the 3rd flight 「海賊 襲来」
ファウラー‐ドーヴル輸送機は、周囲を雲雲に囲まれた中を悠々と飛んでいた。
ファウラー‐ドーヴルは、近年発表されたばかりの民間用輸送機だ。一体整形技術により作られた流線型のボディ……後退式の主翼の後方から延びる推進式エンジン……無線航法指示器と連動した高精度の自動操縦装置……この世界ではこれ以上望めない至上の装備を備えている。
当然、これらの装備の上に販売が始まったばかりなので値も張る。ドーヴル一機の値段で中古の同級機が五機買えてしまう。
その一機、「蒼い女神」号にとって、この日は「親不孝共の環礁」の航路に就役して最初の飛行だった。目的地の飛行場にこの機体を滑り込ませれば、花束を捧げ持った美女と、美酒とご馳走の並んだ歓迎レセプションが待っている。それは、「蒼い女神」機長ローウェル一等航空士以外の五名のクルーの楽しみだった。
だが、ローウェル一等航空士は、最初に出合ったときからこの機体が好きにはなれなかった。まず、「自動調節機構」なるものが彼には気に食わない。「自動調節機構」とは、スロットル、プロペラヒッチ、そして混合気比調整……エンジンコントロールに関わる全ての調整を一本のレバーで可能にしたシステムのことだ。
離着陸、巡航、過減速……飛行中のいかなる状態でも最適の出力、燃料消費の数値を算出し、これまで熟練パイロットの勘に頼っていた操作を誰でも可能にするわけだった。
それが、ローウェルには気に入らない。飛行士となって二十年。ローウェルはずっと何時空中で分解してもおかしくないようなオンボロ機を駆り、「親不孝共の環礁」の航路で働いてきた。この辺り一帯の海と空のことは、風の変わり目は勿論のこと地図に載らないような小島の在処に至るまで知り尽くしている。
彼にとって毎日のフライトが冒険のようなものだった。実際、彼自身若い頃何度も機位を失い遭難しかけたことがあるし、洋上への不時着の経験も有る。自分の腕一本でここを飛んできたという自負は、彼に最新の機材に対する抵抗を生じていたのだった。
最新の航法システムは彼から鍛え上げられた勘と航法技術、そして如何なる悪天候に遭っても機体の挙動を乱れさせることの無い操縦技術を発揮する機会を奪い、「自動調節機構」は同じく経験によって熟成された抜群のエンジンコントロールを発揮する機会を奪った。技術の進歩と言ってしまってはそれまでだが、複葉機時代から操縦桿を握ってきたローウェルには何か寂しく、もどかしい。
州政府は、カネの遣い所を間違えている……それを最近になって、ますます痛感するローウェルだった。
折角の「辺境交付金」も、州庁舎の建替えや迎賓館の新設など、本来州民の福利と何の関係もない場所に使われている。そして挙句の果てがこの操縦するというより乗せられているという感触がぴったりのファウラー‐ドーヴル!
二年前から統合政府により「親不孝共の環礁」準州にも支給が始まった辺境交付金は、開発の進んだ地域とそうでない地域との間に生じる経済格差を是正するための措置だ。
その使い途は、あくまで辺境開発と経済振興を目的としたものに限られ、それ以外の目的に使用することは固く禁じられている。
その使途そのものも、統合政府自治省の厳重な監視下に置かれている……現地の施政者が交付金を不正に着服するのを防ぐという目的以上に、自治州が交付金を元に防衛力の拡充を図り、統合政府からの独立指向を強めるのを恐れたという政治的背景もまた存在した。
交付金による辺境振興は、土地開発需要の発生に伴う産業の育成と雇用の創出を図り、当該地域を経済的に安定させるという目的がある。
経済的に不安定な地域では、それだけ現地住民の不満が拡大し、最悪の場合内乱を引き起こす。創設間も無く、基盤が決して磐石とは言えない統合政府としては、当然それは避けたい。
辺境交付金制度によってもたらされる経済的な安定は治安の安静化に繋がるとともに、政府にとっても今後数十年間安定した税収をもたらすと思われた。政府の委託を受けたとある経済研究所の試算によれば、辺境交付金の交付に伴う辺境における経済効果は、今後七年間に渡り辺境各州のGDPを平均で2.5倍増大させるものと予測されている。
「蒼い女神」号もまた、州政府が辺境交付金によって取得し、「親不孝共の環礁」の航路に就役させた新型機だ。
他州に引けを取れないという見栄からか、交付金で普通に五機の輸送機を買うか、空港施設を拡充すればいい物を、十分に維持整備ができるかどうかわからないような新型機を購入するのは彼に言わせれば正気の沙汰ではない。
全損機でも一ヶ月程度で新品同然に仕上げる「クラクティア工場」でも、こんな美人は扱いに困るだろう。ゴフの親父さんが呆れる様子が眼に浮かぶようだ。
ローウェルは操縦桿にそっと手を延ばした。途端に隣席の副操縦士が声を上げる。
「機長、駄目ですよ。勝手に操縦桿触っちゃ」
飛行中に操縦桿を触った直後、自動操縦装置は自動的に解除されるようになっている。ローウェルは横目で副操縦士を睨むようにした。ふと、背後へ目を転じれば、飛行歴一〇年にもなろうかという機上整備士がクスクス笑っている。
国立の操縦学校を出たばかりの新入り。長年副操縦士を務めてきた相棒が機長に昇格し、代わりに配属されてきたのだった。
学校では自動操縦装置が教育体系に既に組み込まれているらしく、一度空に上がれば一切を自動航法装置に任せ、操縦桿を持って飛ばないこと―――自分の力で飛行を制御しないこと―――に何の疑いも持たない若いパイロットが、最近頓に増えている。彼らの共通点は、以下の通りだ……ローウェル曰く、「最近の若いのは、何かにつけ楽をしたがる」
更に腹が立つことが、ローウェルにはあった。ドーヴルが就役したのと期を同じくして機内が禁煙になったのだ。
機上の喫煙は、パイロットにとって何よりの息抜きで、娯楽だったのだが。「搭乗員への健康上の配慮」というもっともらしい理由で廃止になってしまったのだ。そこに、例の副操縦士の一言がローウェルを内心で苛立たせた。
「自分……タバコ吸う奴なんて信用できないんですよね。カッコいいのかどうか知らないけど、自分の命切り売りしてるような感じで」
自分の趣向を一方的に述べる一方で、他人の趣向には待ったをかけたも同然の無神経な発言(少なくとも、ローウェルはそう思った)……こんな奴が、飛行機乗りになれるのだから今の世の中どうかしている。もっと言えば、煙草を吸わない操縦士など、ローウェルに言わせれば一人前じゃあない。
前方……三時方向……密雲を背景にポツリと見える黒点に、ローウェルは目を凝らした。
「おい、三時方向……」
「え……何です?」
と、副操縦士が頭を乗り出す。
「何も見えませんよ」
「ホラ、あっちだ。アッチ」
と、ローウェルは空の一点を指差した。
それでも、副操縦士は怪訝な表情を解かない……内心でローウェルは舌打ちした。オイ……本当に見えないのか?
ローウェルの目には、黒点が次第にこちらへ接近して来るように見えた。黒点はやがて翼を生やし、飛行機の形となった……飛行艇?
ローウェルの脳裏で、何かが弾けた。
「飛行艇だ……まさか……!」
「だから!……何処なんです?」
副操縦士の声など、もはや聞いていなかった。反射的に操縦桿を執り、フットバーを蹴った。何か光るものが、ローウェルの眼前を横切った。真横から突っ込んでくる機影……海賊の武装飛行艇だ!
ビシッ……ビシッ……と、何かが機体に当る音がした。途端に、海賊の接近に漸く気付いた副操縦士が奇声を上げた。
「うわああああああっ!……助けてくれ! 俺はまだ死にたくない!」
操縦桿に手を付けようともせず、頭を抱え込むだけの副操縦士など、ローウェルの眼中にはなかった。急降下で制限速度一杯に加速し、逃げ切る……武装が無い輸送機が海賊に対するにはそれしかない。幸いにも、ドーヴルには与圧キャビンが標準装備されている。急激に高度が下がっても人体に悪影響を与えることは無い。
高度は急激に下がり、速度計が一定の値を過ぎた辺りから、機体が音を立てて烈しく震え始めた……制限速度か……射弾は、まだまだ此方を追ってくる。
海面スレスレに達したところで、なおも追ってくる弾幕が、操縦席付近に突き刺さる……割れる風防ガラス、吹き込む強烈な潮風……思わず、ローウェルは頭を伏せた。加速度で重くなった操縦桿を、満身の力を以て引いた。
視線を落とした先……油温計が左右何れとも異常に高い数値を示している……おそらくエンジンを撃たれ、滑油が漏れ出したのだ。油が抜け切り、エンジンが焼きつく前にどこかに降りなければならない。
洋上に不時着はできれば避けたい。かつてそれをやって、救命ボートの上で飲まず食わずで一〇日間過ごした経験がローウェルにはあった。あのときはなんとか耐えられたがあれは辛い。自分はともかく、隣のぼんぼんが漂流の過酷さに耐えられるとは、彼には到底思えなかった。
徐々に動く操縦桿。漸く上がりかかる機首。幾重もの雲を貫いた先には、環礁に囲まれた小さな島……しめたっ!
「あそこに降りるぞ!」
ゆっくりと機を滑らせ、島から十分な距離を取ったところで、ローウェルは機首を島に向けた。エンジンに被弾した今、不用意にスロットルをいじるのは危険だった。ちょっとしたことで発火、爆発する恐れがあるからだ。あとは胴体が着水時の衝撃に耐えられることを祈るのみだった。
「全員何かにつかまれ!」
フラップが、完全に開かれた。急激に下がる速度……浅い角度ながらも、急速に沈み込む機体……何かに激しくぶつかったと思った瞬間。ローウェルの意識が飛んだ。
パン!……と、何かが破裂する音……不時着水を感知し、自動的に展張したフロートだった。着水するや、「蒼い美人」の流麗なボディを取り囲むかのようにオレンジ色の花が咲く。だがそれも、ギザギザに尖った珊瑚礁に対しては無残なまでに切裂かれてしまう。
何かが底に擦れるような響き……機体は海水を裂いて噴き上げ、激しく揺れながら岩礁の上を滑るのだった。
あまりに不快な響きに、襲い来る振動の中で、ローウェルは思わず神を呪う言葉を二、三言吐いた。その声が、同じく振動に耐えるクルーには聞こえなかったのは不幸中の幸いと言うべきだったかもしれない。
機は岩礁を滑るように削り、島の遥か手前で止まった。
「降りろっーーー急げぇーーーー!」
不時着の衝撃で飛び散ったガラスで頭を切りながらも、ローウェルは後方へ叫んだ。
ふと視線を転じた隣席……椅子に凭れかかって泡を吹いている副操縦士の姿を認めたとき、僅かばかりの憐憫が沸いた……が、それも一瞬。襟首を掴み節くれだった手でしたたかに彼の頬を張ると、目も空ろな副操縦士の襟を掴んで座席から引き摺り出す。
ベテランの機上整備士は――――背中には無残にも赤黒い孔が穿たれ、焦点を失った目をむき出しに、計器板に突っ伏している。心の中で、ローウェルは彼に別れを告げる。
「機長! 荷物はどうします?」
「そんなもの、置いて行け!」
なおも延びたまま動かない副操縦士を操縦席から引き摺り出し、残りの機内乗務員が全員機外に出たのを確認して、ローウェルは外へ足を踏み出した。
無残な姿を晒すドーヴルの周囲は……見渡すばかりのコバルトブルー。躊躇したのも一瞬。飛び下りたところで、海は膝ぐらいまでの深さしかない。
ローウェルのだらしない相棒に至っては、立つこともかなわず、半身の殆どを冷たい海に浸かった途端、慌てて立ち上がりかけ、派手にずっこけた。吹き上がる飛沫に、新調したばかりの制服が濡れた。ローウェルは島を指差し、叫んだ。
「走れっ!」
脱兎の如く駆け出す乗員達の背後で、大砲が着弾したような凄まじい水柱が上がる。追尾してきた武装飛行艇が、機首に搭載していた無反動砲をドーヴルの残骸に向かって打ち込んだのだ。
弾道は大きく逸れてドーヴルのはるか鼻先で着弾し、吹き上がる海水がドーヴルを激しく揺らした。着弾の振動に歩調を崩した乗務員が、前方に突っ伏すように倒れ込む。立ち上がろうと手を突いたところ、尖った岩礁で腕を切り、彼は苦渋の呻き声を上げる。
彼を助け起こしたローウェルが背後を振り向いた先……迷彩を施された二機の武装飛行艇が此方を空の高みからこちらを伺う様に旋回を続けていた。その分厚い並列式の尾翼には、髑髏のマーク……!
「あいつらぁ……!」
ローウェルは、沸き起こる怒りに分厚い頬を震わせたのだった。
『馬鹿野郎っ! 荷物を狙うなと言っただろう!』
編隊長の怒声が波状板の機内に響き渡る。レシーバーに飛び込んでくる声に、操縦士は思わず首を竦めた。武装飛行艇「青鮫」号の機長が、機を旋回させながら注視する眼下……先ほど襲ったばかりの彼らの獲物が、環礁のど真ん中で無残な姿を晒している。
「ありゃあ新品だぜ。勿体ねえことしたなあ……」
「またパパにでも買ってもらうだろうさ」
海賊達は、下卑た声で笑った。
「ここに来て最初の獲物にしちゃあ、湿気てやがるなあ……いっそのこと、下の連中を捕まえて身代金でも取るか?」
「そうだな、本部に連絡しよう」
早速、通信員が打電を始めた……古めかしい指打式の送信器に、極端に短縮化された略語の羅列を叩き込む……これなら傍受に手間が掛かるし、さらに手の込んだことには送信器は電気式の自動暗号作成機と連動しているため、たとえ傍受されたところですぐに解読は難しい。
島を取り巻く環礁の水深はあまりに浅すぎる。環礁の外縁に、かろうじて下りていられるスペースがあるが、島の連中からは遠い。船を差し向けて拾ったほうがいいかもしれない。
間を置いて、レシーバーに信号音が入ってくる。レシーバーは編隊間の交信用に右のみを使い、左の耳は空けておく、それは低空で外の様子を探るための知恵だ。
入ってきたのは、『一機を残し、帰還せよ』の信号。付近を飛ぶ長機が、乗機の翼を寄せ、手信号で「お前が残れ」と言ってくる。
組織の常として、先任者の指示には従う必要がある。不機嫌な顔を隠さず、「了解」の応答をする。
機長は背後を振り向いた。
「オイ、弁当持って来い。居残りだ」
機首を向けた先は、環礁の外縁……フラップを徐々に下げながら、サファイア色に染まった水面に滑り込む。迫り来る機影に驚いた飛魚が慌てて空中に飛び上がり、洋上スレスレをスキップを繰り返しながら飛び去っていく。半開きにした窓からは、仄かに潮の香りが入り込んでくる。
着水……キールが水を切る音に続いて機体が水面を割る音が聞こえ、さらに心臓に悪いバウンドが二、三回続き、モノコックの機体に潮風を受けながら「青鮫」号は水面を進んだ。戯れに吹かした空冷エンジンの排気管から上へ吹き出る黒煙が、島からその姿を見つめる者に、伝説の魔竜の火焔を思わせた。
「アンカー出せ。グズグズすんな」
機長の指示の下、乗員がテキパキと動いては彼らの仕事をこなしていく。手の開いた者は銃座に取り付き、島に逃げ込んだ乗員へ狙いを定める。少しでも妙なマネをすれば、たちまち機銃が火を噴くという海賊の意思表示でもあった。
「ボス、機の固定終わりました」
「よーし、おまえら、メシにするぞ」
揺れる艇内での食事など、彼らにはもはや慣れっこだった。どんな船酔い体質の持主でも、海賊に入れば嫌でも馴れるだろう。馴れない奴は、鮫の餌だ。
海賊とは、呼んで字の如く、海の賊である。集団で船を仕立てて他者の船を襲い、積荷を奪い、人を攫う。
その起源は二つあり、一つには海洋国家間の戦争時に即応的に、そして大量に仕立てられた私掠船が、戦争の終結にともない職を失った結果海賊化したものと、辺境の沿岸部や島嶼部の住民が、物資目当てに付近を航行する船を頻繁に襲撃したというものがある。
最初はその活動範囲が海そのものに限られていた海賊の形態が、或る時期を境に一変した要因には、航空機の急速な発達があった。航空機なら、空から広範囲に獲物を見張っていられるし、迅速な獲物への襲撃、退避が可能だ。
それはまた、海賊行為の目的を単なる略奪行為から、洋上航路をその影響下に置くことによりもたらされる海路、空路一帯のあらゆる利権の確保へと転換させた。
具体的に言えば、該当する海域、空域を海空一体となって武力で制圧し、「安全保障料」と称して莫大な金銭を要求するのだ。それに応じない船や航空機は容赦なく襲撃し、略奪する……それはいちいち獲物を捜し求め、襲撃する以上に遥かに合理的で、旨味の多いやり方だった――――特に、政府の支配の及んでいない辺境航路では。
二十年前の「世界戦争」で、大量に要請され戦闘に投入された飛行士が、戦争終結とともにお役御免となり、大量に生産された戦闘用機材が、終戦により軍への納入がキャンセルとなり、一度も戦闘を経験することなく廉価で市中に流れたことも、皮肉なことに海賊の拡充に繋がった。これからの仕事をやる上で不可欠な道具と人材を、彼らは労せずして手に入れることとなったのだ! 「賞金稼ぎ」と同じく、海賊は失業した飛行機乗りにとって裏のではあるが、かなり割りのいい稼ぎ場だった。
それは当然、「世界の均衡ある発展」のお題目の下、辺境開発を推進する統合政府にとっては到底受容れられない。海賊の支配する航路は当然船足、航空便が減少し輸送量も減り、その上に折角輸送された物資にも輸送費用の他、危険手当など安全保障関係の出費が上積みされて現地における物資不足、物価高騰の悪条件を招き、それだけ開発が遅れることとなる……そして、蓄積された現地の不満はそのまま海賊そのものに対してではなく、海賊を好き勝手にさせておく政府に向けられる……統合政府としては、自らの支配の正統性を示すためにも、辺境で好き放題を繰り返す海賊掃討に本腰を入れる必要があった。
密雲に紛れ、その飛行艇はその特異な、真っ黒な機影を鉛色の背景に映し出していた。
特異な機影……というのは、その飛行艇が三胴形式だったことである。つまり、胴体が三つ横に並び、その胴体を幅の広く、分厚い主翼と水平尾翼が貫くように配置されている。その真ん中の胴の機首は左右と比べひときわ高く、まるで軍艦の艦橋のような趣を呈していた。
その飛行艇は異様なまでに巨大だった。巨大なのは、三胴形式なのはもちろんのこと、その主翼で回っている計八発のエンジンを見ただけでも判る。
片翼に各四基、計八発の二重反転プロペラが、周囲の気流の擦れ合う音にも置けず劣らずの轟音を周囲の空一帯にばら撒いていた。そのエンジン一基自体が、本来二基の重爆撃機用空冷エンジンを繋ぎ合わせて作られた出力強化型だ。
中央の胴体と左右の胴体を渡す主翼の真ん中には、各一基ずつ、筒状のものがぶら下がっている。見る者が見れば、それが緊急離陸/加速用のジェットロケットであることにすぐに思い当たるであろう。
さらに眼を凝らせば、エンジンの主翼側の付根に顔を覗かせる円形の配管……それは高高度の飛行に欠かせない排気タービン過給器だ。それほどのエンジンを用意せねばならないほど機体は重く、巨大だった。普通、旅客や物資を載せる遠距離航路でも、ここまでの巨体と性能は要求されていない。
正式名称「モデル1009」。今は亡きとある大富豪が、道楽のために自身で設計し、作らせたという巨人飛行艇が、「ドロバースト一家」旗艦を勤めるこの飛行艇「蛇神」号の前身だった。
「モデル1009」そのものは、あまりにも無謀な構想そのものが祟り、実機は完成したものの役所の堪航許可が下りず、一度も空に舞い上がることなく富豪の邸宅のある川縁に巨体を浮べたまま、生みの親の死を迎えた。
彼の死後、遺された莫大な遺産整理の過程でどういうわけか機体は闇市場に渡り、めぐり廻って遂には飛行不能の状態で「ドロバースト一家」の手に渡ることになる。
丁度同じ時期、世界統合政府軍は一通の広告を出した。XB―209という、数々の新機軸を持ちながらも、それゆえの開発コスト高騰で遂には不採用になった戦略爆撃機の試作機二機を民間に払い下げようとしたのである。
軍開発の最新の機体を民間に売る……しかも予備のエンジンと備品付き。それは「モデル1009」を海賊の戦力に加えたいと考えていた「ドロバースト一家」にとって、まさに渡りに船であった。
「ドロバースト一家」は企業舎弟の関係にある貿易会社を通じて二機を購入し、「モデル1009」の補修に満遍なく流用した。前述の高出力エンジンなどは、その代表格である。
不思議なことには、当の軍がこの「不埒な海賊ども」の「詐欺行為」を全く感知した気配を見せないということだ。軍の情報収集能力を以てすればこのような海賊の動きを手に取る様に知ることなど不可能ではないはずのなのに……軍内部の不祥事を隠すために、感知していたとしても体面を慮って公にできないのだ。と事情を知る者たちは噂しあった。
――――その「蛇神」号には、艦橋があった。
艦橋からの眺めは素晴らしいものだった。機首に嵌め込まれた、枠の殆どないバブル状のガラスからは、足元を蠢く雲海の、広大な連なりを俯瞰することが出来た。恐らく創造神は―――それが本当に実在したものだというのなら、の話だ―――彼の仕事を為した後このような天空の高みから自らが創り上げた世界を足元から睥睨したことだろう。そして人類は、かつて彼が立ち竦んだところを、彼が世界を作り上げた刻から気の遠くなるような時間を経て、漸く彼の位置にまで駆け上る術を得たのに過ぎない。
与圧された機内は、高空特有の冷気も気圧の低下も感じさせることはない。その巨体が、乱気流に姿勢を乱す様子など、微塵も見られなく、あたかも想像上の、空に浮かぶ城にいるような感覚を、ここに身を置く者に感じさせた。この与圧キャビンもまた、入手したXB―109から得た技術だ。
「『青鮫』より通信。輸送機一機を鹵獲したとのことです」
を始めに、一斉に各所に散った部下から報告が入ってくる。それも輸送機を墜としたとか、フネを鹵獲したとか、海賊からすれば勇ましい報告ばかりだ……まあ、「カタギ」の連中からすれば、顔面蒼白ものの悲報ではあるだろうが。
「フウン……幸先がいいな」
通信士の報告に、飛行艇の艇長格の大男が、ほくそ笑んだ。金の鎖やビスで飾り立てられた黒いフライトジャケットが、ケバケバしく、アミダに被った縁の広い制帽の真ん中には、蛇を絡みつかせた髑髏の彫刻が彫られている。
「幸先のいいのは当たり前だ、でなきゃあ海賊なんかやってられんさ」
と、背の低い、太った禿頭が笑う。無造作に羽織った上衣からは、だらしなく張り出した太鼓腹。刺青の生々しい腕に提げた酒瓶には、お決まりのように砂糖をこれでもかとぶち込んだラム酒で満たされている。糖尿病患者が一滴でもこれを口に運べば、間違いなく即死だろう。彼はそれを時たま口に運び、旨そうに呷るのだった。
その二人を他所に、半球状の機首ガラスから、密雲の威容を眺めていた長椅子の人影が、口を開いた。
「間違いないんだろうな」
「は……?」
「この海のどこかに、『黒鷲のゴフ』がいるんだな?」
機外を流れる冷気を思わせる口調に、二人は背を正した。
「そのようであります」
「それでは困るんだよ。親父が浮かばれねえ……」
「…………!」
緊張に頬を固め、二人は押し黙った。
その声を聞くだけで、周囲に緊張を強いる存在というものは、確かに存在する。そういう存在をトップに頂く組織は、例外なく強い。「ドロバースト一家」は、まさにそれだった。
「何でも、田舎で工場を経営してるって話ですが」
「工場?……気に入らねえ」
長椅子の人影が、笑った。薄い剃刀のような、見る者の背筋を凍らせる笑みだった。
「……燃やしてやる」
長椅子が回転し、椅子の上の人影は「ドロバースト一家」の棟梁の姿となった。
長く、分厚いコートは赤と金に装飾され、その襟からは褐色の肌に覆われた分厚い胸板と見事に割れた腹筋が姿を覗かせている。
彫りの深い、美形の顔を覆う長く波打った黒髪からは、鷹のような鋭い目が彼の部下を睨むように覗きこんでいた。この男――――「狂犬のドロバースト」ことガスパル‐ド‐ラ‐ドロバーストが父の後を継いだかつての彼の部下を叛乱で倒し、若干二十歳で亡き父が興した「ドロバースト一家」を仕切るようになってすでに五年が過ぎていた。
穏やかならぬ手段で一家の頭目に立って以来、「ドロバースト一家」は質量共にその勢力を充実させ、その規模、行状共に政府すらも無視できぬものとなっている。僅か五年で、内紛明けの組織をここまで拡大させた手腕はやはり本物といえた。
「あの三人はちゃんとリシュヴィーのところまで送り届けたか?」
「ハッ……間違いなく。それにしても、ツイてましたね。奴を潜り込ませた先に、あの『黒鷲』が居たなんて」
「ツイていたんじゃねえ……廻り合わせというやつさ」
ドロバーストは、また低い声で笑った。
「やつは俺に殺される……殺されなきゃ、ならん。なぜなら……それが道理だからだ……子が親の仇を討つのにこれ以上の理由が何処にある」
若さに似合わぬ、鬼気迫る言葉に、側近の二人は戦慄を禁じえない。内心ではこの若い棟梁に心服している二人だったが、時たま見せる狂気の介在を思わせる振る舞いには、さすがに馴れることが出来ないでいた。
ドロバーストが言った。
「……ところで、先生はどうしてる?」
「三人についてディスラークへ向かったようです」
ドロバーストは微かに笑った。陰湿な笑いではなかった。
「先生か……いい加減、地べた暮らしも飽きたろうに」
太った方の側近が言った。
「それにしても、俺らの『用心棒』はいい女ときてる。篩い付きたくなるぜぇ」
「篩い付いたところで、タマを喰いちぎられるのがオチだろうぜ。なんせ先生は……」
長身の方がニヤリと笑う。
「……知る人ぞ知る『殺し屋』だからな」
「親不孝共の環礁」準州の州都ディスラークは、周囲を環礁と大小三〇余りの小島に囲まれた、「親不孝共の環礁」では比較的大きな島だ。
一〇年前に強固な岩礁を爆破して拡張が図られた港湾の一番奥まった場所に、「親不孝共の環礁」準州庁舎はあった。主要な交通手段が船と航空機ぐらいしかないこの州では、海から直接アクセスできるという点で、ここは好都合な位置だからだ。
三階建て。一面に白い大理石をふんだんに使った庁舎は二年前に改装を終えたばかりだ……だが、二年前までのレンガ製、平屋の旧州庁舎を知っている者から見れば、改装というには余りに語弊があるように思えるかもしれない。
「馬鹿にカネを持たせたら、碌な事に使わないという見本さ」
と、口の悪い州民は言う。「辺境交付金」は、これまで歳入不足に苦しんできた辺境各州の多くに、財政的余裕をもたらしてきた。それでも、州の予算の使い方には首を傾げる者は少なくない。そしてその疑念は、何も「親不孝共の環礁」の州民だけのものではなかった。
内陸に位置する或る辺境州では、大手の建設業者と結んだ州政府が「観光客誘致」の名目の下、「辺境交付金」を財源に巨大なテーマパークを造り上げたが、地理的状況から期待通りの集客を見込めないことが建設途中で判明し、さらには計画の課程で不正入札はもとより建設材料費の水増しが発覚。州民によるリコール運動にまで発展した。しかもその過程で、運動の指導的立場にある者の自宅に、州政府の意を受けた州警察の一部が盗聴器を仕掛けていたことが判明し、遂に州政府は退陣に追い込まれた。
また或る州では、芸術家上がりの州知事が自己の発案による奇怪なオブジェを、「辺境交付金」を多用して州の各所に建てまくり、当然周囲の批判を浴びた。その近隣の州では、「辺境交付金」を不正に流用し、一二人の愛人を囲っていた州政府幹部が逮捕されている。
――――再び、話を「親不孝共の環礁」に戻す。
ディスラークの港を、一隻のクルーザーが行く。黒い船体の船首には、「州政府公用」を意味する表記が為されていた。
州知事や州政府の幹部が地域視察のために多用する唯一の船の、各所に細かな傷の入った船体は、船が相当の期間にわたって使い込まれていることを、変速ギアの軋みも危なっかしく減速に入る姿の内に物語っている。船腹の排気口から漏れる不燃ガスが、船上を動き回る船員の目を苛む。
ディーゼル音もけたたましく、クルーザーは州庁舎へ通じる艀に近付いていた。海面を白く割る舳先の先では、艀から投げられるロープを受け取ろうと乗員が立ち上がっていた。
背後を振り向いた船員が、首を切る仕草をした。「エンジンカット」の合図だ。
わずかな間を置いてエンジンが停止し、艀から投げられたロープを受取り、艀まで引っ張って結ぶ。すかさず、艀側の人間が船腹にスループを懸ける。キャビンへと通じたドアが、随行の州知事助役によって開けられた。
「知事、お帰りなさいませ」
待ち構えていた秘書官に、ポロシャツを纏った、細身の中年男が無言で手を上げる。「親不孝共の環礁」準州知事のフランカ‐リシュヴィーだった。州知事の任にあることすでに三年。来年に二期目を賭けた選挙を控えている。
秘書官が、リシュヴィーに来客を告げた。疲れたと言いたげな表情を隠さず、リシュヴィーは口を開く。
「今、何処にいる?」
「執務室で待たせてあります」
鷹揚に頷くと、リシュヴィーは螺旋状に組まれた階段を駆け上がった。決して軽やかとは言い難かったが、この面会を終えればランチが待っている……そのことが、彼の歩調に弾みをつけた。最上階の天井からは、煌びやかな天窓越しに、太陽が暖かい光を雪いでいた。
リシュヴィーは言った。
「ところで、来客とは誰かね?」
「はあ……黒尽くめの、何ていうか感じの悪い三人組です。至急、知事にお会いしたいと……」
その瞬間リシュヴィーの眉が微かに動いた。不機嫌そうな表情が、その後に続いた。
「知事、どうかされましたか?」
「いや……少し疲れただけだよ」
階段を昇る途中で、秘書官には、先に昼休みを取るよう言った。渋る秘書官に、リシュヴィーは「いいから、行くんだ……!」と声を荒げる。
あたふたともと来た階段を駆け降りていく秘書官の後姿をしばらく立ち止まって眼で追い、リシュヴィーは再び階段に一歩を踏み出した。
改装―――というより新築――――成った州庁舎の三階には、昼近くの時間帯になればもう誰もいなくなる。大して多いとは言えない仕事をさっさと切り上げ、ランチに行ってしまうのだ。それは、これから執務室で行われる会談には、好都合とも言えた。
執務室のドアを開けた先……後ろ向きになった州知事の椅子に、リシュヴィーは人の気配を感じた。
「……ロング‐ズーニーの二七年か……さすが州知事ともなれば口に入るものも違う」
椅子に腰を下ろした男が、緑色の酒瓶を日に翳している。酒棚のコレクションの中でも取って置きの逸品は、半分近くに量が減っていた。
視線を落とした先……応接用のソファーには黒服に身を包んだ小太りの男と大柄の男が、グラスに並々と注いだ上物のブランデーを舌先で転がしている……それもストレートで。真昼間からこんな非常識なことをする人種など、この世に一種類しかいない……実は、リシュヴィー自身その一員なのではあるが。
椅子の男が、言った。
「やあ、ご公務ご苦労さん。お邪魔だったかな?」
「ここには来るなと言っておいただろう」
三人から目を逸らすようにして、リシュヴィーは言う。椅子の向こう側からの乾いた笑いを、彼はその直後に聞いた。
「悪いねぇ……でも、これも俺等のお仕事なのよ」
「『狂犬』の使いっぱが、か?」
小男と大男が、咄嗟に隔意を含んだ視線をリシュヴィーに向けた。「まあまあ……」と、椅子の男が連れを宥めるように言う。
「知事さんよぉ……威勢がいいねえ。暫くボスの顔見てないんで、気が緩んだか?」
「用があるときは連絡する。そうボスに言ったはずだ」
「おまえ、そんな駄法螺が吹ける立場かよ?」
椅子の男がデスク上のグラスを引っつかみ、リシュヴィーに放った。動揺を見せながらも、胸と手でそれをどうにか受け止めたリシュヴィーに、椅子を向けた中背の男が剃刀のような笑顔で笑いかける……が、黒眼鏡の向こう側は笑ってはいなかった。
「ボスが生まれる以前から、前のお頭の腰巾着だったおまえが、親父さんを失ったボスにした仕打ちを思えば、おまえさんが未だに生きていられること自体、ボスの御慈悲の賜物ってもんじゃないか。そうだろ?」
「その話はやめろ……!」
と、苦虫を噛み潰したような顔で、リシュヴィーは男から視線を逸らすようにする。
「おい!」と、男は二人の連れを呼んだ。
「知事殿にお注ぎしろ」
「ヘイ……!」
ブランデーが、グラスに溢れんばかりに注がれた。リシュヴィーに飲むよう促し、男は続けた。
「ボスはお前さんの悠長なやり方に付き合っていられるほど暇じゃない」
リシュヴィーは嘆息する。
「……で、用は何だ?」
「早速だが、仕事を始めさせてもらった」
「何だと?」
「だから……お船と飛行機を潰してさ、荷物をかっぱらっちゃった」
悪びれる風も無く、中背の男は言った。
「早過ぎる……!」
絶句するリシュヴィーを他所に、中背の男は緑の酒瓶を口に付け、傾けた。男の喉仏が揺れる度に、たちまち瓶の中身が減っていく。
「予定が変わったんだよ。それをあんたの耳に入れなかったのは悪いと思っている。ここは堪えて、早急に例のことを頼むよ。うちらは……」
男の目が、笑った。
「存分に暴れさせてもらうからさ……!」