第5話 老仙不達
連続更新3日目!
みしり、とベッドが音を立てる。
俺が目を開けると、薄暗がりの中で誰かが俺にまたがっているのに気が付いた。
「……ユマ?」
「しっ」
ユマは俺の唇に人差し指をあて、俺は発しかけた言葉を忘れてしまう。
「ハルキがどこかに行ってしまう夢を見たの」
ユマが耳元でささやく。
彼女の熱い吐息が、俺の耳たぶをくすぐる。
しゅるり、と、布の擦れる音と、俺の体をなでる彼女の手。月明かりの中で見る彼女は、まるで夜の精霊のように、神秘的な美しさだった。
「お願い。どこにも行かないで」
そう言って抱き着く彼女に、俺の心臓がバクバクと音を立てる。
「危ないことは全部私がするわ。あなたには怪我をしてほしくないの」
「ユ…マ」
何かをしゃべろうとした俺の唇が、今度はユマの唇で塞がれる。
「あなたには私のすべてをあげるわ。だから、どこにも行かないで。ここにいて」
そうして、俺と彼女の体は重なり合い。
そうして……。
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…………………………という、夢を見た。
一晩ぐっすり寝て、目が覚めた時には爽やかな朝が来ていた。
窓の外ではちゅんちゅんと小鳥が鳴き、さんさんと差し込む陽光が部屋の中を照らしている。
俺の隣にユマが寝ている、というわけもない。
「ないわぁ」
昨日会ったばかりの女性と“ピー”する夢を見る?
しかも、女性のほうがやたら献身的に奉仕してくる?
「ないわぁ」
夢には自分の本音が現れるという。
自分にそんな性癖があるとは思わなかった。
これは、うん、あれだ。昨日見た彼女の白い肌が目に焼き付いていて、そこに健康な男子の持て余した性欲がうんたらかんたらしたせいに違いない。
そこまで考えて、ハッと気づく。
ユマは、どこにいる?
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バタン、と大きな音を立ててユマの部屋の扉を開く。そこは案の定もぬけの殻だった。
ベッドに使われた形跡はなく、ひっそりと静まり返った部屋に、一晩、誰かが過ごした様子はなかった。
窓から差し込む朝日を受けて、部屋を舞う埃がきらきらと光っている。
俺は慌てて下の階に降りる。
「親父! 起きてるか!?」
「親父じゃねぇ! 親方と呼べ」
昨日と言っていることが違うじゃないか、と思ったが、突っ込みを入れている場合ではないので、スルーする。
鍛冶師ボイルは、のんびりと朝食を食べているところだった。
彼の持つ大きなサンドイッチからは、分厚い肉が零れ落ちそうになっている。
「ユマは!?」
「……あー。またどっかほっつき歩いてるのか、あのバカは」
老人は、頭をぼりぼりとかく。
どこか気だるげな彼の様子に、思わず毒気を抜かれた。
「いつもの事だ。2,3日もすればひょっこり帰ってくる。……ところで」
彼の目がじろりと俺をにらむ。
「ゆうべはおたのしみでしたね」
不意打ち気味に言われた言葉に、昨日見た夢の光景がリフレインする。
軋むベッド。
光る汗。
熱を持った肌。
「さ、さあ。何のことだ?」
俺は左の耳たぶをいじりながら、そう誤魔化す。
「冗談だよ。カマぁかけただけだ。そもそもこのボロ家でそんなことされちゃぁ、うるさくって眠れやしねぇ」
「そうか」
ホッとする。
「けどまぁ」
油断したところで、再びにらまれる。
「ユマに手ぇ出したら、ただじゃおかねぇからな」
老人の鋭い眼光に、俺は思わずたじろいだ。
「ありゃぁ、母ちゃんの忘れ形見だ。碌に家にも帰ってこねぇ、帰ってきたと思ったら傷だらけになっている、仕事の事は話さねぇ……親不孝な娘だが、それでも俺の宝だ。素性もわからねぇ男にくれてやるつもりはない」
そういう彼の眼は、娘を溺愛する父親のものだった。
なあるほど。
どうやら俺は、ユマのひもだと思われているようだった。
ならば、ここはきっぱりとユマとの関係を説明しておくべきだろう。
「親父、一つ誤解を訂正したいんだが」
「親父じゃねぇ、親方と呼べ」
「じゃあ、親方、一つ訂正したいんだが」
俺は胸を張り、真っ直ぐに鍛冶師ボイルを見据える。
やましいことはなに一つないのだから。
「俺は、ユマの脛をかじっているわけじゃない。ただ、定職にも就かず、ユマの金で部屋を借り、ユマの金で飯を食っているだけだ!」
「おんなじ意味じゃねぇか!」
同じ意味だった。
「ったく、ろくでもないな、お前は」
鍛冶師ボイルは、そう言って何かを投げつけてくる。
それは、植物を編んで作った手提げのバッグだった。
「まあ、ユマはろくでもねぇ娘だが、芯のしっかりした奴だ。ユマがお前を側に置いているっつーのは、それなりの理由があっての事だろう。そこについてとやかく言うつもりはない。だが、この家にいるつもりなら、ちったぁ家の事も手伝ってもらわなきゃ困る。バッグの中にメモと財布が入っているから、買い出しにぐらい行ってこい」
「一人でか?」
「お遣いも一人じゃできねぇってのか?」
「親方」
「何だ?」
「あんた、お人よしだな」
「うるせぇ! とっとと行け!!」
ボイルの怒声を背中に浴びながら、俺は転がるように家を飛び出す。
本当に、どこの馬の骨ともわからないような男を、お遣いをする程度で住まわせてくれるというのだから、お人よしだろう。
お遣いはすぐに終わった。ここしばらく、食品をはじめとして様々なものが値上がりを続けれいるらしいが、鍛冶師ボイルから預かった金で何とか予定の物を買いそろえることが出来た。
俺は、道を歩きながら、つらつらとこれまでの事を考える。
皇后レミアの事、その諜報員であるユマの事。
魔術師の事、魔法の事。
名ばかりの要塞都市と、住民たちの事。
俺が、ユマになぜ庇護されているのか、という事。
ユマが今、どこにいるのかというのも気になるが、それについては今、自分にどうこうできることでもないので、不安はあえて頭の片隅に追いやった。
駄目だ。圧倒的に情報が足りない。
“何をするべきかわからなくて、何が出来るのかもわからないとき、ですか?”
不意に、幼馴染の声が脳裏をよぎる。
“そんなの、自分のやりたいことをやる、絶好のチャンスじゃないですか”
どんな状況で聞いた言葉だったかはもう思い出せないが、とても印象深い言葉だった。
今、自分がやりたいことは、ユマの力になることだ。
そのためには、彼女の敵である魔術師たちと、その背後にいるというこの街のボス――顔役の情報を集める必要がある。
さて、そのためにはどうするべきだろうか。
手っ取り早いのは、魔術師をひとり捕まえて問いただすことだろう。
けれど残念ながら、俺は尋問の仕方を知らないし、魔術師たちが簡単にしゃべってくれるとも思えない。
それなら、魔術師の関係者から当たってみるしかない。
――と、そんなことを考えていたからだろうか。
その少女の声が耳に飛び込んできたのは。
「レミア皇后は、私たちの敵ではない!」
そこにいたのは、十歳にも満たないような小さな女の子だった。
「親愛なる領民たちよ、我々の真なる敵は魔術師どもである!」
彼女は、木箱の上に乗って、必死に道ゆく人々に訴えかけていた。
「妾の名前はカーラ・バレー。この街の顔役の娘である!」
一瞬、その女の子と目が合った。
彼女との出会いが、俺の運命を変えることになるとは、その時には想像もできなかった。
カーラは個人的に、一番好きなキャラクターです(ヲイ
多分この作品全体を通しても、1,2を争うくらいの才能とカリスマの持ち主です。
きっと大人になれれば、世界中に名をとどろかせる英雄になるでしょう。
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