結婚しようよ
私の悪阻は酷かった。ほとんどなにも食べれぬ状態。食べ物の匂いがしただけで吐いてしまう。唯一食べれるものはお粥だけ。しかも精米度合いが少ないため、食べ過ぎるとまた吐いてしまう。
悟も来てくれるのだが、何をしたらいいのかわからずそわそわしている。
私としては話し相手がいてくれるだけで充分なのだが、悟は何とかしてやりたい、と思っているようだった。
それでも最近やっと起き上がっていることが出来るようになった。悪阻もずいぶんマシになったのだろう。
医者ももう大丈夫でしょうと言っていた。やっとあの苦い漢方薬から解放される。
漢方薬を飲むとしばらくは吐かなかったが、苦味に悶え苦しんだ。
悪阻が治まったら食べたいものがたくさんある。今は考えただけでも吐き気がしそうになるが、それでも吐き気が治まっている間はいろいろな食べ物を思い浮かべた。
子どもの名前を考えたり、オシメを縫ったり、することは山程あった。
特にオシメの準備は念入りにした。縫い目が身体に当たって嫌がらないように、縫い目が出ないように縫っていく。こうして準備をすることは、私の楽しみの一つにもなった。
学校の成績で五段階表記の一しかなかった家庭科だったが、今ほど習っていてよかったと思うことはない。
そうして日中は縫い物をして過ごすことも多くなった。
◇
綾がそんな大切な時間を過ごしている間、私も兼平を出仕に追い出すことで忙しかった。
見舞いにはしょっちゅう出かけた。これじゃ逆通い婚だというほどだった。
この当時は男性が女性の方へ通い婚することが普通だったので、ホントに逆通い婚状態だった。
見張っていないとすぐにサボろうとする兼平。
そんなところも含めて好きになってしまったのだから、仕方ないだろう。
そう、私は兼平のことを好きになっていた。
それは好意を遥かに越えた恋の気持ちだった。
悟のことを好きだったなんて思えないほど、この人が好きだった。
仕事をしたがらない、だらしないところもあるけれど、優しくて純朴なこの人が好きだった。まさに、この人に出会うために生まれてきたのだと思うほどに好きだった。
その気持ちに気づいたのはつい最近のことだ。
悟の時のように燃えるような恋ではなく、もっと静かな、ひっそりとしていて、それでも確かに鼓動を感じるような、そんな恋だった。
私の気持ち、ちゃんと伝わってるかな……
それをきちんと受け止めてくれている安心感のある、そんな恋だった。
兼平が出仕から帰ってくる。
私はそれを待って、少し顔を合わせて、そして帰って行った。
兼平から文が届いた。何だろう、最近は直接会うことが多かったので、とても嬉しくなる。
そこには、
「今夜、行きます」
という短い文章と唄が添えられていた。そうだ、この唄の純朴さ、これに私は惹かれたのだ。それを思い出して、一人ニヤニヤした。
「今夜、行きます」
たったこれだけの文章で私をこんなにドキドキさせるのは、兼平くらいだろう。
私は一人、夜を待ち焦がれていた。
夕食もそこそこに、私は湯殿に入り、身を清めた。やっぱり好きな人に抱かれるときはきれいでいたい。
風呂上がりに香油をたっぷり塗ってもらい、準備万端だ。
まだ寒いので火鉢を近くに準備した。
火鉢の火をいじくりまわしながら私は思った。
そろそろ結婚するか――――
でも、そんなことを女性側から言うのははしたないかもしれない。
だけど、そろそろ兼平に言ってもらいたい。
「結婚しようか」
兼平がその言葉を発したのはその日の夜のことだった。