第20話 英傑頓死
祝! 20話突破!
南門城最上階。皇后執務室。そこでは、せわしなく士官たちが出入りして戦況を報告していた。
主に指示を出しているのは最高参謀のロウである。
皇后レミアは執務室の椅子に座ったまま、それを眺め、軈て思い出したようにつぶやいた。
兵士に指示を出し終えたロウが、最後に思いついたように付け加える。
「ああ、それと、地下に牢屋があるでしょう」
「はい」
「あれの鉄格子、時間の許す限り取り外してください」
「? わかりました」
ロウの奇妙な命令に、兵士は不思議そうな顔をしながら、それでも忠実に頷くと、部屋を出て行く。
「バーバラどういたしましたか?」
皇后レミアが口を開く。
「混乱のどさくさに紛れて無事に帰還しました。親衛隊のメンバーにも、死者は有りません」
「そう、よかったですわ」
レミアの質問に、ロウが答える。
カーラ・バレーとの交渉に臨み、城外に出ていた親衛隊長のバーバラは、辛くも難を逃れ、無事に帰還していた。相変わらず強運な老婆だ、とロウは思った。
「それで、ロウ、策は有るのですか?」
「いくつか、手は打ってあります。しかしいずれも現状を打破するほどの物ではありません。せめて、民衆を一度鎮静化できれば、どうにかなるのですが」
レミアはそれを聞き、ころころと笑う。
「民衆を鎮静化させる策を実行するために、民衆を鎮静化する必要があるとは。ロウもおかしなことを言うのですね。……つまり、この場所が私の死に場所であると。まあ、仕方がないですね」
達観した物言いだった。
「言葉による解決が出来ないと悟り、彼らも暴力による解決しか思いつかなかったのでしょう。さすがに武器も装備も不足しているようで、攻めあぐねているようですが……時間の問題でしょうね」
「まあ、せめて、短い余生を楽しみましょう。ロウ、城の門扉はどれくらい持ちますか?」
「日没までは保たせて見せます」
「なら、半日と言ったところですか。読みかけの本でも読んでいれば、ちょうどいい時間かもしれませんね」
レミアの肩に乗った双頭の亀が、くわ、と欠伸をした。
「……まだ!」
そこで、口をはさんだものがいる。
ユマだった。
「まだ、この街には神託の救世主様――ハルキが居ます! 彼がきっと、奇跡を起こしてくれます」
「ユマ。奇跡は、それに縋ろうとする者の元には訪れないものですわ」
レミアは、諭すように言う。
ユマは、レミアの物言いに心の半分で驚き、心の半分で納得した。これまでずっと予言書のいう事を信じ、予言書の通りにこの街に落ち延びることになっても、神託の救世主を夢見てここに留まってきたというのに、あっさり彼の事を諦めたという事に驚いた。そして、欲深いようで悲観的で、諦めが悪いようで執着しないレミアらしいとも思い、納得した。
自分たちの主人がそんな感じだからだろうか。
兵士たちもどこか覇気を失い、漫然と命じられたとおりに戦い続けているようであった。
落城は時間の問題だった。
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ここはこんなに暗かったのか、と、奈落の底にたどり着いたアーティ・マーティは思った。
くるぶしまでたまった水。一条の光もささない地下の迷宮。ここは、死者たちの住処でもある。
そこかしこから聞こえる声は、死者たちのうめき声であろう。
アーティ・マーティは、うめき声のする方をひと睨みする。
「はは、不思議なものだなぁ」
メイドに背負われたカーラが嗤う。その声に力はない。
「なあ、アーティ・マーティ。死者たちがお前を恐れているような気がするのだが、気のせいか?」
「……お嬢様は馬鹿ですからね。きっとお嬢様の勘違いでしょう」
「私は、本当にお前がただの機械人形なのか、疑いたくなる時があるぞ」
「……傷口が開きます。黙っていてください」
カーラが黙り込むと、奈落の底に本当の静寂が訪れる。
ぴちゃ、ぴちゃ、としずくの垂れる音ですら、やたらと大きく響く。
腰を掛ける場所もないため、メイドはカーラを背負ったまま立ち尽くしている。ここの水は有害だ。まだ死者の遺志が残っているから、うっかり口に含んだだけで精神を乗っ取られ、破壊される。こうして足をつけているだけでも、徐々に浸食されていくだろう。
もっとも、機械人形には関係のない話だったが。
「アーティ・マーティ、もしも私の命令が、死後も有効だとしたら、最後の命令だ。お前はこれからハルキに仕えろ」
「ハルキ様は亡くなられました」
「そうか? ……そうだったかもしれないなぁ。そうか。彼は死んだんだったか」
うなされる様にそう呟くカーラに、アーティ・マーティは諦めて溜息をつく。
もう、この少女は生きることをやめてしまった。
「結局、あなたは何がしたかったんですか?」
「知っているだろう。魔術師たちの計画を阻止して、街を救いたかった」
「そうではなく。人生に対し何の未練も、何の後悔も残っていないのか、ということです」
「そうだなぁ……」
カーラは少し考えて、やがてぽつりと、
「恋が、してみたかったなぁ」
と言った。
「てっきり、ハルキ様に懸想していたものだと思っておりました」
「ハルキか。彼には勇気をもらった。ずっと足踏みをしていた私が、一歩を踏み出せたのは彼のおかげだ。そうか。私は、彼が好きだったのかもしれないな」
そう答えたカーラの目から、つ、と一筋の涙がこぼれた。アーティ・マーティは、何も見えなくても、その涙を背中で感じていた。
「私を、降ろしてくれないか」
カーラが言い、メイドが従う。
小さな少女の体は、水に浮かぶ。傷口に滲みたのか、少しだけ彼女は眉をしかめた。
「精神をのまれますよ」
「その前に私の息が絶えるさ。死者は死体を乗っ取れない。大丈夫……ああ、水の中というのはこんなに気持ちがいいものだったのか。ふわふわとして、肌に触る感覚がとても奇妙だ」
手足をゆらゆらと揺蕩わせて、カーラは楽しげに言う。少しだけ声に力強さが戻っていた。
「アーティ・マーティ、私が死ぬ時まで、側にいてくれるか?」
「御命令ですか?」
「いや、友としての、お願いだ」
「なら、仕方がないですね」
水に浮かぶカーラの側に、メイドは座り込んだ。胸の辺りまで水につかる。
アーティ・マーティの胸のあたりに、ちくりと針で刺したような痛みが走る。マスターが死ぬときに必ず感じる痛み。いつものバグですか、とアーティ・マーティは思う。
カーラは、やがてぽつりとつぶやいた。
「あーあ、妾は、処女のまま死ぬのかぁ」
「……」
「………」
「……………」
「…………何か、言ってくれないか」
「少々お待ちください。今、カーラ・バレーの最期の言葉を記録しているところです。――『あーあ、妾は、処女のまま死ぬのかぁ』」
「それはやめてくれ!」
カーラは叫び、それから少し黙って、それから少し笑った。
「私は、ハルキに恋をした」
唐突に、カーラが話を戻した。
「そういうことにしておこう。うん。だからまあ、未練も後悔もない」
満足げないいぶりだった。
「……」
「お嬢様」
不意に。
カーラがメイドの頭を掴み、自分の元へ引き寄せた。
メイドは驚く。瀕死の彼女のどこにそんな力が残っていたのか。
そのまま、カーラはメイドの耳にささやいた。
「 」
「……っ!」
その言葉を最後に、少女は息絶え。
やがてそこには、誰もいなくなった。
記念すべき20話なのに、暗い話が続きます。
次回から、番外編です。
ある意味で、この物語の山場となります。
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