第3話 窮実豊虚
本日1話目の更新です!
あともう一話、投稿します。
ユマに連れられて歩きながら、俺はきょろきょろと街中を見回す。石造りの建物が立ち並ぶ目抜き通り。何より特徴的なのは、右を見ても左を見ても、高い断崖がそびえたっていることだろう。深い渓谷の底に築かれた、細長い都市なのだ。そのため、日中だというのにやや薄暗く、肌寒い。
とはいえそれなりに栄えているようで、商人たちが盛んに声をあげて呼び込みをしているし、一見して浮浪者の姿も見えず、道行く人たちの頬には艶があり、表情も明るい。
昼時という事もあってか、料理に使われている香辛料のにおいが周囲に漂っている。
……もっとも、(彼らからすれば)異様な風体をしている俺は、悪目立ちをしているようでじろじろと見られているのだが。
「うーん、その恰好はどうにかした方がいいわね」
ユマはそう言うと、ひょいと露店で売られていたローブを手に取り、俺に着せ、また別の露店で売られていた金髪のカツラを、これまた同じく俺にかぶせる。その際、流れるような手つきで店員に銀貨を渡して支払いをしているあたり、スマートだ。
「髪も隠すのか?」
「黒い髪の毛なんてこの辺りじゃありえないわ」
その時、バタバタと鎧を着た女性たちが横を走り抜けていった。
「見つかったか!!」
「駄目です。男湯にも、男子便所にも、執事喫茶にも見当たりません」
「お前はどこを探している!?」
彼女たちは、そんな会話をしながら街のあちこちへと散らばっていく。
「……いまの、何だ?」
「………この街を統治している方の、親衛隊?」
なぜ疑問符が付くのだろうか。
「……と、とにかくほら、あなたお腹とか空いてない? アンガス鳥の串焼きでも買いましょうか?」
「いや、腹は空いていない。それより、この世界のことを聞かせてほしい。ここは何という国で、ここは何という街なのか、どういう為政者がいるのか、どのような経済体系をとっているのか、どのような身分制度があるのか、そういったことを一通り知りたい」
某食い倒れの街でたこ焼きを食べ歩きしている途中で呼び出された、などと言ってもわからないだろうし、説明も面倒くさかったので、省略する。
海には八本の触手を持つ化け物がいて、それを茹でてぶつ切りにして入れるんだ、などといったところで、ユマもどう反応していいかわからないだろう。
……。
ちょっとだけ、この世界に来る直前の事を思い出した。
大学4年の夏休み。
もともと家業の手伝いをすることが決まっていたので、就職活動をする必要もなく、かといって友人たちはやれ面接だ説明会だと忙しなくしていて、暇つぶしの相手に不自由していた。仕方がないので年の離れた幼馴染を誘って旅行に行き、そこで異世界転移に巻き込まれて……多分、今頃必死になって俺を探してくれているんだろうなぁ、と思うと、申し訳なさがこみあげてくる。
「そうね、まずこの世界のことをハルキに説明した方がいいわね」
ユマが言う。
「ここはカインザー帝国の最北端にある街、要塞都市バレー。現在は偉大なる皇后レミア様が実効支配をしているわ。ここからじゃあ遠くて見えないけど、この道をまっすぐ南に行くと南門城があって、レミア様はそこに逗留なさっているわ」
そう言ってユマは後ろを指さす。
なるほど。
この都市は、南北に細長く、街の端に門城を作ることで防御しやすくしているのだろう。恐らく、北の端には北門城があるはずだ。
……ん? 待てよ?
「要塞都市、だって? ここが?」
「あ、何かに気が付いた?」
「俺が軍隊指揮官なら半日でこの都市を堕とせるぞ」
戦争というのは……特に、近代兵器がないような世界における戦争というのは、つねにポジショニングの争いになる。軍隊の運用方法によってどのようなポジションに立つことが有利かは変わってくるが、例えば大規模な軍隊を運用するなら開けた平野がいいし、防寒装備に自信があるなら極寒の地で敵を待ち構えてもいい。ただ、どんな戦闘であっても、高いところに陣取った方が、優位に立てるのは変わらない。
その点、ここは。
「両側が断崖だ。崖の上に軍隊を配置して、石を落とすなり油をまくなり矢を射かけるなり、一方的に攻撃をし続けるだけで簡単に堕とせる」
要塞都市からの攻撃は、高低差という壁に阻まれて、崖の上まで届くことはない。ミサイルのような兵器が仮に存在するならばあるいは届くかもしれないが、ぱっとこの街を見たところ、そこまでの文明レベルがある様子でもない。
……いや、異世界だからあるのだろうか。
例えば、「魔法」のようなものが。
俺はユマに質問してみることにした。
「ひょっとして、魔法を使えば何とかなったりするのか?」
対するユマの答えは、笑いだった。
「あははは。無い無い。それだけ力のある魔法使いはこの街どころか、この国全体ですら数えるほどしかいないし、そんな強力な魔法使いは軍隊に従がったりなんてしないわよ」
「なんだ、そうなのか」
でも、魔法使いという存在はいるのか、この世界には。
ひょっとすると、これから先、魔術を使う相手と敵対することもあるかもしれない。注意しておこう。
「ハルキの見立ては正しいわ。ここは攻めるに易く、守るに難い容攻易落の要塞都市。でも、主要な街道からは外れているし、この街そのものに攻める価値があるわけでもない。鉱山資源があるわけでも、食料が自給できるわけでもない。水ですら配給制なのよ? でも……だからこそ誰も欲しがらないし、誰にも攻められない。攻めるだけ損になるからね」
そういう意味では、難攻不落というのもあながち間違いではないわね、とユマは言った。
疑問が二つ沸いた。
「……一体どうして、そんなバカげた要塞が作られたんだ?」
「何百年も前の皇帝が北方諸国を侵略する中継補給基地として作ったのよ。だからここは帝国の最北端の都市でもあるわ。もっとも、侵略計画は大失敗に終わって、以来北方諸国との交流は完全に途絶えてしまった。まあ、彼らは閉鎖的だから、こちらからちょっかいをかけなければ向こうから攻めてくることはないわ。そんなわけでこの要塞は無価値なものとなり、帝国のお荷物になってしまったのだけれど」
「じゃあ、もう一つの質問だ。なぜ皇后のような地位のある人間がこの都市にいる?」
そう尋ねると、ユマの顔に憂いが差した。
しばし、逡巡するように視線を落とし、長いまつげがゆれる。
答えるべきか答えないべきか悩んでいる――わけではないようだ。
答える意思はあるが、答える勇気が足りず、逡巡している、そんな表情だ。
「……いま、この国は混乱状態にあるのよ」
やがて、ユマはぽつりとそう言った。
「先代皇帝が反乱で死んで、その跡を継いだ皇太子もすぐに死んだわ。皇族と呼ばれる人間は沢山いるけれど、皇帝に相応しい血の濃さと才覚を持った人間はいなくなってしまった。そういう時、本来ならば皇后が次の皇帝を指名するのだけれど、皇太子妃から皇后になったばかりのレミア様には、それが出来るだけの地盤がなかった。結果として、あの方は帝都から落ち延びて、逃げる途中でも多くの兵士を失って、この要塞都市に立てこもることしか出来なかった。……いえ、立てこもっている、というのは間違いかもしれないわね」
そう話しながら、ユマの声はだんだん小さくなっていく。
大きくなりそうな声を無理やり抑え込んだような、そんな苦しそうなしゃべり方だった。
「名前ばかりの要塞都市に閉じこもって……負け犬のように無防備に腹をさらして、力ある者たちに媚びを売っているのよ。幸い、皇帝の指名権は残っている。彼らからすればレミア様自身が天下取りに名乗りを上げない限り、殺すよりは生かしておいて、利用できそうな時期が来たら利用すればいい便利な存在。今のレミア様を言葉で表現するなら、そんな感じになるわ」
……なるほど。
日本で言うなら、戦国時代のような感じだろうか。
群雄が割拠して争い続けている。
日本では、最終的に力を付けた豊臣秀吉が、武力と、天皇から与えられた「太閤」という正当性をもって天下を統一した。
この国では、皇后レミアという人物が天皇のような役割なのだろう。
天皇家が数千年にわたって日本に君臨し続けられたのは、早々に権力と武力を放棄し、権威だけを持ち続けたからだと聞いたことがある。まさに、今の皇后レミアはそれと同じことをしている。
それにしても、ユマの言い方の節々に滲み出る感情の乱れ。
これはつまり。
「ユマは、皇后の関係者なんだな」
「……ええ。レミア様直属の諜報部に所属しているわ」
「おぅ……それ、言っちゃっていいのか?」
「そうね。言っちゃまずかったかもしれないわ。……ごめん、ちょっと休ませて」
ユマはそう言うと、道の端により、壁にもたれて座り込んでしまった。
そのとき、はじめて俺はユマの様子がおかしいのに気が付いた。
額からはうっすらと脂汗が滲み出て、瑪瑙色の瞳はぼんやりと宙を見つめている。
「ユマ?」
「……」
「……ユマっち?」
「……。……ユマっちって何よ?」
ユマは朦朧としながら、そう言って少しだけ頬を緩め、すぐに「ぐぅ」と唸って眉をしかめる。
見ると、彼女の腹からは血が流れ、服を真っ赤に染め上げている。
「はは。恥ずかしいわ。魔術師みたいなもやし野郎に深手を負わされるなんて、一生の不覚ね」
ユマはそう言って自分を嗤う。
じゃあ、さっき逃げているときから、ずっと怪我を隠していたのか。
「病院はどこだ!?」
俺は慌てて、近くを歩いていた人を呼び止めて聞いた。
「いらないわよ!」
ユマが叫ぶ。
「でも!」
「……ハルキ、ちょっと」
ユマが俺を呼び寄せた。
「あなたが聞きたいと思いながら、あえて聞いてこなかった事に答えてあげるわ」
ユマが耳元でそう囁く。
俺は、ぐっと押し黙った。
この世界に来た時に突然巻き込まれた戦闘。
奴らは何だったのか。
なぜ戦っていたのか。
それは、最初から気になっていたし、興味もあったが、あえて話題にあげなかった。予期せずに重い話になってしまったが、本来は他愛のない話をしながら、ちょっとだけこの世界の情報が聞ければ、それでいいはずだった。
彼女は――ユマは、明らかに厄介ごとの渦中にいる。
その厄介ごとには巻き込まれたくない。
だから、聞きたくなかったのに。
「あいつらは、皇后レミア様がこの都市を支配していることに不満を持つ魔術師たちよ。もともとこの都市の顔役を任されていたバレー家の手先。つまり、レミア様の敵よ」
「……理解した」
理解した。
ユマはさっき、皇后レミアがこの都市を“実効支配”していると言った。統治ではなく、実効支配と。
もともと、バレー家という一族がこの都市を統治していたのだろう。そこに突然やってきて、武力と地位を盾にして乗っ取った。つまり、元からこの都市に住んでいた人間と皇后側の人間との間には、大きな溝がある。
今のユマからすれば、見渡す限り全員が敵のような状態なのだろう。誰かに頼るという事は出来ない。
それにしても、まさかここで魔術師という言葉が出てくるとは。
先ほどの話から、もっと珍しいもののように思いこんでいた。
「ちょっと休めば大丈夫よ。それより、他にも私に質問してきたことがあったわよね。何だったかしら」
「しゃべらない方がいい。体力を浪費する」
「いいから、おしゃべりをしましょう。話していた方が気もまぎれるわ。今なら頭も回らないから、変な質問でも答えちゃうかもしれないわよ。スリーサイズでも聞いてみる?」
そう軽口をたたき、ユマは微笑む。
少しだけ意識が回復してきたようだ。
「……そうか。なら、一つ質問をさせてもらいたい」
俺は、少し悩んで、一つの質問をした。
それは、異世界に“跳びやすい”体質を持つ俺の家系の人間にとって、必ず確認しておきたい事項。
「オリフ、あるいはオリフヴェールという言葉に聞き覚えはあるか?」
それだけは、どうしても聞いておきたかった。
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