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the 5th flight 「蝕の日の魔術」

親不孝共バッドサンズ環礁ラグーン」州軍所属のシーダック水陸両用機は、既に今日で四回目の補給と燃料補給を終えて、捜索飛行に取り掛かっていた。


 複葉単発、空冷エンジン搭載のシーダックは通常は三人乗りだ。前、中、後席に、操縦士、航法士、通信士の順に座る。しかし今日は、遭難者の救難作業を見込んで救急士をさらに一人乗せていた。


 「機長さんさぁ……」


 と、航法士のエイダ‐リュックがぼやいた。


 「私、今日彼氏と食事の予定があるんだけど」


 『……さっさと終わらせてくれるぅ』という彼女の心の声を、その場の皆が聞いた。


 「おまえよぉ、さっきからそんなこと言ってっけど、人一人の命と男との飯とどっちが大切なんだよ?」


 操縦士のジム‐リッターが苛立たしさを隠さずに言った。


 また始まった……と、通信士のアムル‐ゴーズと救急士のジェロム‐ダードは思った。


 本業の傍らで州の治安維持に当る州軍将兵は、何れも平日はちゃんとした職業を持っている。エイダはレストランのウェイトレス。ジムは弁護士。そしてアムルは教師、ジェロムは漁師をしている。これらの例を見てわかる通り、日常生活では全く接点のない多種多様な人々によって州軍は構成されていて、「親不孝共バッドサンズ環礁ラグーン」に留まらず、それは他の多くの州軍でも同じなのだった。そんな軍隊 (のようなもの)に、まっとうな任務など望むべくも無い。元々「州の平和は州民で守る」という理想から始まった州軍制度は、今ではその制度のかなりの面で形骸化が目立っている。


 突然音信を絶った新品の輸送機の捜索任務は、その日の昼過ぎから続いていた。到着時間になっても五名の乗員を乗せた新型のファウラー‐ドーヴル機は姿を見せず、花束を捧げ持った村自慢の美女は飛行場に吹き荒ぶ空っ風にもろに晒されて風邪をひきかけるわ、パーティ会場のテーブルに並んだご馳走は覚めてしまうわで、機が消息を絶ったことへの心配よりも時間通りに来ない機への怒りから、現地の人々は州軍に連絡を入れたのだった。


 「乗員をわしの前に連れて来い! 撃ち殺してやる!」


 面子を潰された島の村長は、祖父の代から家に伝わる連発銃を持ち出して怒り狂ったものだ。


 航法図上の第三旋回点に達したところで、エイダがまたぼやいた。


 「だからさぁ……みんなは生きてるって……さっさと帰ろうよ。救命ボート付いてんでしょ?」


 「無駄口を叩く暇があったら、ちゃんと航法計算でもしてろよなぁ」


 海の上で迷子になるというのは、洒落にならない。かつて統合海軍で水上機の操縦士をしていたジムは、それで同期生を二人失っている。不時着し、備え付けの救命ボートに身を任せたところで、何時助けに出会うかどうかも判らない海の上で、たった一人で何日も過ごさねばならないのだ。これはまともな人間には到底耐えられるものではない。


 同じ飛行機乗りとして、海の上で助けを待っているであろうドーヴルの連中のことを思うと、いてもたってもいられなかった……それにしても、なぜ遭難したのだろう?


 「アムル、ジェロム……ちゃんと見張ってんのか!?」


 二人は、ドキリとしてさらに海面へ目を凝らした。苛立ちが、ジムの口調を厳しいものにしていた。


 「あーーっ、あれなーに?」


 と、眼下に浮かぶ島を指差したのは、意外にもエイダだった。


 小島に、目を凝らす……ジムの目には、島そのものの輪郭とその周りを囲む環礁以外何も見出せなかった。


 「ただでさえ燃料が今月の割り当て分を使い切ろうかというときに、無駄なことさせんじゃない!」


 「珊瑚礁っ、珊瑚礁!」


 と、エイダがはしゃぐように言う。嘆息して、ジムはさらに目を凝らす。


 「んーーーーーー……?」


 機を傾け、高度を下げた。すると……


 「あっ……」と、ジムは声にならない叫び声を上げた。コバルトの海面から透けて見える岩礁の一点。何かで引き摺ったような痕が一直線に走っていた。その先には、不時着時に岩礁に削られたのだろう。無残にも細切れになった輸送機の胴体……そして主翼。さらに高度を下げれば、機体から漏れ出した航空燃料の皮膜が、周囲の清浄な海面をドギツイ色に煌かせているのが見えた。


 緩降下と旋回を繰り返し、シーダックは島に接近する。すると……いた!


 消えたのは五人のはずだが、眼下でこちらに向かって手を振っているのは四人だった。


 「アムル! 遭難者を発見。基地に打電しろ!」


 「りょっ、了解!」


 「エイダ! 位置を抑えとけ!」


 「あいよっ」と、エイダは航空地図にペンを走らせる。


 「機長、降りますかぁ?」と聞いたのはジェロムだ。


 ジムは岩礁に目を凝らした……降りられるかな?


 「ちょっとアンタぁ、余計なこと言わないでよ!」


 と、エイダは怒鳴った。


 「位置を抑えただけでいいじゃない!」


 そう愚痴る間にも、機は次第に高度を下げ、速度を落としている。日が落ち、群青に染まりかけた海面がみるみる眼前に広がり、次にはキュルキュル……というフラップの下りる音が聞こえてくる……緩やかな減速を感じるとともに、自分たちの機長が何をやろうとしているか、エイダにはすぐにわかった。


 「ちょっとぉ……勘弁してよぉ」


 エイダのぼやきは、もはやジムには聞こえなかった。






 「蝕」とは、普段は横三つに並んでいるレニス、クラダ、そしてドムナの「三姉妹」が、縦一列に並ぶ―――つまり一つに重なる現象のことである。三者の公転速度は微妙に違い、普通ならたとえ位置が重なったとしてもしっかりと縦一列になることはない。必ず「三姉妹」の内一つがズレることになるし、公転によって三者の位置が変わることもある。


 厳密に言えば「蝕」とは、「三姉妹」の長女レニス、末子ドムナ、次女クラダがこの順に外縁から重なることだ。つまりレニスとクラダはドムナを挟んで向き合う形になる。


 この世界でも地域、宗教を越えて広く知られる伝説に、次のようなものがある。


 世界を神族が支配していた遥か昔のこと、創造神の三人の娘の内二人として生を享けた空の女神レニスと地の女神クラダは、創造神の死後世界の支配権を廻って争った。争いの巻き添えを食った地上の多くの人間が命を落とし、世界は荒廃した。それを嘆いた三姉妹の末子であり、海の女神でもあるドムナは自ら命を絶ち、天に昇ることで両者に和解を促した。妹の死を哀しんだ両者もまた、妹の後を追って天に昇ったという……それ以来、「三姉妹」は天空に連なる三つの星となって世界を見守っている。だが、それでもなおレニスとクラダの蟠りは絶えることが無く、両者はドムナを挟んで今なお対峙しているのだという。


 始まりから終りまで一ヶ月ほど続く「蝕」は、ドムナが設けた両者の和解の期間であるのだと古くから語り伝えられてきた。「蝕」は滅多に起こらず、五〇年に一度あるかないかとされている。航海士が「三姉妹」の動きと位置を自らの航海の指標とし、天文家が暦を作成する上で「三姉妹」の公転周期を参考にしたのと同様、古の魔導士もまた、「三姉妹」の持つ「魔力」に早くから着目し、「三姉妹」を利用した様々な魔術を試行錯誤の末に完成させてきたのであった。「蝕」を利用した魔術など、その最たるものとされたのだった。


 「レニスがクラダと向き合うとき、ドムナは金を塗されたかの如く夜空に輝かん。蝕がよく臨める平地に迎えの円陣を作りて、祈りの詞を三回唱えよ。さすれば我は汝の欲するものを汝の御許に引き寄せん」


 ファイの持っていた魔道書の中に、そういう記述をリナは見たことがある。「『蝕』の日の魔法」というやつだ。望みを叶えるというより、自らの欲するものを自らの元に召還する呪いであるらしい……時間と空間の壁をも越えて。


 「蝕」の日の第一夜。呪いを使うものは、「三姉妹」を見上げることが出来る平地に事前に方陣を描き、太陽光を反射した「三姉妹」が注ぐ光をその方陣に吸収させる。やがて太陽が「三姉妹」に対し特定に位置に達すると、ドムナは自らの全体の上に、レニスとクラダから輻射される太陽光を受け、一層輝きを増す。両者はドムナの発する光に圧され、その外縁を除き完全な闇に覆われる。方陣が闇に覆われる直前に、魔導の心得のある者が呪文を唱えるのだ。その瞬間、術を使う者の望みは成就される……ということになっている。


 だが、条件もある。「『蝕』の日の魔法」により召還した人、物は、「蝕」の日の最後の日には必ず元の時空に戻さねばならない。もしこれに失敗すると、召還した対象は永久に元の時空に戻れなくなる。というのである。決まりごとの背景には、召還の対象はこの世界とは別の時空からの「借り物」であり、決して術を使う者の勝手に扱ってはならない……という、術を使う者への戒めがあるのだった。




 ……その夜。レニスとドムナを背にしたクラダは、煌々と黄色い光を闇夜に注いでいた。


 久しぶりに、飛行場の片隅に放置されていた練習機を弄ってみようとリナが思い立ったのは、その日の昼下がり、仕事場でおやつ代わりのサンドウィッチを、アイスティーと共に詰め込んだ後のことだった。


 夕方、夕食を食べようと食堂に集ってくる子供達に食事を用意するのも、リナの仕事だ。


 ……が、テーブルに付いた子供達の顔は一様に暗い。それに、普段なら真っ先に席に着いてフォークで「ご飯頂戴」の音頭をとっているファイが、いない。


 「ファイはどうしたの?」


 「リナがいじめるから、行きたくないって」


 と、一人が不貞腐れたかのように言う。嘆息したリナが配膳に掛かろうとすると、さらに子供達は言った。


 「リナのご飯なんて、食べないよ」


 「何でよ?」


 「だって……リナはファイをいじめたもん」


 「でも、みんなはここに来てるじゃない」


 再び、抗議の声を上げようとした子供達の腹が鳴った。意地を張りながらも、子供はやはり正直だ。思わず、リナは笑う。その一方で、やはりファイのことは気掛かりだった。




 子供達にご飯を食べさせた後もなお、仕事は残っている。受け持ちの仕事を切り上げると、リナは倉庫へ予備部品を取りに戻った。自分のものとなった練習機に関して、エンジン部に関しては何処が不調で、どの部品を交換すればいいかを彼女は大体調べ上げていた。今夜は部品の交換をやってしまおう。部品の管理に厳しい工場長は嫌な顔をするかもしれないが、そのときはそのときのことだ。交換で不要となった部品でも、ハンマーで打ち直すか少し磨けば、また使えるようになるかもしれないし……そんなことを考えながら、リナは倉庫からくすねてきた予備部品を作業服のポケットに詰め込み、道具箱を片手に練習機へ向かったのだった。


 耐用期限が過ぎ、ディスラーク空港に居を構えている飛行学校が押し付けるように持ち込んできた旧型練習機。学校で使われ始めた時点ですでに旧型で、それ以前は政府軍の飛行学校で使われていたという……それらの年月を勘案すれば、リナが生まれる以前からこの機が飛ばされていたことは明らかだった。ひょっとすれば、リナの両親もこの機に乗って操縦訓練を受けたのかもしれない。


 構造が単純な空冷回転式のエンジンは、整備そのものよりもむしろ適合する部品を見つけ出すほうが難しい。プロペラと同じく、エンジンそのものも回転することで冷却効率の向上を図った空冷回転式エンジンは、まだ飛行機が軽量で、速度も大して必要とされずに済んだ頃の産物だった。当然、高出力化、精密化するエンジンの発達には到底耐えられず、早々と廃れてしまった。だから、今では使える部品が余り残っていない。


 だが、「クラクティア工場」にはそれが豊富にあった。新型の機材や治具の調達が困難な辺境ほど、とうに耐用年数が過ぎているような旧い機材が飛んでいる頻度は高かった。だからその手の部品のストックは設備の整った都市部の工場よりも、辺境の、吹けば飛ぶような小工場の方が豊富だった……という笑えない話は枚挙に暇がない。さらにはそうした「希少部品」を自前で作り出してしまう工場すら存在した。飛行機の外板なぞ、その辺の鉄屑からハンマー一つで叩き出し作ってしまうような工員など、辺境にはざらに居るわけで、「クラクティア工場」なぞ、まさにそうした「無ければ作る工場」だったのである。


 従って、部品は幾らでもあるし、後で揉めたとしても作って帳尻を合わせればいいのだから、いくら持って行っても平気だろう……そんな単純な気持ちで、リナは部品を持ち出したというわけだった。


 豆電球を使いながらも、手探りで交換部を探し、注意深く取り外していく。そこに、新しい部品をはめ込んでいく。いくら今風のものより旧型で単純とはいっても、やはりエンジンは精密部品である。完全に交換を終えた頃には、夜はだいぶ更けていた。


 劣化したオイルで汚れた手をそのままに、新品のオイルを注ぎ込み、リナは木製のプロペラに手をかけた。汚れた手で拭った汗ばんだ頬もまた、どす黒く汚れてしまう。いますぐにでもプロペラを回し、エンジンを目覚めさせたい衝動に、少女は駆られていた。


 ……そのとき。


 「……?」


 重なった「三姉妹」の放つ光に照らされ、滑走路の真ん中に佇む人影に、リナは思わず目を凝らした。こんな夜分に、誰だろう?


 足音を立てない程度に、リナは滑走路の真ん中へ歩いた。暫く歩く内に、人影は見慣れた、寝間着姿の少女の形となって闇夜に馴れたリナの瞳に飛び込んできた。少女の足下に置かれたランプが、柔らかな明かりをリナの足下に広げていた。


 「ファイ……?」


 ファイは、無言のままリナを見上げた。その手には、長い棒。


 「あんた何やってんのよ。早く寝なさい」


 「……ファイの言うこと聞いてくれる人を呼ぶの」


 「ハァ……?」


 「ファイやみんなと一緒に遊んでくれる人を呼ぶもん……」


 次の瞬間、ファイは瞳に涙を溜めていた。


 「『蝕』の魔法を使うのね?」


 大きく、ファイは首を縦に振った。「いい加減にしろ」という風な口調で、リナは詰った。


 「あんたの勝手で召還される人の気持ちになって御覧!……それに、あんたの思い通りの人が来なかったらどーすんの? 大体、人だけが召還されるとは限らないでしょ! 化物とか来たらあんたが面倒見る?」


 「絶対来るもん!」


 キッと、ファイはリナを睨み付けた。灰色の瞳が、「三姉妹」から降り注ぐ明りを昏々と湛えていた。


 そのとき、リナは自分の足下に広がる「何か」に気付いて仰け反る様にした。


 「方陣……?」


 リナは、周囲に幾重もの魔法数字やら呪文やらを刻み込んだ「方陣」の上にいた。


 夜空が……次第に、闇を深めていく。


 ついさっきまで二人の姉妹を差し置いて光を注いでいたクラダから、みるみる光が喪われていく……ドムナが太陽光を受け、輻射光の勢いを増しているのだ。


 「リナ!」


 ファイが叫んだ。はっとして、リナはファイを見詰める。


 「方陣から離れて!」


 子供の声だったが、その言葉には、抗い難い何かが含まれていた。間髪入れず、リナは千鳥足で方陣から飛び出した。


 リナが、小声で何かを唱え始めた……当の昔に廃れ果てた発音――――召還の呪文だと、リナは思った。


 時を追うごとに、呪文が大きさと速さを増していく……もはや後戻りが出来ないことを、リナは悟った。


 やがてクラダから光は完全に喪われ、一筋の巨大な光輪となった。外縁から放たれる強烈な光が、数刻前まで夜空に、そして地上に蔓延っていた闇を消し飛ばした。


 方陣が、赤く光った。直後に上へ延びる光に誘われるかのように上へ浮くリナの寝間着と豊かな髪の毛……驚いたリナの腰が抜け、リナは足元から崩れる様にへたり込む。


 「…………!?」


 文字にし難い声を上げて、リナは方陣の真ん中に立つファイを見ていた。


 ……「蝕」が、終わった。


 途端に、周囲に広がる闇と静寂。リナが気付いたときにはドムナは光を取り戻し、またさっきのように柔らかな光を注いでいる。


 キョトンとして、リナは周囲を見回した。「何が起こった?」その一念が、彼女を突き動かしていた。ファイは?……と、方陣の真ん中へ目を転じると、ファイはさっきのように、じっとそこで立ち尽くしている。


 リナは、上へ目を転じた。夜空は、ついさっきに起こったことなど何も感知しないかのように、「三姉妹」と星星に彩られた漆黒の巨体を天空に広げていた。


 「何も……起こらないね。」


 リナがそう言った直後……夜空の一点が光った。光は見る見るうちにファイが地上に描いたのと同じ方陣を形成し、闇の中に浮き上がらせた。


 「うわぁ……!」


 「信じられない」という言葉を、リナは喉の奥に飲み込んだ。まさか……本当に誰か、否、何かが来る?


 空に浮かんだ方陣が、その真ん中から何かを吐き出した。最初に爆音が生まれ、次の瞬間に黒い影が夜空を横切った。凄まじい速さで上空を突っ切る影……それには翼があり、プロペラも付いていた。影の一点から吐き出される炎は、排気炎だと思った。


 「飛行機……?」


 と、リナは直感した。我に帰ったファイが、慌ててリナの元へ駆け寄ってきた。駆け寄って来るリナを庇うようにしながら、リナはその瞳で上空を旋回する黒い機影を追っていた。


 光を放つクラダと、機影が重なった。


 「何……あれ?」


 沸き起こる驚愕が、リナの大きな目を見開かせた……明りを背景に浮き上がった紡錘型の、ずんぐりとした機影……そんな形をした飛行機を、リナは知らない。




 「何が起こった……?」


 操縦桿を握る手が、震えていた。


 雲に飲み込まれた先は……夜空だった。


 ついさっきまで青空を飛んでいた光義が、雲に飲み込まれた直後、気付いたときには雷電と光義は闇に包まれた夜空の真っ只中にいた。それは、傍目から見えても奇怪な体験だろう。


 「どうなってやがる……」


 声にならない声で、光義は呟いた。だが、光義にとって最大の驚愕は敵機の接近を確認しようと視線を上に廻らせた先に待っていたのだ。


 月が……大きい! 全周を圧倒するように天空に聳える明るい球体……それは光義の知っている月とは大きさ、近さが明らかに違っていた。得体の知れない何かに対する不安の手が、光義の胸を握りつぶそうと手を懸けていた。


 その「月」の、明るい光に照らし出され、眼下にうっすらと映える矩形の空間に、光義は目を凝らした。飛行場?


 よし、降りよう……決心したときには、進入の姿勢を取っていた。速度の維持に機を付けながら、少しずつフラップを下ろしていく。カウルフラップを開け、エンジンへの空気流入量を調整することも忘れない。高度の上下に伴うエンジン出力の変化は、雷電の場合もっとも顕著だった。


 飛行場周辺の景色に気を配りつつ、一方で速度計にも時折眼を走らせながら、最適の低速度に達したところで主脚を下ろした。数刻の間続く油圧の唸り声……脚位置表示灯が、全て青に点る。


 急に、機体が沈んだ。ここで慌てて操縦桿を引けば、速度の下がった機は忽ち失速し、あらぬ姿勢で大地に叩きつけられる。ここが我慢のしどころだった。巨大な機首のおかげで離着陸時の視界が全く利かない雷電の常で、横手の風景で漠然とした機体の姿勢を量るしかない。


 主脚が、金切り声を上げて地面に接地した。極限まで絞ったスロットルに導かれ、排気口から噴出す青白い不燃ガス……それは地上でその光景を見守るリナとファイに、野獣の雄叫びを連想させた。



 人影?……自分の着陸を見守るように見詰める二人に、光義は目を凝らした。


 子供連れか……光義にはそう見えた。よほど僻地の飛行場なのだろう。だとすればいつの間に、おれはそんなところまで飛んでいたのだろう?


 地上に主脚を下ろした機影が、此方に近付いてくる。竦みかける足に気合を入れるかのように、リナはファイの手を引いて後ずさりした。


 主翼の真ん中から伸びる銃身……戦闘機だと直感した。「賞金稼ぎ」……?


 異様に胴体が太く、高い位置にある操縦席からは、ゴーグルと酸素マスクに覆われた顔が此方を覗き込んでいる。その操縦士の目と、リナの眼が合った……その瞬間、背筋を走った戦慄に、リナは歯を食いしばった。リナの様子を察したファイが、リナの手を握る指にいっそう力を篭めた。


 エンジンカット……雷電乗りに真の安寧が許されるのはこのときだけだ。


 光義は溜めていた息を吐き出すと、酸素マスクを剥ぎ取り、ゴーグルを上げた。風防を後ろにスライドさせ、バンドを外そうと手を懸けたところで、彼を注視する二人の様子に気付く。


 訝しげに、光義は操縦席から二人を見下ろした。


 「…………」


 「少年」と少女の二人連れ……少女は、長い灰色の髪の毛に、同じく灰色の瞳をしていた。白人か? どうなっている?……地上に降りてみて、光義は自分の置かれた立場が一層わからなくなった。


 訝しいのは二人とて同じだった。あらん限りの勇気を振り絞るかのように、リナは声を上げた。


 「あんた、誰……!」


 「…………?」


 光義は、「少年」の方に目を凝らした。薄汚れた服は、作業服か。目深に被った帽子から、光義は細かい表情を読み取ることが出来なかった。


 「ここは何処だ?」


 「だからっ……あんた何者?」


 リナの語気に、操縦席の光義は、一瞬気圧された。


 「第302海軍航空隊。海軍飛行兵曹長。周防光義だ。君らは?」


 「…………!」


 リナとファイは、唖然として互いに顔を見合わせた。


 「蝕」の日の魔術は、本物だった……!



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