第9話 偽話虚言
ストック、尽きたぁ!
オリツ地方の領主であり商業都市オリツの代表であるホワイトは、部下の持って来た戦況報告に思わず立ちくらみを起こした。
「つまり、第三皇子軍は、一方的に防戦を強いられているのだな?」
「はい。死者の数は僅少ですが、兵士たちの士気はダダ下がりとのことです」
それはそうだ。
まともに戦いが出来ているのならともかく、一方的に嬲り者になるという状況は、兵士たちのメンタルに大きな影響を与える。そして、兵士の繊維が削がれれば、大軍ですら寡兵に滅ぼされることがある。
ホワイトの脳裏に、二度の蹂躙の記憶が蘇る。
一度目は、レミア軍によるもの。
二度目は、第三皇子軍によるもの。
軍隊なんてものは、およそ盗賊と変わらない。
兵士たちは、多くの商店から物を強奪していった。彼らの上官も、あえてそれを黙認した。指揮官たちは、兵の英気を養うためには、こうした「うまみ」を与えなくてはいけないといけないのだと考えているのだろう。
逆らおうとする者には暴力が振るわれた。
それでも抵抗して、店に火を放たれたものすらいる。
道を歩いていた若い女が、数人の兵士たちに物陰へと引きずり込まれて……そこで何をされたのかは、想像に難くない。
それでも街の人々が兵士たちに頭を垂れたのは、それが死ぬよりもましだと思ったからだ。従っていれば、殺されることはないと……そして、兵士たちが、少なくとも外的の脅威から自分たちを守ってくれると信じていたからだ。
もし、第三皇子軍が敗北したら――敗北しなくても、この都市から撤退することを決めたなら、商業都市オリツはレミア軍によって地獄に変えられてしまう。一度レミア軍を裏切ったのはオリツの側だ。彼らは決して自分たちを赦したりしないだろう。
“せめて、クツギュヌス大将軍が戻ってくるまで持ちこたえられたら”
ホワイトはそう考え、すぐに頭を振る。
クツギュヌスが戻ってきたところで、第三皇子軍が勝利する保証はない。
レミア軍のロウも、策略家として知られている。大局的に見れば第三皇子軍が圧倒的に有利だが、オリツ防衛戦という、この一戦だけで見るならば両軍は互角と言えるだろう。そして、オリツにとって、大切なのはこの一戦だけなのだ。この一戦で第三皇子軍が勝たなくては、この都市に未来は無いのだ。
ホワイトは、はっと頭を上げた。
「おい! レミア軍の第三軍は、我々が捕虜にしていたよな!」
「はい。ブーニング閣下より、牢の鍵を預かっておりますが……」
「ははは! よし、第三軍の兵士を城壁の上に立たせて、こちらの兵士の盾にしよう! いや、それより、嬲り者にして晒し者にするのがいい。そうすれば敵の士気をくじくことが出来る!」
自分の閃きに、ホワイトは思わず高笑いをした。
部下が、動揺する。
「し、しかし、捕虜規定に抵触します!」
「捕虜規定に制約されるのは軍人だけだ! 民間人である我らがレミア軍の兵士をいたぶる分には、何の問題も無いっ!」
「ですが!」
部下はなおも食い下がる。
「レミア軍は、曲がりなりにも兵士です! 牢に押し込めておくなら兎も角、一度牢の鍵を開けてしまったら、我々の側が制圧されてしまうかもしれません!」
部下の言う事は正しい。皇后レミアが都市の外に来ていると知った彼らが、鍵を開けた瞬間に暴れ出し、街に流れ出るかもしれない。
だが。
「はっ! 武器も持たぬ兵士たちが出てきたところで、私の私兵だけで対応できるわ! とっととレミア軍の捕虜を城壁の上に引きずり出せ!」
ホワイトは、意気揚々とそう言い切った。
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「……どうした。君、様子がおかしいぞ」
彼女がそう言い、うなだれていた僕は頭を上げた。
僕は、天達を目指す彼女と一緒に鉱山都市メイトに向かう途中だった。
「黄金鼠が、死んじゃったんだ」
僕は、両手に抱えていた鼠を、そっと彼女に見せる。
最初こそ、鉱山都市に着いたらこの鼠を売ってお金に変えようとしていた僕だったが、暫く一緒に旅をするうちに、人懐っこいこの鼠が愛らしく思えてきて、今では大切な友人のようにすら思えていた。
僕の頭の上が気に入ったようで、道を歩いている間、ずっと僕の頭の上できょろきょろと周りを見回していた。気紛れに食料を与えると嬉しそうに喰いついて、僕の指をぺろぺろと舐めてきた。眠るときは、自然と僕に寄り添うように寝ていた。
ここ数日、元気がないような様子もあったので心配していたのだが、突然……というか、ついに、というか、つい先ほど、眠るように死んでいったのだ。
彼女が、死んだ鼠を覗き込む。
彼女も、一緒に悲しんでくれると思った。
しかし、彼女はきょとんとした様に首をかしげただけだった。
「……ん? 死んだ……ん?」
それは、まるで、死ぬ、という事がどういうことなのか、度忘れしてしまったかのような反応だった。
「……なあ、死ぬ、というのは悲しい事だったっけか?」
そんな彼女の言葉に、僕は困惑を覚える。
「当たり前でしょ! 何日も一緒に旅をしてきたんだから!」
「……ああ、いや、悪いね。そうだ。死ぬっていうのは、取り返しのつかない事なんだった。……いや、そうだっけ?」
彼女は猶も混乱した様に手を額に当てると、考え込む。
それから、白魚の様なその手をすっと黄金鼠に伸ばすと、やさしく鼠の体を撫でた。
「!」
その時だった。
鼠の死体がピクンと痙攣すると、スッと目を開け、ちょこまかと動き出す。
「そんな、まさか!」
黄金鼠は、確かに死んでいた。心音も呼吸も止まっていたし、だんだんと体も冷たくなってきていた。
「ああ、生き返ったみたいだね」
彼女は、事もなげに言う。
「有り得ない! 死んだものが生き返るわけが無い!」
僕は、目の前の現実を否定するように言う。
「そうだね。だけど……なんとなく、生き返らせられるんじゃないかと思って、やってみたら、なんか生き返った。とりあえず、それでいいんじゃないか?」
彼女が無表情にそう言う。
その、無機質な目を見て、僕は背筋がぞっとした。
その時になって、僕はようやく、彼女が目指している天逹と言うものが何なのか、ようやく理解したのだ。
――例えば、神国の巫女や、花屋と呼ばれるような、人を超越してしまった存在。人の限界に囚われない代わりに、人としての倫理観も失ってしまった、化け物のような存在。彼らのなかには、呼吸をするように死者を生き返らせたり、天候や物理法則すらも操ったり出来るものも居ると聞く。
彼女も、半分そう言った存在の仲間入りをしかかっているのだ。
僕の中に、彼女への恐れが生まれたのを、彼女は敏感に察したようだった。
「さて、私が君と一緒に居られるのは、どうやらここまでの様だ。この道を二日ほどまっすぐ進めば、君が目的としている鉱山都市にたどり着ける。君には、旅をするために必要な知識や技術はすべて教えた。あとは一人でもなんとかなるだろう」
「……お姉さんは、どうするの?」
「私はここに留まって、修行を続けるよ。なに、食べ物は狩りをすれば賄えるし、寝るだけならそこらの草むらで十分だ。身体は丈夫だからな。もし数年後――あるいは、数十年後、君が一旗揚げて、帝都に帰ることになったら、私に声をかけると良い。最初にした約束通り、君を帝都に送り届けよう」
律儀に約束を守ろうとする彼女に、なぜか僕は少しだけ寂しさを覚えた。
「でも、お姉さんは僕の顔を認識できないよね? 次に会う時、それだと困るんじゃない?」
「……そうだね。じゃあ、君には私の真名を教えよう。両親が付けてくれた名前だが、今では誰も知らない名前だ。次に君が私を見つけたとき、その名前を呼べばいい。そうすれば、私は君を君だと認識できる」
そうして、彼女は僕にその名前を告げた。
第二章、ちょうど折り返し地点です。
たぶん、あと9話くらいで終わります。




