第10話 燻煙昂雲
無心で剣を振る。
鋼鉄製の剣は、決して軽くはない。けれど、小さいころから使っているだけあって、今では自分の手足のように使うことが出来る。
突き、薙ぎ、降り下ろし、翻す。朝日を浴びた剣はきらきらと輝き、一振りごとに周囲の草を切り裂いていく。草についていた朝露が宙を舞い、私の服を濡らしていく。
ここは、レミア軍の陣から少し離れた、小さな草原だった。
参謀長という仕事は決して楽な仕事ではないが、私は、毎日の素振りだけは欠かしたことが無い。
ここ数日は、戦場の空気を肌で感じているためか、妙に気持ちが高ぶっている。そんな興奮を鎮めるためにも、素振りは有効だった。
背後には、護衛として数人の兵士が控えているが、彼らが声をかけてくることはないし、私が彼らに声をかけることもない。剣の稽古、というだけなら、彼らと手合わせでもした方がいいのだろうが、私はその必要性を感じていなかった。
なぜなら、私にとっての剣技は、飽くまで基礎教養のようなものだからだ。私くらいの地位になると、戦場で敵と剣を交えることはない。実用的な剣術というものは必要ないのだ。
その時、草むらがかさかさと音を立てた。
見ると、親衛隊長のバーバラと諜報員のユマが立っていた。
「ロウ参謀長、ただいま戻りました」
ユマが言う。
彼女には、オリツへの潜入を行わせていた。
「首尾は」
「囚われていた第三軍に、小型の武器と一通りの脱出用具を渡しておきました。若干の消耗が見られましたが、士気は健在でした。隙を見て牢から脱出してもらう手はずになっています」
「わかりました。ご苦労様です」
計画は順調。
このまま行けば、敵の大将クツギュヌスが戻ってくる前に、この商業都市を陥落させることが出来るだろう。
……問題は、その後だ。
オリツは、商業都市であると同時に、大陸に覇を唱えた古代王国の王都でもある。
そして、この都市には、王都であった時代から続く「伝統行事」がある。その「行事」は、四百年に一回しか行われない、非常に珍しい「行事」であるが、丁度今年が、その「行事」の開催年に当たる。その行事が、問題なのだ。
その行事の間――この都市の門はすべて閉ざされ、人の出入りは一切禁止される。それだけでなく、行事の続く半年間、この都市は聖域と見做され、何者の侵略も許されなくなる。
もし、その行事を冒涜するようなことをすれば――例えば、武力を盾にこちらの主張を押し通すようなことをすれば――レミア軍はたちどころに、天へ仇なす存在となり、国内の勢力だけでなく、大陸にいるあらゆる国・勢力が敵に回ることになる。正統なる国家継承者として王都に凱旋したいレミア軍にとっては、絶対に避けなければいけない事態だ。
だから、やらなければいけないことは2つ。
その「行事」が始まる前に……そして、クツギュヌスが戻ってくる前にこの都市を陥落させること。
そして、その行事が始まり、出入りが禁止される前に、この都市を後にすること。
国内の趨勢が刻々と移り変わっていく中で、半年もレミア軍がこの都市に足止めされる事態は防がなければいけない。
もっとも、逆に考えれば、それは敵にとっても同じこと。第三皇子軍がいかに大勢力とはいえ、大部隊であるクツギュヌス将軍の部隊をこの都市で遊ばせておくわけにはいかないはずだ。つまり、彼らもまた、行事の間はこの都市を引き払うつもりだろう、という事。
大切なのは、タイミングだ。
どのタイミングで、どちらの勢力が、どのように動くのか。
「ところで、ロウ。お主、ハルキを見なかったか?」
考え事をしていると、バーバラが聞いてきた。
「ハルキですか? 彼なら、先ほどまでここで一緒に素振りをした後、先に軍陣へ戻っていきましたが……見当たりませんか?」
私は、少し前の事を思い出しながら答える。
ハルキは、私より先にここへきて、剣の稽古をしていたようだった。
お世辞にも腕が立つとは言えない実力だったが、なにがしの剣術を学んだ経験があるようで、その一挙手一投足に迷いはなく、切っ先は正直すぎるほどにまっすぐ振り下ろされていた。
私が来た時に、少しだけ目を合わせたが、一言も会話をすることはなく、お互いに干渉せず素振りをした。
「陣にも見当たらんのじゃよ。少し話したい事もあったのじゃが……」
バーバラは、あごに手を当てて考え込む。
すると、ユマが「やはり」とつぶやいた。
「ユマ? 心当たりがあるんですか?」
「……やはり、ハルキは、私たちの敵ではないでしょうか」
不審げにそういう彼女に、私は少し呆れた。
「そのことについては、判断保留という事で話が付いたでしょう。我々は彼の過去も知らなければ、彼の人となりもまだよくわかっていない。ただ、彼の優秀さはバレーの騒動で証明済みです。それに、彼の存在は予言の書にも記載されていた。彼はレミア様の力となるはずです」
予言書の存在については、バレーでの一件が終わった後、ユマにも説明してある。
「ですが、彼が姿をくらませるのは今回が初めてではありません。日に何度も、こうして彼の居場所がわからなくなる。……ひょっとして、今この瞬間にも、敵と内通しているのかもしれません」
「うむ。たしかに、奴の行動には不審な点が多いようじゃな。食事も部屋でとっておるようじゃし、人を近づけないようにしているきらいがあるようじゃ」
バーバラまで同意するようにうなずく。
この二人は、レミア軍の中でも特にハルキへの不信感を持っているようだった。
「……異世界人ですから、少しぐらい奇妙な行動があっても多めに見るべきでしょう。どこの国の出身かは知りませんが、少なくともこの世界の国や勢力とのつながりは無い筈です。だったら、内通の心配も少ないでしょう」
「たしか、ニホン、と言っていました」
ユマが、思い出したように言う。
「そうだ、思い出しました。母方がニホンジンの、ハーフだとか。彼はニホンジンです」
「……え? 母方がニホンジンのハーフ、と言ったのなら、ニホンの人ではないでしょう?」
私は、眉をしかめて言った。
「どういう事じゃ?」
バーバラが聞く。
私は、片手をあげて、周囲に控えていた護衛兵の一人を呼び寄せた。少し離れたところにいたため、彼にこれまでの会話は聞こえていないようだった。
「君、たしかハーフでしたよね」
私が聞くと、その兵士は直立不動で「はっ!」と答えた。
「父親が神国人です!」
私は、ほらね、とユマ達に向き直る。
「彼はカイゼル帝国の母親と神国の父親の間に産まれましたが、ハーフだと名乗るときには、『母親が帝国国民だ』とは答えません。なぜなら彼自身が帝国国民であり、質問をした私が帝国国民だからです。ハルキも、母親がニホンジン、と答えたならば、彼にとってニホンは異国であり、彼の国は別に存在しているのでし……っ!」
私の心中に、少しだけ違和感が生まれた。
自分がハーフであることを説明するのに、母親がニホンジンだ、と答えたのは、彼がそう答えなれていたからだろう。だから、彼はニホンジンではなく、別の国の人間である、と考えるのが妥当だ。
――本当に、そうだろうか。
彼ほど頭の回る人間が、ニホンの事も、彼の母国の事も知らない異世界人であるユマに対し、そんな答え方をするだろうか。母方の国を答えたならば、父方の国も答えるのが、普通ではないだろうか。
彼が、あえて父方の国の名前を隠したとしたら?
例えば、彼の父親が……こちらの世界の出身だとしたら。
疑問を抱いてしまえば、みるみるそれは膨れ上がっていく。
予言の書は、本当に信頼できるのか。
そもそも、予言の書に記されていた異世界人は、本当に彼の事なのか。予言書に記された時間と場所には、誰も現れなかった。彼が異世界人だと名乗り、予言の書でその出現を知っていた我々が、それを信じただけ。
「……ユマ」
長考の後、私がユマに声をかけた瞬間、一人の兵士が駆け寄ってきた。護衛兵とは違う兵士だ。
「急報! 敵将クツギュヌス、鉱山都市を出立したとの事。すでに、ここから三日の距離に接近しています!」
私の顔から、血の気が引く。
馬鹿な。
早すぎる。
ストックが尽きていた事、
忘れていました。




