第4話 鼓亦雷同
本日2回目の投稿です。
ユマがへたり込んでいたのは、ほんの1分か2分だった。
魔術師たちにやられた腹の傷は、見た目の出血量ほど深くなかったのか、それとも怪我をすることに慣れているのか。
この都市を実効支配している皇后レミアの直属諜報部隊に所属しているといっていたし、怪我をすることもよくあるのかもしれない。
レミア軍の窮状を話しているうちに、ついつい気持ちを昂ぶらせてしまい、傷口が開いたのだろうな、と俺は思った。
「……ん、もう大丈夫」
「一度、ちゃんとした病院に行ったほうがいいとは思うんだが。医者も信用できないか?」
「それもあるけど、まぁ、この位の怪我なら、自分で縫ったほうが早いし」
ユマは苦笑して立ち上がる。
……。
……結局。
ユマは、「オリフ」の事を知らなかった。
まあ、それはいい。
また誰かにあった時に聞けばいいことだ。
仮にこの世界にオリフが存在していないなら、それはそれでいい。
「それに、もうすぐ拠点にたどり着くし」
「拠点?」
「ほら、もう看板が見えているでしょう。そこの鍛冶屋……金物屋? が今の私の拠点よ」
ユマが指差すところには、確かに金槌の様な絵が描かれた看板が見えていた。
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「じじい、いる?」
鍛冶屋の中は予想したような鉄と火の世界ではなく、鍋や鍬などの金物類が整然と陳列された、ごく普通の店だった。
確かに、鍛冶屋というよりは金物屋という表現のほうがぴったりくる。
「じじいじゃねえ! 親父と呼べ」
奥から、腰の曲がったガリガリの老人が出てくる。タンクトップの様なシャツに、膝上までのズボンをはいた、日本でいうなら、昭和の子供の様な恰好をしている。もっとこう、鍛冶職人というにふさわしい筋骨隆々のむくつけき男が出てくると思っていた俺は、拍子抜けした。
「……男連れでお帰りとは、いい御身分だな」
老人は、じろりと俺をにらむ。
「どうも」
とりあえず、挨拶だけしておいた。
「じじい、こっちはハルキ。私の客よ。ハルキ、こっちはボイル、この鍛冶屋の親方よ。鍛冶屋と言っても大した設備はないから、やかんを修理したりする位だけど。それじゃ食べていけないから、二階で宿屋を経営しているのよ。そこが私の拠点ってわけ。あ、じじい、ハルキもここに泊めるから。客が増えるわよ、良かったわね」
「え?」
いつの間にか、俺もここに泊まることになっていた。
俺はこの世界の金を一銭も持っていないのだが、ユマはそれを理解しているのだろうか。
「料金は私につけておいてくれればいいから」
「いいのか?」
「イセカイジンさんに甲斐性は期待しないわ。路頭に迷うよりいいでしょう?」
「でも、ユマにメリットが……はっ!」
慌てて両手で胸を隠し、後ろに下がる。
「いや、そういうのはいいから」
なんだ。体で払えというわけではないのか。
「……ふん」
老人――ボイルが呆れたように鼻を鳴らす。
「料金はユグドラ銀貨なら一泊15枚。クーヴァ銀貨なら12枚。聖銅貨なら3枚だ。飯は付かない。灯りを使いたいなら向かいの店から油を買ってこい。火種は貸してやる」
「風呂はあるか?」
「この都市じゃ水は配給制だ。風呂なんぞあるか」
そういえば、ユマもそんなことを言っていたような気がする。
しかし、なまじ水の豊かな国で育ったせいで、水が配給制というのは信じられない。
世の中にはそういう国があるというのは知識として知っていても、実感がわかないのだ。
「朝になれば顔役の所の部下が広場に来る。そこに行けば水の配給をもらえるから、欲しいならユマに案内してもらえ」
「ありがとう。そうさせてもらうよ」
鍛冶師ボイルから鍵を受け取ると、俺はユマに連れられて二階に上がる。
階段をのぼりながら、ユマが「今後の事を話したいから」と言ったので、とりあえずそのままユマの部屋に入る。
ベッドと机が一つずつあるだけの、シンプルな部屋だ。大きな天窓から明かりがさしこんでいるため、室内にしては明るい。
「怪我の手当てをするから、手伝ってくれる?」
ユマはベッドに腰掛けると、服をたくし上げる。
当然、服の下に隠れていたものが露わになるわけで。
「ちょっ、待っ」
「? あー、はいはい。見たいならいくらでも見ていいから、とりあえず、そこの引き出しにある薬箱を取ってくれる?」
ユマは、控えめに見てもかなりの美少女だ。しかし自分の容姿に無頓着なようで、その白い肌を俺の前に晒しながら、特に恥ずかしがるそぶりも見せない。
そして、彼女の体には、無数の古傷が刻まれていた。
「もう少し、自分を労わったほうがいい」
薬箱を渡しながら、俺は思わずそう言った。
苦々しい声になってしまったのは仕方のない事だと思う。
「はいはい。私だって無意味に傷ついているわけじゃないわよ。……傷口のところ、押えておいてくれる?」
「え、いや……」
人の腹に触れるのには抵抗がある。
美少女の腹ならなおさら。
怪我をしているなら、なおのこと。
「いちいち反応が大げさね。年の割にハルキが初心なのはわかったから、早くしてくれる?」
「お、おう」
なんとなくあさっての方向を見ながら、傷口の周りを押えると、ユマは手際よく縫っていく。
そして、薬を塗り、ガーゼを当てがい、包帯で腹をぐるぐる巻きにして。
「よし、完成」
「手馴れているな」
「いつもより早く処置できたわ。ハルキが押えていてくれたおかげよ」
ユマは、薬箱をかたずけると、血まみれの服を新しい服に着替えた。ちなみに、慌てて目を逸らしたので、肝心なところは見ていない。
「さてと。レミア様が置かれている状態はさっき話したわね」
ユマは、ベッドの下から酒瓶と二人分のコップを取り出すと、一つを俺に渡しながら、そう言った。
そそがれたのは、ブドウ色の酒。飲んでみると、ほんのりとフルーツの香りがする、さらりとした飲み心地の果実酒だった。
「……ああ」
レミア。
反乱で都を追われ、この名ばかりの要塞都市に落ち延びた、力のない皇后。
この都市を実効支配してはいるが、元々ここを治めていた顔役のバレー家との間に確執を抱えており、決して安泰な状態とは言えない。
表現としては少し違うかもしれないが、一種の内憂外患といった状態にあると言える。
今は、南門城というこの都市の南端を守る城で暮らしているという。
判らないのは、そんな不安定な状況で、皇后レミアの諜報員であるユマが、俺にその素生を明かし、拠点としているところにまで連れてきた理由。
「それで、ユマは俺に何をさせたいんだ?」
「……逆に聞くけど、あなたには何が出来るの?」
そう来たか。
「皇后レミアの勢力を建て直し、軍隊を率いて、帝都に凱旋させる…」
「出来るの!?」
「……のは、無理だろう」
一瞬身を乗り出したユマは、「そう…」と消沈する。
「異世界人には、すごい力があったりしないの? 剣の一振りで国を滅ぼしたり、自分の望みどおりの未来を作り出したり、トカゲを一匹殺すだけで一つの種族を丸ごと滅ぼすような力」
「……ないなぁ。むしろ、この世界にはそういうことが出来る人間がいるのか?」
俺は、左の耳たぶをいじりながら、そう答えた。
「いるわ。もっとも、そのクラスの存在は、国同士の争いの様な世俗には関わってこないから、無害と言えば無害なのだけれど」
あれだろうか、力を持つ存在は、仙人のように達観した存在になるのだろうか。
――そういえば。
「……花」
「?」
「そういう、不思議な力を持つ存在で、花を蒐集している奴はいるか?」
思い出したのは、この世界に来て一番最初に会った男性。
彼のおかげで俺はこの世界の言葉がしゃべれるようになった。今考えれば、あのとき時間が止まっていたのも彼の仕業だろう。
「“花屋”ね。古今東西あらゆる花を集めていると言われているわ。それこそ、死者をよみがえらせる花や時間を狂わせる花なんかも持っているらしいわね」
彼の事を話すと、ユマはそう答えた。
やはり、彼もそういった異端の一人だったらしい。
最初に彼に会って言葉をもらえたのは、幸運だったのかもしれない。
「ええと、話を戻すわね」
ユマは首を振り、強引に話を戻す。
「私の目的は、この都市の不穏分子をつぶして、レミア様が統治しやすいようにすること。魔術師たちのアジトを見つけて、襲撃したまでは良かったんだけれど……襲撃は失敗したし、恐らくもうあそこはもぬけの空になっているでしょうね。こんなことなら、一度レミア様に報告して部隊を編成するべきだったかもしれないわね」
「……失敗したのは俺が現われたせいか」
「それもあるけど、私が油断していたのが一番の原因よ。まあ、失敗してしまったのは仕方がないわ。こうなったらとれる手は一つしかない」
「というと?」
「敵の本拠地をたたき、魔術師たちを指揮していた証拠を見つける」
ユマは、引出しからメモ用紙を取り出すと二本の線を引く。
「この線が崖だとすると、この間に築かれたのが要塞都市バレーよ。ちなみに今私たちがいるのはここ。北の端に北門城、南の端に南門城があって、その二つはレミア様が占拠している」
二本の線の間に、二つの四角を描き、そこにそれぞれ何かの文字を書く。読めないが、恐らく「北門城」「南門城」と記しているのだろう。俺たちのいる宿は、北門城のすぐ近くにあるらしい。
「レミア様がいるのは南門城ね。都市は東西に2キロメルトル、南北に15キロメルトル……距離の単位はわかる?」
「いや」
「大体、ハルキとあった場所からここまでが4キロメルトルよ」
「なるほど」
大体、一時間とちょっと歩いたから、キロメルトルというのはキロメートルとほぼ同じぐらいの長さなのだろう。
「北門城と南門城のちょうど真ん中にある屋敷が、魔術師の親分、この都市の顔役の屋敷よ。私は今夜にでも、そこに侵入するつもり」
「その怪我でか? それは無茶だ!」
それこそ、ちゃんと部隊を編成するなり、しっかりとした準備をしないと、魔術師たちを襲撃した時の二の舞になる。
しかし、ユマは頭を振る。
「魔術師たちが襲撃を受けたまま、おとなしくしているとは考えにくいわ。すぐにでも何らかのアクションがあるはず。そもそも彼らを襲撃したのは私の独断よ。失敗した挙句、レミア様に尻拭いをさせるわけにはいかないわ」
「俺には、わからないな。ユマが自棄になっているようにしか思えない。もう一つ言うならば、ここまでべらべらと俺に話しているわけもわからない。……いや、その理由を話す気はないんだろうな」
さっきも、俺に何をさせたいのかと聞いて、誤魔化された。
ユマは、俺を利用しようとしている。
それはそれでいい。彼女が居なければ俺は確かに今夜の寝床にも困っていただろうし、もっと言うならば、あの場で魔術師たちに殺されていたかもしれない。
だから、彼女が手を貸してくれというのならば、喜んで力になるつもりだった。
けれど、一方的に利用されるというのは性に合わない。
「ユマは、俺に何をしてほしいんだ?」
「何もしないでいて欲しいのよ」
ユマは、そう言うとはあっと深く息を吐く。
「わかったわ。今夜は何もしないでこのまま休むことにする。とはいっても、時間はあまりないから、明日にでも具体的な方針を決めましょう。あなたにも手伝ってもらうかもしれない。それでいい?」
「……ああ」
俺はそういうと、立ち上がる。
「じゃあ、俺は自分の部屋に行くことにするよ。お休み」
「おやすみなさい」
多分、ユマは嘘をついている。
こうしてあっさり引き下がるのがそもそもおかしい。
それに、ユマは俺の事をハルキと呼ぶが、話を逸らしたり、誤魔化そうとするときには「あなた」と呼ぶ。ユマと出会ってからの短い時間の中で、彼女は既に2回――今のを含めると3回、「あなた」という言葉を口に出している。
俺が部屋に帰った後、こっそりと宿を出て、顔役の屋敷とやらに潜入するつもりだろう。だから、おとなしく説得されたふりをして部屋に戻り、ユマが出て行こうとするときに取り押さえるつもりだ。
もっとも、この時俺は、ユマが果実酒に眠り薬を混ぜていたことに気が付いていなかったし、ユマの部屋の扉が閉まる直前、「おやすみなさい、神託の救世主様」とつぶやいたのにも気づかなかった。
そうして俺は結局、自分の部屋に入るなりベッドに突っ伏し、朝まで目を覚まさなかった。
ユマは個人的に一番好きなキャラクターです。
もう少し活躍させたいなぁ。
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