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the 4th flight 「殺し屋」



 ディスラークも、一応の体裁を整えた街を持っている。そのディスラークの数ある宿屋の中で最大のものが、「ディスラーク‐ホテル」だった。


 ホテル……とはいっても、四階建ての、ホテルと呼ぶには少なからぬ躊躇いを覚える様な、こじんまりとした建物である。白亜の、一切の過剰な装飾を持たない清潔感溢れる佇まいは、築二〇年というこの街ではどちらかと言えば古株に属するこの建物を眼にする者に、一片たりともその事実を斟酌させなかった。


 青々とした芝生の敷き詰められた敷地には椰子の木が並び、温かい日差しの下で緑の葉を茂らせている。その敷地ではラフな服装を海水に濡らした観光客が、使い込まれた水中眼鏡や水かきを手に離れのシャワー室へ歩を進めていた。何せホテルの裏手は真白いまでに輝く砂浜に覆われた海辺なのだ。「ディスラーク‐ホテル」は外見もさることながら、その立地条件もまた立派なものだった。


 ホテルの一階は海に面したカフェテラスになっていて、テラスを訪れる潮風を感じ、海浜の風景を前にしながら食事やお茶を楽しめるようになっていた。


 ……が、この時間帯は、客はまだ集らない。観光やらレジャーやらでお腹を減らした客が、昼食を取りにここに集ってくるのには、もう少し時間が必要だった。


 そのカフェテラスにたった一人。頬杖をついてコバルトブルーの海原を眺める女性。


 テーブルの上のアイスコーヒーは、それほど量を減らしていない。コーヒーを頼んで時間を潰すのは、よく使われる方法だ。


 今しがたコインを入れたばっかりのジュークボックスは、沈んだピアノ曲を奏でていた。伴奏として途切れ途切れに聞こえてくる潮騒が、海の香りをここまで運んでいた。


 昼下がりと言うには、まだ早すぎる時間帯だったが、曲の聞こえるカフェテラスには、外の時間など感知しないかのように気だるい空気が流れている。


 目深に被ったカウボーイハット。そこから垂れた長い髪。長身を包む皮製のフライトジャケット。スラリと伸びた長い脚を包む皮のズボン……彼女の全てが黒く、陽光の下にギラついていた。


 丸い黒眼鏡は、そのレンズに眼前の海原を映し出し、口元に微かに皺を浮べた薄い唇は、自然に微笑を湛えていた。カウボーイハットから覗く息を呑むような美しさの中にあっても、そこに若さと瑞々しさを見出すことが出来なかった。


 「……」


 溜息と共に、女性は銀製のシガーケースを取り出した。煙草の吸い口を人差し指でトントンと叩くと、口に咥える。それを見たウェイトレスの少女が言った。


 「お客様、申し訳ありませんがここは禁煙ですので……」


 「…………?」


 彼女は、少女を見上げた。半開きにした口から、咥えた煙草が今にも零れ落ちそうだった。この暖かい最中に妙な服装の、ちょっと変わった客……程度にしか、少女は彼女を見ていなかった。


 やがて彼女は納得したように頷くと、煙草を仕舞った。アイスコーヒーのストローに口を伸ばしたところで、その不味さに思わず眉を顰める。この味がインスタントのそれであることは確実だろう。


 注意深く見れば、彼女の形のいい柳眉の片側を縦一文字に傷痕が走っていて、それは黒眼鏡に隠れた眼まで達しているようだった。


 疼く……反射的に延びた彼女の指が、傷痕に触れた。


 一〇年前に負った傷――――政府軍の戦闘機と戦ったときに負った傷は、彼女に少なからぬ影を落としていた。


 「仕事上」、これまでに幾度も傷を負ったが、この傷だけはしがらみの様に彼女を捉えて離さなかった。美しい顔に傷を付けられただけではない。あれ以来、不意に抗い難い疼きが彼女を襲うようになったのだ。地上にいる限り、彼女はこの「疼き」から逃れられないようになっていた。


 傷痕をなぞる手が、離れた……顔を傷つけられたことに、彼女は何等後悔も絶望も感じたことはなかったが、この疼きだけには耐えられなかった。


 だが、方法はあった……空に昇る。唯これだけが、苛立たしい疼きを止める方法だった。一〇年前の戦い以来、彼女は空無しでは、翼無しでは生きていけない身体になった。少なくとも、彼女はそう自覚していた。


 あの時、彼女の前に現れた二機の政府軍戦闘機は、当時未だ駆け出しの彼女と「盗賊鴎」の前で素晴らしい連携を見せ、彼女を翻弄した。


 血が繋がっている?……と、彼女は直感した。だが、何度も翼を交える内に、向こう側に少しずつ生まれ、穴を広げた隙を彼女は見逃さなかった。


 しつこく追尾する一機を急上昇でかわし、背後を見せた敵機に射弾を撃ち込んだ。「盗賊鴎」のプロペラ軸内を貫く一丁の速射砲。それが「盗賊鴎」の唯一の武器だった。軍の対戦車ライフルを流用したそれは、エアセイバー程度の戦闘機なら一発命中しただけで破砕することができた。


 回避するエアセイバーに追い縋った一発は、エアセイバーの至近で炸裂し、火と外皮を吹き散らした。その直後、「盗賊鴎」に追い縋ったもう一機が放った射弾が、「盗賊鴎」の操縦席を掠めた。


 着弾の直後、顔面をガンと殴られたような衝撃!……彼女が意識を取り戻した時には、彼女は一直線に下へ突っ込む愛機の中で、その白濁とした視界の先に蒼い海原を見ていた。


 「…………!」


 声にならない叫びを上げ、彼女は腕にあらん限りの力を振り絞って操縦桿を引いた。その獣の鼻先のような機首のはるか先に、銀翼を連ね、寄り添うように高度を落とす二機の姿があった。


 「盗賊鴎」の上昇力は後下方から二機を忽ち捉えた。照準器に大きく重なる二機の機影……怒りというより狂気が彼女にトリガーを引かせた。


 単発式の速射砲を発射するトリガーを引く指に何度も力が入った。少ない全弾を撃ちつくす頃には、二機は幾つもの火の塊となって空を舞っていた。


 白皙の頬を伝って、腿に毀れ落ちてくる血の存在に気付いたのは、その後のことだった。何時の間にか溢れ出る鮮血に塞がっている左目が、烈しい痛みを発し始めていた。


 ――――墜とした二機を、夫婦が操縦していたという事実を知ったのは、だいぶ時が経ってからのことだった。


 それ以来、彼女は自分の斃した相手のことを意識したことがない。


 言い換えれば、斃した相手の中で、あの夫婦ほど強烈な印象を得た相手はいなかった。純粋な空戦で傷を負ったのは、あの日依頼経験していない。


 一〇年が過ぎ、彼女は愛機を二回換えた。過去に五つの海賊団で働き、葬った敵機の数は五〇を越えた。沈めたフネも、排水量換算で三〇〇〇〇トンを越えた。


 名声はうなぎ上りに上がった。ただ、それは悪名と殆ど意味は変わらなかった。


 「殺し屋」……「死神」……「悪魔」……何れも畏怖と憎しみを以て語られる別称にも、言われのない讒言にも、彼女は無感動だった。


 地上に逃れた相手のパイロットを追い駆けてその手で殺したという、取材を持ち掛けた何処かの不良記者が拒絶された腹いせに書いたガセ記事が巷に実しやかに伝わっても、彼女は大して怒る気持ちも持たなかった。強くなり過ぎ、名を知られ過ぎたが故の代償だと、彼女は自分で納得していたのだった。


 だが……何かが空しい。


 彼女は、溜息とともに再びシガーケースを取り出した。細工を施した金色のライターから勢い良く噴き出る炎……一服した煙草の燃え滓が、空しく地面に落ちていく。禁煙がどうのこうのなんて、彼女にはもはや関係がなかった。


 カシャッ……直近での突然の物音に、彼女――――ジェイナ‐「殺しアサシン」‐ドローグはギョッとして物音の方向を見た。


 「…………」


 視線の先には、大きなポラロイドカメラを構えた子供。ジェイナにそれとわかる作り笑いを見せると、子供はおずおずと写真を差し出した。


 「これ……買わない?」


 見るからに貧しい身なりは、子供がここの人間ではないことを、土地勘のないジェイナにも直感させた。遠くでは、椰子の木に繋がれた翼竜が、大きな目を細めて彼の小さな主人の様子を伺っていた。


 ジェイナは笑った。黙って懐から硬貨を出し、子供に握らせた。余分に握らせ、向かいのジュークボックスを指差した。ピアノ曲は、もう終わっていた。


 ジェイナは曲名を教え、硬貨を入れて動かすように言った。


 「でも……お金、多過ぎるよ」


 「お釣りはあげる」


 子供の顔に、明るさが宿った。


 「ありがとう……!」


 程なくしてジュークボックスが奏でるピアノ曲をBGMに、子供は勢い良く翼竜のもとへ駆け出した。その後姿を見守りながら、ジェイナは何時の間にか自分を煩わせる疼きが消えていることに気付いた。


 何気なく視線を転じた先に、距離を置いて立っている黒服の三人組を捉え、ジェイナは少し表情を曇らせた。


 「お待たせしましたね、先生」


 媚びる様な眼で、真ん中の男が笑い掛ける。


 「おつかいは、済んだのかい?」


 という言葉には、先ほどの子供に投げかけた温かさは一片たりとも含まれていない。


 「ええ……済みましたとも」


 ジェイナは、地面に煙草を放り、足で踏み消した。


 「長居は無用だ。さっさと帰るよ」


 「そう急かさずに、もう少し楽しんで帰りましょうや」


 「…………」


 ジェイナは無言のまま、男たちを睨み付けた。黒眼鏡を貫く眼光の迫力に気圧されたのか、場を執り成すように、真ん中の男が手を振る。


 「……そうですね、予定も詰っていることだし、帰りやしょう」


 ジェイナは、歩き出した。三人も、慌てて後を追う。勘定に出ようと近寄ってきたウェイトレスに、鮮やかな手付きで硬貨を放る。


 「お客様、お釣りを……」


 「……要らない」


 カフェテラスを出た先には、細切れの雲が広がる青空。ジェイナは思わず微笑んだ。


 「飛び頃ね……」


 その言葉は、不意に沸き起こってきた潮騒に打ち消され、三人の黒服には届かなかった。






 「ファイのばかっ!……あんたなんかとはもう遊んでやんない!」


 「ビエェェェェェェン……!」


 夕日の下、片付けの済んだ格納庫中に、幼子の泣声が響き渡る。


 ファイが呪いを使って、試験に落ちる願掛けをしていたことは、もうすでにリナには判っていた。試験の結果通知が来た後、ふとしたことからリナは子供達の話を立ち聞きしてしまったのだ。それからが、修羅場だった。


 「フエェェェェェェン!……リナぁ、ごめんなさぁーい」


 と、嘘泣きでは無く本気でファイは泣いた。リナは年甲斐もなく、ファイとは当分口を聞かないことに決めた。本当に呪いが使えるだけに、ファイの悪戯は単にそうと片付けるだけでは済まされないし、呪いの効力が実際に作用したか否かは別として、人の不幸を期待するかのような行為はやはり戒めておかねばならないだろう。


 「だって……だって……リナ軍隊に入ったらファイを置いて行っちゃうんでしょ……そんなのヤダよぉ」


 鼻水をしゃくり上げながら、ファイは言った。たどたどしい口調の中に、ファイなりの必死さを、リナは聞いた。


 「……あたしだってさ、夢があるんだよ」


 と、力なくリナは言った。


 ファイがあたしの立場だったら、どうする? という言葉を、リナは胸の奥に飲み込んだ。内心では怒りが吹き荒れていたが、幼子を追い詰めるようなことを、リナはしたくなかった。


 「…………」


 ファイは瞳に涙を溜めて、じっとリナを見上げていた。縫い包みを抱く手が、小さな肩が震えていた。リナは寂しげな瞳でファイを暫く見詰め、帽子を目深に被り直すと、その場から逃げるように踵を反し、歩き出した。


 空冷エンジンの轟音が、飛行場の上空を通り過ぎていく……まただ。訝しげに空を見上げたのは、この日で何度目だろう……空を飛ぶ機は決まっている。州軍のシーダック水陸両用機だ。複葉の黄色い主翼に、州軍《ステイト‐ガード》を示す「S‐G」の頭文字が大きく描かれている。フロートと一体化した太い胴体の両側には、引き込まれた車輪がすっぽりと納まっている。洋上を長時間捜索し、遭難者を迅速に救助する必要上、燃料搭載量と人員の収納能力の強化を図ってそのような構造になっているのである。


 飛行場の遥か上空を大きく旋回すると、シーダックは、夕空にうっすらと映える「三姉妹」を彩るかのように広がる雲の彼方へと消えて行った。今日で七度目に眼にする光景だ。


 「リナは州軍に入らないの?」


 と、ファイはかつてリナにそう聞いたことがある。州内の治安を守るために存在する州軍は志願登録制で、勤務も週1~2日程度だ。つまり家業との兼業で軍務に付くことが前提となっている。当然手当ては安く、装備も政府軍と比してずっと見劣りする。それに、州軍の最低志願年齢は一八歳。一六歳のリナにはまだ無理だ。


 だが、州軍に入ればリナはずっと自分と一緒にいられる……幼心にもファイにはそういう計算が働いたのだろう。


 格納庫に入ると、翼を休めるエアセイバーの前にリナは立った。補修点検を大方終えた州空軍の戦闘機……その精悍な姿を前にして、思わず背が伸びた。


 州軍にも戦闘機はある。だが、政府軍の戦闘機はそれ以上に速く、強い……同じ戦闘機乗りを目指すならば、より高性能の戦闘機の操縦席に収まることを目指したかった。


 工員の吹かす煙草で、常に脂臭さが絶えない喫煙所からは、老練な工員の話し声が聞こえてくる。


 「やけに空の上が騒がしいねえ」


 「飛行機が一機と船が二隻、行方不明になったらしい」


 さっきから飛んでいる州軍のシーダックは、行方不明の航空機や船を捜していたのか……確かに、そう考えれば合点がいった。外で様子を伺うリナを他所に、男達の話は続く。


 「珍しいね、まさか海賊に襲われたんじゃないだろうな」


 「まさか、こんなところに何しに来るっていうのさ」


 中の男達は笑った。おどけた口調からして本気にはしていない。が、リナは違った。


 海賊……?


 このときからリナの胸中で「海賊」の一言が深く植え付けられ、次第に根を下ろしていくのだった。「親不孝共バッドサンズ環礁ラグーン」の蒼空の向こう。海賊の影のちらつきは、彼女に胸騒ぎを感じさせずにはいられなかったのだ。


 「ファイ?」


 格納庫を出て、リナはファイの名を呼んだ。彼女の身の安全のためにも、海賊の話はして置くべきかもしれない。


 いない……?


 嘆息して、リナは空を見上げた。その直後、ブラウンの瞳に飛び込んできた景色に、半開きの口が声にならない声を上げていた。


 「蝕……!」



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