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the 7th flight 「醒めない夢」



 ――――前線基地のあるブインから激闘続くガダルカナルまで片道にして五〇〇km余り――――その日もまた、光義は零戦を駆ってソロモン諸島を南東へ進んでいた。


 一七年も半ばになって配備が始まった二号零戦。別名零戦三二型は、より流線型に整形された機首と四角形に切り詰められた翼端が特徴的な型だ。従来の二一型と比べ横転と突っ込みの速さ、上昇力が良くなったが、その半面旋回半径は膨らみがちで、その上この方面の戦闘では必須の航続性能は低下してしまった。


 ブインのあるブーゲンビル島を抜け、眼下に散らばるニュージョージア諸島を過ぎた辺りから、ガダルカナルに展開する敵のB―17の哨戒圏に入る。ガダルカナルへ増援を送り込む船団の護衛任務の際は、長時間を哨戒する中でこういう爆撃機とかち合い、ガダルカナル島を前にして空戦を繰り広げるのが常であった。


 ……が、今日の任務はガダルカナル沖に集結した敵輸送船団を攻撃する艦爆隊の援護だ。


 雲中を行く三機編隊――――大陸にいたころは空曹長といった准士官の位置だった小隊長の位置を、当時は未だ一介の下士官に過ぎなかった光義が占める様になって、すでに一ヶ月余りが過ぎていた。


 上に立つ側が「下っ端の」下士官搭乗員の技量を正統に評価するようになったのか、それとも度重なる航空戦に起因する人材の払底か……当時まだ十分な戦力を有し、保有していたラバウルの航空隊にいた光義には、自分がこの位置に就けた理由はわからない。


 眼下には、梯団を組む艦爆隊……その中には、光義と同じくかの真珠湾攻撃にも参加した歴戦の搭乗員もいた。


 ……が、その数は打ち続く出撃につれ減り続けている。


 零戦に比して速度も遅い艦爆は、それ自体がガダルカナル上空で待ち受ける敵機のいいカモだった。そして直援の零戦隊は、遅い艦爆に速度を合わせエンジンの加減速と蛇行を繰り返さねばならない。それでまた、余計に貴重な燃料を食う。


 密雲を縫うように飛んだ先――――見えた。沖合いに停泊する大小の船舶……後背にニューカレドニアやオーストラリアのような一大拠点を抱えていることもあるのだろうが、敵の補給能力はこちらの想像を遥かに超えている。輸送船一隻分の補給物資で万単位の将兵を一ヶ月ほども食わせられることを考えれば、この南の端の小さな島一つを取るのにかける敵の意気込みの程を伺うことができた。


 不意に、目端の利く一機の味方がバンクを振る――――敵はやはり待ち受けていた。電探で事前に此方の動きを察知し、二重三重の迎撃陣を敷いて、余裕を持って攻撃してくる。


 頑丈な機体を持ち、優位な姿勢から翼内の六丁の12.7㎜機銃でばら撒かれる礫の様な弾幕。あなどれない運動性能……見るからに大量生産の賜物といった感じの醜い容姿を持ったF4Fは、光義にとってその外見とは裏腹にやりにくい相手だった。


 高度六〇〇〇mから降下に入る九九式艦爆の一隊。高高度から十分な優位をもって艦爆に突っ込んでくるF4F。増槽を落とし、両者の間に割ってはいる零戦隊。


 援護が間に合わなかった一機の艦爆が、F4Fの攻撃を受けて燃え上がった。火達磨になった艦爆は、赤黒い糸を引きながら引き起こしもままならず一直線に海面へ突っ込んでいく。


 眼前に飛び込んできた一機のF4F……後下方に追尾し、主翼の付け根を狙って7.7㎜機銃を撃ち込む……当る! すかさずスロットルに付いた二〇㎜機銃の発射把柄を握る。始めに威力の小さい7.7㎜を撃ち込んであたりをつけ、止めに二〇㎜を叩き込むのは、射撃時のコツのようなものだった。


 ドン、ドン、ドンッ!……腹に溜まるような二〇㎜の射撃音。距離を詰めた照準器の真ん中へ延びた火線は、二撃目でF4Fの脇腹を打ち破った。黒煙を吐き、横転から錐揉みに転じそのまま機首を下げていくF4F……だが、最後まで撃墜を確認する余裕など、ここにはない。


 次に捕捉した一機を格闘戦の末に白煙を噴かせた後、視線を廻らせた先……水平飛行に入る零戦。その背後から忍び寄るF4F……!


 光義は絶句する。戦場でお利巧な飛行など、無駄に命を削るだけだ。それに、こちらが援護しようにも、距離があり過ぎる。


 思わず、光義は叫んだ。


 「かわせっ……!」


 無情にも延びる弾幕……一斉射で零戦は火達磨となり、主翼を、外板を無残にも散らしながら高度を落としていく。視線を戻した先、射弾を撃ち込んだ眼前のF4Fは、眼を離した隙にそのまま背面の姿勢から急降下に転じ、気速を利してあっという間に零戦の捕捉出来ない速度に達してしまう……思わず、光義は舌打ちする。青白い主翼に映える星のマークが憎らしい。


 遠くでは投弾を終え、三々五々に帰路につく艦爆隊に追い縋るF4Fを、零戦が追い立てる。攻撃を生き残った艦爆隊も、無事では済まない。無茶苦茶に撃たれ孔だらけの機体。エンジンから白煙を曳く機体……喩え任務を無事に果たしたところで、全機がそのまま基地へ帰れるという保証などないのだ。


 敵味方の各機は広い空域に散り散りになり、やがては自然に空戦そのものを下火にさせてしまう。


 同じく帰路につくべく雲の中に入った光義……蛇行を続けた進撃。激しい空戦機動の末、燃料は帰る頃には殆ど底を尽きかけている。燃料コックの切替は早めに、コンパスの指示する方向には忠実に……帰る際も、危機は付き纏う。空戦で斃れるよりも、機位を喪失して何の助けもない洋上に不時着する方が怖い。一人乗りの戦闘機の場合、航法専門の偵察員を乗せた艦爆よりもこの問題は切実だ。


 二時間ほどで敵の哨戒圏を脱し、再び生きて合間見えたニュージョージア島を眼下に高度を下げる。高度三〇〇〇mに達したところで、風防を半開きにして、「チェリー」を咥える。これこそが、光義にとって無上の一時だった。


 安定性のいい零戦は、高度と出力さえ調整してやれば操縦桿を離しても真っ直ぐに飛んでくれる。熟練搭乗員の中には、それを逆手にとって機上で居眠りをする強者すらいた。


 「見えた……」


 煙草を三本消費したところでブーゲンビル島に達し、程なくして左端にブイン飛行場を見る。視線を落とした先は、燃料計……最底辺を指示した針に、思わず目を曇らせる。さっさと着陸に入らねば大事だ。飛行中にエンジン停止など洒落にもならない。


 フラップを下ろしながら、着陸コースに入る。雨期明けで濡れた飛行場は、接地した主脚から惨たらしいまでに泥を跳ね上げさせてしまう。最悪、泥濘に脚を取られて横転する場合もある。跳ね上がる泥に、零戦の流麗なフォルムが台無しだ。


 滑走し、飛行場の半ばに達したところで、エンジンが息を尽き始めた。やはり高度を落としたときに、ACを弄くったのが不味かったのか?……だが、もう慌てる必要は無い。


 エンジンカット……風防を開ける否や、駆け寄って来る整備員の姿が見える。さらに視線を転じた先には、先に帰還した零戦が並んでいる。中には所々に穴の穿たれた機体も見え、五〇〇km先で繰り広げられた激戦の様子を伺わせた。


 光義は、操縦席から腰を上げた……思わず見上げた空は、蒼い天を貫くような密雲を、途方も無い勢いを以て聳えさせていた……まるで自分の帰還を祝福しているかのように。


 また生きて、地上に足を下ろすことが出来た。


 ……度重なる出撃のうち、何時の間にか、それだけで満足を覚えている自分に、光義が気付いたのはこの頃のことだった。


 久しぶりの熟睡の中で、光義は夢を見ていた。その光義に、ファイは額を接し、光義の夢を覗いていた。


 「…………」


 夢を覗く……それは魔導士の血を引くファイにとって、造作も無いことだった。


 他人の夢を覗けば、その人がこれまでどういう人生を歩んできたかが、ファイの幼心にも大体判る。リナもそうだった。それによって、自分と似たようなリナの生い立ちを、ファイは彼女の口から聞くより早くに知ることが出来たのであった。


 昨夜遅くの、「蝕」の日の第一夜。魔術により召還したばかりのこの男もまた、ファイの興味を惹かずにはいられない。


 ファイが男の意識の中に一層自分の意識を集中させかけたそのとき、男の意識が目覚めるのをファイは感じた。慌てて身を起こそうとしたが遅かった。


 着陸し、地上に足を下ろしたところで、光義はゆっくりと目を開けた。目覚めたというよりむしろ、自分の上に圧し掛かっている何かに息苦しさを感じたのだった。


 次の瞬間。身の危険を感じ、ものすごい勢いで、光義は半身を起こした。急な動きに慌てて身体を起こそうとして姿勢を崩したファイを、光義は両手で抱くように受け止めた。


 「…………」


 光義は、寝ぼけ眼でファイの顔を見詰めた。光義に心を許しかけたファイが、怯えた瞳で、光義を見詰め返す。


 両手で抱いたまま、光義は少女を敷布の端に立たせた。身の危険が無いことに安心し、両手で顔を拭う。自分に関心を示さないことに、ファイは幼心にも失望を感じた。


 「…………!」


 光義の飛行帽を目ざとく見つけたファイが、おどけたように被って見せた。重い飛行帽を持て余し、たちまち顔の大半を埋もれさせるファイ。その姿に、光義の固い表情が崩れた。


 「ハハハハハハハッ……」


 おもしれえガキだなぁ……と、光義は内心では微笑ましい。


 「何をしていた?」


 「夢を……覗いてたの」


 「夢を、覗いた?」


 「御免、怒った?」


 「どんな夢だった?」


 「何ていうか……飛行機で戦争する夢。お兄ちゃんが乗ってきた飛行機とは、違う飛行機だった……」


 「…………」


 光義は、黙り込んだ。


 「何故、判る?」


 「だから……夢を覗いたの」


 「そんな特技があるのか?」


 「ファイだけ……ね」


 ファイは、はにかんだ様に笑った。光義からも、思わず笑みが漏れる。


 「これは、何?」


 と、ファイが指差した先は、上腕に縫付けられた識別用の日の丸。


 「これは、おれの国の国旗だ」


 「何て国?」


 「日本、だ」


 「……ニホン?」


 光義は、黙って頷く。


 「名前も旗も、すごく……シンプルだね」


 「そうだな……」


 思わず、上腕を覗き込む。


 「御免、貶すつもりで言ったんじゃないよ」


 顔を曇らせるファイの頭に、そっと手を載せる。その途端ファイの顔に、笑顔が戻った。


 光義は、立ち上がった。光義が立ち上がれば、ファイなど腰の位置にも及ばない。


 光義は周囲を見回した。昨夜遅くに、オレンジ色の髪をした作業服姿の「少年」に宛がわれた、全面コンクリートの殺風景な部屋。すぐにも外に出たかった。とにかく飛行場の隅に置いてきた雷電の様子が心配だった。


 縫い包みを抱えたファイが、ドアを指差した。案内してくれるらしい。


 敵対するという風でもなく……かといって友軍では、まずない……昨夜から光義は、ここが何処かということより、彼らが誰なのかを知りたかった。


 ベニヤ張りのドアを開くと、二人が部屋を出るより早く、生暖かい風が部屋に吹き込んで来る。頬を撫でる風に、自然と飛行服の襟が立った。


 ……見上げれば、飛び立ったときと同じ快晴。烈しい日差しに、思わず手が頭の上に延びた。


 「朝じゃない……」


 「もう、お昼だよ」


 と、ファイは言う。そっと延びた小さな手が、光義の手に触れた。思わず見下ろした光義の眼と、見上げる少女の瞳が交錯した。


 「…………」


 ファイは、静かに微笑みかけた。自然と、光義の手がファイの手を握り返した。少女の微笑みは、溢れんばかりの笑顔になった。光義も、微笑んだ。


 ファイは走り出した。引き摺られるように、光義も小走りに走った。暫く走るうちに、二人は翼を休める戦闘機の前で足を止めた。


 「…………」


 唖然として、光義は変わり果てた愛機の姿を見上げた。


 風防が開きっぱなしの雷電の操縦席からは、三人の子供達が一斉に顔を出して二人を見下ろしていた。広い主翼の上では、ファイと同じ年頃の女の子たちがママゴトをしていて、分厚い垂直尾翼には、洟を垂らした子供がぶら下がって遊んでいた。自分の力では如何ともし難い連中に愛機を占有されてしまったことを、光義は苦笑しつつも受け入れるしかなかった。


 「まいったなあ……」


 「お兄ちゃんの飛行機?」


 「うん……」


 頭を掻きながら、光義は力なく頷く。


 「早く、帰らなきゃあ……」


 「ニホンに帰りたいの?」


 また、光義は頷いた。


 「しばらく帰れないよ」


 「何で?」


 「『蝕』の日の、最後の日まで待たなくちゃあ」


 「それは、何時?」


 「んんっと……三週間ぐらいあと」


 「…………!」


 そこまでは待てない……光義の顔が、曇った。それを察したファイが何かを言おうとしたとき、子供の一人が声を上げた。


 「あっ……リナだぁ!」


 「あんたたち、ご飯! 早く食べちゃわないと片付かないでしょうがっ!」


 子供達が、慌てたように駆け出した。雷電を前に、残ったのは光義とファイ、そしてリナ。


 悄然として、リナは言った。


 「勝手に此処に連れてきて御免なさい、この子には、悪気は無いから……」


 「連れてくる……?」


 「この子、寂しがりやだから……その……遊び相手が欲しかったから、あんたを魔術で呼び出しちゃった」


 ファイが、リナの足にしがみ付くようにした。さっきとは一転して、ビクついた眼で、少女は光義を見上げていた。光義が怒り出さないか心配なのだろう。


 「この子が……魔法使い?」


 リナは、頷いた。


 「死んだ両親がね……この子も、才能を受け継いだみたい」


 「…………」


 光義は黙って煙草を取り出した。内心では混乱していたが、それを表には出したくなかった――――魔法でおれを呼び出した……と?


 「当分とは言っても、帰れねえことにはなぁ……」


 「仕事があるの?」


 光義は言った。


 「……任務がある」


 「任務?」


 「国を……守らなくては」


 「国……?」


 言葉を失ったリナを他所に、光義は変わり果てた愛機をただ眺めるだけだった。


 「……お前ら敵じゃないようだし、昨夜から聞こうとは思ってはいたんだが、ここは何処なんだ?」


 「『親不孝者共バッドサンズ環礁ラグーン』だよ」


 「何……?」


 唖然として、光義はリナを見詰めた。


 「南の海の……最果ての街だよ」


 「南っつうと、ソロモンか?……蘭印か?」


 「何処? そこ」


 「…………?」


 余りに噛みあわない話に、二人は顔を見合わせた。悪夢ではないが、夢なら覚めて欲しいものだ……と思う光義であった。


 こいつ、何処の病院から抜け出してきたの?……と、リナはリナで別のことを考えている。


 その二人の眼前……蒼い空を背景に、沸き立つような層雲が流れていく。


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