第6話 先見今行
ストックが無くなりそう。
商業都市オリツ。
またの名を、古都オリツ。
古くは大陸に覇を唱えた王国の首都だったというが、その王国も数百年前、わずか一晩にして滅びてしまった。
その時代の天逹に滅ぼされてしまったのだ。
一体どういう理由で、どういう経緯で滅ぼされたのか、その理由は伝わっていない。伝えていくべき当事者が、すべてそのXデーに死んでしまったのだ。
いわゆる、「本当の魔法使い」の恐ろしさを証明する有名な事例である。
そしてオリツは、今、カイゼル帝国の商業都市として再び活気づいている。一つの巨大建築物で出来たこの都市は、一部が崩落し、残りの大部分は安全のために埋め立てられてしまっているが、それでも複雑に入り組んだ街中は混沌とし、都市管理者の管理を受け付けないほどの自由で無秩序な商取引が行われている。
夕食のおかずから概念まで、あらゆるものが売買される都市。それこそが管理者の誇りであり、この街の住人の誇りでもあった。
だからこそ、都市管理者であり、商業都市オリツを中心とするオリツ地方の領主でもあるホワイトは、第三皇子軍の副将軍が言った言葉に、烈火のごとく反発した。
「レミア軍の正規兵を、この都市で迎撃する!? 貴殿は盟約を忘れたのか!!」
「はて、盟約の内容は確か、“商業都市オリツを第三皇子軍が庇護下に置く”事だったはず。こうしてオリツを防衛するために戦うことこそが、盟約を守るということではないですかなぁ?」
オリツ総合庁舎二階にある会議室の長机で、ホワイトに向き合う形で座っていた副将軍――ブーニングは、カールする髭を手で撫でつけながら悠々と言う。ブーニングの横には若い女性士官が座り、書記官として二人の会話を記録している。
「貴殿らの存在が争乱を招いていては意味がないではないか!」
「レミア軍の敵が我々だと決まったわけではない。そもそも、き奴らとあなたたちの関係も、良好とは言い難い。あなた方がレミア軍から我々に鞍替えしたことそのものが彼らが進攻してくる理由かもしれない」
ホワイトは歯ぎしりをした。これだから軍人というものは嫌いなのだ。商人たちが命を懸け、生涯をかけて必死に積み上げてきた楼閣を奪い取るだけに飽き足りず、土台の砂をもつき崩して行く。
皇帝が暗殺されて以来、この都市は二回蹂躙された。一度目は皇都から落ち延びてきたレミアの軍によって。とはいえ、レミア軍は最初こそ蹂躙を行ったが、それ以降は公平な統治をおこなっていた。にもかかわらず、ホワイトたち商業都市の統治者集団は第三皇子軍へ鞍替えし、その際に再び蹂躙され、多くのものを奪われた。
第三皇子軍に縋ったことが間違いだったとは思わない。今、この国の戦局を最も有利に進めているのが第三皇子であったし、人材の面で見ても、第三皇子軍ほど充実している勢力はない。このままいけば、ほぼ確実に次期皇帝の地位を手にすることだろう。
戦国時代というのは、大きな波だ。人々は波に翻弄され、右に、左に流されながら、泡沫のように短い生涯を終えていく。
時に、英雄が生まれ、世界を大きく変えていく。しかしその英雄ですら、時代の流れによって無作為に生み出された傀儡に過ぎない。
では、戦国という時代を支配している秩序はなんだろうか。
力、だろうか。それは違う。
才能、だろうか。それも違う。
戦国時代。それは、社会の理が人のものでなくなり、神の気まぐれな采配が人という種族を支配する秩序になるということ。あらゆる面で優れた人間が、ほんのひと時神の寵愛を逸したために滅びてしまうということ。
その戦乱を引き起こしたのは人なのだ。人とはなんと愚かしい生き物なのか。
勿論、商取引だって運に左右されることはある。けれど、商売なら、一つ失敗したなら次を試せばいい。リスクが高いなら保険をかければいい。しかし戦争は、一度失敗すればそれでおしまい。死んでしまえばやり直しが利かなくなる。
そんな時代に商人が生き延びるためには、機に聡く優位な陣営に乗り換えていくしかないのだ。
だが、そんな状況でも決して只では膝を屈しないのが商人だ。
「では、貴殿らが捕虜としているレミア第三軍の管理権、それをわたくし共に渡していただきたい!」
副将軍ブーニングは、髭をいじっていた手を止め、じっとホワイトを見つめる。
「どこで第三軍の事を知った?」
「情報も大切な商材の一つですので」
第三皇子軍がレミア軍の兵士を鹵獲したという情報を、ブーニングは大分前に手に入れていた。大方、レミアを殺してから自らの配下に引き入れる予定なのだろう。急速に拡大している第三皇子軍は、常に新しい人材と兵士を求めている。
「あなたたち都市管理者に第三軍を預ける理由がありません」
「互いの信頼関係を維持するためですよ。我々はあくまで対等な立場。その証が頂きたいのです」
ブーニングが目を細め、黙り込んだ。副官が二人の会話に合わせて羽ペンを動かす。シュルシュルとペン先が紙と擦れる音が沈黙の時間を埋める。
やがてブーニングは口を開いた。
「……いいだろう。第三軍の指揮官クラスは皇国の軍事編成に関する重要な機密を握っているか、引き渡すわけには行かないが、一般の兵卒に関してはあなた方に任せよう」
ただし、決して彼らを外に出すなよ、と、ブーニングは苦々しそうにそう言った。
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「先生、よろしいですか?」
話し合いの後、ブーニングが廊下を歩いていると、後ろから付き従ってきた副官――ミラが声をかけてきた。
ミラとブーニングは、士官学校時代以来の関係だ。ブーニングが教官として赴任していた時、ミラは士官候補生だった。その時にブーニングがミラの才能を見出し、副官に抜擢したのだ。そのため、二人っきりのときのミラはブーニングのことを先生と呼ぶ。
「なんだ?」
「レミア軍は、どうやってこの都市を攻めるつもりなんでしょうか」
「……大将軍クツギュヌス様は、第三軍こそが彼らの鍵だと考えているようだ。囚われた彼らを開放することで、内側からこの都市を切り崩すつもりだろう、との事だ」
「……じゃぁ、そんなに重要な第三軍を、都市管理者に預けてしまわれたのですか!?」
ミラは驚いて言う。
「そんなに大きな声を出すものじゃない。うるさいな。少しは推察してみろ、ミラ」
ブーニングがそう言うと、ミラは顎に手を当てて考え込む。
「仮定をしてみます。よろしいですか?」
「やってみろ」
「仮に第三軍を都市管理者に預けること……警備を緩めることで、あえて第三軍を開放させる、というのがクツギュヌス様の立てた作戦である可能性。この場合、商業都市の防衛こそ困難になりますが、都市管理者たちの失態を攻め立てて、彼らの力を削ぐことができます。今後の統治がスムーズになると考えられます」
「そうだな。他には?」
回答を促すブーニングに、ミラは「他に、ですか?」と聞き返す。
「他に……。そうですね、第三軍の動静が大局に一切の影響を与えない可能性。レミア軍がこの都市に来ることがない……という事でしょうか」
「後は?」
「……すみません、わかりません」
ミラがそう言うと、ブーニングが残念そうに眉を下げた。
「もっと大局的に物事を見なければいけない。我々の目標は何なのか、それをよく考えることだな」
「はい、精進します!」
ミラがぐっと手を握り締めて元気よく返事をした。
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「ハルキ様。そろそろ、時間でございます」
俺は、パペットに声をかけられて乾いた笑いを浮かべた。
俺が跨がっている馬……のような生き物がいなないた。鼻がひしゃげているし、額に丸い出っ張りがあるが、馬みたいなものだろう。俺はここ数日、スパルタ教育で馬……のような生き物――もう馬でいいや――の乗り方を兵士たちから習って、今日までになんとか乗りこなせるようになっていた。
今日はいよいよ、商業都市オリツ攻略のために出征する日だ。レミア軍の兵力はわずか四千人。要塞都市バレーに残していける余力はない。拠点としてのバレーは放棄することになる。つまり、ここを出たら、俺たちは次の都市を攻略するまで根無し草になるわけだ。
今、俺たちは北門城の城内にいる。街を突っ切って、南城にいる皇后レミアたちと合流しつつ、そのまま南下していく予定になっている。
「ああ、嫌だなぁ。憂鬱だ」
俺はぼやく。
俺がバレー家の人間を騙り、民衆を扇動したことはすでに街の誰もが知るところになっている。それに、レミア軍の存在は、結果的にこの街の領主一家を断絶させる原因になった。きっと、街に出れば住民たちから散々に批判されるだろう。石を投げつけられるかもしれない。だから俺は、レミア軍に入って以来城内に引きこもっていた。ユマと一緒に商業都市へ向かった時も、夜中にこっそりと街を抜けたし、南門上に行かなければいけないときは荷馬車に隠れて密航者のように移動した。
「批判されるよなぁ、罵倒されるよなぁ。出たくないなぁ」
「凡俗の事など、意に介す必要がないと思いますが」
パペットが言う。
「凡俗という言い方はどうかと思うが」
「それに、ハルキ様のお考えは杞憂だと思います」
俺のボヤキを無視して、パペットは言葉を続ける。
「どういう事だ?」
「見ていてください」
ハルキはそう言って、「開門!」と声を上げた。数人の兵士たちが門に駆け寄り、閂を開ける。
俺の目に、街の光景が飛び込んでくる。
色とりどりの花吹雪。
街道の両脇に群がる人々。
わぁっという喝采。
彼らは、口々にレミアを讃え、ロウを讃え……俺を讃えている。
「ハルキ様、万歳!」
「ご武運を!」
「第三皇子軍など打ち倒してきてください!」
人々は諸手を挙げて喜び、中には握手を求めてくる者もいる。
俺は目を見開いた。
「こいつは驚いたな」
「私が凡俗と呼んだ理由がわかりましたか、ハルキ様。首がすげ変わればすぐに新しい主人へ尻尾を振る。忠義も義理も持たない連中。なんと醜いことでしょう」
パペットは忌々しげに吐き捨てる。
俺はそんな彼の様子に、すこしだけ首を傾げた
「パペット……ああ、成程。お前は、彼らが怖いのか?」
「怖いですよ。いつ裏切るかもわからない奴らですから」
「パペット、いいか」
俺はパペットを見つめた。
「為政者とは、民衆を守るための存在だ。為政者のために民衆があるのではないぞ。そこを勘違いするなよ」
そういう俺に、何を言っているんだ、という表情を浮かべるパペット。
俺が後ろにいるアーティ・マーティを見つめると、彼女も肩をすくめるのだった。
更新時間って、何時がいいんだろう?
とりあえず19時にしてるけど、この時間、微妙だなぁ。




