力という病ー3
そんで、宵鳴は脱獄した。
両手に付けられていた枷をかるーく引きちぎると、俺の指示した通りに牢屋を突き破り、平然と外に出た。いや、平然とはしていなかったな。
あの牢屋は、宵鳴にとっての心の防衛線でもあったのだろう。外を怖がる様子がめっちゃ伝わってくる。引きこもりの外出みたいになっている。
……なんだろう。良い感じのことを喋って口説き落としたはいいが、俺がこいつを連れ出したのはこいつの強さを利用するためだけなんだよな。別にこいつを救おうとか、そういうことを考えてた訳でもねーし。
「……まあ、いいや。それでお前、これからどうする?」
「どうする、と言われても、困ってしまいます……。わたしを連れ出したのは、奈桐さんです……」
「そりゃそうだ」
研究棟から宵鳴を連れ出した俺は、そのまま学園内を歩いている。当然他の学生ともすれ違うことになる。宵鳴は、そのたびにビクビクしながら俺の後ろに付いてきていた。
推察するに、宵鳴は極度の人見知りか――人間が怖いかのどちらかだろう。たぶん。
この世界で一番強い人間がこれとは、なんとも皮肉なものだ。
「まあ、宵鳴をそこから引っ張り出した責任は取る。質問だが、お前、家とかあるのか?」
行く当てはあるのか――。その質問に対して、宵鳴は俯きがちに答えた。
「……ありません。家族も、皆死んでいますし、知り合いも、頼れる人は、誰も。こっちに来てからは、ずっとあの研究室で、暮らしていました……」
身よりは無い、と。そんでもって、こいつがずっとあの場所で生活していたってことは、こいつ自身に何か目的があるわけじゃないだろう。目的のある人間は、ああいう風にはならない。
宵鳴の過去に一体何があったか――なんてことは、正直どうだっていいことだ。少なくとも、俺にとっては。
「そか。じゃあ質問するが――俺と暮らすか、一人暮らしか、どっちがいい?」
「……わたしは」
我が家にまたしても住人が増えることになった。
ノレイと未樹を追い出した翌日のことである。
「こ、ここが、奈桐さんの家、ですか……。その、見かけによらず、身だしなみに気を遣っているのですね……」
「……ああ。ちょっと、事情があってな」
宵鳴はノレイと未樹の置き土産である姿見とか、女子力高そうなものを見ながらそう言った。俺は微妙な顔をするしかない。まさか同居していた女二人をキレさせて追い出したと言うわけにはいかんだろう、マジで。
「んで、まあ……。なんだ、俺がお前に期待する役割を説明する」
俺が宵鳴に近づいたのは、こいつに期待することがあるからだ。じゃなきゃこんな地雷少女に近づくかっつー話だが。
「……はい。ですが、こっちからも、条件があります」
珍しく、宵鳴がはっきりとした意思表示をした。俺は面食らった。こいつがこんなことを言うとは思っていなかった。
「……そうだな。ギブアンドテイクだ。言ってみろ」
「わたしを――救ってください」
「……具体的に。それは、どういうことだ?」
「わたしは、他の人間が怖いです。わたしは、多分、前世で人に関するトラウマを作りました。わたしはそれを、あまり、覚えて居ませんが……。他の人間が何かしているだけで、わたしはすごく怖くなります。……二万人殺しも、それが原因でした。あの戦場に迷い込んで、わたしは、戦場がわたしを殺そうとしていると、そう思ってしまいました」
俺は感情の抜け落ちた顔でそう告白する宵鳴を眺めて質問した。
「……まさか、殺される前に殺してやろうとでも思ったのか……」
「はい。わたしはたったそれだけの理由で、あの人達を皆殺しにしました。わたしは、きっと今のままだと、また同じことをします。……わたしは、わたしが傷つけられるのが、怖いです。それと同じくらい、人を傷つけるのが、怖いです」
「つまりどうして欲しい?」
「わたしを強くして下さい。人に怯えなくて済むようにしてください。わたしは、人を傷つけるのも、傷つけられるのも、もう嫌です」
俺は少し考える振りをして、答えた。
「分かった。お前が俺の期待することを果たしたなら、俺がお前を救ってやるよ」
そのときの宵鳴の顔は、初めて見た。転生者ってのも大概美形になるらしい。宵鳴もかなり顔はいい。
ずっと暗いままだったその顔は、初めて心からの安心を表現したと。
少なくとも、俺にはそう見えたのだ。
「なら、奈桐さんが、わたしに期待することを教えてください。わたしは、暴力には自信があります……。そういうことなら、きっと、なんだって出来ると思います……」
俺は少し沈黙して、嘘を付く意味が一切無いことに気づき、正直に話すことにした。
「宵鳴には、俺の命を守ってもらう。話すと長くなるが、ちょいと俺はある人物達を怒らせちまってな。今は何の動きもないが、いつ俺の命が危うくなるか分かんねえんだ。かなりの実力者が、二人だ。頼めるか?」
「……その人達は、もしかして、女の人ですか?」
「よく分かったな。昨日まで一緒に暮らしてたんだが、どうやらブチギレさせちゃったみたいでなぁ。いや、さっぱり原因は分からないんだが、殺されると思うくらいキレてたから、割と怖えんだ」
俺はぬけぬけと嘘と本当を織り交ぜて言った。
ノレイと未樹のことだ。
ノレイがどうかは分からないが、未樹に関しては、ノレイが止めなければ俺は殺されていたというレベルだ。ノレイに付いても分からない。俺はノレイのアイデンティティー的な部分を全否定したから、割と何をされるか分からない程度には俺の命は分からない。
だから、保険をかけることにしたのだ。
現状のまま、二度とあいつらに会わない、なんてことはない。人を怒らせた人間は、相応の報いが跳ね返ってくる。人の恨みってのは、根が深く、暗く、ねちっこい。
だが、暴力には暴力だ。それがより強いものなら、尚更そうだ。
人類最強の豆腐メンタル少女宵鳴に、俺の命を守って貰うのだ。
「……女の人、ですか。何人ですか」
「二人だ。いやあ、なんであんな怒っちまったんだろう。本当に分かんねえな、女心ってもんは」
「……そういうの、いいですから。奈桐さん。きっと、奈桐さんがわざと怒らせたんですよね。わたしには、精霊の加護があります。嘘は、通じません」
「ちっ……。分かった、分かったよ。だが別に嘘でも問題ねえんだ。とにかく、俺の命が割とピンチかも知れん。確実かは分からないが、何も起こんねえ訳がねえだろう。最近の若者はキレやすいらしいからな」
「……嘘では、ないのですね。分かりました。奈桐さんの、命は保証します。それで、いつまで奈桐さんの命を預かればいいのでしょう……」
「無論、一生だ」
俺は躊躇無く答えた。割と嘘は言っていない。
「……嘘でも、ないのですか……。奈桐さん、よく人に死ねって言われませんか……?」
「言われねえな」
「……じゃあ、わたしが言います。奈桐さん、死んでください……。というか、その人達との問題を、早く解決するべきです……」
「……まあ、そのくらいは、分かっているつもりだ」
「嘘を、付かないで、ください……。奈桐さんは、その人達のことが、どうでもいいのですか……?」
「……どうだっていいな。メンタルクソ雑魚で、自分のやるべきことも、本当に自分がやりたいことも分かってねえような、それでもって力だけは一丁前な二人組さ。……どうだっていいんだよ、んな奴らのことなんぞ。……クソが、思い出したらイライラしてきた」
「……少し、誤解していました。奈桐さんは、意外にも良い人なんですね……」
宵鳴が微笑んだ。俺は苛ついた。
どうにも、ノレイと未樹のことを思い出すと苛立つ。俺がそうやって居るところを笑みながら見つめる宵鳴にも苛つく。
……クソが。
「とにかく。てめえの部屋はこっちだ。そいつらの使ってた部屋だが、我慢しろ。置いてあるもんはあいつらの物も多いが、別に好きにするといい。……もう、あいつらが戻ってくることはないだろうし、戻ってきたところで、俺はそいつを認めねえから、意味はねえ」
「大丈夫、です。そんなに心配しなくても、きっと、大丈夫、です」
「は、そいつは上々だな。俺の人生で何かしらが大丈夫だったことなんざ、一度もねえっての」
……どこかで、俺は間違っていたとでも言いたげだ。ノレイと未樹に出会ったことか、訳も分からないままムカついて追い出したことか、宵鳴を拾ってきたことか。
まだ日本に住んでいた頃の、雨の夜が無性に懐かしかった。
……懐かしけれど、戻りたいなど思わない、あの夜を。
「大丈夫、です。奈桐さんは、わたしが守ります、から」
*
やろう、ぶっ殺してやる。
某ネコ型ロボットの台詞だ。
あたしは、そのシーンを初めて読んだときには抱腹絶倒したものだが、今のあたしにとって、その台詞は多大な共感を生む物だった。
「殺す、なっとーを必ず殺すわ、わたし」
「ステイ。ステイよ未樹。堪えなさい、ツルギの横の子、見えてない訳じゃないでしょう。――殺るなら、あの子の注意を逸らさないと」
「うるさいよノレイ。あの時あたしの邪魔をしたこと、忘れてないんだから」
「根に持つタイプよね、あなた……」
本当に――あの男は――どれだけあたしに――
「殺されたいのかなぁ――? ねえ、なっとー?」
そんなにも死にたいのなら、お望み通り殺してあげる。
「……本当に。あの男、地雷を探すのも、踏むのも得意よね。……胴体と繋がっている首に飽きたのでしょう。新鮮なまま切断する。必ず殺す――」
ノレイもそんな感じで、あたしたちはビル群の中層部からなっとーを見張っていた。
レミーさんのところでまたお世話になるのは本当に申し訳なかったけど、背に腹は変えられなかった。すぐになっとーの首をお詫びにして、レミーさんのところからはすぐに出て行くつもりだ。
二日持たなかった。
あたし達の地雷をぶち抜いた翌日に、新しい女の子を家に連れ込んで、同居を始めたらしいのだ、あの男。
奈桐剣。
あたし達の居場所だった男で、あたし達を侮辱した男。あたし達の核心を知っている男。
生かしておく訳には行かない。
だって、なっとーはあたしを否定した。
あたしは第三世代だ。世間という名前の、匿名の人間達は、あたし達に厳しく当たった。
生きているだけで、あたし達は否定された。
あたしは抗う道を選んだ。あたしはあたしを否定する人間を否定した。自分のことは自分で――あたしの選んだことで、あたしはそうやって生きてきて、生きていく。
だから、あたしを否定したなっとーを、あたしは否定する。
誰が、何を思おうとも、あたしはそうやる。誰かが、あたしはそれしか出来ないだけだ、などと言ったことがある。そいつは、翌日には病院のベッドで昏睡していた。
「あーッ! むっかつくなぁー、なっとーのやつッ! ぬけぬけと学生気分で登校しやがって! モラトリアムに甘えるな、恥を知れー!」
「……両手足を千切ってから、生きたまま標本にして飾る。絶対にまともな死に方はさせない……」
「それは困るよ、ノレイ。なっとーはあたしが細切れにするの。ノレイには悪いと思うけど……」
「未樹。あなたでも、これは譲れないの。ツルギには泣いて許しを請わせて、その後でホルマリンで窒息させないといけないのよ」
「猟奇的ね、ノレイ。趣味悪いよ?」
「あなたに言われたくは無かったわ……」
あたし達の武力であの納豆を細切れにする。その作戦はすぐにでも実行されるはずだった。あの納豆菌は弱い。第三世代は統計的に特徴的な固有能力を持つ。あの発酵豆がどんな能力を持っているかは分からないけど、少なくとも瞬殺出来る――はずだった。
「あーもー、どうしてあの時あたしを止めたの、ノレイ。信じらんない、結局自分だって地雷踏んづけられてそんな状態じゃない」
「……本当に、心からそう思うわ。本当に、私にもやるチャンスなんかいくらでもあったのに……」
信じがたいことに、ノレイの地雷も丁寧に爆発させたのだ、あの納豆菌。しかもノレイもノレイだ。邪魔をする人は誰も居なかったのに、どうしてその場でやっちゃわなかったのかな。
「ちょっとほっといただけでああなんだよ? ノレイ、あたし当分は根に持つよ。ノレイが邪魔したことも、その後ノレイが何にず、ただ逃げ帰ったことも」
なっとーは昨日のうちに連れ込んだらしい女の子と一緒に学校へ登校していった。その光景を見せつけられたあたしたちは、殺意が三割増しになった。
それでも手を出せないのは――
「一体何者なの、あの子。どうやったらあんな怪物が誕生するというのかしら。ツルギはどうやって誑かしたのよ」
「そんなのどうだっていいよ。大事なのは、あの女の子が半端じゃなく強くて、その女の子が明らかになっとーを守っている素振りを見せていることだけ」
こうなってはあたしたちは動けない。絶対に勝てない、とまでは行かないだろうけど、かなり厳しい。それに、どれだけ命のストックがあるかも分からない。二十個以上無い事を祈っているけど、そのぐらいは優にあるだろうことは予想出来る。
「実際、現状をキープし続けて不利になるのは私達よ。これ以上レミーさんの財布にダメージを与えたくはないし……」
「ねえ待って、それって、あたし達が働かなくちゃいけないってこと? 冗談は止めてよね」
働きたくない。
それは、あたし達二人の最大の共通点だ。
だってそうだ。働くって、誰かの役に立つって言うことでしょ? あたしはそんなことはしたくない。どうして世の中なんていう下らないもののためにならなきゃいけないの?
働けば、世の中はあたし達を助けてくれるとでも言うのか。
「じゃあ、レミーさんに甘え続ける?」
「……それも、嫌だよ。レミーさんにこれ以上、迷惑はかけられないもの」
行く先のなかった小娘二人を拾ってくれたレミーさん。不思議と、あの人に働かされるのなら別に、悪い気分はしなかった。まあ、働くのは嫌だったけど。
パン屋ジェレミーが早く直ってくれれば良いんだけど、レミーさんはその修繕費を調達するのに苦労しているみたいだから、まだ難しいだろう。闇金に手を出すわけにも行かないし……。何ならあたし達がどっかから強盗でもしてきても良いのだけど、レミーさんはそれだけは絶対にするなって釘を刺してきたから、あたしは結構もどかしい思いをしている。
ジェレミーを襲撃したあのゴロツキを恨めど、その大本の原因はあたし達にある。
よってあたし達はレミーさんに頭が上がらない。
レミーさんはその上で、ここに居て良いんだよって言ってくれた。
聖人か――、と、ふと。
『———だから、俺がてめーらの居場所になってやるよッ!』
そんな台詞を吐いた男の顔を思い出した。
「あんの納豆菌が……!」
「……その、ナットウ、というのは一体何なのかしら。ツルギの名字に似ている様だけど……」
そうだったこいつはマナリミスの人間だった。あたしは事実を教えてあげた。
「臭くて、ねちっこくて、粘つく、日本にしかない食べ物のこと」
「……ツルギ、不潔ね」
そうだそうだ――、と共感をした。まあ、あたしは納豆そのものは嫌いではない。むしろ好きな食べ物――だけど、なっとーは駄目だ。あいつは許さない――。
何が居場所だ。何が、何が……。
『お前のやったことにゃあ自己満足以上の意味はねえよ』
「……うるさい」
そんなことは分かっていた。分かっていたに決まっている。そんなことが分からないほど、子供じゃない。
でも、それ以外にこの怒りの行き先が見つからなかった。それ以外のことを出来るほど、大人じゃない。
結局、折宮の遺産の行方だって分かっていない。そもそもパーソナリアにあるかどうかも定かじゃないのに。探す方法だって分からない。
あたしは、まだ何にも分かってない。
無意識に壁を殴っていた。材質のよく分からないビルの壁に、こぶしがめり込む。あたしの手に一切の傷は付いてさえいない。
「……あたし達を、裏切りやがって……ッ!」
そうだ、アレは裏切りだったんだ。
あたしたちは、だた、ここに居て良いって、言って欲しかっただけだったのに。
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