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ティヨール王国に一応の平穏が戻り、残った問題は国同士の物になった。
この度、挙兵した四大国がティヨールに集まり、話し合いの席に着く。
今だ王陛下の意識は戻らず、王太子と王妃は塔に幽閉。
国の代表として、プラタナス元公爵が立つことになった。
プラタナス元公爵は自分の同行者として、エンジュに助けを求めてきた。
エンジュとしてはそのような話し合いの場は、御免被りたいところだが…ひっかかるのは聖女の事、シュロールの処遇だった。
今回国を救った者が、シュロールだとは表向きに知られてはいない。
だが必ず、議題にあがるだろう。
「言葉通り、役に立ってもらおう。」
エンジュはシュロールの部屋で、ベッドの側で手を握り魔力の回復の補助をしているアシュリーに声をかける。
その姿は、アシュリーを見下ろし、有無を言わせない強い視線を送ってくる。
なんのことかわかっていないアシュリーは、驚きながらも迷いなく頷く。
もうこの人達を疑うことは絶対にしない、アシュリーにとってこれだけはと、心に強く誓っていた。
こうしてティヨールからは、プラタナス元公爵、フェイジョア辺境女伯、ダンドリオン司教の三人で挑むこととなった。
◇◆◇
「悪いが…少し邸を離れねばならなくなった。これも一緒に連れていく。代わりに護衛になりそうな者を呼んでおこう。シュロールを任せたぞ。」
シュロールが眠っている部屋で、荷物を持ち込み身支度をしながら、エンジュはハルディンに話し掛けた。
エンジュとハルディンは時間が許す限り、シュロールが眠っている部屋で過ごす。
今回はアシュリーも一緒に出掛けるという、邸に残る者はシュロールとハルディン、あと少しの使用人のみだった。
「もう少ししたら、王宮からガルデニアが戻るだろう。信頼できる聖職者も頼んである。あとは…そうだなフェイジョアから、ミヨンとヴィンセントを呼び寄せるよう手配しよう。」
ハルディンは眠っているシュロールの為に、これだけの人物を動かすエンジュに笑みをこぼす。
やはりシュロールを側に置くのに、一番の強敵はこの辺境女伯に違いない。
「…ああ。任せてくれ、エンジュ。」
手袋をはめていたエンジュの動きが止まり、眉を上げる。
ハルディンから、名前を呼ばれるのは初めてだったが…これは、どういう意味だ?
言葉を放った本人を見ると、照れているのかこちらを見ずに、明後日の方向へと視線を向けていた。
「百年早いわ、小僧!」
そう言うと近くにあった焼き菓子を、ハルディン目がけて投げつける。
風を切る音があきらかに、菓子を投げる音ではない。
当たった瞬間に焼き菓子は砕け散り、当たった部分を強く抑えながら、大げさに痛がり、声も出せずにうずくまっている。
ふんっと鼻を鳴らしながら、上着を手に取ると踵を返して部屋を出ていく。
その後を追うように、アシュリーが慌ててついていく。
「お待ちください!本当にその様な装いで、参加されるのですか?辺境女伯であれば、華美な装飾でなくとも、ドレスを着用するべきでは?エンジュ様、エンジュ様っ!」
声がだんだんと遠ざかっていった。
あの聖職者も、まだエンジュを理解しきってはいない。
常識の範囲であの女を捉えていては、体を壊すだろう。
ハルディンは菓子を当てられたこめかみを抑えながら、声を上げて笑っていた。
◇◆◇
ティヨールの王宮内の一室にて、大きなテーブルに四人が席につく。
エートゥルフォイユ王国、エラーブル=エートゥルフォイユ国王と宰相。
コニフェルード王国軍軍事総司令官、リュカート=アルブール司令とその副官。
グランフルール王国王太子、ユードラン=グランフルール殿下とクラーテルヌ宰相。
どの国の代表も威厳にあふれ、このテーブルの側にいることに緊張を覚える。
「今から和平を結ぶ話し合いをするというのに、剣を持ち込むとは…知識を持たぬ人間は、これだから困る。それともティヨールは、この話し合いを重要視してないと考えていいのかな?」
エートゥルフォイユ国王、エラーブル国王がエンジュに向かい、侮辱を込めて声を上げた。
エラーブル国王はティヨール王妃の実の父親で、年齢は60近くになるだろう。
この歳になっても王位を譲る気はなく、エートゥルフォイユを自分の思うよう動かしていた。
王位を脅かすものは早々に排除し、自分に従う者だけを側に置く。
「…肝が小さい男よ。安心しろ、この剣は封印してある。これは私の杖の代わりでね、でもまあその気になれば、こんな物を使わなくても十分握りつぶせる。」
エラーブル国王の大きな顔は、一気に赤くなった。
「なにをっ、偉そうに…私が誰かわかっての発言だな?」
「お待ちください!エートゥルフォイユ国王、お気持ちを静めて下さい。謝罪なら私がいたします。…ですがあの杖代わりの剣を排除したところで、彼女は『フェイジョアの雷鳴』、フェイジョア辺境女伯です。その意味、隣国の貴方様ならわかるでしょう?」
プラタナス元公爵はその場をできるだけ穏便に治めるよう、丁寧に説明をした。
エラーブル国王の顔色が一気に、青くなる。
「おっ、お前がフェイジョア辺境女伯だというのか?」
この場でティヨールの交渉をするのは、プラタナス元公爵だと聞いている。
だがそのプラタナス元公爵を後ろに立たせ、テーブルの椅子に足を組みゆったりと座っているのはエンジュだった。
興味がなさそうに顔を背けていたが、名前を呼ばれエラーブルへ視線を送る。
それだけでエラーブル国王は、下を向きぶつぶつと小声で文句を言っているようだった。
「これはこれは、お会いしたいと思っていました。私の赤い花が、貴女の所でお世話になったと伺っています。」
それまで澄ました表情で、感情をのぞかせることなく座っていたグランフルールの王太子ユードランが顔を綻ばせ、親しそうに声を掛けてきた。
「ああ、花姫の御婚約者…グランフルール王太子か。あの時に持ち帰った紅茶は、気に入っていただけたかな?」
「ええ、とても。そして嬉しそうに話す可愛い花を、愛でることができました。」
ああ…残念だなと、エンジュとプラタナス元公爵は思った。
普段は外交や政治において切れ者だとの噂されるユードランだったが、カメリアの事になると少しおかしな反応になるらしい。
「あのっ、私の事は覚えてらっしゃいますでしょうかっ!」
大きな声で会話を遮ってきたのは、コニフェルードの軍の副官だった。
エンジュに向かい、訴えかけるような表情を向ける。
「すまないが、顔を覚えるのは得意ではない。」
「いえ…いいんです、あの時も名乗ってはおりませんでしたから。しかし本当に、感謝をしております。そして男性と間違ってしまい、申し訳ありませんでした。」
本当に面識があるらしい、エンジュは眉を寄せ副官の顔を見つめる。
コニフェルード…?男性と間違える…?
「…っ、あの時の!」
エンジュは、舌打ちをした。
この男はブロンシュを担ぎ込み、最後まで部屋に入ると言っていたコニフェルードの従僕ではないか…軍の副官だったとは。
あの時エンジュは「聖女と同等の力を見せてやろう」と言った。
まさかこの場で、シュロールの存在を暴くつもりではないだろうか?
「あの御方を救っていただき、ありがとうございました。そして私も、恩義を返したく思っております。」
まっすぐにエンジュに向かって、男はそう宣言をする。
ブロンシュのこともシュロールの事も、言葉にはあがっていない…隠していることをわかっての発言だろう。
こうして全ての国代表の会話が終わると、皆がテーブルの中央へと向かい合う。
今後の国の行方を決める話し合いが、今始まろうとしていた。