『雪降る山』②
――今から話すのは、あの雪山で本当にあった話だ。
ノアは怖がるかもしれないから、君だけに話そう。
■ ■ ■
「うぅ~限界だ…さむい」
ドサ、と兄貴がうつ伏せに倒れた。
「兄貴!寝るな!寝たら死ぬぞ!」
俺は駆け寄り兄貴の頰を叩いて叫んだ。
「出雲さんしっかり!」
隼人がだらりとした兄貴の腕を引きあげ、肩に担ぐ。
彷徨って、数時間。
俺達は、まだこの雪山から抜け出せない…!
ビュービューと風が吹き荒れ、粉雪が舞い、視界はせいぜい10%
下っているハズだが、自信は無い。…ルートも外れてしまったようだ。
ちなみに地図は風でやぶれて飛ばされた。携帯は通じない。
――もうすぐ日が暮れる。
「やばい暗くなってきた、隼人…、どうしよう、――兄貴!しっかりしろ!」
さすがに俺も困った。
「――せめてこの風が無ければ…」
隼人も珍しく焦っていた。
と、左を見て動きを止めた。
少し登った所に、山小屋があった。
「―小屋だ」
■ ■ ■
俺達は、もちろんそこへ向かった。
…古い感じの、丸太小屋だ。造りはすごくしっかりしている。
明かりが付いている…!!人がいる?!
「ごめん下さい!」
隼人がドアを叩いた。チャイムは無い。
「どなたか居ますか!」
居るのは分かっている。だから隼人はそう言った。
「…はい?」
しばらくして、中から人が出て来た。細い感じの、長い黒髪のお姉さんだ。
ジーンズに、ベージュのセーター。その上に白い割烹着を着ている。
「良かった。すみません、道に迷ってしまって、少し休ませて頂けないでしょうか。…、いえ、出来れば、今日は泊めて貰えると助かるのですが。子供もいます」
「…」
子供の俺は大人しくしていた。
ここで帰れとは言われないだろう。…言われたらどうしよう。
「あら…!どうぞ上がって下さい。早く…」
良かった。俺はほっとした。
「助かります」
俺達は、靴を脱いで小屋に入った。小屋の真ん中には薪ストーブがあって、凄く暖かい。
小屋と言うよりは小さな家、という感じだ…。
「――クシュン!」
俺はクシャミをした。暖かい…。
「はぁ…」
「ほら、早くストーブに当たって」
「どうも…兄貴、生きてる?」「何とか…」
俺と兄貴は火に当たった。
「旅行に来たんですが…帰りに、突然吹雪いてきて…」
隼人は荷物を置きながら事情を説明している。
「ああ、この辺りは、結構寒の戻りが激しいんです…、ほら、貴方も暖まって下さい」
「そうですか…、どうも」
「寒かった…、ありがとうございます。急にすみません…」
俺はお礼を言った。いきなり男三人が泊まるとか…すごく迷惑だろう。
お姉さんは微笑んだ。
「いえ。今、すぐに暖かい物を用意するから。あ、甘酒があったわ…」
お姉さんは甘酒を温めてくれた。
飲みながら聞いたけど、ここには一人で住んで居るらしい。
「おばあさんといたんですけど、去年…」
そう言っていた。
「お風呂沸いたら、皆さん、どうぞ先に入って下さい。狭いので一人ずつしか入れないですが…」
「じゃあ、兄貴先入って。死にそうだぞ。俺は隼人と入れるかな??」
俺は言った。
「ちょっと無理かもしれないわ…」
そして俺は二番目に風呂を借りた。というか、こんなに小さいバスタブは初めて見た。
真四角で。足も伸ばせない。使い辛いのではないだろうか?
俺が風呂から生き返って上がると、復活した兄貴が布団を敷いていて、隼人は食事の支度を手伝っていた。キッチンというか、調理場は大きな部屋にあって、トイレと風呂と鏡の小さな洗面所だけが別だ。洗面台は、学校のプールのトイレにあるやつみたいに小さい。水が細く流れ続けている。寒いところでは、水は止めてはいけない、隼人に言われたことを思い出した。
「隼人、出たぞ」
俺は言った。
「じゃあ…朔、手伝ってあげて」
「ん。分かった」
「あら、良いのに…」
俺は手伝って、その後皆で食事をした。
「食材とか、大丈夫ですか?」
兄貴が聞いた。赤モヒカンだが、兄貴はまあまともな時もある。
「気にしないで下さい。いつも多めに買い出しするんです。こんな場所ですから…備えは万全にしてあります。明日も吹雪くようでしたら、何か装備お貸ししますよ。もちろん麓までお送りします」
毎年、この時期吹雪はしばらく続くらしい。
「助かります…」
その後、少し雑談した。
隼人が話すのを、俺は毛布にくるまって…眠くなったけど、なんとなく聞いていた。
兄貴は寝てた。
『この山は――』
『で――、なんです』
『それで――』
うとうと、して俺はハッと目を開けた。
俺はなぜか兄貴の布団に入って寝ていた。どうやら眠ってしまったらしい…。
起き上がると皆、もう寝ていた。
がたがたがたがた。
小さな窓のガラスが揺れている…。
「兄貴、起きてるか?」
…兄貴は寝ている。
俺はとりあえずトイレに行ったり、洗面所で口をすすいだりした。
そして俺は溜息をついた。
がたがたがたがた。がたっ!がたがたがた!
困ったな。
外に出られるかな…。今。
俺は戻って、ドアを見た。
けど…そんな馬鹿な話がある訳無い。
でも…。もし本当だったら?
ここは、片捨山。
友達か、兄か、どちらかを捨てないと下山できない――なんて伝説があるらしい。
それは…本当に俺達の状況にそっくりで。
違うのは話の中で「弟」が、兄と二つ違いだった…そのくらいだった。
だから俺はなんとか、話を最後まで聞こうと起きていた。
結局、最後の方で寝てしまったけど…。
がたがたがたがた!
俺は風の音にびびった。
この吹雪の中を、外に出る?――かなり、自殺行為だ。
下手したら死ぬ。それは分かる。
けど…俺はお姉さんが準備してくれた明日の装備の中から、コンパスを取り出した。
隼人…寝てるな。
俺は用意された上着や手袋を借りて、キャップをかぶって小屋の外に出た。
書き置きは残さない。探されて、迷われても困る…。
■ ■ ■
「…っ、」
風は冷たく、強かった。顔に雪がばしゃばしゃと当たりまくる。
そんなに遠くない場所だ…。普通に五分も掛からないって言ってた。方向は合ってる。
大きな木が見える…。あれだ。
まだ少し先。
そこでふと、なぜ、俺はこんな馬鹿な事を?
…そう思った。
引き返して、寝た方が良いんじゃ無いか?
明日になれば、下山できるし…。
やっぱり、戻ろうかな…。うん。やめて戻ろう。
「あ」
びゅうう!と風が吹いて帽子が飛んだ。
俺は慌てて追いかけて拾った。
「…」
俺はその帽子を見た。
そして、溜息を付いた。――。
…仕方無いな。
この帽子、…憧れの、ブレイクダンスの神様…ユーディレッティが触った帽子だけど…。
じゃなきゃ朝には、兄貴か隼人が居なくなる、なんてさすがに嫌だ。
俺はまた歩き出した。
そして。木の下で、雪に埋もれた、小さな祠を見つけた。
あまりに埋もれてたので、少し雪を払う。…雪が固くてあきらめた。
―俺は祠に手を合わせた。
「山の神様、どうか兄貴と隼人を助けて下さい、助けてくれたら、…俺はもう兄貴を冷遇したりしません。ケータイのメモリも、携帯を買い換えてきちんと登録します。この帽子で何とか…これは俺が一番大切にしてるものです。えっと、あと――」
■ ■ ■
翌朝、未だ雪はしとしと降っていたが、吹雪では無い。
「この様子なら、大丈夫そうですね。さて、行きましょう!」
準備万全のお姉さんが楽しげに言った。
「ええ、麓までお世話になります」「よし!」
隼人も兄貴も俺も、装備は万全。
帽子は忘れたか、どこかで落とした事にすれば良い。
とりあえず、皆で無事に帰らないと。
そして、俺達は丸太小屋の扉を開けた。
――ひゅぅぅぅぅ!!!
一際、強い風が吹く――。
「よし、行きま――」
隼人が言って、振り返った。俺も振り返る。
そこには何も無かった。
ただの雪原。
「…」
兄貴も目を疑っている…。
そして。
あの女性の名を…聞いたけど…忘れてしまった。
「――、行こうか、朔」
隼人が前を向いて言った。
俺達は、下山した。
■ ■ ■
――それでね。
俺達は、無事下山して、…その後に隼人がぽつりと言った。
『朔、心当たりじゃないけど。あの話』
俺が寝てしまって聞けなかった最後を…隼人は聞いていた。
山の神様に、何か一つ、願いも叶えて貰える。
そこで、「弟」は雪女の幸せを願った。
その部分を、聞けなかった俺は。
『兄貴がモヒカンじゃ無くなりますように!あれのせいで俺、ヤンキーの弟だって言われて困る!兄貴のばか!』
――なんて言ってしまったんだ。おかげで寝込んだ。
連れて帰れなくて、ごめんなさい。
「と、そんなお話」
〈おわり〉