『誰かの雨傘』
クイーン?退屈なのか?
そうだよな…ずっとこの部屋に閉じこもりっきりだしな。
運営も、もっと外に出かけさせてくれれば良いのにな。
時間――。あ。二人とも、まだ戻って来ないな。
銃のレッスンか…。
それにしても、本当に兵士でも育てる気なのか?
え、…怖い話が聞きたい?
…分かった、何か話しをしましょう。怖い話かは分からないけど。
時間もあるし、長めがいいよな。
…大した事なくても良いか?
じゃあ――これは俺が小五になる少し前の話だ。
「速水くん、バイバーイ」
「じゃあな、速水!」
「ん」
俺は下駄箱から靴を取りだし、上履きを履き替えた。上履きは下駄箱にしまわずに専用の袋に入れた。
…今日は金曜だし、そろそろ持って帰って洗おう。
あ、雨だ。
カッコウの言う通りに、傘持ってて良かった。
俺は青い傘を広げた。
この傘は大きめだから、土砂降りでも平気だ。
いつもなら、この後はダンススクール。
あるいはマスターのお店。
けどその日は、玉川先生の都合でダンスのレッスンが休みだった。
そして隼人も用事があるらしい。メッセージが来ていた。
…その頃の俺は、携帯の兄貴の番号を消して代わりに隼人の番号を入れていた。
別に番号は覚えてるし。
けど一応、兄貴には内緒だ。
俺はとりあえずマスターのお店に行くことにした。
学校から歩いて十五分くらいで着く距離だ。
その頃俺は珈琲に興味を持ち始めていて、隼人と一緒にマスターのお店に入り浸っては色々教えて貰っていた。
高校一年の隼人は、マスターのお店でバイトしていた。
隼人はバイトがある日も、ない日も、とにかく毎日そこにいた。
俺は店に顔を出して、すぐにダンスレッスンへ。レッスンのない日は隼人と珈琲の勉強したり。定休日の水曜は一緒にマシンを触らせて貰えたりもした。
カランカラン。
俺は店に入った。
「マスター、こんにちわ。凄い雨…」「ああ。いらっしゃい」
改めて考えると、ちょっと変わった店だったかもしれない。
客でも無い俺が事務所に入っても良かったんだから。
マスターの磐井さんはかなりフランクな人だ。
あとマスターは水曜日以外は毎日働いてた。
…そう言えば、隼人以外に従業員は二人しかいなかったな。宮田さんと、鈴木さん。
その人達はマスターの弟子で、当時マスターの家に住み込んでいた。
「ふーん…」
俺は小学生なので、バンコの中…つまりカウンターには立てない。
裏からのぞくのがせいぜい。
珈琲は好きだったから、バリスタになりたいと、漠然と思っていた。
隼人の持ってる本を読みあさったり、隼人にやり方を教えて貰ったり。
マスターに分からない所を質問したり、マスターが隼人と勉強しに出かけたら、後でその話をしつこく聞いたり…。
隼人がイタリア語を勉強していたから、一緒に覚えたりもした。
――俺が初めてこの店に来たのは、小学四年の春休み。
隼人の受験が終わったあたりだった。
俺ははじめ、店に来る度に客として珈琲を飲むと決めていたけど、マスターに小遣いを心配されて、途中からうやむやになった。
もちろん飲む時は払うけど。別に飲まなくても来て良いって言われた。
たしか、「俺、中学出たら、ダンサー目指しながら、ここで働きたい」とか言い出した辺りだったかな。
「さすがに高校は行け」って皆に言われたけど…。
別にバリスタになるなら必要ないと思ってた。
――けど今考えると、別に進学しても良かったかもな…。
隼人と同じクラスになれたんだったら、進学してたかも。
まあ、隼人と同じクラスは、そもそも歳の差があって無理だけど。
「しっかし…今日は暇だなー…」
マスターが事務所をのぞいて呟いた。
雨脚は依然としてけっこうなモノだった。
「朝カッコウがすごい鳴いてた。あと変な鳥も。まだ止まないかな…」
「今日はダンスは良いのか?」
マスターが冷蔵庫を開けてペットボトルのお茶を飲む。
「レッスンは先生の都合でお休み。俺、五時になったら帰ります」
「ああ。そうだ、こっちで煎れる練習するか?」
マスターが聞いた。
「駄目。今日靴汚れてるし。マスター緩すぎ。店の評判が落ちる」
俺は溜息を付いた。そしてイタリア語の本を読み始める。
「お前も将来イタリア修行するか?」
立ったまま、マスターが言った。
「うん」
俺は頷いた。
カランカラン。
「ふう、すごい雨だねマスター」
お客さんだ。
「ああ、いらっしゃい」
そして五時になって、俺は明日また来ると言って店を出た。
■ ■ ■
雨は止んでなかった。
俺は青い傘を差して、いつもの道を、一人でトボトボと歩いた。
早く店に立ちたいなとか考えながら。今日は帰ったらダンスだ。
「…カラスが鳴いたらかえりましょう」
呟いてみる。
「うわ」
交差点で止まっていたら、車が派手に水をはねて、結構濡れた。
車の去り際に風が吹いて傘を落とした。
「あっ」
運が悪いのか、さらにそよ風が吹いて少し遠くにいってしまった。
「…ったく」
憮然としつつ、俺は傘を拾おうとした。
「大丈夫?」
丁度後ろにいたおじさんが拾ってくれた。
「あ、どうも…」
俺は会釈して、傘を受けとろうとした。
「あれ、」
と、傘が動かない。
「君、速水さんの家の子だよね」
「えっ」
いきなり言われて俺はびびった。
そうか、名札。あるいは親父の知り合い?
「いえ。あの、傘」
当たり障りの無い返答をして、傘を貰いたい。
「ああ、ゴメン、気を付けてお帰り」
傘は返ってきた。
「…どうも…」
俺は傘を取り戻し、その場を立ち去った。
おじさんは特に何も無かったみたいだ。
心臓に悪い。…今度から名札は外そう。
「ふう…あれ?」
俺は瞬きした。
この傘、俺のじゃ無い。
かなり似たような傘だけど、しまった間違えた。
マスターのお店の傘立てに、そう言えば一本青い傘があった。
「あー…」
もう五分くらい歩いて来たけど、どうしよう?
お客さんはいなかったから、この傘は、今日の、少し前の時間の誰かの忘れ物…だと思う。
一応傘を持ってお店に来て、雨が降ってない時間に帰って忘れたとか?
店の傘立てには俺の傘があるけど、真面目な人だったら多分代わりに使わない…。
マスターは「ああ、朔の傘か、使っても良いよ、あの子が多分間違えたんだろう。言っておくから、また返してあげて」って言うと思うけど…?いや、どうだろう?
あのおじさんがいたらやめようと思ったけど、別にいなかった。
「戻るか…」
そう思って、俺はきびすを返した。
けれどそれは無駄足で、俺の傘は、傘立てに無かった。
カランカラン。
「マスター、この傘借りても良い?さっき間違えて持って行ったんだけど…、俺のが無くなってる。お客さんに貸した?」
俺は店の中をのぞいて言った。
「あれ、おかしいな…」
マスターは出て来た。
「多村さんは、傘持ってたよな…?まあ、朝の誰かの忘れ物だろうから、もう今日はそのまま使って、また置きに来てくれれば良いよ。傘は誰か持ってったかもな…悪いな」
『多村さん』はさっきのお客さん。
もう間違えた傘が濡れてたからか、マスターはそう言ってくれた。
そして俺の傘は無くなってしまった。
「うん。…うかつだった。じゃあそうする。さよなら」
俺は少ししょんぼりして、またすぐ帰った。
カラン…。
「気を付けてな」
マスターの声が聞こえた。
遅くなったし、雨だし、少し近道しよう。
「カラスが鳴いたら…かえりましょう…」
今度は英語で歌う。この変な歌は元々英語だ。傘をクルクル回す。
――この傘は、借り物だけど今は俺のだ。マスターも良いって言ったし。
「あ」
俺は、近道の高架下で立ち止まった。
普段はほんの十秒くらいで通り過ぎる場所だ。
この辺りは少し土地が低くなってる。
「…え」
そこは行き止まりだった。そこに工事中の看板があった。
「ええ?工事中?」
確かに激しく工事中だ。クレーンとか。でかいコンクリ車。道路の舗装まで直してる。前通った時は普通だったのに。交通整理の人に、ごめん今はちょっと通れないよ、向こうに行ってね。とか言われた。看板も出てる。
今日は全くツイてない。
面倒だし、もう佐藤さん呼ぼうかな。
俺はそう思ったけど、悪いと思ってやめた。
それで、やっぱり近道は良くないよなと思って元の道に戻って歩く。
踏切を通るいつものルートに変更。
踏切を過ぎて、隼人の高校の近くにさしかかった。
高校生が、ちらほらいる。
俺はブレザーか…やっぱり俺には似合わないかも。なんて思いながら進んだ。
自転車に追い越された。
なんか、疲れた。
俺はちょっと歩き疲れてきた。
こんなに遠かったっけ。
雨は少し勢いがおさまってきた。
ほんの少し立ち止まって、休もうか…。
ちょうどフェンスがあって、自販機があった。中は駐車場。
「ふう」
俺は傘を差したままフェンスに手をかけた。
けど冷たかったので、すぐ手をはなしてフェンスに背にして佇む。
目を閉じて――。
■ ■ ■
自販機の側で一分くらい休んで、俺はまた歩いた。
家には客が来ているみたいだった。庭に車が何台か止まっていた。
一つは本家の車だ。兄貴かも知れない。
俺は玄関の扉を開けた。
休んだ俺は、元気よく。
「ただい帰りました!ねぇ!ばあちゃん!兄貴が来てるの?」
そう言ってしまった。
「――」
ドタドタドタ、とばあちゃんがすっ飛んできた。
そして隼人も。マスター達までいる。
「朔!?」
「え、親父?」
俺はびっくりした。今日何かあったっけ?法事?
見ると、なんか見た事無い人も結構いる
「お前――っ!!」
バシン!!と大きな音がした、つまり頰をぶたれた。
「いままでどこうろついてた!!」
「えっ!?」
親父の怒鳴り声に、尻餅をついた俺は混乱した。
「お前は昨日から!!…行方不明だったんだ」
「――ええええ!!?」
なぜか――俺が家に帰ったのは土曜日の夕方だった。
それは皆、心配するはずだ。
…金曜どこいった?
俺は痛かったので、次の瞬間から大泣きした。
「だって!だってぇ!!?俺普通に帰って来た!!馬鹿ぁあ!!」
――、まあ、そんな感じで。ちょっと恥ずかしいな。
集まった人達を見渡して、俺はさらにパニックになった。
「何で皆集まってるんだよ!!ばかぁあ!うゎあああああ!!」
結構、刑事は沢山いたな。
「うぁああん!!」
――と、まあそろそろ泣き止むと思うけど。
「朔――黙れ」
そうだここでまた親父だ。チッ余計な事を…。
俺は…ええと。
「おお、朔、よしよし」
「ばあちゃん…グスッ。俺、親父きらい!この外面良いだけ親父!!そんなだから――母さんにっ、母さんに、嫌われたんだ…!!」
「おお、朔、これこれ」
…。まあ…。
「隼人ぉー」「朔が悪い。ほら、君のおかげでおおごとだ」
…。隼人はたまに手厳しい。普段カッコつけすぎだとか、君はまだ子供なんだからとか、キツイ小言をぐだぐだ言われた。
「まあまあ、隼人君。朔、宗雪さんも一応心配してたんだよ」
ばあちゃんが言った。
「…ホント?」
俺は刑事と話す親父をチラ見した。
「ヒッ」
そして短い悲鳴を上げた。
そんな訳無い。親父は俺を見下すような目で見てる。
「…チッ」
あと今、絶対舌打ちした!
親父は顔は良いけど性格最悪。そしてめっっちゃこわい。
親父の辞書に謝罪の言葉は無い。ひとかけらも。
「…ご迷惑をかけました」
あ、そうだ、親父は冷たい声でそれだけ言ってたな。いつも上から目線。
「いえいえ、朔君が無事で良かったです」「いや、キツネに化かされたかな」
むしろ警察の人の方が頭を下げている。
「隼人、何があったんだ?」
俺はもちろん隼人に尋ねた。
「ああ、実は――」
何でも、俺がいない間に、俺を誘拐したと電話が入ったらしい。
「ええ!!?」
「悪質なイタズラだったんだろうけど…君の帰りが遅いから、これは不味いって事になってね…」
隼人が言った。
遅いってレベルじゃ無かったけどな。
そしてその後、俺は刑事に色々と細かい事情を聞かれた。
本当に怪我は無いかとか、どこも本当に痛くないかとか、変わった事は無かったかとか。
…警察の人は俺に嫌に優しかったな。
けど変わった事って別にホント無かった、なんか金曜はどっか行ったけど。
――さすがにアレは神隠しとしか言いようがない。
「…ごめんなさい、みなさん…多分神隠しです…」
俺が困り切ってそう言ったら、警察の人がびっくりして、なぜか少し笑って、俺の頭を撫でて帰って行った。
「…朔、神隠しでも何でも、君が無事で良かったよ…!身代金の要求も、中々来なくて――本当に無事で良かった。道に迷ったら佐藤さんを呼んだ方がいいね」
隼人は苦笑していた。頭を良く撫でられた。
「朔坊、こっち来い!」「うん―いたっ!」
マスターが痛いげんこつをくれた。
「…親父さん、心配してたぞ。俺も気が気じゃ無かった…」
涙ぐんでる。
「ごめんマスター…けど今日はホント別に…何なんだ?」
俺は首をひねった。
「じゃあ、僕達は帰るから。宗雪さん、お邪魔しました。マスター行こう」
隼人が言った。
「――ああ…」
マスターが返事をした。
「お送りします」「あ近いので。隼人は私が送ります」
端っこにいた佐藤さんが言って、マスターが断った。
マスターは去りがたそうにしていたけど、親父が目配せして、それで隼人と帰って行った。
ついでに親父も帰った。
…土曜日の午後八時。
「あれ、兄貴は?」
俺は首を傾げた。そう言えばいない。
「さあ、何か、途中で出て行ったよ」
ばあちゃんが言った。
「ふーん…」
ちょっと薄情だと俺は思った。今度会ったら…どうしようかな。
俺は――でも俺も最近、兄貴に冷たかったかも、とか一瞬思ってみた。
「ホント、何だったんだろ…、まあいいや。あ、傘濡れたままだ」
俺はそう言えば借り物だったと思って、タオルを持って玄関に行った。
一応、拭いて広げておかないと。
だけど玄関に傘は無かった。
「――あれ、ばあちゃん、ここにあった傘は?」
「傘?」
ばあちゃんは知らなかった。
…この件に関して、俺は翌日、マスターに謝った。
マスターの店は出禁になるかと思ったけど、ギリギリセーフだった。
「ゴメンあの傘、無くした…代わりのやつ買ってきます」
「ん?ああ…実はな…宮田が『アレは昨日下げ忘れた、忘れ物でしたから…別に無くなっても良いんじゃないですか』って言ってた」
マスターは苦笑していた。
「ええ?それだと困る。無くしちゃったし。…困ってないかな」
「いいさ、気にするな」
マスターは口笛とか吹いてる。
「…」
俺はじろりとマスターを睨んだ。
なんか、挙動があやしい。
シフト表を見たら、先週のはもう捨ててあった。
「宮田さんは、確かに木曜日ラストに入ってたけど…」
俺は覚えていた。
「…。うーん…、分かった」
なんかあやしいけど、まあいいや。
傘の忘れ物はよくあるし…。そのうち持ち主が来たら弁償しよう。
「そう言えば、宮田の奴、そろそろ独立するんだ」
「え、そうなの?」
「ああ、急なんだが…」
「…それで終わり。落ちも何も無くてゴメン。大したこと無いだろ?」
速水は苦笑した。
「いえ、面白かったわ、あら、そろそろノア達も来るかしら」
ベスはクスクスと笑った。
「…結局、中学くらいかな。その時何があったか隼人が話したのは。まあ、それは長くなるし、別に良いかな」
速水はぽつりとこぼした。
「あら、後日談?聞きたいわ」
「うーん、けど長いし微妙だから…」
■ ■ ■
「疲れて死にそう…」「ああ…」
ノアとレオンはぼろぼろになって部屋に戻ってきた。
手強い相手で、少し遅くなってしまった…。
クスクスと話す声が聞こえる。
ガスマスクが手錠を外す。目隠しも取られる。
速水とベスがテーブルで何かを話していた。
「何話してるの」
ノアは尋ねた。ベスはずいぶん楽しそうだ。
「え、別に―」
「ああ、ノア、ハヤミが少年ばかり狙う危ない人に誘拐され損なった話しよ」
ベスはあっさりそう言った。
〈おわり〉
〈短いおまけ〉
「ああ、あれは…もういいかな。本当は誘拐予告だったんだよ」
隼人は苦笑した。
「は?」
…予告?
「いや、僕も、あの時、君の家から君を見なかったかって連絡があって、詳細を聞いて血の気が引いた…。前科持ちだったらしいね。だから僕は弁護士は無理だなって思う」
「はぁ…」
「詳しく聞く?オチはさらに謎で、犯人は怖い感じだけど」
「う、どうしようかな…」
〈たぶん続かない〉