悪阻
なにも知らない悟は帰宅して驚いたようだった。
今まで家で見たことのない豪華な食事が待っていたのだ。
「あ、綾、これはどういうこと?百合の結婚が決まったとか?」
「秘密ー!」
と私は言うと、百合をチラ見した。
百合はウインクすると、悟を屋敷の中へと誘った。
屋敷の中には垂れ幕が垂らされており、朱色で
「悟・綾、おめでとう!!」
と書かれていた。
悟は尚もわからぬ顔をしていたので、やっと百合が囁いた。
「おめでたですって。おめでとう」
「えっ?ええーっ?!最近体調が悪かったのも……」
「そっ、つ・わ・り♪」
百合がご機嫌な口調で言う。私はまだ照れ臭くて顔を俯けていた。
悟は目を輝かせて私の方へ寄ってくると、私の手を握りしめた。
「綾、ありがとう」
「ありがとうだなんてまだ早いよ……」
「そっ、そっかぁ。じゃあ何て言うのかな?」
悟が感極まっているのがわかる。百合が横から
「よろしく頼む、じゃない?」
と茶々を入れてきた。
「だ、だよな。綾、よろしく頼む!!」
ここまで喜ばれるとは思いもしなかった。私はなんだかとても暖かい気持ちになった。
冬、寒いなかの悪阻。気持ち悪くて、何度も吐いたのに、まだ吐き気がする。
頭の上に置いた桶に何度も嘔吐した。
食べたいものを食べればいいとか言うけれど、食べたいものがない。強いていうならアイスが食べたい。ハロゲンダッツのバニラが食べたい。
そんな話を悟に言った翌日、朝日もあがらぬうちから、悟が大騒ぎしていた。
なんだろうと思って雨戸を開けてもらうと、そこは銀世界だった。
悟は何を大騒ぎしているのだろう?
そう思っていると、私の目の前にかき氷ならぬ、かき雪が置かれた。甘い蜜をかけてある。
どうやらこれを食べさせたくて騒いでいたらしい。
ふふっ、と自然に笑みがこぼれる。
私は幸せだな、と思った。
◇
綾の妊娠発覚から二週間。まだまだ悪阻が酷そうな感じだ。
兼平の見舞いにも行かなければならず、私はバタバタとした日常を過ごしていた。
「悪阻って……いつまで続くんだろ」
何となくそう思って綾に聞いてみる。
「早い人は一月くらいで治まるみたいなんだけど、酷い人は五ヶ月の安定期までかかるみたい……」
「じゃあ綾は酷い方ってことね」
ガリガリに痩せていく綾の手を握りながら私は頷いた。
「でもね、最近はずいぶん食べれるようになったのよ」
と、起き上がる綾。それを支える私。
このまま栄養を摂らなければ綾にもお腹の子どもにもよくない。
私は綾に食べれるものを聞いた。
お粥に塩をまぶしたもの、それこそが綾の生命を繋ぎ止める唯一の食べ物だった。
私はそれを台所に指示すると、兼平のところへ向かった。
兼平は元気だった。ただ、腕の骨折がまだよくなってはいなかったので、出仕にはまだ行っていなかった。
けれど、そろそろ出仕しないと仕事が溜まりすぎているだろう……私はそれを心配した。なんと言っても、家に来る途中で事故ったのだ。それはかなり私としても恥ずかしい。
表向き、悟への用事ということになっているが、見る人が見たら私のところへ通ってることがバレバレなのだ。
さすがに気まずい。
そこのところを兼平はわかっていない。休暇とばかりにのんびり過ごしている。それを正してやるのも妻の務め!!
「兼平様……?いつまでお仕事をお休みなさるおつもりですの?」
「え?治るまで休んでいていいって……」
「もうほとんどよくなっているではありませんか!文字が書けないところなどは下の者に頼めば良いのです!」
「ええーっ、俺まだ休みたい……」
「とにかく、明日から出仕!わかりましたね?!」
「は……はい……」
妻というのは、いつの時代にだって大変な職業であった――