第4話 廻釈迦掌
下読みして「あ、誤字がある」と思ったのに、いざ投稿前になると見当たらなくなる。
よくありますよね。
「鉱山都市メイトから商業都市オリツまでは20日、それまでにオリツを陥落させればいい――と、彼らは考えるだろう」
第三皇子軍のクツギュヌス大将軍は、軍議の場でそう言った。そして続けて、
「俺らはその道を、五日で踏破する」
と、いとも容易いことのように言ってのけた。
広い肩幅と恵まれた体躯。特注の鎧は赤く染め上げられ、遠目に見ても目立つようになっている。乱雑に切りそろえられた金髪は獅子の鬣のように猛々しく、太い眉が彼の意志の強さを体現していた。
「ど、どのような方法を用いるのですか……?」
部下の一人が、恐々として訪ねた。
彼らがいるのは、小さな部屋であった。クツギュヌスが鉱山都市に連れてきた兵数は一万以上にのぼる。必然、指揮官の数も多くなるのだが、今は、かろうじて人一人が暮らしていけるような部屋に、二十人以上の士官が集まっている。
クツギュヌス軍にとって、軍議というのは話し合いの場ではない。一方的に大将軍が下士官に下知をする事務手続であった。だから、広い会議室は要らない。都市の本城にあるこの部屋も、大将軍が寝泊まりするのに使っている私室であった。彼はわざわざ外に出るのも億劫だというように、士官たちを呼びつけたのだ。
「おう! 旧街道を通るんだ。なぁに、ちょっと化けモンを一匹篭絡すれば、簡単さ!」
「大将軍! 気でも狂ったのですか!? 私は断固として反対します!」
先ほどの部下が、驚愕の表情を浮かべてそう言った。
「そうか。……マルクス、そいつを殺せ」
「はっ!」
マルクスと呼ばれた部下が、腰に下げた短剣を引き抜くと、隣に立っていた男の首に突き立てた。大将軍に反対していたその男は、部屋中に血をまき散らしながら絶命する。
「それにしても大将軍閣下、いくら旧街道を通るといっても、一万の兵を連れて5日で踏破するのは無謀に思われますが。そのあたりはどのようになさるおつもりですか?」
「安心しろ、マルクス。旧街道を通るとなりゃぁ、雑兵どもは尻尾を巻いて逃げ出すか、狂って自殺するかのどっちかだろう。行きたくない奴はここに置いていく。俺の見立てじゃぁ百人もついてくれば上出来、と考えているんだがな」
「百人で商業都市に戻っても、どうにもできないのでは?」
女の士官が問う。
「おめぇ、さっき俺が言ったのを聞いてなかったのか? 化けモンを篭絡するって言っただろう。天達っちゅう化けモンを連れて行きゃぁ、敵が百万人だろうと一億人だろうと、誤差にすぎねぇ」
全員が息をのんだ。
大将軍の言うことは、それだけ無謀で、現実味のない言葉だった。
花屋や、天達といった存在は、人の身でありながら神の境地に至った存在だ。もしもそんな存在が好き勝手にしているなら、この世界はもっと混沌として人の命など紙屑のような軽い存在になりそうなものだが、そうはなっていない。彼らは不思議と、人間に干渉することを好まないのだ。彼らは、彼らのテリトリーを侵さない限り人間に手を出すことはない。だが、もしもその境界線を乗り越える者がいれば、彼らは殺戮機械と化し、目につくものすべてを無作為に破壊しつくす。
人同士の争いは、あくまで人の持ちうる力の範囲で行わなければいけないというのは世界における暗黙のルールだった。
しかし、この場に大将軍へ異を唱えられる人間などいない。
そうした人間は、すでに死に絶えた。
そして、クツギュヌスはこれまで、到底無謀と思える作戦を幾度も成功に導いてきた傑物だ。彼ができると考えているならば、自分たちには到底無理なことに思えても、「できる」のだ。その点において、彼らは自分たちの上官に対して絶大な信頼を置いていた。
「要塞都市バレーとここの間には、何人か駅僚を配置した。皇后軍がバレーを出りゃぁ三日で俺の元まで情報が届く手はずになっている。お前らはいつでも軍を動かせるようにしておけ!」
豪と響くクツギュヌスの声に、部下たちは声をそろえて「はい!!」と答える。クツギュヌスはそれを聞くと満足げに立ち上がり、足元に転がる死体に気が付いた。
「……ん? なんだ、これ?」
「第2分隊副隊長のミラァです」
「誰だっけ、それ……あ、いや、待て。なんとなく知ってる気がする……ああ、マルクスか!」
クツギュヌスは、部下の区別を大雑把にしかつけていなかった。男ならみんなマルクス。女ならメアリー。あとは、「おい」とか「お前」と言えば用が足りる。……しかし、そんな大雑把な認識にもかかわらず、用兵の時には適材適所に配置し、それぞれの長所を生かした繊細な作戦を実行する。だからこそ、兵士たちは大将軍に畏敬の念をもって接しているのだった。
「こいつは、ハレイヤ城攻略の時に不安定な補給線を半年にわたって維持し続けた優秀な男だった! それに、ハノーヴァー伯と共闘した時には、敵の陽動を見抜き、それを逆手にとって俺たちを勝利に導いた立役者だ! ……そうか、死んじまったか。悲しいなぁ」
クツギュヌスは手で顔を覆うと、天を仰いで嘆く。その両の目からは、滝のように涙が流れ落ちる。自らが殺したことはすっかり忘れたかのようなその様子に、部下たちは何も言わない。大将軍の情緒不安定は今日に始まったことではなかった。
直前まで上機嫌に話していた相手を急に殺してしまう。
何の前触れもなくしくしくと泣き出したと思うと、突然高笑いを始める。
大将軍はそんなことを普段から繰り返しているため、いつしか部下たちも日常の光景としてそれを受け入れるようになっていた。
今回もそうだった。嘆いていたのもわずか数分のこと。すぐに彼は笑顔を浮かべると、笑い出した。
「さぁ、お前ら! 楽しくなるぞぅ! なんせ、相手は帝国で二番目に優秀な軍人だと言われているロウ・オールドリンクだ! 一番は誰かって? そんなもん、俺に決まってるじゃないか!」
クツギュヌスは上機嫌に嗤う。
「殺せ! 奪え! 全部俺が許す!」
大将軍の激励に、部下たちは拳を突き上げて「応!」と返す。彼らの体が震えるのは武者震いだった。自分たちがまた、この戦いで歴史の一ページを刻むのだと思い、彼らは胸が沸き立つような興奮と快感を覚えていた。
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「大将軍閣下」
軍議の後、士官たちが三々五々散会していくなかで、一人だけ残った女性がいた。
「おう、メアリーか」
クツギュヌスが応じる。
相変わらずのメアリー呼ばわりに内心でがっかりしながら、彼女――リンドバーグは、大将軍に向かい合う。
「非才ながら、閣下の作戦を読み解こうと、少し考えてみました。聞いていただいてもよろしいですか」
「面白れぇ。言ってみろ」
リンドバーグは、心を落ち着かせるためにすぅっと息を吸い込んだ。
「閣下は確か、この鉱山都市メイトの出身だったと記憶しているのですが」
「生まれは他所だがな。育ちはこの街だ。鉱山夫の親方に養ってもらったからな、おかげでがさつに育っちまった。そういうわけで、この街の粗野で乱雑な空気が俺の性にはあってるがな」
「……そして、天達が突然旧街道を占拠したのは、閣下がこの街にいた頃。そうですよね?」
クツギュヌスの目の奥が、ギラリと光った。
深い知性を感じさせる光だった。
「おめぇ、メアリー、おめぇ、名前は何つった?」
「リンドバーグです。以降お見知りおきを」
彼女の自己紹介を聞き、彼は「リンドバーグな、覚えた」と言った。
彼女――リンドバーグは言葉を続ける。
「閣下は、天達が旧街道を占拠した理由を知っている。そして、その理由を使えば天達を意のままに操る事ができる。そうですね?」
リンドバーグの問いは、問いではない。確認だ。
そして、大将軍は唇の端を上げることで、それに答えた。
クツギュヌス。
……こんな名前、どっから思いついたんだろう。




