ぼくの妹
ぼくの妹は可愛い。
どの位可愛いのかというと、誰がどんな角度から見ても賞賛の言葉以外がないほどに、可愛い。
妹を見て可愛くないなんていう人がいたら、よほど美的感覚の狂った変人か、目が腐っているかのどちらかだろう。
8歳年の離れた妹は、今年7歳になった。
ぼくよりずっと小さくて可愛くて、尊い存在だ。
「兄様」
向こうから走ってくる、鈴を転がすような声がぼくを呼ぶ。
薄くて明るい茶の髪が、フワフワとはねる。
その髪と同じ色の大きな瞳で見つめられると、本当に幸せな気持ちになるから不思議だ。
透き通るような白い肌に、花びらのような桜色の唇。
柔らかい頬に小さな手。
神がこれほどまでに完璧な美を創り出したのには、何か意味があるに違いない。
「飛那姫、おいで」
僕が両手を広げてかがむと、妹はうれしそうに胸に飛び込んできた。
なんともいえない心地よい香りが鼻をくすぐる。
首にかじりつくその柔らかい感触を抱き上げ、目線を合わせて微笑むと、妹も花がほころぶように笑った。
長いまつげが瞬くのを、近くでうっとりと見つめる。
寒い庭園を散歩してきたからか、薄ピンクに染まった頬が愛らしい。
こんなに可愛い妹がいて、ぼくは幸せだ。
妹が笑っている限り、ぼくは幸せでいられる。
ある日のこと、ぼくは父様と庭園を見渡せるバルコニーでお茶を飲んでいた。
西のプロントウィーグル王国からやって来た、国王様も一緒だ。
国王同士、父様とは古いつき合いらしい。
「飛那姫はあれで気むずかしいところもあるのだが、よく懐いているな」
そう言う父様の視線の先、花広場の小径を歩いていくのは、他でもない妹だ。
ぼくと同じくらいの年頃の、綺麗な顔立ちをした少年と手をつないでいる。
彼はプロントウィーグルの第一王子だという。
「そうですね」
なんとなく、面白くない気持ちでぼくは答える。
「蒼嵐、其方に雰囲気が似ているからかもしれないな」
そう言われると、うれしいような、悔しいような複雑な気持ちだ。
妹がぼく以外の少年と手をつないで歩いているところなんて、はじめて見た気がする。
なんだか心がざわざわして落ち着かない。
「王女は、剣術が得意と聞いたが?」
「ははは、赤子の頃から普通のおもちゃより剣が好きな子で、少し変わっていてね」
父様と西の国王様が話していることよりも、遠目にも親しそうに王子と話している妹のことが気にかかった。
ああ、あんなにうれしそうに笑って、一体何を話してるんだろう。
妹の交友関係が広がるのは兄として喜んでやるべきなのに、今すぐ妹をどこかに隠してしまいたい衝動に駆られる。
その時、妹が王子の方に向き直って、右手の小指を差し出した。
少し腰をかがめた王子が、その小指に自分の小指を絡ませる。
とても慕わしそうに。
「……!」
見ていたくないのに、目がそらせなかった。
ぼくの中に、自分でもよく分からない焦燥感が広がっていく。
妹はまだ7歳になったばかりだ。
周りの侍女達がきゃあきゃあ言いながら見つめているあの王子がどれほど美男子でも、ぼくの妹にそんなことは分からないだろう。
そういうのはまだ早い。早すぎる。
それなのにどうして妹は、あんなにもあの王子に笑いかけているんだ?
笑顔も、ちょっとすねた顔も、怒っているときのふくれっ面も、他人には渡したくない。
そう思ってしまうぼくは、過保護な兄だろうか。
いや、これは……独占欲とでもいうべきか。
僕の妹に触るなと思っている時点で、きっとそうなのだろう。
妹と王子がまた歩き出して、広場の向こうにその姿を消した後も、ぼくは冷静でいられなかった。
追いかけて、妹を取り戻したい衝動を必死で抑えていた。
いや……いい。大丈夫だ。
あの王子がどれだけ妹の機嫌を取るのがうまくても、ぼくの「兄」という立場は絶対だ。
彼はぼく以上に親しくなんて、なれっこない。
そう思うと、少し気が楽になった。
和やかな散歩の後に、妹が王子と剣の手合わせをすると聞いたときには、さすがに驚いた。
しかし妹の無茶ぶりはぼくが一番よく知っている。
あの子がどれだけ普通の姫と違って突拍子もないか、あの王子も知って驚くといい。
そしてそのついでに、凡人がどれほどに努力しても追いつけないだろう、剣術の天才だということも知るといい。
でも本当に驚いたのは、その手合わせが終わったあとの、父様と西の国王様の、会話の内容だった。
「うちのアレクシスを負かすとは、大した姫だ。驚いたよ」
心底感心した口ぶりで、西の国王様が感想を述べる。
「いや、あれは王子がうちの娘に剣を向けられなかっただけのことだろう。まだまだ子どもだ」
「しかしあの幼さであの動き……天賦の才があるのは確かだな。うらやましい限りだ」
「レイブン王にそのように褒めてもらえるとは、飛那姫は光栄だな」
優れた剣士で友人だという二人は、そう言って笑い合った。
そして、西の国王様は言った。
「我が国プロントウィーグルでは、王族となるものに強き血を求めている。姫が成人したあかつきには、是非うちのアレクシスの妃に欲しいな」
「おお、それは良い話だ。何しろあのじゃじゃ馬ぶりだ、どこにも嫁のもらい手がないのではと后と言っていたのだよ。飛那姫もあのように王子に懐いているし、お互いに悪くないかもしれんな」
目の前で、衝撃的な口約束がなされるのを、雷に打たれたように聞いていた。
父様、それはあまりにもひどいです。飛那姫はまだ7歳ではありませんか。
そう喉元まで出かけた言葉を、必死に飲み込んだ。
政治的なことも含まれるだろう話に、ぼくの感情だけで口を挟んではいけない。
それを考えるだけの余裕は、かろうじてあった。
どんなに難解な専門書も、今ほどぼくの心を悩ませることはないだろう。
大切な妹が、いつかぼくの側から離れていくなんて。
神様、そんな残酷な未来は、どうかもっともっと先の話にしてください。
それまでぼくは、あの笑顔を何に変えても守りますから。
今はまだ、ぼくの生きがいを、どうか取り上げないでください。
笑い合う二人の国王を前に、ぼくの心には一気に冬が訪れたようだった。
生まれてしまった暗い影は、これから先消えることはないだろう。
その事実を絶望にも近い気持ちで、ぼくは眺めていた。
『没落の王女』番外編でした。
妹に近づく男はみんな敵です。