引っ越し
悟が冠を落としてから約二週間。
桜も散り、菜の花がたくさん咲いている。こちらに来て早くももう一年が過ぎ去った。
「月日が経つのは早いものでございますね」
と、桃が言った。
結婚披露宴からもずいぶん経った気がする。
3日通った最後の日の夜、私の親族を集めて披露宴を行った。
これにより、私と悟は正式に結婚が認められたこととなった。
夏までには悟の屋敷へ引っ越しをしようと思っている。
えらくのんびりしているように感じるが、なかなかいい日取りがなくて困っているのだ。
百鬼夜行を見て以来、その辺には慎重になっている。あのときは本当に怖かった。声をだしてしまったらどうなっていたことか……
晴明にも感謝せねばならない。
あれから、私の日取りや方角を見てもらうのは全て晴明に任せることにしてある。少し値段がお高いのと、なかなか時間をとってもらえないという部分はあるが、それを引き換えにしてもおつりがくるほどだった。
梅雨少し前に日取りがいい日があるので、引っ越しはその日にすることになった。方角もバッチリである。
梅雨前のその日まで、私は親孝行とばかりに、父上の着物の手直しなどをしている。
縫い物には自信があった。家庭科で習って以来、小物やマスコットなども縫ってきた。
父上の着物の手直しくらい朝飯前だった。
直した着物を喜んで受けとる父上に、私ははにかんで、あまり会話は出来なかった。
お兄様とはよくしゃべった。悟の噂話が主だったが、とてもよくしゃべった。これもいい思い出になるだろう。
義姉様とはひとしきり遊びに興じた。貝合わせや絵合わせなど、合わせものから、小弓などといったわんぱくな遊びまで、童心にかえって楽しんだ。
私の家は、母上を早くに亡くしていた。だから、よくある、母親との涙の別れというものはなかった。
そして、ついにやって来たこの日。
私は三指をついて、三人に挨拶をした。
「父上、今までお世話になりました」
父上は涙を堪えているようだった。
「お兄様……お兄様がいらっしゃったことで、どんなにか綾は心強く思ったことか。」
お兄様は嬉しそうに目を細めていた。
「お義姉様。いつも綾を見守ってくださってありがとうございました!」
お義姉様は涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、
「どうか達者で……」
と言った。
私は最後に三人にお辞儀をすると、牛車へ乗り込んだ。
箪笥や長持ちを従えて、牛車は一歩を踏み出した。
今日は快晴だった。
桃は連れていくことに決めていた。
桃以外にも数名、女房を連れていくことにしていた。その方が私が早く屋敷に慣れるだろうということで。
牛車の中で桃がささやく。
「ようやく念願が叶いましたね!」
「ようやくとか言わないでよ!恥ずかしいじゃない」
フフ、と桃は笑った。
屋敷に着くと、箪笥や長持ちの置き場を指示し、ようやく自分の部屋らしくなった。
悟が様子を見にやって来た。
几帳まで持って来た私に微笑むと、頭を撫でた。
「よく、来たね」
その一言があまりに優しすぎて、私は泣き出してしまった。
悟は、そんな私をただ優しく抱き締めてくれた。十七年間の想いが、今日、実ったのだ。
その日の晩は女房集も集めてプチプチ宴会を開いた。
それはとても心地よく、楽しいものであった。