表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/4

『人食い』

9.1/10


 おはよう、アリノ――


4/10


「む……?」

 特に楽しくも無かった休日が終わり、何時も通り職場に向かうと、どうしてか城崎さんが、八号室の扉に身体を預け、手持ち無沙汰そうに煙草を吹かしていた。

「あ、おはようございます」

 城崎さんは俺に目を向けると、煙草を携帯灰皿に入れ、扉から背を離す。

「すいません、少し用がありまして。待たせて頂きました。お話を聞いてもらっても構いませんか?」

「ああうん。別に良いけど。アンタ、学校はどうしたのさ」

 確か、普段の城崎さんならもう学校に向かっているはずだ。

「色々事情がありまして。今日は自主休校しました」

 苦笑する城崎さん。基本的に真面目なこの人が学校を休むとは珍しい。何かあったんだろうか。

「立ち話も何ですし、とりあえず入れてもらえますか。すいません、僕の部屋は今、使えないんです」

「ふうん?」

 なんだろう。ゴキブリでも出たのか。いや、そんなもんにびびるような性格でもないよな。この人。

「うーん……。でも、入れてくれと言われてもな」

 何しろ彼が背にする八号室には、僕らのマンイーター、伺坂アリナが居るわけで。城崎さんが捕食対象になるかは微妙なところだが、出来たら避けて欲しいところである。

「……アンタなら、多分問題ないだろうけど、一応忠告。つうか対処法な」

 ――が、それを説明するのも面倒だし、正直言ってどうでもいいので、忠告だけして自己責任にしてもらうことにした。

「はい」

「『アレに興味を持つな』。アレがどんな表情でアンタを見ようと、アレがどんな仕草でアンタを誘おうと、一切合切興味を抱かないこと。コレだけ守ってくれれば、大丈夫だよ」

 ……もっとも、普通の人間にとっては、それが一番難しいのだが。城崎さんは顎に手を当てて俺の話を聞いていたが、暫くして納得したように頷くと、普段と変わらぬ微笑を浮かべた。

「それなら大丈夫です。僕は何にも、興味がありませんから」

 だろうなとだけ返して、八号室の鍵を開ける。普段のように部屋の明かりを点けながら奥に向うと、アリナは何時も通りベッドの上で死んでいた。普段と変わらない日常。死体の世話をしながらぼんやりと過ごす一日が始まりを告げるが、その前に非日常が俺の後ろから顔を出す。

「へえ、彼女がアリナちゃんですか。成る程、確かに可愛らしいですね」

 普段と変わらぬ調子で感想を漏らす城崎さん。一分も立たない間に破られる俺の忠告は一体何だったのだろう。


「――――」

 ドクンと、心臓の音が聞こえるような錯覚。これまで何をしても無反応だった、伺坂アリナが今、蘇生した。


 緩慢な動作で首を動かす。まるで固まった筋肉を解すような動作だと、他人事のように観察していると、アリナと眼が合う。

「…………」

「――――」

 蘇生したこいつを見るのは、さて、何時以来だったか。今日の俺は関係無い。関係無いというのに、恐怖が身体を支配する。アイツが食うのは人の中身で、故にその眼は、獲物を判別する為に内側まで潜り込んでくる。内臓を見られている様で本当に気色悪い。

「――――」

 大体三秒。アリナと見つめ合っていたが、やっぱり俺に興味はないらしく、アリナはふいと顔を背け、俺の後ろに立つ、城崎さんに視線を合わせた。

「――――」

「こんにちは」

 アリナの熱視線を受けて尚、変わらない笑顔を見せる城崎さん。やばい、やっぱりこの人、只者じゃねぇ。

「――――」

 表情こそ変わらないが、アリナの纏う雰囲気が、微妙に揺れ動く。なんだろう、強いて言うなら、困っているような。城崎さんが、食べられる相手なのか。食べられない相手なのか、判断しきれないらしい。

 アリナが見せた人間らしい感情に感心しつつ、それ以上に凄いのは城崎さんだ。アリナをここまで困惑させた人なんて俺は知らない。尊敬を通り越して恐ろしい。流石は悪魔か。

「――――」

 結局、アリナは視線を逸らして、再び死体へと舞い戻った。こいつは人食い。悪魔を食うことは敵わなかったのだろう。

「……って奴なんですけど。感想は?」

 ようやく途切れた緊張に胸を撫で下ろしつつ、振り返りながら城崎さんに問う。城崎さんは、相変わらずの苦笑で肩を竦めた。何を意味するのかは分からないので、無視して何時もの所に鞄を下ろす。

「そこ、適当に座って」

 言いながら、床を指差す。残念ながらこの部屋に座布団は無く、カーペットも無いので、板の間にちゃぶ台を挟むようにしてお互いに座る。

「それで、話って何? ああ、お茶くらい出したほうが良いのか?」

「いえ、お気になさらず。それより、先ずは普段通り彼女の世話をしてあげたほうが良いんじゃないですか?」

 向かいに座った城崎さんは、やんわりと俺に忠告した。むう。厄介事はさっさと終わらせたかったのだが、そう言われると仕方が無い。

「それじゃあ、失礼して」

 先程腰を下ろしたばかりだというのに、再び立ち上がる。とりあえず朝飯の仕度をしなければと、キッチンに向う俺を、城崎さんは笑顔のままで見送った。


 何時までも待たせるのは失礼だろうとは思ったが、この仕事、朝は意外と忙しい。消化に良い食事を作り、アリナの口に流し込む……わけにもいかないので、ちゃんと一口毎に丁寧に口に入れて租借させる。それが終わってから、今度は歯磨き。コレも丁寧に。綺麗に並ぶアリナの歯を磨いてゆく。美少女顔を間近に見ながら、いい加減慣れてしまった自分が少し悲しい。

 次に手を繋いで立ち上がらせる。この娘、意外にも手を引くと、ちゃんと言うことを聞くのである。死体の癖に。で、洗面所まで連れて行き、顔も洗って。ついでにトイレも済ましてから、再びアリナを定位置まで戻す。

 この間、城崎さんは終始笑顔のままで、俺とアリナの動向を見守っていた。

「お待たせしましたっと……。それで、改めて聞くけど、何の用?」

 再び向かい合うように座ると、城崎さんは笑顔で肩を竦めた。

「いえ。もう良いです。大体分かりましたから」

「……? 分かったって、何が?」

 首を傾げる。一体何が分かったというのだろう。何の説明もなしではこっちが分からない。

「いえ、こちらの話です。じゃあ、僕はそろそろお暇します」

 城崎さんは立ち上がると、軽く伸びをした。俺はもう慣れたが、やはり板の間に直は辛かったのだろう。

「それでは。急な頼みを聞いてくださってありがとうございます」

「いや、別に良いけどさ……」

 そもそも、俺は何もやってないし。感謝をするくらいなら、何なのか説明して欲しいもんだ。

「アンタ、これからどうすんの? 部屋は今、使えないとか言ってなかった?」

「いえ。大丈夫です。暫く外で暇を潰してから、戻りますよ。今更学校に行くのも、ね」

 苦笑する城崎さんは普段とまるで変わらない。いや。そもそも、この人が揺らぐことなんて、殆どありえないだろう。それこそ、あの黄金と相対でもしない限り。それなら、俺がこれ以上問いかけても無駄か。

「それでは、お邪魔してすいませんでした」

 結局、城崎さんは微笑を崩すことなく、何の説明もなく、この部屋を去っていた。


 そうして、笑顔の悪魔、城崎さんと、マンイーター、伺坂アリナのファーストコンタクトは、特に問題もなく終了してしまった。この出会いが、今後の展開を揺るがすようなことには――いや、ならないだろう。……ならないと、祈りたい。


6/10


「……というわけで、だ。その日以来、どうもリオに無視されてるような気がするんだよなぁ……」

「ふふ……。君、妹さんには嫌われているって、前から言っていたじゃない」

 二日前の夜と同じように、仕事帰りのファミレスで、霜月と向かい合う。

「まあ、そうなんだけどさ。ちょっと違うんだって。今までは俺に対して何かと突っかかってきてたんだけど、ここ暫くのアイツは無視してくるというか、なんつうか……うん」

 要するに、今まで俺に突っ掛かっていた癖に、急に無視し始めやがったので、俺としては、微妙な心境なのである。寂しいというより、その日常に対する違和感。というか。

「単に妹さんが大人になっちゃっただけなんじゃないのかな。反抗期も過ぎちゃったとか、そんな感じじゃないの?」

「いや、ちょっと違うんだよな……」

 それならそれで喜ばしいことなのだが、そういった自然な雰囲気ではなく、こう、意図的に俺のことを無視してやがるのだ。話しかけても声をかけても、完全に無視。これなら嫌そうな顔をされようが、目の前で悪態を吐かれようが、以前の反抗期な妹のほうが、未だ張り合いがある。

「ふうん、それじゃあ、やっぱり君が、嫌われるようなことをしたんでしょう」

「なのかね……」

 そう言われても、覚えが無い。腕を組んで記憶を整理していると、霜月が微笑みながら見つめてくる。

「ふふ……懸本くんは、やっぱり面白い性格をしているね」

「……それは褒められているのか、どうなんだ?」

「褒めているよ。私の周りに、君ほど面白い友人は居ないよ」

「そりゃどうも。その言葉、そっくりそのままお前に返すよ」

「褒め言葉として受け取るよ。ふふ……」

 皮肉のつもりだったのだが、どうやら通じていないらしい。視線を逸らしてため息を吐く。こいつに相談したのが失敗だったのかもしれないが、妹のことを相談できるような友人なんてこいつくらいしか思い当たらず、そもそも相談相手がこいつしか思い当たらなかったのは、偏に俺の人間関係の狭さの所為でしかない。全く自業自得である。

「まあ……」

「あん?」

 顔を上げると、霜月は何か思案するように口元に手を当てると、幾分真面目な顔で呟いた。

「私にとっての君は、興味深い、面白い友人だけど。……妹から見たら、どうなんだろうね。君みたいなお兄ちゃんは」

「……だから、それが今までのアイツだろう」

 やたらと突っかかってきて、俺のことが大嫌い。それが今までの懸本リオで、俺の妹だ。

「ふうん……だったら、ああ。うん。なるほどね」

 何を納得したのか、霜月は口元に当てた手を下ろすと、俺に感情の読めない笑顔を見せる。

「懸本くん。君は駄目なヘンゼルだね」

「は?」

 ヘンゼルって……ん? 何だ?

「ねえ、ヘンゼルが勝手に何処かへ行ってしまったら……残されたグレーテルは、大変なことになっちゃうのさ」

「グレーテル……って事は、ヘンゼルとグレーテルか」

「そう……ただ困ったことに、ヘンゼルはグレーテルを必要としていなくて、幸か不幸か、グレーテルはグレーテルで、一人でも十分生きていけるってことなんだけどね」

 呆れたように肩を竦める霜月。しかし、全く持って残念な事に、俺はその例え話を一切理解できていないので、その仕草が何を意味するかも良く分からない。

「そのうち分かるよ。……いや、君は気付かないかもしれないけど、妹さんはきっと理解するだろうさ。……うん。本当は理解してるんだけど、そう思いたくないだけかもしれないけどね」

「あのさ、意味がよく分からないんだが。俺は一応、アイツのことは大切にしているつもりだぞ?」

 だからこうやって心配しているのだし、アイツがやることに口出しもしていない。これだけ大切にしているというのに、アイツは未だ何か不満があるというのだろうか。

「うん。そうだね。君は妹さんを大切にしている。それは分かるよ。すごく分かる。でもね……」

 霜月は、表情を真顔に戻すと、俺の瞳を、真っ直ぐに見据えた。

「大切にしているということと、必要としているということは、違うんだよ」

「…………」

「それは、分かってもらいたいね」

 何も言い返せない俺に、霜月はすぐに普段の温和な微笑を見せる。

「まあ、妹さんの事は、時間がたてば解決するよ」

「そんなので良いのか?」

「多分ね。あれから三日だ。君の見立てでは、もう例の通り魔殺人犯は居ないでしょう?」

「……ああ、そういえば、確かにそうだ」

 三日ほど前、俺は、この街を脅かす通り魔と相対した。その時の見立てでは、殺した相手の顔を奪うという狂人は、既に限界を向かえていた。限界というのは肉体的な話でもあるし、精神的な話でもある。常に自分を否定し続けているような女だ。そのうち、自分が何をしているのかも分からなくなっていくのは自明の理だろう。いずれにせよ、それはもう終わった話だ。今は関係無い。……だからと言って、中学生の深夜徘徊を見過ごすわけにもいかないが。

「……でも、どうだろうね」

 霜月は、顎に手を当てると、思案するように瞳を逸らす。

「あん?」

「君は、何気に重要なことを見落としがちだ。周りに関心がないというか、他人に興味が無いからね。ああ、そんな君だから、分かるようなこともあるのかもしれないが……さあ、今回はどうだろう」

「……お前は俺を安心させたいのか、心配させたいのか、どっちなんだ」

 何も答えず、微笑むだけの霜月に、俺は眉を潜める。勘弁して欲しい。折角厄介事が一つ減ったというのに、そう次から次へと新しい問題が上がってきたら、溜まったもんじゃない。



「……さて、リオー?」

 時刻は夜の零時過ぎ。リオの部屋の扉を軽くノックしてみるも返事は無い。どうやら今夜も夜の散歩に出掛けているようだ。こんなことは、不肖の息子である俺が言うことでもないが、家族に心配を掛けるな、不肖の妹め。毎夜親の眼を逸らす俺の身にもなってみろ。

「流石に問題かね……」

 だがアイツがどれだけ彷徨おうとも、出会うのは見回り中のおまわりさんか、居酒屋帰りの酔っ払いか、いたって普通の変質者くらいなものだろう。それくらい何も問題は無い。普通の変質者ってのも結構問題かもしれないが、その程度、アイツはむしろ返り討ちにして警察にしょっ引いていくだろう。懸本リオの歴史にまた一ページ。ついでに、何故こんな夜中に出歩いていたのを警官に問われて、俺が迎えに行くことになるのだろう。黒歴史にもプラス一ページ。

「……いや、それは何つうか、面倒くさいな」

 一昨日のことで、流石にうちの両親もお怒り気味だ。加えて警察沙汰になんてなったら、それこそ勘当ものである。いや、むしろ外出禁止令が出されるかもしれない。当然そんなものをリオが守るわけ無いので、また親と妹の全面戦争が始まり、一番困るのは板ばさみ状態の俺となるわけだ。毎度ながら何だろうこの構図。一番無関係な筈の俺が一番困るという謎の状況にため息を吐きつつ、仕方が無いのでそろそろ迎えに行こうと思う。うろついているとしてもどうせ昨日の辺りだろう。そう思って踵を返すと、何時の間に帰ったのか、目の前にリオが立っていた。

「何だ、帰ってたのか」

「…………」

 ……返答なし。お兄ちゃん悲しいぜ。いや、さして悲しくも無いけど。

「おーい」

「どいて。部屋に入れないから」

「今日は遅かったな。何処まで行ってきたんだ」

「あたしの勝手でしょ。良いからどいて」

「いや、確かにそうなんだけどな。あんまり頻繁なのはよろしくないというか、俺が親父たちを抑えるのも限界があるというか。正直、そろそろ面倒なんで勘弁して欲しいというか」

「どけ」

「イエス、サー」

 姿勢を正して道をあける。目付きが怖ぇよお嬢さん。正直、こいつとガチで喧嘩したら勝てる気がしない。いや、むしろ負ける。うん。普通に負ける。

「……はあ」

 ため息を吐くリオ。連日の見回りで疲れているように見える。……だったら止めれば良いのに。これ以上夜の街を彷徨っても、こいつが望むものは得られない。……ああ、そういや、未だそのことを伝えてなかった。

「あのな、リオ」

「おやすみ」

 バタンと、分かりやすい拒絶の意図を込めて閉められる扉。続いてガチャリという音。……鍵まで掛けやがった。

「……まあ、仕方がねぇなあ」

 扉に背を預けつつ、ため息を吐く。疲労が溜まっているように見えたのは少し気になったが、未だ気にするほどじゃない。というか疲れて落ち着けば、ちょっとは俺の話を聞く気にもなるだろう。

「そうそう、俺が口出すことじゃないさ」

 アイツのすることに、俺は口に出さない。何しろアイツは、自分が正しいと思うことをしている。両親はアイツのことを心配しているが、そんなわけで、俺はそこまで心配してないのである。前回のような、本当に危険そうな時は、流石に口を出させてもらうが、それ以外はどうでもいい。非行に走ることも無いだろうし。それを俺は一番良く知っている。と思う。

 ……だからこの時に、無理にでもアイツを止めればよかったのかどうかは、今でもわからない。


7/10


 そうやって妹の事に頭を悩ませつつも、まあ何とかなるだろうとたかをくくりながら普段通り職務に励むある日のこと。時計が正午を示し腹もいい具合に空いて来た所で、何にしようかと冷蔵庫を開けるとびっくりするくらい何も無かった。

「……そういや、そろそろ買い出しに行こうって決めてたんだっけ」

 ここの所天気が悪く、面倒くさくて行っていなかったが、流石に今日くらい行かなければどうしようもない。そんなわけで、毎月あの男に渡されているアリナの生活費から諭吉さんを取り出し、近所のスーパーに向かおうとアパートの戸を開けると、丁度見知った顔の男が部屋の前を横切るところだった。

「…………」

 横目で軽く俺の姿を見て、あからさまに無視を決め込む青年。普段ならば相手に応じてスルーする俺なのだが、その姿が、ここ最近の厄介事ランキング第一位を独走するリオの姿とダブってしまったので、敢えて声をかけてみる事にする。

「おはよう。『まーくん』」

「…………」

 『まーくん』と呼ばれた男は、一瞬だけ足を止めるが、すぐに無視して歩き始めた。

「ああ、もう昼だったか? それじゃあこんにちは、『まーくん』。やっぱり、挨拶はきちんとしないと駄目だよな」

「…………」

 『まーくん』は、後ろから見ても分かるほど大げさに肩を落とすと、迷惑そうな視線を俺に向ける。

「気安く呼ばないでくれる? 『まーくん』」

「む……」

 その返答に言葉を詰まらせる。なるほどそう来るか。確かに俺、懸本マキノも、その愛称で呼ばれたことはある。一番最近でも、小学生の時の記憶を掘り出さなければいけないが。しかし、

「つってもだな。俺は未だ、お前の名前を知らないわけだ。『まーくん』ってのも、城崎さんがそう呼んでいたのを聞いただけだしな。それだと仕方ないから、そう呼ぶしかないだろう?」

 青年は形の良い眉を歪めると、不満の在りそうな顔で俺を睨む。その顔に肩を竦めながら、俺は青年に問う。

「だからさ、いい加減お前の名前を教えてくれ」

「名無しのゴンベエ」

「嘘吐け」

「ジョン・ドゥでも可」

「死体かお前は」

「似たようなもんだよ」

 俺と全く同じ仕草で肩を竦める青年に、鏡と話しているようななんとも言えない不快感を覚えつつも、しかし俺の前に立つ『まーくん』とやらは、俺よりも背が高く、柔らかい髪質に中性的な顔立ちと、俺なんかよりもよっぽどハンサム野郎なのである。だがそのイケメンも、片手に抱えたビニール袋によって妙に庶民派な雰囲気を纏わせている。

「買い物がえりか?」

「それ以外に見えるなら眼科に行ったほうが良いね。お勧めの眼科を紹介するよ。僕の友達はそこに通いだしてから、視力が1も下がったんだ」

「そいつは中々の名医だが、あいにく俺の両目は正常でね。一か八かのギャンブルに賭ける必要も無ければ、自分から視力を下げなければいけないほど、人間離れした視力は持ってないんだ」

「それは残念」

「ああ、全く」

 同じ動作で肩を竦め、同じように苦笑する二人。俺としては中々楽しい見世物なのだが、青年としては寧ろ忌々しいことらしく、すぐに顔を曇らせて視線を逸らした。

「下らない会話はここまでにしよう。僕はいい加減戻るけど、用事なんてどうせ無いんだろ?」

「ああ、興味は失せた。さっさといけ。それか、俺の相談に乗ってくれるなら話は別だが」

「冗談」

「そう、冗談だ」

 青年は、俺の言葉を最後まで聞くことも無く踵を返すと、一番奥の部屋、十三号室で足を止める。十三号室は、他の住民よろしくやっぱり曰く付きの部屋で、その部屋に住まうのは、他人を余りに拒絶しすぎて、異世界に通じてしまった引きこもりらしい。『らしい』というのは引きこもりらしく、誰もその姿を見たことが無いから、真相は謎のままなのである。

 異世界アパートの異名を持つメゾン浪漫の中でも、際立って荒唐無稽な噂であるが、アリナを見ているとそれはそれであり得るのかもしれないと思ってしまう。完成された世界。外界とは遮断された、内側のみで全てを構成できるだけの要素が、あの一室に詰まっているのであれば、確かにそこは異世界といえるのではないだろうか。ある意味精神論のようなものだが、アリナの人食いも同じようなものだ。

「…………」

 暫くぼんやりと眺めていると、青年はドアノブに手を掛け、捻り、その扉を開けた。当たり前だ、それはただのアパートの扉。鍵を開けてしまえば簡単に入れる。だが、そこに入ることが出来る人間は限られている。人の寄り付かない異世界アパート。その最奥の部屋というだけじゃない。……至極当たり前のことではあるが、人間は自分に関係のあるモノとしか、関係しない。だから、関係の無い人間とは出会わないし、関係の無い場所には行かないし、関係の無い扉を開くことなんて、無い。自分に関わる全ての物事は、自分という物語に関係のある要素で構成されている。時に、自分とは全く関係の無いもの、全く意味も無く遭遇してしまうような奴も存在するが。主にこのアパートに。

 閑話休題。さて、では、あの奥にある扉と。正確には、扉の先の世界と、俺は一体どんな関係が在るというのだろう。今後関係を持つことがあるだろうか?答えは否だ。圧倒的に否である。殆ど確証を持って言える。だから、あの先は異世界なのだ。たった一人で構成された、一切の関係性を排除した、異世界。もしも俺がメゾン浪漫の十三号室に関わりを持つことがあるとすれば、それは、ひとつの世界が崩壊するときだろう。

 そして、『まーくん』と呼ばれたあの男は俺と同類である。外から雇われた小間使い。引きこもりの相手に介護という言葉が成立するのかは知らないが、まあ、似たようなもんだ。

 だから、と言うわけではないが、俺とアイツは似ている面が多い。似ているからこそ選ばれたというべきか。当たり前である。奴曰く前提が違うそうだが、結果が同じなら元々の形が違おうと問題なんて見当たらない。完全に他人を拒絶して生きる、あの男の雇い主と。関わる他人全てを食い物にして生きる、俺の所の伺坂アリナ。それらに共通することといえば――

「まーくんは相変わらず無愛想ですね」

「……神出鬼没はデフォですか、城崎さん」

 振り返ると、普段の微笑を携えた城崎さんが立っていた。手に買い物袋を抱えているところを見ると、この人も買い物帰りらしい。

「学校のほうは良いのか、アンタ」

「休校です。ああ、今日は本当の、ですよ。今日は最近にしては珍しく良い天気ですし。買い物日和です」

 相変わらず、毒にも薬にもならない笑顔を浮かべながら、聞いてもいないことまで話してくれる城崎さん。

「だけど……まあ、ここで僕と関わったのは、君と何か関わりがあるから、でしょうかね? えっと……人間は関係のある相手とか関われない。でしたっけ?」

「……読心術?」

「声に出していましたよ。中々面白い考え方ですね」

 シット。一人でぶつぶつ呟くとか、痛い子確定かこの野郎。でも背後から声も掛けずに、ニヤニヤ聞いていたこの人も、相当性質が悪い気がする。

「関係のあるものは関係があって、関係の無いものは関係が無い。つまりは運命って事ですか。前から思っていたのですが、マキノ君は詩的な物言いが好きですよね。中々素敵だと思います」

「……アンタ、人畜無害が売りじゃなかったっけ。何時からS属性に目覚めたんだよ」

「いえ、貴方が構ってもらいたそうな様子だったので。僕は相手の要望には、なるべく答えるようにしているんです」

 だったら、そんなことは一切思っていないので止めて欲しい。素直にその意を告げると、城崎さんは顎に手を添えた。

「確かに、貴方がそんなことを思う筈がありませんしね。だとしたら、構って欲しかったのは、まーくんの方だったかもしれません」

「微妙な人違いをするなよ……。アイツに失礼だろ。アイツのほうが俺より……ほら、何だ。ほんの少しだけ……なあ?」

「そうですね。容姿はまーくんのほうが整っていますね」

 くすりと苦笑を漏らしながら呟く城崎さん。どこまでも凡庸な容姿のアンタに言われたくない。だが、際立った特徴が無いということは、他人に悪い印象を与えるようなことも無く、普段の人当たりの良い笑顔や温和な雰囲気から、結果として人受けは良かったりする。悪魔はこうして人の世に混ざるのだ。

「僕のことは良いです」

 と、城崎さん。

「ですが……彼としては、どっちが良いんでしょうね」

「……そりゃあ」

 ふと、アイツと初めて出会った時の事を思い出す。その出会いは余りに平凡で、記憶に留めるほどでもないような出来事。ふと街を歩いていたら、店先の窓ガラスに自分の姿が映っているのを偶然見かけたような、日常の一ページ。だが、次の瞬間にアイツの吐いた言葉が、その出会いを一変させた。記憶にも残らないような出会いは、どうしても忘れられない、人生の一遍に成り上がった。


『――なんだ、アンタ。凄く羨ましい』


 開口一番、アイツはそう呟いた。それが始まり。今思い出しても下らない。何が羨ましいというのだろう。そんなんよりアレだ、こちらとしてはお前のルックスのほうがよっぽど羨ましいというものである。

「隣の芝生は青い。ですよ。敬われる側というのは、えてしてそういうものです。信心深い人にとって、神様は人生の大半を占めるものでしょうが、神様にとってはその人なんて六十億分の一であるように。人というのは、自分の上に立つものしか見えないんですね」

 中々壮大な例えで説明してくれる城崎さんだが、正直最後の一文以外は要らないと思う。壮大すぎて判り辛いし、悪魔と呼ばれる人に神様どうこうなんて言われると、正直反応に困る。

「いえ、普通に反応してくれて大丈夫ですよ。そもそも悪魔なんて人が呼んでいるだけですから。僕、仏教徒ですし」

「マジっすか」

 衝撃の事実発覚。

「ええ。ですが、クリスマスはキリスト教徒になりますし、お正月は神道式にお祝いします」

 なんだ、結局普通の日本人だった。どこまでも凡庸な人である。だが、悪魔というのは元々信仰を邪魔する存在であるので、ほぼ無信教で教派を気にしない日本人は、どっかの教徒とかから見たら確かに悪魔染みているかもしれない。

「だけど、言いたいことは大体分かった」

 結局、持っていて当たり前の奴には持ってない奴の気持ちなんて分からない。ということが言いたいのだ、この人は。

「ええ。いい例えでしょう? 人はいつも、上を向いて生きているという事です」

「うん。だけどそれはよく分からない」

 少し残念そうな顔をされた。知るか。

「つうかアンタ、今日は随分と機嫌が良いな。何、休校がそんなに嬉しかったのか?」

「いえ、それもありますが」

 城崎さんは普段から浮かべている0円スマイルを、もっと素直な、心からの微笑に変える。

「先日お話しました困った問題、というのが、昨日めでたく解決しまして。それが嬉しいんです。はい。困った人を助けるのは、やっぱり良いことですよね」

「ああ、そう」

 微笑みを浮かべる城崎さん。その顔は本当に喜びに満ちている。そう、この人の行動は基本的に善意から起こる。だというのに悪魔と呼ばれているのには、やはりその中に問題があるからであり、そして、善意が生みだす悪意ほど、対処に困るものは無い。今回のことは知らないからどちらに転んだのかは分からないが、せめて、俺に迷惑が掛かるようなことは無しの方向で。

「マキノ君も何かお困りでしたら、遠慮無く言ってくださいね」

「遠慮しとく。それよりもそこをどいてくれ。せっかく良い天気なんだから、とっとと買い物に行きたいんだよ」

 城崎さんの言葉に肩を竦める。と、ポツリと、柵に落ちる水滴が一粒。それは段々と増えていき、あっという間に雨となった。太陽は未だ晴れ渡っているにも関わらず。だ。

「……あ、狐の嫁入りですね」

「……城崎さん、今まさに、困ったことが出来たんだが」

 外を見ながら呟く城崎さんに、俺は、普段は見せたことが無いほどの真剣な顔で、城崎さんに向き合う。

「……この雨を、止ませてくれ」

「僕に出来ないことは、無理です」

 ……やっぱり、無理か。いや、期待はしてなかったけれど。……うん。ただ、トルコでは天気雨を、悪魔の仕業って言うんだよ。



 それでも空腹には勝てず、雨の中傘を差して最寄のスーパーまで向かった以外は、特に何事も無く今日のお勤めは終了。また霜月でも呼ぼうかと考えたが、毎日呼び出すのもどうだろうと思い、止めておいた。どれだけ相談しようとも、妹の問題は俺にはどうしようもないわけで。

 久々に普段どおりの時間帯に家に帰っても、リオが家に居る気配は無い。いい加減諦めて欲しいもんだが、一度決めたことはやり通すのが我が妹。やれやれである。そのエネルギーをもっと別の方向に向ければ良いのに。俺が言ったところで聞く筈も無いんだが。現在の時刻、九時半過ぎ。

「迎えに行くには、少し早いか」

 昨日までなら、霜月とグラスを揺らしている時間だ。零時を過ぎても帰ってこないなら、その時迎えに行くということで。そうだな、今夜は久々に、家でごろごろするのも悪くないだろう。そう決定して、自室に向かう前に妹の部屋に向かう。確かアイツ、少し前に新しい漫画を買っていた筈だ。部屋に入って、明かりを付ける。目当てのものは分かりやすく、机の上に置いてあった。

 机に近づくと、開きっぱなしのノートが放置されている。珍しく勉強しているのかと感心してみたところ、書いてある内容がどうにもおかしい。本来なら規則正しく文字か計算式が並んでいなければならない紙面には、各所に乱雑なチェックマークの印された、ここ周辺の適当な地図が描かれている。……あまり考えたくないが、コレはもしかすると、だ。

「……ホント、無駄に律儀な奴」

 どうやら毎夜毎夜、調べたところにチェックを入れているらしい。だが愚かだ。対象は人間であり、人間は移動する。しらみつぶしもひとつの手ではあるが、少なくともこのチェック欄には、何一つ意味が無い。もっとも、死体を見つけるなら話は別だが。

「にしても……ふうん。凄いな。この地区一体、殆ど調べてんじゃん」

 我が妹ながら、この行動力には感服する。自転車を使っている様子は無かったし、こんな夜に走る電車もバスも、この田舎には存在しない。アイツは徒歩で、街の端から端まで調べ尽くしたということだ。そんで毎朝、部活の朝練に向かっていると。ありえねえ、どんな体力だよ。

「ったく……ん?」

 よく見たら、規則的に並んでいるチェックマークの中に、不自然に開いた所がひとつ。

「調べ落としか?」

 何処だよと確認すると、俺の特に愛しくも無い職場。つまりメゾン浪漫の周辺だった。俺と顔を合わせたくなかったのか。それともアパート自体に近寄りたくなかったのか。恐らくは両方だろう。だが既に、アパート周辺以外はチェック欄で埋まっている。あいつの性格から、今日は嫌々でもアパートの辺りを探し回っているに違いない。帰りに出会わなかったのは故意か偶然か。……いや、故意だな。多分影からずっと見張っていて、俺が帰ったのを見計らっていたに違いない。

「やれやれ……しかし」

 しかし、あのアパートの周辺か……。微妙に嫌な予感がしないでもない。アパートの住民はもちろん、あの周辺は狂人が集まりやすい。……いや、それを言ったら、この街全体がそうか。地方都市とは思えないほどの犯罪検挙率。件のアパートの存在。今月の顔を奪う通り魔。その前の、先月起きた殺人事件。その前の、俺が大学を辞めるきっかけとなった、人間関係のどうしようもない縺れ。その前の、その前の、その前の。数え始めるとキリが無い。……ああ、何よりあの黄金。完璧を人の形にしたかのような存在。完全無欠、アルトリウス。あんな怪物が出現する街が、マトモなわけないだろう。

「……ま、気にしすぎか」

 とはいえ、そう簡単に危険な目にあうことは無いだろう。何しろ毎日通っている俺が言うのだから間違いない。もし、人を殺したくて堪らない殺人鬼とかが彷徨っていたとしたら、先ず殺られるのは俺な気がするし。そのうえアイツは俺より強いので、多分大丈夫だと思いたい。

「つうわけで、漫画借りてくぞ」

 用の無くなったノートから視線を離し、漫画を手に取った。早く帰って来いとは思うが、この漫画を読みきるまでは帰ってきて欲しくないとか、下らないことを考えつつ、明かりを落とし、扉を閉める。

 ……この選択を後悔することになるのは、そう遠くも無い、三時間後のことである。


 零時を過ぎてもリオが帰ってこない。まあ、アイツには明日も学校があるし、そろそろ迎えに行こうと思う。場所も場所だし。

「シスコンじゃありませんよー」

 漫画を閉じ、誰に向けてかも分からない弁解を呟きながら部屋を出ると、玄関の開く音がした。

「なんだ、帰ってきやがったか」

 普通に帰ってきたってことは、成果は無かったということか。当たり前である。アイツが探しているのは、居るはずの無い犯人だ。成果なんて出るはずも無い。実害も無いから心配する必要も無いし。

「ったく、お前は俺が探しに行こうとすると帰ってくるのな」

 だけどまあ、面倒くさくなくていいなんて、本音を口に出すことなく玄関まで迎えに行くと。

「…………っ!?」

 そこには、俺が今まで見たことが無いほど、弱りきったリオが居た。

「おい、リオっ!?」

「あ……お兄……?」

 壁に持たれるリオは、焦点の合わない目で、力無く俺を見据える。

「お兄……だよね……?」

 リオの顔は、最近では殆ど見たことの無い涙目で、どうやら、俺の顔が見えていないらしく。

「よかった……家、帰れたんだ……」

 それだけ呟くと、糸が切れた人形の様に、玄関先にぶっ倒れた。

「……っ!」

 それをどうにか抱きとめる。頭に添えた右手に、ぬるりとした感触。あら、ちょっと……出血してるじゃないお嬢さん。

「いや、まて、落ち着け。俺が動揺してどうする」

 冷静に冷静に。とりあえず傷の消毒と手当と、髪に付いた血も洗い流さないと……あとこいつの焦点の合わない目と、不自然な涙。催涙スプレーの類を掛けられたなら、顔やもしかしたら手なんかも洗い流さないと……ああもう面倒くさい、とりあえず救急箱持ってきて風呂に突っ込むか。なし崩しとはいえ、伊達に介護をやってない。まさかその技術を実妹に使うことがあろうとは思わなかったが。

 まず、親に見つからないよう、救急箱を取りに行かないと……。


「さて……とりあえず言いたいことは?」

「…………」

 パジャマ姿のリオと向かい合う。場所は妹の部屋。リオの頭には白い包帯が巻かれており、俺の右頬には、何故かガーゼが当てられていた。

「あー、痛かったなあ……折角手厚い世話をしてやったのに、まさかぶん殴られるとはなぁ」

「……お兄が悪い」

 ……まあ、目が覚めたら風呂場で、全裸で、しかも実兄に抱えられていたりしたら、混乱が先に来るというか、うん。それはぶん殴られても仕方ないかもしれないが。

「でもお前、風呂上りとか普通に半裸でうろついてる事あるじゃん」

「……その状況と、意識がない間に兄に無理やり脱がされた状況を同じに見ろって?」

「いや、悪かった。ホントに俺が悪かった」

 だから睨むなと。視線を逸らす。どうして俺の方が悪いことをした気分になっているのだろう。そうはいっても、催涙スプレーの効果ってのは放っておくと数時間は持続するので、俺の判断は決して悪く無かったと思う。そうしなかったら、リオは今でも大変な状態になっている筈だ。

「まあ良い……んで、何があったのか詳しく話せ」

 後頭部の傷は浅かったが、この前も言っていた通り、こいつが一撃を入れられること自体が異常なのである。例え不意打ちだとしても、だ。

「…………」

 リオは、ふて腐れたような表情で視線を逸らすが、とつとつと話し始めた。

「不意打ちっていうか……真正面からだったんだけど」

「……は?」

 思わぬ返答に、つい間の抜けた声が出る。え? リオに真正面から打ち込む? それってどんな化け物ですか?

 ……いや、もちろんリオは強いとはいえ、あくまで女子中学生レベルである。広く見ればこいつより強い奴なんてごまんと居るし、ジャンルを剣道に絞れば、俺にだって勝ち目はある。だが、ルールブック無用の無制限勝負となると、そして地域をこの街のみに特定すると、それはかなり絞られるだろう。

「真正面からって言うかさ、例のアパート前の道にうずくまってたの。女の人が。だからさ、声かけたら、いきなり目にスプレー噴射されてさ、それで……」

「あー……」

 超がつく善人のこいつなら、それは放っておけないだろう。……成るほどねえ。被害者を偽る加害者……という在り方は、アリナの擬態と似通った点がある。そしてヒーロー体質のこいつは、加害者には容赦しないが、被害者にはとことん甘い。そりゃあ引っかかるわけだ。

「……つうか、声掛けないほうが最悪じゃん」

 瞳を逸らしながら呟くリオ。一応反論はしてくるが、流石に未だ完全に回復しているわけではないのか、声に力が無い。

 しおらしくしているリオは、身内の贔屓目もあるかもしれないが、外見だけは可愛らしい。だが、妹の容姿を可愛いなどと明言する兄貴は気持ち悪いし、妹が可愛くても、兄の立場だと損はあっても得なんて存在しないので、こいつには普段のように突っかかってきて欲しいって思いもやっぱりある。……もっとも、今に限っては、大人しくしといてもらったほうが、都合が良いか。

「ったく。反省しろよ。お前」

「…………」

 無言。反省しているかは分からないが、この態度からして、一応負い目はあるらしい。なら、良い。……にしても、前回から一週間と立っていないにも限らず、またも厄介事。それも妹の尻拭いだ。霜月の言葉が思い出される。……いや、確かに説明しなかった俺の所為もあるかもしれないが、コレはどちらかといえば、こいつの自業自得だろう。

「……あのさあ」

「あん?」

「あたしが倒れた時、誰か傍に居なかった?」

 視線を逸らしたままで、力無く口を開くリオ。

「それって、犯人ってことか?」

「……バカ?」

 ……本当に、心から馬鹿にした口調でした。そうはいっても、俺はこいつから聞いたことしか、情報が無いのであって、こいつに分からないことが、俺に分かるはずも無い。

「違う。私たち以外に居たの、もう一人」

「もう一人?」

「うん。誰か、来た。それで相手が逃げて……だから、助かった。……その人が、送ってくれたし」

「へえ……? いや、お前しか見てないな。外に居たのかもしれないけど……」

 何というか、あのアパートの周辺に近づくってだけでも珍しいのに、そんな真っ当に善良な奴が通り掛るなんて、奇跡的というか、寧ろ空気が読めてないとしか思えない。もっとも、そのおかげでこいつは助かったわけで、文句なんてこれっぽちも無いけれど。

「どんな奴だ?」

「知らない……顔、見えなかったし。男の人……っぽかったけど」

「ふうん」

 男、ね。あのアパートの誰かだろうか。うん、偶々通りかかった一般人よりは、そう考えたほうが辻褄が合う。

「多分、お兄より背は高かったと思う。……お礼とか、言いたいんだけど」

 そして、俺より背が高い。……先ず頭に浮かんだのは『まーくん』だが、アイツが自分から厄介事に関わる筈が無いので却下。そうでなくとも、そもそもアイツはアパートに住んでいるわけではないので、こんな時間まで残っているとは思えない。そうなると、カオルか。相変わらず間の悪い奴だが、今回に限り感謝する。あの朴訥善人は助けに入っただけでなく、どこの不良少女とも知れぬ女子中学生を手も出さずに家に送り届け、名前も言わずに去っていったわけだ。なんだそのスーパー良い男。

「まあいいや……じゃあ、とりあえず明日、話を聞くことにする。お前はもう大人しくしてろ」

 リオの頭に手を置いて、立ち上がる。普段なら直ぐに払いのけてくる所だが、今日は少し嫌そうな顔をしただけだった。やはり疲れているのか、それとも反省しているのか。判断に困るところだが、どちらにせよコイツには似つかわしくない。まあ、前のように、さっさと解決できたら良いが、果たしてどうなることやら。

「……あ、そうだ」

 立ち去る前に、一応聞いておかなければ。

「なあリオ、その相手って、どんな奴だったんだ?」

「は?」

「いや、だから、どんな奴だったかって」

 いきなり目に催涙スプレーを掛けられたのなら、確認する間も無かったのかもしれないが、それでも聞いておくにこしたことは無い。

「……何言ってんの、お兄」

 だが、リオの反応は、俺が予想したものとは少し違う、呆れたような声色だった。

「お兄さ……あたしがどうして夜に出歩いてたか、もう忘れたの?」

「は……?」

 ……いや、覚えているとも。こいつは、前回の事件の犯人である、顔を奪う通り魔を捜していたはずだ。だが、それがどうした? それはもう終わった話で、無くしたと思い込んでいる自分を探す犯人は、自分を見失ったまま、とっくに消えている筈だ。

「何を勘違いしてるのか知んないけど……今日あたしが出遭ったのは、アイツだったよ。チラッとしか見えなかったけど、手に持ってたのも、あの時と同じゴルフクラブだったし。それに、倒れたあたしの髪を掴んで、こう……」

 リオは、見えない何かを掴みあげるような仕草を行う。

「その時に、例の人が来たから、そいつは逃げたけど。……あのままだったらあたし、今頃顔が無かったかもね」

「……笑えないから」

 ……とはいえ。例の殺人犯が、未だ存在する?

「……お兄?」

「いや……なんでもない。お前は、ほら、寝ろ」

「そりゃ、お兄が出て行ったら、寝るけど」

「じゃあ出て行くから、寝ろ」

 片手で額を押さえながら、部屋を出る。リオが最後まで怪訝な表情でこちらを見ていたが、今の俺には気にする余裕も無かった。

「まさかこういうことかよ、霜月……」

 なるほど。要するにアイツは、この可能性を示唆していたのか。……完全に見込み違いだ。アイツに何を言われようと反論できない。どうやら俺の目は節穴だったらしい。新たな問題が起こるまでもなく、そもそも終わっていなかったということだ。……勘弁してくれ。

「くそ……アリナでもあるまいし、そう簡単に蘇生なんてしないで欲しい」

 今更愚痴ろうと問題は変わらない。俺はもう、この問題に関わってしまっている。人は関係の無いものに関わることは無い。逆を言えば、関係のあるものには、須らく関わりを持たざるをえず、そしてその責任は、関わった自分に存在する。コレは間違いなく俺に関係する、俺の問題である。……結局、自業自得ってことか。勝手に終わったと解釈して、無責任に放置した結果がコレだ。小難しいことを考えなくとも、責任の一端は俺にあると言われても過言ではない。

「……まあ、責任は、取らないと、な」

 ……とりあえず明日、カオルに話を聞くことにしよう。


8/10


「……留守か?」

 アリナの部屋よりも下階にある四号室。そこがカオルの部屋である。インターホンなんて高級なものは無いので、安っぽい扉をガンガン叩くも、返答は無し。確かに真っ当な学生なら学校に居る時間だが、アイツが真っ当な学生なのか、というかそもそも学生なのかも俺は知らない。そこまでの関係ではないし。

「昨日のこと、聞きたかったんだが……」

「珍しいですね、カオル君に用ですか」

 部屋の前で立ち往生していると、急に背後から声が聞こえた。もはや恒例となりつつある遭遇に、いい加減愛想笑いも浮かべられない。

「……真っ当な学生なら、学校に居る時間なんだけど、城崎さん」

「休校中です」

 普段の笑顔で堂々と、明らかな嘘を吐く城崎さん。何時もなら何か言い返すところだが、残念ながら今日の俺には、軽口を叩くほどの余裕が無い。

「なにか? 俺、城崎さんに用は無いんだけど」

「おや、今日はご機嫌斜めですねマキノくん。何か悪いことがあったなら、ご相談に乗りますよ」

「遠慮する。付け込まれてたまるか」

 片手を振って拒絶の意思表示。悪魔はこういう、人の弱みに付け込んでくる。心を強く持つことだ。

「残念です」

 苦笑する城崎さんは、言葉とは裏腹にさして残念そうでもない。元々相談なんて、されると思っていなかったのだろう。

「そうだよ。ああ、相談じゃなくて、さ」

「はい。なんでしょう」

 そういえば、あいつが襲われたのはこの辺だったはずだ。だったらカオルでなくとも、このアパートの住民なら、意外と目撃していたりするかもなんて。もっとも、時間が時間だけに、さして期待もしていなかったのだが……。

「昨日のこと……ですか? ああ、はい」

 城崎さんは、何か思い当たることでもあるのか、珍しく笑顔を崩して、顎に指を当てた。

「……何かあるのか?」

「はい。女の子の悲鳴というか、怒声というかが聞こえましたね。その後でカオルくんの声も聞こえましたし、僕は関わらないことにしましたが……ああ、もしかしてカオルくんに話って、そのことでしょうか?」

「ああ、そうだよ。その襲われたほう、多分うちの妹でさ。その関係で」

「なるほど。素敵なお兄さんアピールですか」

「いや、違う。それぜんぜん違う」

 寧ろダメ兄貴だからこそ、今こうして奔走しているのだが、それは別に言わなくてもいいか。

「へえ、それにしても、マキノくんの妹さんですか。それはそれは、さぞや可愛らしい娘なんでしょうね」

 そう言うと、城崎さんは真顔を崩し、普段のように微笑んだ。

「別に可愛くもないよ。何時も俺に突っ掛かってくるし」

「でも、マキノくんは今、こうしてその妹さんの為に頑張ってるじゃないですか。マキノくんが他人の為に動くことなんて、先ずありえませんし。それだけでも、特別なんじゃないですか?」

「……むう」

 反論したいところなのだが、大方的を射ているので反論できない。だが、あえて城崎さんの間違っているところを上げるとすれば、他人の為というところか。確かに俺は他人の為に行動なんてしないし、それは今だって同じだ。リオの為と思えるこの行動も、結局は自分の為である。

「……別に、何とでも思えば良いさ」

 もっとも、城崎さんがどう解釈しようと俺には関係無いので、わざわざ訂正はしなかった。

「そうさせてもらいます。それに、顔が可愛い娘で無いと、奪っても意味がありませんしね」

「ま、そうだよな……」

 あの女が他人の顔を奪うのであれば、やはり美人。或いは美少女と呼ばれる他人の皮を被りたがる。そういう意味では、リオもやはり、客観的に見て美少女の類なのだろう。なにしろ二回も襲われるくらいだし。……ん、ちょっと待て?

「なあ、城崎さん。どうしてアンタが、そのことを知ってるんだ?」

「はい?」

「いや、だから」

 リオを襲った奴が、顔を奪う女だという事。確かにこの犯人は最近ニュースにも取り上げられているようだけど、『襲われた』という単語だけで、当たり前のように、その犯人を思い浮かべるだろうか?そもそも、あの女に襲われた人間は、顔ばかりか命すらも落としていた。しかし、リオは未だ生きている。『もしかしたら』なら分かる。だが、今の城崎さんの言葉は、犯人がそいつだと確信しているようだった。

「どうしてって……聞きましたから?」

「誰に」

「本人に」

 ……よし。待った。ほんの少しだけ頭を整理しよう。

「えっと……要するに、城崎さんは例の犯人と、面識がある。と?」

「そうですねぇ」

「まさか……」

 ……ひとつだけ、分からなかったことがある。誰がどう見ても明らかに『限界』だったあの女が、どうして復活を果たしたのか。……そう、あの女を見つけた車庫からこのアパートまでは、信号を曲がって真っ直ぐ進むだけだ。そして、この街に住む奴の間に、密かに浸透している噂。……『七号室の悪魔』。その由来は――

「……要するに、アンタが元凶か」

「元凶とは失礼ですね。僕に責任はありません。僕はただ、手厚い看病と、ほんの少し、背中を押してあげただけですから」

 俺の殺気の篭った視線に対しても、城崎さんは、あくまで笑顔を貫く。城崎さんが悪魔と呼ばれる所以はこれだ。『七号室の悪魔』。人の悩みを解消するモノ。だがそれは、必ずしも良い方向とは限らない。この人は背中を押すだけだ。悩んでいたり、困っていたりする人の背中を。問題なのは『背中を押すだけ』であり、決して、引き止めたりはしないということ。しかもそれを、あくまでも他者の為に、善意で行うということ。善意で自殺者の背中を押すような人だ。『悪魔』と呼ばずして何と呼ぶ。

「……じゃあ、あの時、アリナの部屋に来たのは」

「はい。マキノくんの働く姿を見て、介護の仕方でも勉強しようかと思いまして。結果的に助かりました。ありがとうございます」

「………………………いや」

 ……分かっている。この人は悪くない。この人はただ、相手に対応するだけのモノだ。この人に相談するということは、鏡に話を聞いてもらうようなものであって、この人は相手に見返りを求めない限り、自身に責任すら負わない。だから、今ここでこの人に怒鳴り散らしても、何の意味も無い。……意味も無いと、分かっては……いるんだけど……。

「……マキノくん、怒ってますか?」

 凡庸な笑顔。誰に影響を与えることも無いような微笑が、俺を見上げている。

「マキノくんの気が済むのであれば、別に、どうされようと構いませんよ?」

「……っ!」

 握った拳を、扉に叩きつける。ただでさえボロい四号室の扉には、見事にへこみが出来てしまった。カオル、すまん。

「……良いんですか?」

「……別に、女性に手を上げるのは、主義に反するだけっすから」

 じんじんと痛む拳が、どうにか頭に冷静さを取り戻させてくれる。それでも未だ、城崎さんの顔を真正面から見ることは出来ない。

「……流石はマキノくん、ですね」

 何が流石なのかは分からないが、とにかくこれ以上、城崎さんの前に居たくなかった。城崎さんの横を通って、逃げるように立ち去る。……ああ、その前に。

「城崎さん、アンタ、アレがどういう奴か、知ってたのか?」

「そうですね。……はい。ニュースで知っていましたし、荷物も見せてもらいましたし」

 荷物……か。その中に何が入っていたかは、安易に想像がつく分、あまり想像したくない。

「じゃあアンタ、分かってて、匿ったんだな」

 どうして、とは、聞けなかった。聞けなかったが、しかし、彼女は。

「はい。そんなこと関係ありません。犯罪者だろうと普通の人だろうと、愚者だろうと賢人だろうと、殺人鬼だろうと自殺者だろうと。困っている人は、見過ごせないです」

 特徴の無い、印象に残り辛い声で、それでも忘れられないくらい、はっきりと、そう答える。七号室の悪魔。人の弱さを肯定する、人の人生を狂わす無責任な害悪は、確かな意思と、正義を持っていた。

「……はあ」

 だから俺は、ため息を吐くしかない。だからこそ、迷惑なものってのも、あるわけで……。



「さて……どうしたもんか」

 アリナの部屋、ベッドに首をもたれさせながら、白い包帯の巻かれた右手を見る。一発でコレなので、やはり慣れないことはするもんじゃない。

「…………」

 そもそも俺に、城崎さんを責める権利なんてないだろう。俺は自分に被害が出ないのを良い事に、あの女を放置した。二日で限界だろうという目算は、逆を言えば二日は被害者が出る可能性もあるということで、俺はそれを知っていたのに、見てみぬふりをしたのだ。その被害者が結果的に俺の妹だったからといって、どうして責められよう。それを知りながら容認した俺が、被害者が身内だからといって、城崎さんを責めることは出来ない。

「かといって……なあ」

 ……とはいえ。とはいえ、だ、城崎さん。どんな悪人すら容認する、聖女の如き悪魔さんよ。その思い、その考えは、俺なんかが否定できるものではない。かといって、彼女の行動を容認できるわけでもない。……柄でもない。例え妹の事とはいえ、こうも他人の事を考えるというのは……。

「……マキ……」

 ……と、ベッドの上から聞こえる、細い声が、俺の思考を遮った。

「……マ……キ……ノ……?」

「うわ……」

 しまった。ちょっと他人に思考を回しすぎたせいで、アリナが蘇生しかけてる。本当、そういう匂いに敏感な奴だ。ベッドにもたれた顔を上げると、兎みたいな瞳が俺を見下ろしている。

「ええい、近寄んな」

「……?」

 思考までは回復していないらしく、カクリと首を傾げるアリナ。その動きは人間というより、映画やゲームのゾンビを連想させる。生きている死体。うん、遜色は無い。

「……マキ……ノ?」

 そして、その印象もすぐに消えていった。カメラのレンズがピントを合わせるように、アリナの瞳が徐々に光を取り戻し、俺に焦点を合わせていく。

「……マキ、うぷっ」

「はい、ストップ。……今回が例外なだけで、お前に興味が沸くわけじゃない」

 徐々に生気を取り戻すアリナの顔にクッションを押し付けて、立ち上がる。少し頭を振って思考を振り払った。アリナに瞳を向けると、俺を見下ろしていた形のままで固まっている。死体に逆戻りしたらしい。項垂れる姿が、ほんの少し、お預けを食らった動物のようにも見える。

「ったく、油断も隙も無い……」

 今日の仕事は出来るだけ注意することにしよう。他人を思考することは、こいつにとって好物の匂いだ。食われるまでは行かなくとも、変に自我を取り戻されると、仕事がはかどらなくなる。ただでさえ今日は、件の通り魔の事を考えなければいけないのに……いや、待てよ。

「…………」

 しゃがみこんで、アリナの顔を見る。光の無い瞳や、人形のような無表情はともかく、その顔は、傍目から見れば十分『美少女』として通用する顔である。

「……まあ、多分十分だよな」

 もっとも、あの女が求めているのは顔だけでなく、『自分』というアイデンティティそのものだが、その点もオールオッケー。だって擬態は得意だろ、アリナ。

「……オッケーオッケー」

 立ち上がる。後は夜を待つだけだ。今日が駄目なら明日でも構わない。何れにせよ出会いさえすれば良い。あの女が何処で何をしようと興味は無いが、けじめは付けておかないと気分が悪い。その為に……。

「…………」

 ほんの少しだけ、アリナが反応した気がする。が、復活するには未だ早い。せめて夜。この仕事が終わるまでは、ただの死体で居て貰おう。



次回更新は12月17日20時予定

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ