後ろからエートゥルフォイユの兵か二名、エラーブル国王の脇を掴む。
「…宰相、裏切るのかっ!」
「裏切るもなにも…最初から、陛下の暴挙より民を護る為にこの職につきました。ようやく貴方を静かにすることができる。」
先程まで冷ややかな表情を浮かべていた男は、優しい微笑みを浮かべ、一筋の涙を流していた。
やっと解放される、そんな気持ちを残して。
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「…もう、いいのか?」
それまで黙って見ていた、エンジュから声をかけられたプラタナス元公爵はあっけにとられた。
エートゥルフォイユの自滅により、話が終わったと思っていたが…何がいいのだろう?
わからないまま頷くと、エンジュは口元を上げ、微笑みを浮かべる。
どこまでも悪いことを考えている、笑顔を。
エンジュは目の前のテーブルに足を掛けると、テーブルの上を大股で乗り越え、エラーブル国王の前に立つ。
素早い動きで誰も制止することができないまま、エラーブル国王の首元を掴むと大きく肩を後ろに反らして、下から抉るように腹に拳を撃ちつけた。
エラーブル国王の眼球が揺れ、くの字に体を折ると後ろへと吹き飛ぶ。
満足したようにエンジュは自分の手を目の前で拳にして、ぱんっと撃ち鳴らす。
飛ばされた先でうつ伏せになり、胃の中の物を吐き出してる様子をみて、軽く眉毛をあげるにとどめる。
「我が領からの、発言をしていなかったのでな。被害を被ったのに、何もなしというのも腑に落ちぬ。これを発言とし、怒りをあらわしたということにしてくれ。」
その場にいた全員があっけにとられ、声を出すことを忘れていた。
エンジュが振り返り、元居た椅子へと戻る。
プラタナス元公爵は自分が考えなく頷いてしまった事と、交渉の人選を間違った事に、激しい後悔を感じていた。