『ミミック』2
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「あん、殺人事件?」
「そう。殺人事件」
そんなこんなで、次の日。霜月からメールをもらい、ちょうど休日だったのと珍しく厄介事以外で鳴った携帯の顔を立てるために、何時もの喫茶店に顔を出したところ、霜月が出した話題はそりゃもう物騒なものだった。やっぱり携帯は持ち歩かないに限る。
「懸本くんの場合、携帯がなるようなことは全て厄介事なんじゃないのかな?」
「そんなことはないぞ。女の子からの誘いは嬉しいともさ。もう少しまともな話題ならな」
因みにアリナは別。つうか、アイツは俺の中では女じゃないし。もっとも、アイツが携帯で俺を呼び出すような事はあり得ないので、その過程を想像すること自体無意味だが。
「ごめんね。君を呼んでみたは良いけど、君と話せる話題なんて、これくらいしか見つからなくて」
「それはそれで嫌だな……というか」
「話題が無いなら呼ばないで欲しい。なんて思っても口に出したら最低だよね」
「…………」
……いや、うん。確かに失礼だよな。よく思い返せば、こいつは大学時代からこんな奴だったし。俺も霜月も、そんなに話す方ではなく、お互いに沈黙が苦にならないタイプだったので、話題なんてあってないようなものだった。
「分かったよ。で、殺人事件? なんだそりゃ」
「最近この街で起きてる通り魔だよ。ニュースでも結構話題になってるけど、知らない?」
ストロベリーパフェを目の前に置き、スプーンを咥えながら、霜月は首を傾げる。その仕草は整った容姿を持つ霜月が行うと、健全な成年男子としては目の保養なのだが、会話の内容は随分物騒なものである。
「悪いが、ニュースはあんまり見ない」
ため息を吐きながら答える。というより、テレビ自体あまり見ない。何しろ、一日の大半を過ごすアリナの部屋にはテレビが無いのである。かといって家に帰ったところで、穀潰しな俺にチャンネル権などあるわけも無く、時々妹と一緒に週末の映画を見るくらいなもんだ。
「ふうん。……まあ、懸本くんにはあまり関係の無い話だしね。でも、妹さんも居るし、折角だから聞いていかない?」
「お前はどこの情報屋だ」
「お金は取らないよ」
霜月は苦笑すると、幾分真面目な顔で俺にむかい直した。
「最初の被害者は、二週間くらい前だったかな。近所の女子大生……というか、うちの大学なんだけど。市街地より少し外れた所の公園のトイレに倒れていたのさ。ゴルフクラブかなんかで後頭部を一発。その後、刃物で首を、こう」
手に持ったスプーンで、自分の首を切るジェスチャー。
「公園前の道路で仕留めてから、そこまで運んだみたいだね。話によると、どうやら夜の十時くらい」
「ふうん……深夜っていうには、少し早すぎるな」
「そうだね……だけど、まあ田舎だし。夜の九時には、あの辺は真っ暗になるでしょ?」
確かに。多少は発展している中央街ならともかく、この辺の通りの店は、あっという間にシャッターを下ろす。開いているのは、コンビニか居酒屋くらいなものだ。
「なるほど……で?」
俺が続きを促すと、霜月はやや嬉しそうに顔を緩めた。別に興味があるわけではないが、暇つぶしに話を聞くには、それなりに面白そうな話題だ。こいつの話しぶりからして、どうにもオチが有りそうだし。
「うん。次に襲われたのはそれから三日後。今度は中央街で、OLさん。見つかったのは雑居ビルの間の裏路地。こっちもやっぱり、ゴルフクラブで後頭部を一撃。そんで刃物でざっくり。こっちの時刻は、どうやら夜中の一時くらい。で、次。今度は東のほうの畑のあぜ道で。時刻は九時過ぎ。かな。因みに、全員女性」
「成るほど。俺には関係無いって言ったのは、そういうことか」
そりゃあ、俺は肉体的にも精神的にも間違いなく男だし、あの金髪野郎のように、馬鹿みたいに髪を伸ばしたりもしていないので、女と間違えられるようなことも無いだろう。
「そういうこと。まあ基本的に夜だから、夜中に歩きまわりさえしなければ、大丈夫なんじゃないのかな。ふふっ。もっとも、この結果を見る限り、少し暗がりに行ったら危険そうだけどね」
楽しそうに笑うのは、肉体的にも精神的にも、ターゲット一直線な女子大生。そういえばこいつはあの時も、こんな顔で笑っていたっけ。だとすればこれも、ただの通り魔ではあるまい。
「もう良いだろ? 霜月。そろそろオチを教えろよ」
「わかったわかった。そう焦らないでよ」
俺が食いついた所為か、霜月はますます楽しそうに笑うと、少し顔を乗り出して、囁くように言った。
「その、殺された女の子達なんだけどね……全員、顔の皮を剥ぎ取られていたんだって」
「――は?」
予想外の言葉に、俺は間の抜けた声を上げてしまう。
「だから、ナイフで顎の辺りから額まで。綺麗さっぱり。因みに、ゴルフクラブで昏睡させられた後ね。女の子たちはみんな、顔を剥がされてから殺されている。最初に気絶させてから、獲物を持ち替えてるのは、要するにそういうことなんだろうね。ねぇ、どう思う?出来るだけ新鮮な顔が欲しかったのか、それとも血で汚したくなかったのか。いずれにせよ、常軌を逸してるよね」
楽しげに語る霜月は、外見だけなら普通の女子大生だというのに、内容は笑い所の分からない三流スプラッタだ。
「……お前は他人事だからと、不謹慎にも程があるな」
「自分事でも他人事な君には言われたくないね」
失礼な奴。顔を顰めながらコーヒーを啜ると、霜月も再びパフェのスプーンを手に取る。
「ねえ、懸本くん。この犯人はどうして顔を奪っていったんだと思う?」
「さあね。狂人の思考は分からん。分からないから狂人なんだろ」
アリナや、あのアパートの住民を見てると特にそう思う。人間、理解できないものを無理に理解しようとしないほうがいい。狂気を理解できてしまえば、自分も狂人の仲間入りだ。
「成るほど。そういえば君は、そういう類の人間だったね。ふふ……でも、ここは話を合わせて欲しいな。単なる知的好奇心の一環として、こういう考察をするのもいいでしょう?」
「ああ……ま、それくらいならな」
どうせ暇だし。無意味な思考の展開は趣味みたいなものだ。それなら、二つ頭を寄せ合わせたほうが、無意味でももう少しマシなものになるかもしれない。
「じゃあ、もう一度はじめの質問に戻ろう。どうしてこの犯人は、顔を奪っていったのだと思う?」
「知るか」
そうは言っても、俺がその質問に答えられるわけじゃない。他人の顔を奪おうなんて考えたことも無いし、どう思考すればそんな行動に思い当たるのか、全くといって見当が付かない。霜月は肩を竦めて苦笑すると、スプーンでパフェを掬って、口に運ぶ。
「顔って言うのは、なんだかんだ言っても人のシンボルだよね。『人は顔じゃない』とか言うけど、他人と接するときに最初に見るのは相手の顔だし。人間の表情は感情と直列してる。コミュニケーションを取る上で、相手の表情を読むのが大切だってのは、分かるよね?」
「ああ。一応」
「顔っていうのはある意味、その人がその人であると言う象徴だと言える。分かりやすいアイデンティティってことかな。私はこの顔を持っているから私で、君はその顔を持っているから君であるように」
まあ、言わんとしていることはわかる。例えば、俺と霜月が何らかの超常現象で中身だけが入れ替わってしまったとしよう。漫画や何かでよくあるアレだ。その時の俺の認識は、あくまで俺自身なのだろうが、鏡でその姿を見たときには恐らくこう思うだろう。『霜月になってしまった』と。ここで重要なのは、俺は主観的には懸本アキノだと認識しているにも関わらず、客観的には自分の姿を霜月ユキナと認識しているということだ。
「それの面白いのは、主観と客観で違うってことだよね。例えばそれを私からみると、『懸本くんになってしまった私』なんだろうけど、全然関係ない人から見たら、『私が入ってしまった懸本くん』ってことになる。私は私なのに、他人は私を懸本くんとして見る。私が私のままで、懸本くんになっちゃうんだよ」
そう。これが例えば顔でなく、身体だけが入れ替わってしまったとしたらどうだろう。その時の俺は『霜月ユキナになってしまった』等とは思わず、『身体が女性になってしまった』としか思わないだろう。周りの認識も恐らくそう。……いや、そんな状況、積極的に他人に知らせようだなんて絶対に思わないだろうが。
では、顔だけが入れ替わってしまった場合には――?
「……ん? それってもしかして……」
「そう。この犯人と通じるものがあるよね」
ようやく本題に戻れた故か、霜月は嬉しそうだ。こいつが嬉しそうだと分かるのは、こいつの顔が綻んでいるからである。……ふうん。なるほど、そういう事。
「やっぱりお前、気をつけたほうが良いだろ」
「それは褒め言葉?」
「まあな」
そいつの目的がそうだとしたら、こいつの美少女顔は正に狙い目だろう。なんて分かりやすい。あまりにも単純で、それ故に現実味の無い。どこまでも下らない妄想。要するに――
「犯人は、『変わりたい』んだと思う。今の自分を捨て去って、全く違う誰かに、ね。私の考察はそんなところ」
でも一度は思ったことはあるだろう。自分に自信が無い人間。そうでなくとも、身近に尊敬できるような人間が居た場合。「自分もそんな風になれたら」「あんな風に生きれたら」。そして、「もし、あの人になれたら」という、現実逃避にも似た妄想を。だが……。
「…………」
「懸本くん? どうしたの。怖い顔をしているけど」
「……いや。何でもないさ。価値観は人それぞれだ。俺が口出すことでもない」
言い捨てて、コーヒーに口をつける。すっかり冷め切ったコーヒーは苦いばかりで、思わず顔を顰めた。
「そう? じゃあ、この話はここまでにしておこう」
霜月もパフェを掬いながら口を閉ざす。恐らく俺の『表情』から、俺がこの話題を続けたくないのを悟ったのだろう。……確かに便利だよなぁ。これ。
「それでも、少しは君も注意したほうがいいんじゃないかな。妹さん、けっこう可愛いよね。あんまり遅くなるようだと、危ないかもしれないよ」
「アイツが襲われてやられる姿なんて、ぜんぜん思い浮かばないけどな……」
身内自慢なんてするもんでもないが、うちの妹ことリオは、剣道は当然のこと、小学校時代には空手や柔道にまで手を出しており、度胸もあり、正義感も強いという、なんともヒーロー体質な中学生なのである。なんというか、俺が生まれてくるときに落っことしてきたものを、全部拾ってきたかのような。
「……いや、チョイ待て、お前俺の妹にあったこと無いだろ。なんで可愛いなんて知ってるんだ」
そりゃあ学生時代、妹の事を多少話題に上げたこともあったが、『可愛い』なんて一言も言っていない。というか、言いたくない。
「ちょっと面識があってね。頼りにされてるみたいじゃない、お兄さん」
何処で知り合ったのかという言及はともかく、霜月の言葉に答えるなら、頼りにされているというより、良い様に扱われているというほうが正しい気がする。正義感と度胸を併せ持つ妹は、身内としてはあまり自慢できるもんでもなく、寧ろその融通の利かなさから、何かと厄介事を持ち込むことの方が多い。そうでなくとも、アイツは未だ『中学生』で、出来ないことのほうが多いのだから。
「俺としては、リオが襲われる事より、自分から関わっていくことのほうが心配だ。アイツの事だから、悪党成敗とか言い出しそうで困る」
「ふふ……そうなったら、君はどうするの?」
なったら。というか、なって欲しくないわけで。微笑む霜月に、俺は肩を竦めた。
それから暫く、霜月と意味の無い会話を続けた。結局、うちの妹と何処であったのか、教えて貰えなかったが、まあ、それなりに楽しい時間だったとは思う。
もちろん最後にはしっかり、家まで送ってやったとも。
♪
霜月と別れ、特にすることも無く家でごろごろしている内に、時刻は夜の九時を過ぎていた。
「ん……そういや、リオが未だ、帰ってきてないな」
そういえば、今日は何処かで練習試合があるとか言っていた。帰りが遅いのはその所為か。部屋の窓から星空を見上げつつ、ふと今日の霜月との会話を思い出す。アイツが襲われるという状況は、どうしても想像が沸かないが、ここは優しい兄貴をアピールすべく心配して迎えに行こうか、嫌われ兄貴らしくあくまで無視を決め込むか等と考えながら玄関口まで行くと、丁度リオが帰宅したところだった。
「お帰りさん。やけに遅かったな」
妹の好感度を上げようなんざ思ってもいなかったが、気まぐれに竹刀袋やら防具袋やらをさり気なく受け取ってやると、むちゃくちゃ嫌そうな顔をされる。反抗期め。たまにはデレろ。
「ただいま。うちと向こうの顧問が同じタイプだったらしくて、二人で盛り上がってたの」
が、わざわざ重たい剣道具を奪い返すより、馬鹿兄貴に持たせたほうが楽だと考えたのか、それともこいつには珍しく本気で疲れているのか。リオは鞄を置いて靴を脱ぎながら愚痴り始める。
「マジでさ、馬鹿みたい。部員なんて全員だらけきってるってのに、顧問ばっかりやる気でさ。あっちの部員も迷惑そうな顔してたし。そんなんだから弱いんだっつうの」
「へいへい、お疲れさん。これはどこに置いとけば良い?」
「そこの隅に置いといて、……どうせ明日持っていくし。竹刀袋はあたしの部屋。一本折れちゃったし。あー……シャワー浴びたい」
言われたとおりに防具袋を置く。リオは鞄を掴むと、セーラー服の胸元をぱたつかせながら俺の横を通り過ぎ……ん?
「お前、ちょっと待て」
「へ?」
リオの肩を掴んで振り向かせる。……うん。髪の毛邪魔。
「ちょい動くなよ」
リオの首筋の髪を上げる。何か傍から見ると、これからキスでもしそうな体勢である。……言ってて気分が悪くなってきた。
「……何やってんの」
している俺も複雑な心境だが、されているリオはもっと複雑だったらしい。冗談として流すべきなのか本気で嫌がればいいのか、迷っているうちにどちらも選べなかったような顔で俺を見つめ返している。
「いや……お前、血が付いてるんだけど、どうした」
右の首筋からセーラーカラーに掛けて、少しだが、血痕が付いていた。
「突き……は無いよな。中学生に」
突きが外れて首筋を掠めることは、高校以上の剣道なら、偶にある。だが、リオは中学生だし、そもそもそれで怪我をしたとしても、胴着ならともかく、セーラー服に血が付着する理由が分からない。
「ああ、これ? 帰る途中、よく分かんないけど急に襲われたから」
「…………」
言葉に詰まる。……呆れたというか、なんというか。昨日の今日どころか、つい先程話を聞いたばかりだというのに。コレは運が良いというべきなのか、それとも悪いというべきか。いや、リオにとっては間違いなく不運か。それじゃあ俺にとっては不幸なことだな。……はあ。
「で、いい加減離してくんない?」
「おう。悪い……。なあ、それって知ってる誰か?」
「知らない。暗かったからよく見えなかったし」
「ふうん……なあ、それってついさっきのことか?お前の通学路でOK?」
「そうだけど……なに、急にどうしたの」
「いや。なんでもない。あ、やっぱこれ、自分で部屋まで持ってけ」
怪訝な表情をするリオに竹刀袋を持たせて、踵を返す。可能性は低いが、急げば間に合うかもしれない。間に合ったところで何が出来るわけでもないし、そもそも何かをする気も無いが、ただの興味本位だ。
「あ、そうだ」
行く前に聞いておかなければいけないことがひとつ。これがどちらによるかで、俺の態度も変わろうというものだ。
「お前その血、どっちの?」
「……お兄、何言ってんの?」
リオは俺を見返すと、あからさまに呆れた表情で口を開いた。
「返り血に決まってんじゃん。暗がりだろうと不意打ちだろうと、あんな素人の一撃、あたしがくらうわけ無いでしょ」
強がりでもなんでもなく、当然のようにそんなとんでもない言葉を返すリオ。決まってるって。どうして返り血を浴びるような状況に慣れてんだお前は。あと素人って何だ。
「頼むから、犯罪者にはならないでくれよ……」
「……今日のは正当防衛だし。それに、額って血が出やすいじゃん」
俺が肩を竦めつつ、半分冗談、半分本気で諭すと、リオは少し拗ねたように言葉を返す。よりにもよって額かよ、相手が女性だったら……跡とか残ったら大変だろうなぁ。
「はあ……」
「……どこ行くの、お兄」
ドアノブに手を掛けた所で、リオが口を開く。珍しい、普段なら俺の行動になんて一切興味を示さないのに。
「さてね……とりあえず、謝ってくるか。『うちの妹が迷惑をお掛けしました』ってさ」
「…………」
竹刀袋を抱えるリオは、不満げに、だが何も言い返せないらしく、黙ったまま俺を睨む。俺はそれに苦笑を返しつつ、ドアを開いた。
♪
「さて」
家の前の道路には街灯と民家の明かり程度しか照明は無く、人通りは皆無といっても過言ではない。時刻は九時半。信じられないかもしれないが、田舎ってのはこんなもんで、それこそ駅の周辺とかでもない限り、車の通行もまばらだ。そもそも施設が無いのだから、外に出ても意味が無いのである。
「あっと……中学への道のりは……」
古い記憶を掘り起こしながら、中学へと足を向ける。リオの通う中学は、俺がかつて在学していた普通の県立中学だ。出発点が同じなので、アイツの性格がよっぽど捻くれてでもいない限り、通学路はかつての俺と同じになるだろう。
方角的にはアパートに向うのと同じなので、そう迷うことも無い。中学まで歩いて二十分程度。その間に探し物が見つかれば良いが、見つからなくても構わない気がする。ここの所、五月とは思えない真夏日が続いていた。今夜は珍しく夜風が冷たいので、夜の散歩としゃれ込むのも悪くは無いだろう。そのまま校内に入って感傷に浸るのも良いかもしれない。
車の走らない車道、点滅する信号を横目に見る。この車道を真っ直ぐ、街の端まで歩くと普段通りの異世界アパートにたどり着く。だが、今回の目的地は別で、横に伸びた更に狭い路地へと足を踏み入れた。車が一台どうにか走れる程度の路地には、数の少ない街灯も更に姿を消し、民家の明かりも申し訳程度になる。
「…………」
ふと、瞳を横に向ける。特に意味も無い気まぐれは、本当に意味の無い当たりを引いてしまったようだ。
使用者が居ないのか、半数近くがシャッターの下りていない月極の車庫。その奥に、居た。暗がりに目が慣れていなければまず見失っていただろう。無駄に時間を掛けたのが幸いしたのか災いしたのか。白い服を着たそれは、こちらに背を向けて蹲っている。軽くホラーだ。柳の下でもあるまいし、幽霊が出るには趣が無い。だからそれは幽霊でも何でもない、被害妄想に駆られた人間である。
ビンゴだというのに、いまいち気が乗らない。まあ、もともとただの好奇心だ。このまま帰っても良いだろうが、見つけてしまったからには一応確認しておかないと。理屈はよく分からないが、アイツの問題は何故か俺に返ってくるので、先に根回ししておくのも良いかもしれない。
「おい」
心の中で勝手に結論付け、背後から声を掛けると、それは怯えたように身体を震わせた。少し言葉遣いが荒かったか。まあ気にしないけど。そもそも、俺の妹を襲った輩だ。配慮するほうがおかしいし、何より興味が無い。
「おいってば。アンタ、こんなところで何やってるんだ」
もう一度声を掛けると、それはゆっくりとこちらへと振り向いた。
「…………」
思わず動きを止める。……どうやらこれは、本当にホラーだったらしい。顔面血まみれの女が、見開いた目で俺を睨んでいる。背後からではよくわからなかったが、白いシャツの前面は赤黒く染まっていた。つうか何これ、マジ怖い。
「だれ……貴方……あなた、誰……っ!?」
俺の方に身体を向けると、腰が抜けたような姿勢で後ずさる血まみれさん。いや、そんなにビビられても。正直俺よりアンタの方がよっぽど怖い。逃げたいんだけど、お互いがお互いを意識しすぎて下手に動けなくなってしまった。森で熊と遭遇した直後ってこんな気分なんだろうか。
「……あー」
俺は間の抜けた声を出しながら、目の前の相手を観察する。性別はどうやら女性らしいが、何だこれ。
「アンタさ……病院行った方が良いんじゃない?」
「――――」
一瞬、大きく身体を震わせたかと思えば、女は身体を硬直させる。怯えたような眼差しは消え去り、身体から独立しているような眼球が、キチキチと俺にピントを合わせる。……どうやら地雷を踏み抜いてしまったらしい。とはいえ、顔や服の血は置いておいても、女性は余りに病的すぎる。痩せこけた頬。頭蓋から飛び出したような眼球。サイズの合っていないシャツの下の身体も、恐らく似たような状態だろう。
アリナも確かに華奢な身体を有しているが、しかしこれは行き過ぎている。アレはギリギリの均衡で儚さを保っているが、目の前のコレは、そんなバランスをとっくに踏み外していて、そこにあるのは、恐怖と、醜さだけだ。
「あ……あぁああああああああああ!!!!!」
「……っ!!」
女は手元に転がる棒状の何かを掴むと、俺に向けて振り回した。後ろに飛びのいてどうにか避ける。筋力が衰えている所為か、動作が緩慢なのが幸いした。そのまま追撃が来るかと思ったが、体力も衰えているらしく、すぐに息を荒げて手に持った何かを落とす。
足元に転がるそれはゴルフクラブ。今更確認するまでも無かったが、これで確定だ。この女が、夜中に女性を襲い、顔を奪っていく殺人犯に他ならない。
「あ、あな、あなた……、だ、だれ、誰……っ! なな、なん、なん、なんなのっ!?」
「誰って問いには答えられなくも無いが、何と聞かれると答え難いな。そんな哲学的な問いに答えられるほど、人生を悟っているつもりは無いが」
「はぁ……っ!? い、意味わかんない……っ! なに、なによ貴方……怖い……っ!」
意味がわかってないのは俺も同じだ。冷静な様でいて、実は俺も混乱してるんだろう。
「えっと」
敵意が無いことをアピールするように軽く両手を挙げると、その動作だけで女は身体を竦ませる。逆効果か。仕方が無いので、無視して話を続けることにする。
「俺は……そうだな、アンタが今夜襲って、返り討ちにあった少女の身内だよ」
「…………」
女の瞳に理性が宿る。敵の身内だと言っているにも関わらずだ。形の分かった敵よりも、正体不明の何かのほうが、人間は恐怖の対象となるらしい。
「……な、何、あ、あな、あなた、私の、と、とど、止めで、も、さ、さしに来たの?」
女は口元を歪ませると、自虐的に呟いた。肩を竦める。女の見当違いな質問にではなく、多少途切れがちでも、ようやく話が通じるようになったことについてだ。
「別に。それはアンタとアイツの問題だろ。俺はただ、アンタの怪我の具合を見に来ただけ」
それにしても、既に出血は止まっているとはいえ、コレは酷い。ボクサーじゃあるまいし。アイツももう少し、手加減ってモノを知って欲しいもんだ。
「……うん。災難だったとは思うけど、先に手を出したのはアンタだろ? 喧嘩両成敗ってことで。そもそもアンタも迂闊なんだぜ? 狩人を気取るなら、獲物の力量くらい測れるようにならないと。ミイラ取りがミイラじゃないが、それは無防備ってもんだろう」
「……あ、あの、あの娘、い、いったい、何よ……」
俺の言葉を完全に無視して、女は瞳を逸らして問う。
「何と言われてもな……」
アイツはただの女子中学生で、剣道部員で、ちょっと運動神経の良い俺の妹だ。それ以上に説明のしようが無い。
「う、後ろから……完全に、ふ、不意打ちだったのに……ぜったい、絶対気付かれてなかったのに……どうして避けれるの……」
「さあな。殺気でも感じ取ったんじゃねえの」
実際どうかはともかく、アイツなら本当にそれくらいやりそうで怖い。
「お、おかしい、おかしいわよ……それに、そ、それに……わたし、わたし、わたしも最初は躊躇ったのに……どうして、どうしてあんなに簡単に、人を傷つけることが出来るの……普通じゃない……なに、なによ娘……頭、おかしいんじゃないの」
「……まあ、普通じゃないのは認めるけどさ」
実際、誇るべきなのか恥じるべきなのか、微妙な妹ではあるが。
「それを、お前が言うなよ、加害者」
『加害者』。という言葉を、特に強調しながら、女を睨みつける。
「…………っ!」
赤く染まる顔が、再び俺を向いた。
「な、なによ、なによなによなによ……っ! わた、わ、わたしのこと、な、なにも、しら、知らないくせに……っ!!」
「当たり前だ。知るつもりも無い。だけど、アイツのことはアンタより知ってるぞ」
リオは子供だ。間違っているものを、そのままにしておくことが出来ない。最善の選択が必ずしも最良ではないと知っているのに、間違っているなら、正さないと気が済まない。見てみぬふりが出来ない、どうしようもないガキだ。だが、
「だからこそアイツは覚悟がある。他人を傷つける覚悟。正しさの為なら加害者になる覚悟を持っている。アンタにアイツを貶める権利は無い。俺だってたまに羨ましくなるくらいだ。恥じるべきはアイツじゃない。蔑まれる覚悟も持たず、手を出したアンタの方だ」
「……っなによ……なによなによなによ! わ、わたしが悪いんじゃない! わたしじゃない!悪いのはわたしじゃない……っ」
唇をかみ締め、頭を抱え込むように耳を塞ぎ、必死で何かを否定する女。
「む……いや、悪かった。熱くなるつもりは、無かったんだけど」
別に彼女を追い詰めるつもりは無かったのだが、頭に血が上ってしまったらしい。少し反省。それに今のじゃまるで、俺がリオのことを誇っているようで気持ち悪い。家族自慢なんてするもんじゃないし。
「ゴメンゴメン。俺はただ話をしに来ただけだから。頼むから顔を上げてくれ」
両手を挙げて降参のポーズ。……むう。最近やけに、このジェスチャーを行っているような気がする。傍から見たらどれだけ間抜けなんだろう。
「はなし……はなし……?」
「そうそう。幾つかの質問と、ついでに交渉な」
笑顔で怖くないよアピール。もともと無愛想な顔なので、上手く行っているかは分からない。だが、この女にはそれでも十分だったらしく、耳に当てた手を退けて俺に視線を向けた。
「話って、話って、なに……なに? なんなの?」
「ああ。まず、アンタが今までやってたことと、これからのことについて」
本当に必要なのはこれからのことだが、それを決めるにはまず、コレの目的を知らなければならない。大方の推測はついているとはいえ、やはり確証は欲しいところだ。
「まずは質問。アンタ、どうして顔なんて奪っていったのさ。それも三人も。いや、うちの妹を加えれば四人か? 目標、理想とした人物の仮面を被りたいって気持ちは、まあ。分からなくても理解は出来る。でも、アンタのは明らかに無差別だよな?アンタは一体、何がしたいわけ?」
「わたし……わたし、わたしは……」
女は虚ろに呟きながら、顔を俯ける。……しまった、直球過ぎたか。近頃アリナと過ごしていた所為か、狂人に対する危機管理能力が麻痺し始めている気がする。由々しき事態だ。忘れてはならないが、こいつはもう三人も人を殺している。それほどに追い詰められている。それが何かは定かでないが、下手に刺激するのは逆効果かもしれない。
「わたし……」
「ん……?」
どうしようかと額に手を当てていると、女は顔を両手で覆いながら呟き始めた。
「わたし……わたし……ち、違う、わたし、わたしじゃない……わたしだけど、わたしじゃない……ちがう、ちがう違うの、わたしじゃないわたしじゃない。わたしは、わたしはこ、こんなの望んでない望んでない望んでない……っ」
「……? あんたじゃないって、どういうことさ?」
「わ、わたしじゃない……ちがう、違うの……っ! ここ、こんな顔、わ、わたしじゃない……! コレはわたしじゃ、わたしじゃないから……だ、だから、違う……わ、わ、わたし……わたしの顔、探さなきゃ、探さなきゃ、いけ、いけ、いけないの」
何かを引っかくような音がするかと思えば、両手で顔面を掻き毟っていた。思わず片方の手を掴む。コレまでもそうしていたのか、爪は殆どが欠け、剥がれていた。それでも片手は顔を掻き続ける。まるで、張り付いた仮面を剥がすかのように。だが、そこにあるのは彼女の顔で仮面ではなく。変わりに剥がれ落ちるものといえば、とっくに乾いた血糊くらいだ。
「おい、あんた」
「あ、あうぅうぅうううううぅううううううううううううう……」
パタリ。と音を立てて、もう片方の手が床に落ちる。掴んでいた手からも力が抜ける。だからといって油断は出来ない。……ああもう、アリナといいこの人といい、最近やけにこの手の女性と縁があるな。別に好みでもないんだが。
「…………わたしじゃない、じゃないの、じゃないのよ。こんなのここんなのわたしじゃわたしわたしじゃない」
ゆらりと顔を上げる女。血糊の取れた顔をはじめて見る。生気の無い女の顔は…………なんだこれ。
「あんた……それ」
「だか、だから、だからちがうの、これはこれはわたしの顔じゃなくて顔じゃなくてちが、ちがうちがうのよぉ……」
痩せているのは構わない。顔中傷だらけのなのも、まあ良い。俺が言葉に詰まったのはそんなところじゃない。まず、顔面のバランスがおかしい。やけに高い鼻。奇妙に膨らんだ顎。位置のずれた唇。例えるならピカソの実写。別の顔からパーツを寄せ集めたかのような。自然なものじゃない、人工的に手を加えたとしか思えない奇怪さ。
コレと似たような実例を、確かテレビで見た気がする。整形のし過ぎで顔面が崩壊した実例。……ああそうか。なるほどそういうこと。
「わたしじゃないわたしじゃないからわたしはわたしはわたしをさが、さが探さないといけないの。わたしじゃないからだからわたしはわたしわたしは悪くない。わる、わるい悪いのはわたしじゃないわたし。わたしがわたしのわたしになればわたしはわたしでわたしは……」
「ストップ。要するに、アンタは今の自分の顔に満足してなくて、だから他人の顔を奪っている。で、OK?」
「かお? 顔? かおかおじゃない。わたしじゃない。わたしが探しているのはわたし。わたしでわたし。わたしのわたし」
「ああ、うん。分かった分かった。そういうことにしとく。だけど、アンタさ――」
「…………?」
言いかけて、口を噤む。今の彼女じゃ、言って理解してくれるとも思えない。いや、この様子だと、例えマトモな時に会話をしたとしても、話が合うことは無いだろう。他人の主義主張に口出すつもりは無い。そういう叱責は、罪を暴く誰かの役目だ。正義の味方は俺には似合わない。
「――止めた。だけどさ、そういうのは他人の迷惑になるわけ。他人に迷惑掛けちゃ駄目だろ?小学校で習わなかったか?」
「……? めいわく? わたし、掛けてない。だ、だって、やってるのは、わたしじゃないわたしだもの。だ、だから、だから、関係、無い」
「…………」
あまりの責任転嫁に呆れてものも言えない。架空の人物に対する責任は、結局架空のものってか。ふざけんな。
「……まあ、良いや。俺はリオの後始末をしに来ただけで、アンタをどうこうしようなんて、最初っから思ってないからな」
軽く頭を振って怒りを追いやる。交渉事はクールにやるのが一番だ。俺は彼女の前にしゃがみ込んで目線を同じにすると、血走った眼球を覗き込みながら言った。
「用件は二つだ。これ以上この街でことを起こすな。やるなら他の街でやれ。それが出来ないなら、二つ目。今後絶対に、うちの妹に近づくな。絶対にアイツに姿を見せるな。……幸い、アイツはアンタの姿を見てないようだから、アンタから近づかなければ大丈夫だろう。そうでないと……」
……あの、悪戯に正義感の強い少女は、今度こそ本当の、加害者になってしまうだろう。それだけは避けたいのだ。……なんつうかほら、世間体的に。暴力少女の兄貴だなんて、世間の印象が悪いだろ?
「……ま、アンタも痛いのはこりごりだろ? コレに懲りて、少しは大人しくすることだ。今度はその程度じゃ済まないだろうし。なあ?」
「……? わた、わたし? わたし、わたしは関係ない。わたしじゃない、わたしのせいじゃない……」
うわ言の様に呟く女の瞳に、俺は映ってない。
「……はあ」
ため息を吐いて立ち上がる。それにも女は反応なし。どうにも暖簾に腕押しだが、何か効果が有ることを期待したい。
女を放置して踵を返す。警察を呼ぶべきかどうか迷ったが、止めておいた。説明するのも面倒だし、何よりアレは既に限界だ。肉体的にも精神的にも、保って一日か二日ほど。わざわざ呼ぶまでも無い。その間に犠牲者が出れば……その人はまあ、不運だったってことでひとつ。
「そういや、中学に向かう途中だったな」
既に中学は目と鼻の先だし、当初の予定通り、さっきのことはすっぱり忘れて、下らない感傷にでも、浸りに行くことにしよう。
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「……と、言うわけで。アレは放っておいても問題はないだろうって事。さすがに今日は送ってやるけど、明日には終わってんじゃないかな。色々」
次の日の夜。何時も通りアリナの介護を終え、折角だからと霜月をファミレスに呼び出して、昨夜の事を一通り説明して、パフェを一口。口が寂しくてつい頼んでしまったが、甘すぎて頭が痛くなった。……うん。甘いものはやっぱり駄目だ。
「終わってるって、どういうこと?」
「言葉通り。詳細を知らないからどうとも言えないけど。アレ、多分家にも帰ってないみたいだし。何より精神的に追い詰められてる。とっくに限界だったんだよ。あとはまあ……誰かが保護して、後押しでもしない限り、復活することはないだろ」
で、そんな奇特な人物は先ず居ないだろう。いや、肉体を保護することはあっても、殺人鬼を応援するような人は、一人くらいしか俺は知らない。
「……それで、君はそれを放っておいて帰ったんだね」
「そうだけど」
呆れたように、ため息を吐く霜月。
「……なんだよ。言いたいことがあるのか」
「別に。ああ、そういえば君はそんな人だったね。どれだけ危険だろうと、害悪だろうと、自分に実害が無ければ興味が無いわけだ」
霜月は手に持ったカップを置いて、皮肉気に言葉を紡ぐ。だがちょっと待って欲しい。下手に首を突っ込んで巻き込まれるよりは、俺の選択はそう悪く無いだろう。人間、知らなくて良いことや関わらないほうが良いことってのは存在するのである。それは例えば、あのアパートの住民だったり、アルトリウスという存在だったりもするのだが、既にそういうのに足を踏み入れちまった手前、これ以上の厄介事には、なるだけ関わりたくは無い。
「ふうん……。それでも、今回は自分から関わってるよね。へえ……君、妹さんには甘いんだね」
「…………」
顔を顰めたのは、霜月の言葉にではなく、パフェが甘すぎたからだ。
「人をシスコンみたいに言わないでくれ。今回は特別だよ……。あいつが関わると面倒なことになるから、ややこしいことになる前に手を打っておいただけだ」
「へえ。そうなんだ。うん、そういうことにしておくよ」
「…………」
なんだ、こう。俺の伝えたいことが全く伝わってない予感。
どう説明しようかと三十秒ほど悩んだが、寧ろ必死になって弁解するほど馬鹿を見るような気がしたので、普段通り、両手を挙げて降参ポーズを取るに留めた。
♪
その後、色々と下らないことを、特に熱を入れるでもなく語り合った後、お開きとなった。
「それじゃあ、懸本くん。妹さんと仲良くね」
「ああ。あっちが気を許したならいくらでも」
もっとも、そんな日が来る様子は、今のところあり得ないが。
アパートの前で別れを告げる。霜月の下宿先は、大学御用達の女子寮だけあって、流石に中までは入れない。
「……さて、帰るか」
街灯の明かりを頼りに腕時計を確認すると、時刻は午前零時を回ったところ。九時には真っ暗になるような田舎だ。日付が変わる頃には、とっくに街は眠っている。仮に幽霊が出るとしたら絶好のシチュエーションだが、残念ながらこの街には、恐怖以上の実害を伴うもっと具体的なモノが彷徨っているわけで。しかしそれも、出るとしても今夜限りだろうし。仮に居たとしても襲われるとは思えない俺は、普段どおり悠々と、夜の帰り道を楽しむことにする……いや、チョイ待て。
「……うわぁ」
思わず声を漏らす。暗がりの向こうに見える、眠る街を彷徨う人影は、幽霊ほど怖くも無ければ、件の殺人犯ほど危険でもない。だが、懸本マキノにとっては、その二つ以上に迷惑な存在だった。正直見なかったことにしたいのだが、放置するわけにも行かず、仕方なく声を掛ける。
「何やってんだ不良娘」
「…………っ!?」
不良娘ことわが妹は、夜遊びを見咎められた中学生のようにビクリと身体を震わせて俺のほうを見た。……いや、ようにというか、そのままなのだが。
「なんだ……お兄か」
「いやいやいや、どうしてそこでホッとすんだお前は」
俺なら、見逃してもらえるとでも思っているんだろうか。残念ながら、そう甘くはありませんとも。確かに普段は嫌われ兄貴で無関心に徹しているが、怒るときはちゃんと怒……あれ、だから嫌われてるのか、俺?
「別に。ただ、補導されたのかと思って。……そうなったら、色々面倒じゃん」
「ああ、それは確かにな……」
こいつが一人で正義感を振り回す分には一向に構わないが、それが迷惑を掛けるというなら話は別だ。特に親に対して。普段からこいつの無鉄砲に困っているうちの両親だから、補導なんてされたら卒倒しかねない。
「で、それを理解してるなら、さっさと帰るぞバカ妹」
「いや。ちょっと待ってよバカお兄」
腕を引こうとしたら振り払われた。この野郎。俺だってお前と手を繋いで帰りたくはねぇよ。
「そうじゃなくて、あたしには未だ用があんの。それくらい分かってよね、バカ」
「あん、用?」
むう、中学生風情がこんな田舎でこんな夜中に一体どんな用があるというのだろう。あり得ないだろうが、内容によってはぶっ飛ばすぞ。それと、兄貴を二度もバカって呼ぶな。ぶっ飛ばすぞ。
「違うって。あのさ、昨日襲われたって言ったじゃん。あたし」
「ん……?ああ、そういやそうだったな」
そうそう、それで俺がわざわざ出張ることになったわけだ。そういや、それで終わったと思っていたから、事の顛末をこいつに話し忘れていた。
「で、それがどうしたよ」
「うん。それでさ、今日学校で友達と話していて思ったんだけど、アイツ、最近この街に出現してる通り魔なんじゃないかって」
「…………」
……いや、寧ろ、昨日の時点で思い当たらなかったのが不思議だ。
「あれ。お前、その事件の話知らなかったわけ?」
「いや、知ってたけど」
なら気付けよ……関連性ありまくりだろう。……あんまり頭が良いほうじゃないのは知っていたが、ここまでとは思わなかった。ちょっと頭が痛くなってきた。
「だからおかしいと思ったんだよね。普通、あたしを狙ってくる奴で、あんなに大振りの奴なんていないもん」
「普通ってなんだ普通って……。まあいい。とにかく、帰るぞ」
「はあ? 何で」
「お前ね……どうせお前のことだから、その犯人をどうにかしようってんだろ?そんなの尚更放っておけるか」
こいつに何かがあったら、怒られるのは何故か俺なのである。そうじゃなくても、中学生が出歩くにはあんまり宜しくない時間帯だ。通り魔じゃなくても他の変質者に出会うかもしれないし。こいつがやられる図は、やっぱり想像がつかないが、まあ、最初にこいつが言ったように、補導される可能性だってあるからな。
「ほら」
踵を返し、身体を家のほうに向けながら、リオに眼を向ける。
「……ふん」
リオは、暫く俺を睨んでいたが、逸らさずに睨み返していると、観念したように俺の横に並んだ。
「やれやれ」
肩を竦める。複雑な性格の妹を持つと、疲れて仕方が無い。
「お兄はさ」
「うん?」
帰り道の途中、流石に今日は諦めたらしく、大人しく俺の横を歩くリオが、ふと口を開く。
「お兄は、こんな時間まで何やってたの?」
仕事の時間はとっくに過ぎてるよね。と、リオ。自分から聞いてきた割には、あまり興味が無さそうだ。ただの暇つぶしか。なら俺も、適当に答えることにしよう。
「ああ、退屈だったからな。霜月呼んで、ダベってた」
「……霜月って、あの霜月さん?」
「『あの』霜月が一体どの霜月を指すのかは分からんが。俺が言ってるのは、大学時代に同サークルの友人だった霜月ユキナだ。……あれ、そういえばお前って、霜月と面識があるんだっけ?」
そういや、霜月の奴がそんなことを言っていた。結局どこで出会ったのかははぐらかされてしまったが。……うん、それはちょっと興味があるな。二人の接点なんて俺くらいしかないだろうに、その俺が関係していないのだから。
「ある。うちの部活さ、今年に入ってから、顧問が代わって厳しくなったって言ったじゃん」
「ああ。そういやそんなこと言ってたな。ふむ……で?」
「それで何時だったかな……。うちの顧問が近くの大学のサークルの人たちを連れてきて、合同練習したわけ。その時に知り合ったのが、霜月さん。……うちのバカ兄のご友人だとか、ご丁寧に説明されたけど。……お兄、あたしのこと、一体どういう風に説明したわけ?」
「……あー」
まあ、どうせ出会うことも無いだろうと、リオの愚痴は、色々と言ってしまったけど……。
「……いや、嘘は言ってないぞ?」
多少の誇張はあっても、全く無いことは言ってない筈だ。いや、それよりも。
「それって、何時ごろの話だよ」
「えっと……一ヶ月くらい前だったかな。確か」
一ヶ月前……ってことは、丁度俺が辞めた直後か。危ないところだった。そんな所で妹と鉢合わせるとか、なんとも気まず過ぎる。別々に出掛けたのに、街で偶然出会っちまうレベルだ。おまけに合同練習なんて、絶対にやりたくない。何しろ……。
「ちっ……合法的にお兄をぶっ叩けるチャンスだったのに……」
これである。やれやれだ。兄より強い妹ってなんなんだよ畜生。いや、経験的に未だ俺の方が強いかもしれないが、それもギリギリだろう。こいつの運動神経は本当に無駄に高くて、どこまでも凡夫の俺としては、正直、少し分けて欲しい。
「でも、そのチャンスももう来ないな。サークルはとっくに辞めたし」
「…………」
不満げな顔のリオ。だからといって、今更やり直す気なんてさらさら無い。いや、そもそも、俺にとっては何時辞めようと同じことだったのだ。だから、辞めてしまったからには、未練なんて残るはずも無い。リオには悪いが、勝ち逃げさせてもらうことにしよう。というより、リオと最後に試合をしたのは、こいつが未だ小学生の時の話だ。そんなの、ノーゲームみたいなもんだろう。
「……やっぱり、お兄なんて死ねば良い」
「結局そこに行き着くのか……」
仲良し兄妹にはなれそうにない。なる気も無いけど。
「んでさあ」
「ん?」
先ほどまでの会話は今ので終了したのか、リオは改めて口を開く。
「お兄は霜月さんと付き合ってんの?」
「……あ?」
何を言ってるんだろうかこいつは。話を変えるにしても脈絡が無さ過ぎる。
「ねえ、どうなの? 付き合ってんの?」
「いや、ただの友達だけど。そもそも、何をどうすればそんな話題に行き着くんだ」
「……あっそ」
……? 何だろう。いまいちこいつの真意が掴めない。顔を覗き込もうとしたら睨まれた。何この娘、怖。
「まあ、お兄だしね……」
「その納得の意味がよく分からない」
「だってお兄さ、他人に興味、無いでしょ」
「…………」
……ああ、なんだ。結局そこに行き着くわけだ。
「さて、家に着いたわけだが……」
時刻は大体零時過ぎ。普段ならとっくに消えているはずの家の明かりは、どうしてか未だ燦燦と輝いていた。
「お前、親父たちには何か言って出て来たのか」
「…………」
無言で首を横に振るうリオ。……まあ、そうだろうとは思っていたけどさ。ここまで連れ立って歩いてきた手前、こいつだけ先に帰らせるのは、やっぱりおかしいよな。
「……はあ、結局俺が怒られるのか」
まあ良い。中学生の娘が無断で深夜徘徊していたという事実より、不肖の実兄が連れ回していた。なんて下らない話の方が、親父達の怒りも少しは弱火になるだろう。なんつううか、こう、保護者同伴な分だけ。
「……仕方ない、覚悟決めるか」
「……ねえ、お兄」
折角地獄の門を開ける決意を固めたというのに、後ろからリオが妙に弱々しい声で呟く。
「なんだよ?」
「お兄はさ、怒らないの?」
ちゃんと振り向いて聞いてみると、その口から飛び出したのは、なんとも馬鹿馬鹿しい台詞。……ああ、本当に馬鹿馬鹿しい。
「お前がちゃんと分別を弁えてやってるなら、俺は止めないよ」
「…………」
「良い事と悪い事。他人に言われなきゃ分からないような子供でもないだろ、もう。その上でやってるってんなら、俺は止めないし、止める権利だってねえよ」
何しろ俺は、こいつの正義感の強さを知っているから。間違いを間違いだと、正しいことを正しいと、はっきりと口に出し、実践しているこいつを。……時には、『大人になれ』と言いたくなる事もある程の、こいつの頑なさを、知っているから。俺みたいに、適当に生きている奴が、どうして口出しできるだろう。
「まあ、今日みたいに度が過ぎるときは、流石に口出しさせてもらうけどな。あんまり夜更かしすんじゃねえよ。背が伸びなくなるぞ」
ただでさえ小さいんだし。何て、冗談交じりに言ってやる。……が、リオから返ってきたのは、予想に反し、怒りと、諦めと、ちょっとした悲しみがない交ぜになったような、複雑な表情だった。
「おい……?」
「もういい。分かった。勝手にやる」
リオは俺の脇を素通りし、ドアノブに手を掛ける。
「あ、ちょっ、未だ心の準備が……っ!」
俺の言葉を無視し、荒々しく扉を開けるリオ。そのまま乱雑に靴を脱ぐと、部屋から出てくる親を完全に無視して自室へと向っていった。……ああ、なんだ。このフォローをしなきゃいけないのか。俺。
鬼の形相で詰め寄ってくる親父の顔を見ながら、そういえばリオに、昨日の事を伝え忘れたなんて、今更ながら思い出した。
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「――君は他人のことなんて、心のそこからどうでもいいのだろう?」
そう言って、黄金は俺を嘲笑する。
「他人。友人もそうだろう。恋人もそうだろう。ああ、それは家族すらも。君は本当は、まるで興味が無いんだろう?」
「…………」
無言で男を睨みつける。……何も言い返さないのは、何も言い返せないからだ。
「別に、君を責めているわけじゃない。他人に興味が無いのは、君がその人生に於いて、他者を必要としていないからだ。君が他人と関わるのは、そこに必要性があるからで、もし必要が無ければ、君は他人と関わろう等とは思わないだろう。他人を必要としない在り方。一人でも生きていける人間。ああ、それはすなわち――」
――完全無欠の魂だ。と、完璧を具現する男は、唄う様に囁いた。
次回更新は12月3日20時予定




