レモンの蜂蜜漬けとモツ煮込み
正直恋愛かどうか微妙ですが、一応恋愛カテで。
我ながら古臭い設定。21世紀感皆無です(笑)
恋愛。
それは「男女が互いに相手をこいしたうこと。また、その感情。こい」(広辞苑より引用)。
思春期に突入した少年少女たちが異性に対して抱くその感情は、なんとも甘く、美しく…そして時に苦しく、切ないものである。
若者たちは、意中の異性の気を引きたいがために様々な罠や仕掛けを施し、どうにか彼や彼女に振り向いてもらおうと努力する。
そして来るべき『告白』というクライマックスに向けて自身と相手の関係を高めておくのだ。
また、恋を成就させるためには相手だけでなく周囲にも気を配らねばならない。
ターゲットの友人関係を把握し味方につける、ライバルを見つけた場合は話し合いなりで互いに牽制しあう―など、あらゆる伝手を使って根回しし、相手と接触する回数を増やしていく。
目的のためなら少年少女はなりふり構わず、勉強などより100倍は情熱をかけて、『レンアイ』という難問に果敢に挑んで行く。
…こう考えると、なんと打算的で恐ろしいものなのだろう。恋ってやつは。
まあ、かく言う私も、まさしくその勇者の一人なわけだが。
――有沢千尋、18歳、3-A所属の高校三年生。
まさに今、とある男子に恋をしている高校生である。
彼の名前は三堂啓太。同じ3-Aの男子だ。
同じクラスになるまで、私は彼のことをまるで知らなかった。
三年になってはじめて同じクラスになったというだけで接点は特になかったし、彼の方も私のことなど知りもしないだろう。
しかし、背筋を伸ばして授業を真剣に聞く姿がすごくきれいに見えたのと、クラスの先頭に立ってリーダーシップを取っているところに惹かれ、気付けばいつも彼のことを目で追っていた。
――目と目があった瞬間、一目惚れ。
なんて説は信じない派だが、これと言った理由もなく私はあっさりと恋に落ちてしまった。
そして、その日から私の恋愛戦争ははじまった。
放課後。
私はいつものように、体育館横で三堂くんの練習が終わるのを待っていた。
中からは活気のある声やアタックをバシバシ打つ音が響いている。
今日も頑張っているなあ、と私は体育館の壁に背をつけ、微笑んだ。
「ちーちゃんさあ、」
「わ!」
――と、上から急に声をかけられ、心臓が跳ねた。
手に持っていたものを落としそうになって、一瞬で汗がひいたが何とか両手で抱え直す。
そして声の主を見上げた。
「…なんだ、亮輔。」
危うく落とすところだったじゃないか、と非難の意をこめてジロリと見上げる。
バルコニーから身を乗り出すようにして階下の私を見下す不躾な男。
上級生である私を『ちーちゃん』なんて呼ぶ男の名は、田代亮輔。
今年うちの高校に入学してきたばかりのヒヨッコの癖に、なかなか整った顔立ちを持っているせいか、三堂くんと同じバレー部に所属していて期待の新人などと言われているせいか、すでにファンクラブなるものも出来上がっているらしい。所謂モテ男。
そして付け加えて言うと―あまり嬉しくないことだが―私はこの男の『幼馴染み』というポジションに立っている。
私と視線を合わせた亮輔はニヤリと笑った。
「いや、毎回毎回、よくやると思ってさ。それ。」
それ、と指を指されたのは私の抱えているタッパーだ。
両手で抱えられるくらいの大きさの箱で、可愛らしくラッピングを施している。
その中身は、そう、ズバリ――
「いまどき古風だよね、『差し入れ』なんて。」
……。
私の思考よりも先に答えを言うなんて、相変わらず無礼な男である。
そう、これはいわゆる『差し入れ』だ。
バレー部で毎日頑張っている三堂くんを応援したい、と思い立って取った方法で、毎週欠かさずに練習後の彼に向けて送っている。
無口で無愛想な私が取れる、唯一の好意表現として選んだこの素晴らしいアイデア。
…それを、『古風』とはなんだ。失礼な。
「放っとけ。それより練習はどうした。」
「一年は休憩中。今、レギュラーメンバーが練習試合してるから。」
「…そうか。」
そう呟き、ふっと笑みをもらす。レギュラーの中にはもちろん三堂くんもいる。
今日も、彼は精いっぱい部活に取り組んでいるのだろう。
残されたわずかな時間ではあるが、毎日懸命にバレーに打ち込む姿はとても素敵だ。
最後の大会では、せめて悔いの残らないような結果になればいいと思う。
―そうだ、思い切って最後の大会には応援に行ってみようか。
私にとっても、バレーをしている三堂くんが見られる最後のチャンスだし。来月の塾の日程を調整すればなんとか――
「ちーちゃん。まだ先輩が好きなの?」
「!!」
―と、その時、頭上から降って来た言葉にまたも手が滑りそうになる。
それを何とか持ち直し、いきなり何を言うか、と口をパクパク動かし遺憾の意を告げる。
…顔が熱い。
おそらく顔面は真っ赤に染まっていることだろう。
そんな無様な私の顔を覗いた亮輔は、何故か不機嫌そうに眉をひそめた。
「ふーん、やっぱり諦めてないんだ。無駄なことを。」
「な、何で!」
「だって、先輩からはそれ、何も言われてないんでしょ?」
「……。」
「ここ二ヶ月くらい続けてるのに、一度も返事来ないようじゃあ、脈なしじゃない?」
「う、うるさい!」
図星を刺され、やけくそのように怒鳴る私。
だが…認めたくないが、それは事実であった。
『差し入れ』を続けて今日でちょうど10回目。その間、差し入れた物の感想その他は三堂くんから一切告げられていない。いつも名前を書いたメモを同封しているから、差出人は私だと分かっているはずなのに…
―そうなると、考えられる可能性はひとつ。
私は俯きながらぼそぼそと呟いた。
「そりゃ、三堂くんは人気だから、他の子の差し入れに紛れて…」
「…いや、紛れないよ。多分。」
「は?」
「だって、そんなゲテモノ持ってくる女子、ちーちゃんしかいないもん。」
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
が、亮輔がそれだよそれ、と私の手元を指してきたので、やっとのことで意味が分かった。
途端に私は憤慨する。
「っゲテモノ!?これのどこが!」
「いや、どっからどー見ても。」
「は!?」
「だってさちーちゃん、他の女子がレモンの蜂蜜漬けとか手作りクッキーとか可愛らしーモン持ってくる中、肉だの揚げ物だのガッツリ系ばっか持ってくるじゃん。」
「…なんだと!?」
それを聞き、愕然とした。
―なんと、知らなかった!体力をつけてもらおうと、差し入れには肉料理やスタミナ料理ばかり選択してきたが、肉は駄目だったのか!?
それに…れもんのはちみつづけだって?馬鹿な、そんなもので腹が膨れるものか!
…いや、もしかしてこの思考こそ駄目なのか?女子っぽくないのか?
くそ、まさかこんな所で自分の女子力の低さを痛感するとは!
「でもさ、」
「!?」
あれこれと葛藤していると、突然亮輔がバルコニーから飛び降りた。
ふわりと、体重を感じさせない綺麗な着地をし私の隣に降り立つ。
呆然とそれを見ていた私と、にこにこと笑う男。
…ここ、確か建物二階分の高さはあったはずなんだが。
「俺は、あまーいレモンの蜂蜜漬けより、じっくり一晩かけて作ったモツ煮込みの方が好きだけどなあ。」
そう言うと亮輔は手を伸ばしくしゃくしゃと私の頭を撫でた。
―が、屈託なく笑う亮輔と対照的に、私は不機嫌に口をとがらせる。
「…嫌味か、この野郎!」
…慰めているつもりだろうが、今の私には逆効果だ、こん畜生!
ぶんっと手を振り回し奴の頭をどつこうとしたが、亮輔は大きな体躯を器用に逸らせ、ひょいっと難なくかわした。しかも『暴力はんたーい。』なんて戯言を言いながら、だ。
…くそ、昔は私の方が喧嘩は強かったのに!
「もう諦めなって。ちーちゃんに女子力なんかあるわけないし。身につくはずもないし。」
「う、ううるさい!別に、じょ、女子力なんてなくても…!…そう、逆にインパクトのある差し入れでいいかもしれないじゃないか!三堂くんは絶対人の作ったものを無下にしないし!」
「…へー、そう。」
すっと目を細める亮輔。
途端に、ぞくりと背筋に冷たいものが走った…ような気がした。
わ、なんだこれ。
美形が急に真顔になると怖い、とかそういうことか?
とにかく、何か嫌な予感を感じた私は身をすくめた。
「な、なんだ?」
「んーん、なんでもない。―さてと、残念だけどもうそろそろ練習再開だから、戻らなきゃ。」
「…っおう、戻れ戻れ!そんで帰ってくるな!」
「ハイハイ。じゃーね、ちーちゃん。」
男はひらひらと手を振りながら体育館へと戻っていく。
私はその背を見送りながら、少し様子のおかしかった幼馴染みに首をひねった。
…なんだろう、風邪でもひいたのかあいつ。もしそうなら見舞いでも持っていくべきかな。
知らなかったがあいつ、モツ煮込みが好きらしいし――
「…あれ?」
そこでふと疑問がわく。
モツ煮込みは私が前回持っていった差し入れだった。
誰にも見せていないし、家族にも差し入れの内容は話していなかったはずだが……
…あいつ、何で私がモツ煮込み作ったこと知っていたんだ?
答えの出ない疑問を抱えたまま、私はしばらくその場で立ち尽くしていた。
**********
部活の終わりを告げるホイッスルが鳴り、
ネットやボールを片付ける部員たちを横目に、亮輔はベンチに座って休んでいる男に声をかけた。
「お疲れッス、先輩。」
「…ああ、田代か。」
そう言ってスポーツタオルから顔をあげたのは精悍で整った顔立ちの男―バレー部エースの三堂啓太。
男の亮輔から見ても思わず舌打ちしたくなるくらい、いい男だ。
亮輔は黒い感情を押しこめながら、にっこりと笑顔を作った。
「おお、今日もたくさんの差し入れ。流石、モテる男は違いますねー。」
「茶化すな。」
「や、事実ですって。―で、いつもの変な差し入れ、来ました?」
途端、
ぴたり、と淡々と後片付けをしていた手が止まるのを亮輔は見逃さなかった。
「ああ、今日は…えーと鳥の竜田揚げ、か?」
視線を逸らしながらどもる相手を見、本当に舌打ちが出そうになる。
だが、なんとか人懐っこい笑顔は崩さずに大げさ気に声を上げて見せた。
「わあ、また予想のナナメ上をいくチョイス。こんな油くさいモン、練習後に食えませんよねー。俺、もらってきますよ。」
「いやでも、お前にも差し入れ、たくさん来てるじゃないか。」
「俺、竜田揚げ好きなんで。」
亮輔はそう言うと、三堂啓太に何か言われる前にさっさとそのタッパーを取り上げてしまう。
数十分前に見たばかりの可愛いラッピングがされたそれを手にすると、『いいですよね、先輩?』と多少の凄みを利かせながら彼に尋ねた。
妙な気迫に圧倒されたのか、三堂もそれ以上は口をはさまず、『悪いな。』とだけ呟いた。
「…しかし誰だろうな。こんな差し入れ毎回持ってくるやつは。」
「きっとその辺の空気読めない女ッスよー。先輩が気にすることないです。」
「いや、だが…一度も食べずにいるのは悪い気が…「試合前の大事な体です、変なモン食わすわけにいきませんよ。先輩は普通の差し入れでも食っててください。ほらこれ、お手製のスポドリっぽいですよ?」
「あ、ああ…」
詮索などさせるか、とばかりに遮り、別の話題を持ち出す亮輔。そして着替えも会話もそこそこに、さっさと部室を後にした。
―本日の戦利品を手にして。
「ったく、ちーちゃんってば…鈍いんだから。」
―何が三堂くん、だ。
校庭の隅、自分だけの特等席である大きな木の下に腰を下ろし、亮輔はタッパーのふたを開けてぼやく。
千尋に片想いをしてもう六年。
ようやく同じ学校に入れたのに、相変わらず薄情な幼馴染みとの距離は変わらない。
…しかもいつの間にか好きな男までできやがって。
バレーができる奴が好きなのか、と、せっかく奴と同じバレー部に入って活躍しても、全く眼中にないのだから泣けてくる。
「それに、この差し入れ…」
言いながらジロリ、と中身を見ると美味しそうな竜田揚げがみっちりと詰まっていた。
見かけは無骨で女子らしさのかけらもないが、千尋の作る料理はどれも絶品だ。
亮輔は――亮輔だけは昔からそれを知っている。
それなのに。
ふざんけんじゃねぇぞ、と亮輔は言いたい。
千尋の目論見は半分当たりだ。
三堂啓太は確かに毎回不気味な差し入れを持ってくる女を気にしているし、内心、一度は食べてみたいと思っているに違いない。
でも、
「…誰が食わせるか、ボケ。」
――お前はレモンの蜂蜜漬けでも食ってりゃいいんだよ。
亮輔は差し入れを食べながら、彼女の名前の書いてあるメモを一撫でした。
END