第7話 空裂鏑矢
コンバウントボウ(っぽいもの)、登場。
商業都市オリツの城壁は、大都市にしては低い。高いところでも4メルトル。低いところは3メルトルにも満たない。
城壁の低さには理由がある。
高い城壁は、壁の上と下との行き来に時間がかかる。その点、低い城壁だと物資や兵器の補給が容易になり、兵員の交代も迅速に行うことができる。
オリツのように大規模な都市の場合、城壁のすべての箇所を完璧に守ることはできない。敵の攻め方に合わせて人や物を流動的に動かさなくてはいけないのだ。
その日の明け方、城の北側を見張る衛兵たちは、近づいてくる大軍に気が付いた。
彼らは慌てて長喇叭を吹きならし、駐屯所に急報を知らせる。
「敵襲、北門、数、四千!」
城壁の上に立って遠眼鏡を覗いていた兵士が言う。
その横に立つ兵士が、長喇叭を吹き鳴らしてから、喇叭を器用に振り回す。この世界において喇叭は、手旗信号のような役割を果たしていた。
敵襲。
北門。
数。
四千。
城壁の上の兵士が喇叭の動きでそれぞれの単語を表現すると、駐屯所の兵士が同じく長喇叭を吹き鳴らしてから、「了解」という単語を返してくる。
その日、ついにレミア軍によるオリツ侵略が始まった。
それは同時に、レミアが天下統一に名乗りを上げる最初の戦いでもあった。
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「さて、口上は誰が行いますか?」
商業都市オリツの城門を前にして、皇后レミアが背後の兵士たちにそう問いかけると、ロウが「私が」と答えた。
「いいでしょう。おやりなさい」
「はい」
ロウは跨っていた馬を数歩前に進ませると、城門の上にいる兵士たちに、話しかけ始めた。
「我々は皇后レミア様率いるカイゼル帝国正規軍である! 現在、皇都帰還の途上で、補給のためにこの都市を訪れた! 速やかに城門を開けろ!」
名目は、皇后であるレミアが都に帰る途中に立ち寄ったという事になっている。もちろん、敵対する彼らが城門を開けるわけはないが、これでレミア軍は、「正規軍に逆らった逆賊を討つ」という大義名分のもとで戦うことができる。
対する敵兵も、指揮官らしき人物が城門の上に立ち、こちらに口上を述べてくる。
「これは異なこと! レミア・ニューランド殿は皇后へ即位する正式な手続きを経ていないというではないか! 皇后を僭称するなら、われらはお前たちを反逆者とみなし、討伐を行う心づもりである!」
お決まりの口上合戦。相手の正当性を否定し、逆にこちらこそが正しいと言い張る。
この程度で心を乱されるものなどいない。
……ひとりしか、いない。
というか、俺が動揺していた。
「なんか、初耳の情報が出てきたんだけど!?」
レミアが皇后でないとすると、現状が根底から覆る。
パペットが後ろから小声で話しかけてきた。
「前皇帝と皇太子がクーデターで殺されたタイミングが微妙だったのです。彼らが死んだときの話は、ご存じで?」
「いや、聞いたことがない」
「当時、皇帝とレミア様の夫であった皇太子は、隣国との戦争を行うため、西にある都市に駐留していました。安全のために二人は別々の屋敷に宿泊していたのですが、その屋敷がほとんど同時に攻撃され、皇帝も皇太子もほぼ同時に亡くなったとされています」
「……ああ、わかった。皇帝が先に死んだなら皇太子が繰り上がりで皇帝になり、レミアも自動的に皇后になる。だが、皇太子が先に死んでいたなら、皇帝が死んだところでレミアは元皇太子妃になるだけで、皇后としての権力は得られない、というわけだな」
「はい。それに、レミア様が本当の意味で皇后として認められるためには、いくつかの儀式を行わなくてはいけません。現状でそれを行うことはできていませんから、彼らの主張にも一理あるのです」
いや、それ、向こうの言っていることのほうが正しくね? とは思ったが、口にはしなかった。俺は空気が読める男なのだ。
城壁の上の男が、再び口を開く。
「レミア・ニューランド殿! われらの任務はこの都市を守ることにある! このまま引き下がるのならば、あえて追討することはしないが、いかがか!?」
「笑止! 皇后軍たる我らは、国内のいかなる場所であろうと、望むとき、望む形で通ることが許されている! 貴様らが門を開けないというなら、貴様らこそ逆賊とみなし、我らは正義の鉄槌を下さん!」
ロウがそう言い終わると、皇后レミアは、小姓の少女から一本の矢を受け取り、天高く射った。矢はしゅるしゅると飛び、城壁とレミア軍の中間あたりに落下した。
「これが開戦の儀式です、ハルキ様」
パペットが後ろから俺に声をかけてくる。
「これ、毎回やらなきゃいけないのか? 奇襲とかしちゃだめなのか?」
「我々は正当な軍事行動を行っているのです。そのような卑劣な行動をとっては、我々の正当性が損なわれてしまいます」
ああ、面倒くさいなぁ。
そんな事を言っていられるほど、この軍は強くないだろうに。
俺は頭の中で、前の偵察の時に思い付いたオリツ攻略作戦の中から、奇襲を主軸に据えた案にペケをつけた。
……いや、俺が作戦を立てる義理もないんだが。
俺の目的は、この戦に勝つことじゃない。のらりくらりと敵をやり過ごし、部下の指揮はパペットに任せつつ、この戦場を生き延びることだ。
もう、俺のせいで人が死ぬのは御免だった。殺し合いをしたいのならどうぞご勝手に。けれど、俺にその罪を押し付けないでほしい。
「弓兵、前へ!」
ロウが指示すると、弓を持った兵士がばらばらと前へ進み出る。その数、およそ50人。いずれも第1軍の兵士たちだ。第2軍に、高度な技術を要する弓兵はいない。
「構え……斉射!」
兵士たちが射た矢は、ぱらぱらと飛び、城壁のだいぶ手前で勢いを失い、落下する。距離が遠すぎるのだ。
城壁の上の敵兵から、どっと笑いが起きた。臆病者、と此方をなじる声も混じっている。城壁の遥か彼方に陣を構える臆病者。近づく勇気もない卑怯者。
今度は、敵方から矢が放たれた。高所から撃ってくるだけあってこちらの弓兵よりは飛距離も伸びるが、やはりこちらの軍に届く直前で落下してしまう。
ロウはそれを見て、にやりと笑っているようだった。
ここまでは作戦通りだ。お互いの弓矢が届かないこの場所こそ、まさに理想的なポジションだった。
「弓兵、交代しつつ矢を討ちつづけろ! 昼だろうが夜だろうが攻撃の手を休めるな! 歩兵隊、ここに陣を築く、テントと防塁の準備をはじめろ!」
ロウが支持を出す。それを受けて、パペットも第二軍にテント設営の指示を出した。
「これから明朝までは射ち合いか。弓兵の負担を考えると5人一組で10交代制が現実的か。……ま、いずれにしても俺たち第2軍は暇だな」
俺はつぶやく。
「ハルキ様、何をおっしゃいますか! 指揮官が怠けると兵士たちも怠けます。唯でさえ士気が低いのですから、ハルキ様が率先して動いてくださらないと困ります!」
パペットが厳しい口調で言う。
でもなぁ。
「どうでもいいよ、そんなの。敵が出て来るならともかく、ああやって引きこもられちゃぁ俺たちの出る幕はない。無理に門を破ろうとすれば、それこそ俺たちみたいな弱小部隊は返り討ちに合うわけだろうし、兵の士気も下がるだろ」
実質的にレミア軍のほとんどが遊兵と化しているのだが、無駄な死人を出している余裕がないのだから、安全策をとるのは当然だ。このまま俺たちは、都市内部に囚われている第3軍が暴れだすのを待てばいい。
俺は大欠伸をした。
「眠いからちょっと寝て来るよ、俺は。敵が攻めてきたら教えてくれ」
俺はそう言うと、部下たちに持ってこさせたベッドを見つけ、潜り込んだ。
おやすみなさい。
ぐぅ。
***********
翌朝。
城壁の上では、夜勤の兵士と日勤の兵士の交代が行われていた。
「お疲れ。状況は?」
「変わりませんね。届きもしない弓を射って来て、まったく、何がしたいんだか」
兵士たちが話す。
「上官たちは油断をするな、なんて言うが、これで気を張っておくほうが難しいよなぁ」
「敵の考えが読めない、というのは不気味だがな」
「馬鹿なんだろ」
一人が言い、兵士たちがどっと笑う。
「名参謀と言われるロウ閣下も、これだけ不利な戦いでは何もできない、というわけだな」
薄っすらと空の端が白くなりだし、今日も旭日が登ろうとしている。
「違いない! 名参謀ならぬ迷参ぼ……」
その時、話していた兵士が急に黙り込む。
ほかの兵士たちが何事かと彼のほうを見つめた。
そこには、脳天を矢に貫かれた兵士がいた。
彼は、そのままどさりと倒れ込んだ。
***********
「はっはぁ! どうだぁ、俺の弓は!」
レミア軍の陣営の中で、小躍りしながら喜ぶ老人がいた。
ユマの父親、鍛冶師ボイルだった。
「鉄でできた弓に、軽い力でも弦が引ける滑車機構! 俺の最高傑作だぁ!」
「見事です、ご老体」
ロウが賛辞を述べる。
ボイルの作った弓は、従来の弓とは大きく異なっていた。金属でできた本体の両端には滑車が取り付けられ、弦すらも太いコイルでできている。中央には矢をつがえるための窪みがあり、矢が真っ直ぐに飛ぶよう工夫が施されている。
現在の主流である木製の弓と比べ、五倍の飛距離を誇る新兵器だった。
「しかし、本当に一張だけでいいのかぁ? その気になれば、まだいくつか作れるが」
ボイルがロウに聞く。
「ええ。大切なのは、城壁の上にいる兵士を殲滅することではありませんから」
ロウは答えた。
***********
「想定外だったな、こういう手段で来るとは」
商業都市オリツ北部、臨時司令本部で、報告を聞いていた副将軍ブーニングは舌打ちをした。座っている椅子がぎしりと音を立てる。オリツ中央にある軍の駐屯地からでは柔軟な指揮が行えないという事で、ブーニングはここまで出張ってきたのだ。
「先生、どういう事でしょうか」
副官のミラが尋ねる。
「敵の弓がこちらに当たるというなら、対処はできる。敵の弓が当たらないというなら、問題はない。しかし、敵の弓が基本的にはこちらに当たらないが、時々当たる、という状態はよろしくない」
「申し訳ありません、よくわかりません。当たったり当たらなかったりするなら、基本的には当たるものとして対処をすればいいのでは?」
「じゃぁ、試してみるか」
ブーニングは、そう言うと椅子から立ち上がり、ミラに向かって拳骨を突き出した。拳はミラの鼻先で寸止めされる。そのまま、ブーニングはシュッ、シュッとミラの鼻先にパンチを繰り出し続ける。
最初は驚いたミラだったが、その後困惑し、最後にはだんだんと苛立ち始める。彼女はブーニングのパンチを手で抑え込んだ。
「いい加減にしてください! いったい何がしたいんですか? それに時々鼻に当たって痛いです!」
「そういう事だよ。効果的な徴発だろう?」
ブーニングが言うと、ミラはハッとする。
「こちらの矢は届かない。敵の矢は休みなく降り続けるし、運が悪ければ死ぬこともある。城壁を守っている兵士たちからすれば神経を削がれる状態だろう」
「いっそ、兵士を城壁から降ろしますか?」
「それこそ敵の思うつぼだろう。敵の歩兵どもが門を破壊しようと詰め掛けるぞ。かといって兵を残せば、士気の低下は避けられない」
「では、どうするのですか?」
ブーニングは髭をいじりながら考え込み、やがてぽつりと、
「……いっそ、降伏しようか?」
と言った。
「何をおっしゃるのですか、先生!」
「いや、俺はいつも、降伏を選択肢に入れて戦っているからな?」
「馬鹿なことを言わないでください! たかだか2,3人の兵士が殺されただけです! 戦局は我々の圧倒的優位。このまま大将軍様が戻ってくるまで時間を稼げばいいだけですよ!?」
顔を真っ赤にして反対するミラに、副将軍は苦笑する。彼は、こうしたミラの若くて青臭いところが嫌いではなかった。もっと大局的な視点を持ってくれるならなおいいのだが、とも思ったが。
この勝負、要塞都市を手放すことになっても、作戦としては成功なのだ。
ミラは残念ながらそれに気が付いていないようだが、ブーニングはあえてそれを教えない。彼はそっと、弟子の成長を見守り続けるのであった。
戦国時代って、好きなんですよね。
無秩序すら秩序に組み込む、壮大な矛盾が、あの時代のかっこよさだと思います。




