第12話 墨紙背写
前回書き忘れましたが、お酒は二十歳になってから!
どうしても未成年の内に飲みたければ、海外に行きましょう。
突貫工事で、物見の鐘の修復が終わったのは空の端が白み始めた頃だった。
とりあえず、使い物にはなるだろう。
要塞都市バレーは、一見すると朝を迎える前の静けさを保っているように見えるが、その実、あちこちで作戦の概要が伝えられ、市民たちが闘いに備えてじっと息をひそめている。
そのためだろうか。街中にひりついた空気が漂っている。
作戦開始まで、あと2、3時間と言ったところか。
自警団団長の二人……メダホとビーガンは、ともすれば暴走しかねなかった民衆を説得するために一晩中走り回ってくれた。幸い、レミア軍の巡回に見とがめられることもなく、無事に朝を迎えることが出来たのは、幸運だった。……いや、北門城主のパペットが手をまわしていたのかもしれないが、いずれにしろ、ここまでことをうまく運べたのは好都合だった。
俺は、一度自分の部屋に戻ることにした。
部屋に戻ると、ベッドで眠りこけるカーラと、その右隣に立つメイド――アーティ・マーティの姿。
昨晩、俺が部屋を出たときとまったく変わらない姿だった。
「一晩中、そこに突っ立っていたのか?」
「私はそうする、と宣言しておいたはずですが」
いや、確かにそう言っていたが。まさか、本当に一歩も動いていないとは。
アーティ・マーティが機械人形だという話は聞いていたが、こうして微動だにしない所を見ると、本当に作り物だとわかる。
「鍛冶師ボイルは?」
「ハルキ様の予想通り、人目を忍ぶようにして、先ほど出かけてゆきました。しかし……本当に、あの方が魔術師の一味なのですか?」
「ああ」
その事に気が付いたのは、彼から「娘に手を出したら、ただじゃおかねぇ」と脅されたとき。あのとき凄んだ彼の表情は、まさに娘を愛する父親の顔だった。そこで理屈に合わなくなるのが、ユマとともに初めて鍛冶師ボイルと会った時の事。腹から血を流しながら帰ってきた娘を見て、何も言わなかったのは、なぜか。
娘が怪我をして帰ってくると、知っていたからに他ならない。そのことを誤魔化して平静を装おうとするあまり、娘の怪我に気を払う事を忘れてしまった。つくづく彼は嘘が苦手な、善人だ。
ユマが怪我をして帰ってくると知っていて、しかもそこで素知らぬふりをしなければいけない人物。
そんなの、魔術師たちの一味にきまっている。
ユマの襲撃を受けた後、慌てて家に帰ってきて、ずっと家にいたかのようにふるまったのだろう。
どうしてレミアの部下であるユマと、その父親であるボイルが敵対組織に所属しているのかはわからない。が、彼が魔術師たちの一味であることは、俺にとって都合のいいことだった。
彼が、昨晩の会議に聞き耳を立てているのには気が付いていた。
あとは魔術師たちのリーダーへ、その情報を持って行ってもらえば、予定通りだ。
「それで、カーラの様子は?」
「寝ています」
「だろうな」
見ればわかる。……まあ、アーティ・マーティの言いたいことは分かるが。
どうやら、俺がカーラの酒に仕込んだ眠り薬は、かなり強い効き目のものだったらしい。
昨晩、酒でも拝借しようとユマの部屋をあさっていたら出てきたものだ。
「こんな子供に、くだらない戦いをさせるわけにはいかないからな」
俺はベッドの端に座り、カーラの巻き毛をなでる。
このまますべてが終わるまでカーラが目を覚まさなければ、たとえ作戦が失敗して俺が殺されたとしても、この小さな女の子にまで責任が及ぶことはないだろう。
「アーティ・マーティ、カーラの事は頼んだからな」
「わかりました……ですが、どうぞ、ご無事で」
「ははっ」
俺を巻き込んだ張本人がふざけたことをぬかしやがる。
「まあ、パペットとの取り引きもあるし、途中までは成功することが保証されているんだ。あとは、臨機応変になんとかするさ」
正直なところ、もう少し準備の時間があれば、完璧な作戦が建てられたと思う。けれどもまあ、日本の戦国時代の軍師も、戦というものは常に準備不足のまま始まってしまうものだと言っていたし、我儘を言ってもしょうがないだろう。
“なら、その策で私に勝てるか?”
一瞬、姉の姿が脳裏に浮かんだ。頬杖を突き、嘲笑するような顔。
俺は首を振り、その幻影を振り払う。
あの姉に勝てるはずがない。
けれど、この世界に姉はいないんだ。
「ハルキ様?」
アーティ・マーティがいぶかしげに尋ねてくる。
「なんでもないよ。……作戦は、順調だ。夜中じゅう奔走する羽目になったが、概ね予定通りに進んでいる。レミア軍の妨害があったという話も聞かない。まぁ、パペットが何かしてくれたんだろうな」
「パペット……北門城主の動きまで、織り込んで作戦を立てていたのですか?」
「まあ、ああいうタイプは読みやすいからな」
忠誠心があって、馬鹿がつくほど真面目。
けれど、主人のためならば躊躇なく手を汚すことが出来る。
ああいうタイプは、主人の益になると考えた約束は絶対に破らない。
そして、主人に死ねと命じられたら、喜んで自らの首をはねる。
「安心しろよ、アーティ・マーティ。俺は勝つよ。なにせ、天才だからな」
俺は、自分に言い聞かせるようにそう言った。
***********
俺とアーティ・マーティが話していた時。
部屋のすぐ外で、ある男が聞き耳を立てていたことに、俺は気づいていなかった。
その男は、壁から耳を話すと、震えた声で小さくつぶやいた。
「本当、だったんですね……」
あまりにも穴の多い作戦。それを自信満々に打ち立ててきたハルキという男。カーラ様の腹違いの兄だというが、誰に聞いても彼の存在を知る者はいなかった。
この作戦は、パペットとハルキが味方であったなら、簡単に成功する。
昨晩の作戦会議で聞いた内容をあの方に話した時、少し考えてから、あの方はそう言った。
ハルキという男は、パペットに……レミア軍にこの街を売り渡したのだ。
男は、怒りに震え、拳を握りしめる。爪が皮膚に食い込み、血がぽたぽたと流れた。
***********
鍛冶師ボイルは、夜明けの街を必死に走った。
自分たちのリーダーは、急ごしらえの隠れ家で待っているはずだ。
先日、ユマに襲われた隠れ家は放棄せざるをえなかった。
――そう。
ボイルは、この街で暗躍する魔術師たちの一人だった。
空家に偽装した隠れ家に近づき、決められた通りにドアをノックする。
二回。
三回。
二回。
かたん、と鍵の外れる音がして、扉がゆっくりと開く。
ボイルは、周囲を警戒しながら素早くその中に入る。
中にいた男に案内され、地下の隠し部屋に連れて行かれる。そこにいたのは、魔術師たちの指導者だった。
「導師、お話があります」
ボイルは、彼女の前で跪くと、興奮気味に昨晩の事を話す。
ハルキという男が連れてきた、この街の主だった連中の話と、彼らの話していた作戦の話。ボイルの家の薄い壁を通して、彼らの話は全て筒抜けだった。
「……つまり、彼らの作戦が成功すれば、レミア軍をこの街から追い出すことが出来るのです! レミアの権威は失墜する。血で血を洗う騒乱を起こさなくても、我らの本懐を遂げることが出来るのです!」
その情報は、魔術師のリーダー――導師にとって、非常に価値のある情報、の、はずだった。
しかし。
「ふぅん」
導師は、つまらなそうに溜息をもらす。
「大方、私がつかんだ情報と同じだったわね~。でも、あなたの持ってきた情報には、そこそこ価値があったわ」
「はあ」
「おまえ、そのハルキって男に正体を悟られて、泳がされたわね~」
導師の言葉に、ボイルは目を見開く。
「馬鹿な! ありえません!」
「じゃあ、ハルキという男は何故、おまえの宿で作戦会議を開いたのかしら~。あのボロ宿が秘密の話し合いに向かないことぐらい、ちょっと考えればわかることでしょお」
導師は、そこでふと、黙り込む。
ボイルは弁明を口にしようとして、ためらう。
こういう時の導師には、声をかけてはいけない。
「……なぜ、ハルキという男はあなたを泳がせたのかしら~」
やがて、導師はポツリとつぶやく。
「私たちのアジトを見つけるため? いや、それならこの男を捕えて尋問したほうがいい」
この男、とはボイルの事だ。
「昨日の作戦会議の情報を得たのは、私たちの組織だけだったのかしら。……いいえ、レミア軍の諜報だって無能ではないはず。……とすると、レミア軍にも作戦の情報は洩れている……いや、意図的に洩らされた、と見るべきかしら」
思考するときにぶつぶつとつぶやくのは導師の癖だ。
こうして一つ一つの状況を整理して、ハルキの作戦の全体像を読み取っていく。
やがて、彼女は低い声で嗤いだした。
「ふふふふふ。あーっはっは。なるほどねぇ~」
「ど、導師?」
「ハルキという男は、随分と甘ちゃんね~。けれど、なるほど、彼の描いた青写真は面白い!」
「どういうことですか?」
ボイルは混乱して尋ねる。
「貴方が最初に言ったことが正しかったのよ~! レミア軍はハルキの率いる反乱軍の手によってこの街を追い出される。だから、私たち魔術師は、下手に動いてボロを出さないように大人しくしていたほうがいい!……そう、私たちに思わせることによって、私たちの動きを牽制するのがあいつの目的!」
それが、一つ目の目的。
そして、レミア軍に作戦会議の情報が伝わることによって、レミア軍はどのように動くだろうか。
「ハルキ、ハルキ、ハルキ! ああ、ハルキって何者なのかしら~。軍隊心理というものをよく理解しているわ。とくに、レミア軍の様な……皇后の軍隊というものが、いったいどういう行動原理で動いているのか、彼は正しく理解しているわ!」
まるで酔っているかのように上ずる導師の声。
恋する乙女のような声に、ボイルは戸惑った。
勝てば官軍、という言葉がある。
それは、少しだけ間違っている。
官軍は、虎視眈々と情勢を伺い、最後の最後に、勝ち馬に乗って全てをかっさらっていくのだ。
ハルキの作戦を知った皇后レミアはどのように動くだろうか。
部下であるパペットを救うために挙兵する?
……いや。
ハルキは、北門城のパペットだけを攻めると作戦会議で宣言している。それなら、皇后レミアは、安全地帯から彼らの戦いを見届け、優位な方につけばいい。
パペットが勝ちそうなら、挙兵してハルキを討ち、反乱を見事に鎮圧したと宣言する。逆にハルキが勝ちそうなら、ハルキとともに北門城を攻め、パペットをすべてのスケープゴートにしてしまう。私たち魔術師たちのことも、パペットが独断やったことだという事にするつもりだろう。
そしてハルキは、昨日の作戦会議情報をあえて筒抜けにすることで、レミア軍に自分の意図を悟らせ、この青写真をレミアに見せつけたのだ。
おいしいところをとらせてやる。
だから、黙って見ていろ、と。
「なん、と……」
ボイルは、導師の語った推察に打ちのめされ、絶句する。
「それで、導師はどうなさるつもりですか?」
「ハルキという男は、北門城の攻略に自信があるんでしょうね~。そしておそらく、彼の才覚なら成功させて見せるでしょう。彼が勝てば、この街に新たな英雄が誕生することになるわね。そのタイミングを狙って、英雄を殺す。……ふふふ。民衆の怒りは、一気に爆発するでしょうね」
そう言って彼女は、懐から鉄の筒を取り出す。
いや、ただの鉄の筒ではない。一方の端が少しだけまがっていて、そこに奇妙な機械がついている。
「導師、それは?」
「田舎者のあなたは見たことがないかしら。これは、銃というものよ。そこに落ちているゴミと一緒に拾ったの」
「ゴミ?」
導師の指差したところに転がっている、布袋。
ボイルは、それに近づき、手をかけた瞬間、猛烈に嫌な予感に襲われた。
その不安を押えつつ、口紐を解き――。
「きぃさまああああ!」
中に入っていたユマの死体を見た瞬間、ボイルは導師にとびかかる。
しかし、彼女に吹きかけられた香水を吸い込んだとたん、ばたん、と倒れてしまった。
「しびれ薬よ~。私を襲おうとする不埒物は、しばらくそこで寝てなさい」
「ゆ、ま、に……なにをしたぁぁぁあ!」
「別に、殺すつもりはなかったのよ~。ただ、気がついたら死んでたのよねぇ」
ボイルは体中を痙攣させ、呂律の廻らない口から涎を垂らしながら、それでも導師を睨みつける。
「ころじて、やるぅ」
「わからないわねぇ~」
導師は、這いつくばるボイルを踏みつけて、本当に、心の底から言っている、という口調で言った。
「死んじゃったら、血と肉っていうゴミでしかないでしょう。貴方が怒っても生き返るわけじゃないのに、どうしてそんなに怒っているのかしら」
小首をかしげる彼女を見て、ボイルは初めて、自分の目の前にいるのがとんでもない怪物だという事に気が付いたのだった。
ハルキの姉は、いつか出したいな、と思いながら出る予定のないキャラです。
出てしまった時点で壮絶なネタバレが発生してしまうので、難しいところです。
誤字や矛盾の指摘など、宜しくお願い致します。




