乳母
百合が兼平の屋敷へ引っ越してからしばらく経つ。
私のお腹もすっかり妊婦腹だった。あと二、三月もすれば産まれてくるこの命。しっかり母として支えねば、という気持ちになっていた。
百合の引っ越しは来たときと全く異なって、箪笥、長持ち、衣装、化粧台といったものがずらりと並んだ。
全く会えなくなる訳ではないが、これからは牛車に乗って会いに行かねばならない距離になる。私は寂しかった。
オシメの準備も整ったし、着物の準備も整った。
あとは産まれてくるのを待つばかりだった。
5月の風は暖かく、私の頬をすり抜けていった。
そんな折、百合が妊娠したことを報告してきた。
悟は大喜びで、尾頭付きの鯛を届けさせた。
計算すると、ハネムーンベイビーかもしれない。それより少し前かな?
どちらにせよおめでたいことに代わりはなかった。
私は大きなお腹を抱えて、牛車で兼平の屋敷を訪ねた。
オシメの縫い方を教えるためだった。
子どもが産まれてきたらなかなか会えなくなるかもしれない。それを思っての訪問でもあった。
百合は元気だった。私のときはあんなに重かった悪阻も、全く何もなさそうだ。
「元気そうでよかった」
私がそう言うと、百合は
「綾も元気そうでよかった」
と言い、屋敷の中へと通された。
ふと気づいて尋ねる。
「男の人ばっかり働いているみたいだけど……?」
「そうなのよ。兼平が、焼きもちやきの私にしてくれたプレゼント。私についている女房は数人いるけどね」
ふふっ、と百合が笑った。
仲良くやっていそうでよかった、と私は思った。
百合はオシメの縫い方をすぐに覚えた。私が教えることはなかったくらいだ。
「今日はホントにありがとね……」
梅から渡されたお茶を飲みながら百合は言った。
「結婚もいいタイミングだったなと思うの。あと少し遅れていたら、妊娠してから結婚したと思われるし」
「いや、現世ではそれも珍しくはないでしょ?」
「それはそうなんだけど、ただでさえ私は年上女房でしょう?これ以上なにか言われる種は作って置きたくなくて」
なるほどね……百合なりの気配りってやつか。相変わらず頭がいいなぁ……
「それにしても、こうも殿方ばかり働いていると、何か緊張するわ」
「そう?慣れると頼りになるし、いいものよ」
「そうかなぁ……」
「そうよ。そういえば、乳母は誰か、決まりそう?」
「それがまだで……いい人、知らない?」
「私も探してるところだから……」
「悟の知り合いを当たってみてるけど、この人!って人がいなくてね」
「私の分まで探してよ」
冗談まじりに百合が言う。
「当たってみとくわ」
と私が返すと、百合が
「実はね、オススメの人がいるのよ」
と言う。
「えっ、そうなの?」
「兼平の実家で使っていた乳母がいるのよ。よかったら会ってみない?」
「いいけど……百合はどうするの?」
「私は他にもあてがあるから大丈夫」
「じゃあ、お願いしちゃおうかな!」
そんな訳で、乳母は百合の実家で使っていた桜という人に会ってみることにした。
「今日はホントにありがとね」
「ううん、百合も身体には充分気をつけてね」
「またね!」
「うん、またね!」
そういうと私は帰宅した。
しばらく経って、我が家を訪ねてきた人がいた。
桜だ。
人の良さそうな笑顔に私は一発で惚れ込んでしまい、我が家の乳母は桜に決定した。
5月の半ばくらいのことだった。