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関係の終わり

                      1

 翌日、水無瀬は事のあらましを遠藤に説明した。

「『特別な友達』か。なかなか含蓄のある言葉だね」

 聞き終えた遠藤はそう評した。

「でもよかったじゃないか、脈がありそうで」という遠藤の言葉に水無瀬はうれしそうにこくりと頷いた。

 やがて待ち遠しい放課後になった。水無瀬が「じゃ」と遠藤に挨拶して教室を出ようとすると「よし水無瀬、青春を謳歌してこい」と大仰なエールを遠藤がかけてきた。   

 あいつらしいと苦笑しながらも彼の友情に篤さに胸が温かくなる思いを水無瀬は抱いた。そうして水無瀬は青雲館の前に立った。古ぼけた建物を見上げる。しかし心に湧き起こる感情は昨日とは全く違っていた。思い浮かぶのは喜びや嬉しさといった正の想いだけだ。踊りたくなるような心の高揚感を覚えながら青雲館へ足を踏み入れた。                     

 報道部の部室の前に立つと深呼吸一つしてから扉をノックした。まだいきなり扉を開けるような大胆な振舞は気後れがしてどうも出来ない。

「はい、どうぞ、開いてますよ」

 昨日と同じ返事が返ってくる。そのことに満足を感じ、笑みを浮かべながら扉を開けると、驚いたことに部屋の中が綺麗に片付いていた。そのため相沢とまともに顔を合わせる格好になってしまった。

「何て顔してるんです」

「いや、ちょっとびっくりしてね」

「何を驚く必要があるんです? 掃除しただけなのに」

 確かにそうだ。しかしその理由が問題だ。探るように相沢の顔を見るとぷいとそっぽを向いた。心持ち頬が赤い。なるほど、そういうことか。水無瀬は得心した。

「いや、いいことだよ。居場所が綺麗だと身も心もさっぱりする」

「そうです」

 相沢はこくんこくんと頷いた。

「これで人様に見せられる部屋になった」

「別に先輩に見せるために片付けたんじゃありません」

 相沢は口を尖らせた。素直じゃないな。

「さて、こんな所で油を売っていてもしょうがありません。さあ、出掛けますよ」

「出掛けるってどこへ?」

「取材に決まってるじゃないですか」

「俺も一緒に行っていいのか」

「嫌なんですか」

「いや、俺なんかが行っても取材の手助けにはならないだろう」

「大丈夫です。先輩を当てにはしてませんから。ただ側で見学していればいいんです」

 見学と来たか。なんとまあひねくれた物言いだ。しかしせっかく一緒に行動出来るチャンスを逃す手はない。

「そういうことなら喜んでついていくよ」

「別に喜ぶ必要はありません。しかし先輩、昨日と違ってよく舌が回りますね」

 それを聞いて水無瀬ははっとなった。言われてみれば確かにそうだ。女性相手にこんなに饒舌になるとは今までの経験からは考えられないことだ。これも彼女と関わり合うことで引き出されてきた、自分の隠された一面なのだろうか。

 そんなことをつらつらと考えながら水無瀬は相沢とともに校門を出た。

「どこに行くんだい」

「箕輪です」

 箕輪と言えば確か秋生山山麓の土地だ。最近宅地開発が進んで新築の家が何件も建っているところである。

「そこへどんな用があるんだい?」

「先輩、円尾季治って人、知ってます?」

「まるおすえはる? 知らないな」

「でしょうね。一般的な知名度はありませんから。でも異端の作家として一部では有名なんです。その作家が今度広川へ引っ越してきたんですよ。ですからこれは取材をしなきゃいけない、と断られるのを承知で申し込んでみたらなんと承諾してくれたんですよ。取材嫌いで有名な円尾氏が。これはチャンスです。広川西月報始まって以来のスクープです」

 相沢はかなり興奮しているようだ。円尾季治という人物について全く知識の無い水無瀬にとっては何をそんなに熱をあげているのか理解できないのだが、まあ取材するのは自分ではない。水無瀬自身も気づいたことなのだが、こう好奇心を発露しているときの相沢は生気にあふれ、実に魅力的なのだ。

「それはよかったな」

 そう言ったのは水無瀬の素直な気持ちの表れだった。

 そうこうするうちに二人は箕輪地区にたどり着いた。山の斜面は削られ、一目で新築と判る家や造成中の更地であたりは埋め尽くされていた。

「確かこのあたりのはずなんだけど……」

 メモを手にした相沢があたりをきょろきょろと見回す。

「もう少し上かしら」

 二人して宅地に出来た坂道を上っていく。やがて家並も途切れ、緑の木々が姿を見せ始めた頃、突然相沢が「あ、あれだわ」と大きな声をあげた。

 彼女の指さす方を見て水無瀬は絶句した。驚いたことに目指す家は壁一面真っ青に塗られていたのだ。

「なんとまあ、奇妙な家ね」

 相沢の言に水無瀬は無言で頷く。何のつもりでこんな奇態な外観にしたのだろう。精神構造を疑ってしまう。

「聞きしに勝る変人ぶりね。インタビューのし甲斐があるわ」

 相沢はそう息巻いたが、水無瀬にしてみればあまりお近づきにはなりたくない人種だ。しかし今日の主役は相沢だ。付いていくしかあるまい。

 二人は円尾邸の玄関の前に立った。呼び鈴のボタンは見つからず、代わりに結構な長さの鎖が扉の脇に垂れ下がっていた。

「これを引っ張るのね」

 相沢が鎖を引く。音も何もしないのでどんな反応を引き起こしたのか分からない。しかし少し待っていると扉の鍵を開ける音がする。いよいよご本人と対面か。水無瀬は緊張した。

 だが扉を開けて現れたのは一人の小柄な小母さんだった。黒のワンピースにエプロンをつけ、白髪交じりの髪をひっつめに結っている。お手伝いさんだろうか。

「こんにちは。私たちは広川西高校報道部の者です。今日は円尾季治氏の取材に伺いました」

 相沢がてきぱきと用件を説明する。

「承っております。どうぞこちらへ」

 小母さんはにこりともせずに二人を招じ入れた。全く愛想が無い。しかしそんな些細なことにかかずらっている暇は二人にはなかった。なにせ邸の中に足を踏み入れた途端、目に飛び込んだ景色に唖然としてしまったからだ。

 なんと邸の中の壁や床がすべて青色になっているのだ。二人は顔を見合わせ、嘆息した。ここまで徹底していれば言葉も出ない。堂に入った変人ぶりだ。

「ご案内します。ついてきてください」

 そんな二人の心中を知ってか知らずか、小母さんは取り澄ました表情で促した。不必要かと思われるほど折れ曲がった廊下をしばらく進む。やがて小母さんが「こちらです」と言って立ち止まった。

そして青く塗られた扉を音もたてずに開けた。さてどんな相手が待っているか。いろいろ想像を巡らせていた水無瀬はだが「ようこそ」という声を聞いた途端「えっ」と頓狂な声をあげてしまった。なぜなら聞こえてきたのは若い女性の声だったからだ。

 一方相沢の方はそんな不躾な真似はしなかったが「あの、もしかして円尾氏の娘さんですか」と訊ねたのは当然のセリフだろう。何せ目の前には彼女とあまり歳の変わらない女性が座っていたのだから。

「失礼ね」と女性は言葉を発したがその声音には咎めるような響きは無く、むしろ面白がっているような雰囲気を漂わせていた。

「まあ間違えるのも無理はないけど、でも先入観で物事を判断するのはジャーナリストとして失格よ」

「し、しかし円尾季治といのは」

「あら、ペンネームは自由よ。女が男風の名前を名乗ってはいけないという法は無いわよ」

 そこで女性――円尾氏――はくすりと笑った。

「さあ立ち話もなんですから座ってくださらない。こうしてお茶請けも用意してお待ちしていたのよ」

 そう言って彼女の前に置かれたテーブルを指し示す。これも青く塗られたテーブルの上にはクッキーの入った皿が置かれていた。ちなみに皿も青だ。

「じきに飲み物の支度も出来るわ」

 気勢をそがれた格好の二人は言われるがまま席についた。

 円尾氏は「さて、どんなことが訊きたいのかしら。かわいい記者さん」と、まるではるかに年上のような余裕のある態度を見せる。そんな彼女を水無瀬は引き付けられるように見つめていた。艶やかな黒髪は肩先で切りそろえられ、面長の顔をビロードのように包み込んでいる。切れ長の瞳には妖しげな光が湛えられ、見てると吸い込まれそうな感覚を覚えた。シックな青色のワンピースを着ているさまは大人びており、自分より年配なのではと錯覚するほどだ。

「で、ではお訊きします」

 それは相沢も同じようで、知らず丁寧な口の聞き方をしていた。  

「どうして男のような名前を名乗っているのですか」

「月並みな質問ね。でもまあ答えてあげましょう。まず一つ目は予防策ね。若い女の私があんなことを本名で書いたらそれこそスキャンダラスな扱いを受けるわ。私はマスコミの噂の種になりたくないの」

「確かにそうですね」

 相沢は納得したようだが著書を読んだことのない水無瀬は何のことやらさっぱり分からない。そんなに危ない内容なのだろうか。ならば一度目を通してみようか。水無瀬がそんなことを考えている間にも取材は続いていく。

「二つ目は変身願望ね。私男になりたいのよ。男になって女には禁じられているいろんなことを試してみたいの。この日本、いや世界かもしれないけれど、女にはいろんな枷が掛けられているから。あなただってそうでしょ。女のくせに記者なんてって言われたことはない?」

 その質問に相沢は大きく頷いた。瞬間、水無瀬ははっと胸を衝かれるような思いを味わった。いつも明るく元気に振る舞っているように見える相沢もそんな苦い思いを舐めているのか。男の自分には想像すらつかないことだ。

 その時どこからかチリンと鈴の鳴るような音が聞こえてきた。

「あら、用意が出来たようね」

 そう言って円尾氏は立ち上がると部屋を出ていった。するとややあって相沢はほっと軽く息を吐いた。

「変わった女性だったな」

 水無瀬は率直な感想を漏らした。すると相沢は「そう思いますか」と問いかけるような答えを返してきた。

「いや、外見は女らしいけど中身が……」

 そこまで言いかけて水無瀬は口を閉ざしてしまった。相沢が真剣な眼差しを向けてきたからだ。

「あの人は闘ってるんです」

 そう相沢は言った。一体何と。水無瀬が疑問を口にしようとした時、ドアが開いて、円尾氏が帰ってきた。手にはカップの載ったトレーを持っている。

「待たせて悪かったわね。淹れたてのコーヒーを持ってきたわ」

 そう言って優雅な手つきでコーヒーカップをテーブルに置いていく。わざわざ自分で取ってこずにさっきの小母さんに持ってこさせればいいのに、と思いながらも水無瀬は手近のカップを手に取って角砂糖を一つ放り込んだ。ちなみにミルクは入れない主義だ。一方相沢は砂糖とミルクを入れてかき混ぜている。その間に円尾氏は椅子に座り、ブラックでコーヒーをすすった。

「さて、お次は何をお聞きになりたい?」

「では今度は個々の作品についてお訊ねします。まずはデビュー作の『花冠』についてですが……」

 そこから先の話題は水無瀬にとって退屈なものだった。なにせ作品自体を読んでいないものだから、二人の会話の流れが全く理解できないのだ。そのせいか水無瀬は眠気を覚えるようになった。コーヒーを飲んでるのにおかしいな、と思いながらも水無瀬は眠りに落ちていった……。

                      2

 するりと絹が滑り落ちるように水無瀬は目覚めた。時計を見る。どうやら三十分ばかり眠っていたようだ。それにしては心地よい目覚めだった。その時、気づいた。自分が一人取り残されていることを。二人はどこへいったのだろう。

 水無瀬は立ち上がった。二人を探さなければ。さてどこから探せばいいか。あたりを見回していると、つと涼風が頬をなでた。つられて風が吹いてきた方を見ると、部屋の一方の扉が少し開いており、そこから外の景色がうかがえた。気になった水無瀬はそちらへ歩み寄り、扉を押し開けた。すると視界一面、赤く黄色く彩られた景色が広がっていた。見事な紅葉だった。

 水無瀬は釣られるように足を踏み出した。散り敷かれた紅葉の間を靴下履きのまま歩んでいく。そのまま夢遊病者のように進んでいくと、ふと前方に天空から光が差し込んでいる場所があった。そしてその光を浴びて、相沢と円尾氏の姿があった。

 二人は抱き合っていた。恋人同士のように。いやまさに二人は恋人であったろう。なぜなら彼の見ている前で二人は口づけを交わしていたのだから。 

 水無瀬は息を呑んだ。疑問や当惑が心中に渦巻いていたがそれを声に出すことは出来なかった。

 やがて二人の口は離れた。相沢は目を閉じ、悩まし気な吐息を漏らした。それを円尾氏は満足げな様子で眺めやっていた。

「い、いったい……」

 水無瀬は何とか声を出したが、意味のある問いを発することができなかった。

「おや、ようやくお目覚めかしら、寝取られ男さん」

 円尾氏は歌うように語りかけてきた。するとその一言が水無瀬の癇に障った。

「相沢に何をした!」

 語気を荒らげて詰問する。

「何って、見て分からないの。愛し合っていたのよ」

 思わず水無瀬は赤面してしまった。あまりにストレートな物言いに反発する暇さえなかった。

「そんな、女同士で、しかも無理やり」

「あら、これは古来から延々と引き継がれてきた麗しい営みよ。それに勘違いしているようだけど彼女も同意の上よ。証拠にほら、嬉しがっているじゃない」

 その言葉に釣られてか、相沢が陶然と微笑んだ。 

「う、嘘だ」

 水無瀬は内心の動揺を隠すことが出来なかった。今まで見たこともない相沢の表情にうろたえていた。その間にも二人の交わりは続いていく。次には肢体を絡ませあう。相沢のスカートの裾がまくれ、太腿が垣間見えた。水無瀬は思わず目を覆った。

 そうやって視界を閉ざし、悩ましさに必死に耐えていると、今度は二人の歓喜の叫びが聞こえてきた。咄嗟に頭を抱え、耳をふさぐ。それでも声を完全に遮断することは出来ない。もうだめだ。気が狂いそうだ。

「ああっ!!」

 水無瀬は苦悶の叫びをあげるとその場から駆け出した。 


 そこかどこをらどうたどり歩いてきたものか、気が付くと水無瀬は下宿のベッドに突っ伏していた。そしてそのまま食事も採らずに放心状態のまま一夜を過ごした。

 いつの間に寝入っていたものか、目覚めるとすでに翌朝になっていた。中途半端な睡眠だったのだろう。眠気がまだ完全には取れていなかった。それでも水無瀬は登校の支度を始めた。そして学校ではあくびを噛み殺しながら授業を受けた。もう就職先は内定しているので、本腰を入れる必要は無かった。

 放課後、水無瀬は青雲館へと足を向けた。報道部の部室はだが鍵が掛かっていた。しかし水無瀬は落胆しなかった。目的は相沢に会うことではなく、不在を確認することにあったのだから。

 水無瀬はそのまま帰宅の途についた。翌日、水無瀬はまた同じ時刻に部室を訪れた。今日も相沢は部室にいなかった。水無瀬は確信した。相沢があの円尾氏のもとへ向かったであろうことを。そして二人して痴情にふけっているのだ。

「溺れてしまったか」

 水無瀬はぽつりと呟いた。その言葉には何の感慨もなかった。いわんや未練など。今、水無瀬の心の中で相沢に対する恋情が空気が抜けるようにしぼんでいった。果たしてこれは失恋と呼べるのだろうか。巷で言われる心痛ややるせなさなどは微塵も感じられなかった。

 こうして水無瀬の初恋は終わった。彼の心中には味気なさだけが残った。

当初の予定が狂って、こんな結末になってしまいました。時間切れなのでこれで完結です。申し訳ありません。

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