the 19th flight 「掃除屋」
ディスラーク空港に機を滑り込ませたときには、燃料は殆ど底を尽き掛けていた。
その規模、設備ともにクラクティアより遥かに立派な飛行場に、光義は思わず目を細めたものだ。地上ではすでにゴフからの連絡が行き渡っていたらしく、馴れた手際で地上員がエプロンまで機を誘導してくれる。地上では前方視界などゼロに等しい雷電を駆る身としては、これは有り難い。
「燃料の補給を頼みたいのだが」
「ここに居てくれるんでしょう?」
操縦席の光義を見上げる不安げな目を前にすれば、迂闊なことは言えなくなる。
目を凝らすと、先に帰還していた政府軍の飛行機の他、P―38を二周りほど大きくしたような機が、煤にどす黒く汚れたエンジン部も生々しく、飛行場の片隅に追い遣られている。
「あれは……?」
と聞く光義に、地上員は事も無げに言った。
「騎兵隊の偵察機ですよ。マッタイ島で味方撃ちに遭ってね。あのザマです」
吐き捨てるようなその口調に、彼らに対する一片の同情も感じ取ることは出来なかった。
政府軍の存在は、光義も既に聞いている。
「政府軍は助けてくれるんじゃないのか?」
その途端、地上員は、目を剥いて声を荒げた。
「政府軍? とんでもない! おれたちの争いを見てるだけならまだしも、あいつらは海賊とつるんで州を乗っ取ろうとしてるんですよ!」
「何だと……?」
込み入った事情を知ったのは、海賊の掃討に出たローウェルたちが還って来てからのことだ。
執務室の通話記録から、リシュヴィー州知事が海賊と通じていたことはもう皆が知っている。これは本来、以前より持ち上がっていた彼の収賄疑惑の真偽を掴もうと、市の新聞社に勤める一部のはねっ返りが執務室に盗聴器を仕掛けた結果、明るみになったのだ。
事実、元海賊の噂のあるリシュヴィー州知事は、現在に至るまでも海賊の一味で、さらには一連の海賊行為の手引きを陰より行っていた。これらは海賊が出没を始めた時点で明らかになったことで、新聞社よりもたらされた情報と証拠は、当然の如く警察へと渡った。
だが、知事の拘引には、議会への根回しと裁判所への手続に少なからぬ期間と煩雑さを要したのだった。これは、統合政府の地方自治法により、州知事はその在任期間中、現行犯を除き議会の同意なくして一切の刑事訴追の対象とならないという条項があるためだ。事件の発覚から逮捕までここまで時がずれ込んだのは、そういう行政面での事情があったのである。
逮捕により州知事としての地位も権限も剥奪されたリシュヴィーは、投げ遣りな気になったのか、こと海賊との関係については全てをぶちまけた。自分が海賊の幹部であること、海賊の行動の一切を手引きした後は、海賊との会合場所へ逃走を図り、組織に復帰する予定であったということ……
「あんたは政府軍とも何らかの取引をしていたようだが。それについても教えてくれていいだろう?」
尋問担当の職員の放った、その質問に、リシュヴィーは明らかにうろたえたようだった。海賊との関わりについては呆れるほど饒舌だった彼が、それについては一切の解答を拒否したのだ。脅しても、宥めすかしても、「政府軍」の一言を耳にしたときの彼の怯えぶりは尋常ではなかった。
「そんなこと……絶対言えない。言ったら……私の命がない」
「海賊のことを喋った時点で、お前さんの命は無いも同然だろうが」
「海賊からは、いくらでも逃げ切れるが……あいつらからは逃げられない」
「あいつら……?」
尋問官たちは、困惑して顔を見合わせた。同時に何か掴み所のない、巨大な力の存在を、怯えるリシュヴィーの背後に感じたのである。
海賊の片割れと会話を交わす自分の上司の声を、アヴィゲイルは州軍司令部の医務室のベッドの上で聞いた。
「…………!?」
レコーダーの掠れた声でも、アメル少佐の猫撫で声は否定しようも無かった。三回目に会話を聞き終わったとき、驚愕に肩を震わせながら、アヴィゲイルは付き添いの二人の部下と顔を見合わせた。
「間違いないわ……うちの隊長よ」
アヴィゲイルの様子に、州軍の担当官と警察の係官は互いに目配せする。
「どうやら、知らないようです」
「そのようだ」
「前から気に食わないやつだとは思っていたけど、これほどのゲス野郎だったとはね……」
血色の失せた、苦りきった顔で、アヴィゲイルは呟いた。
「しかし、これはアメルだけの独断かしら」
「どういうことです?」
「あの男は将来が約束されているのに、いきなり海賊に肩入れするメリットなんて、何処にもないわ。それに……」
「それに……?」
「……あの男は、演技は出来ても脚本を書けるようなやつじゃないもの」
「――――『ドロバースト一家』と、州軍との戦闘は、痛み分けに終ったようです。州軍の航空部隊には、もはや秩序だった戦力は残されていないものと思われます」
通信傍受から得た部下の報告を、アメルは面白く無さそうに受けていた。
無作法に机に渡された足を何度も組みなおしながら、彼の眼は窓の向こうに広がる空をずっと睨みつけている。
その間も、報告は続いている。話題がやがてマッタイ島で味方撃ちを受けて負傷したアヴィゲイルたちのことに及んだとき、アメルは初めて部下へ目を向けた。
「……で、どうなさいますか?」
「何が?」
「ラスカ中尉たちのことですが……」
「あんなやつのことはいい」
アメルは腰を上げた。出撃の用意を命じ、自らも航空装具を引っつかんで向かった先は、ロートラグーン基地のブリーフィングルームだ。
基地のパイロットは、すでに集合を終えていた。そのことからして、これからの行動は予定されたものであったということを雄弁に物語っていた。その青い眼でパイロットたちを一巡し、天使のような笑顔で微笑みかけるのは常のことだ。
アメルの背後に懸けられた大きな地図は、ロートラグーンからかなり離れた南方の小島を描き出していた。拳で小島を叩き、アメルは言った。
「これより我が隊は、海賊の本拠地を叩く……!」
LRF―27「チャリオット」。統合政府軍空騎兵の主力戦闘機だ。双発双胴の機体は、ジュラルミン地肌も艶かしく、その主を広い操縦席に迎えたのだった。
その翼下には、巨大な増加燃料タンクと、計一六発の対地ロケット弾。機首から延びる5丁の機関砲の銃身と、同じく槍のように長く延びた管が見る者に身を竦ませるような威圧感を与える。片発だけでも確実に単発戦闘機の最高速度並みの速力を出せる高出力液冷エンジンと、高性能排気タービンの組み合わせは、この「チャリオット」に、他の追随を許さない圧倒的な加速力と上昇力を与えた。さらには、双発機ならではの長い航続距離は、海賊の捜索と撃破という騎兵隊の主任務に打って付けだった。
アメルの直卒する一六機は、あれほどの積載量にも拘らず、呆れるほどの上昇力で飛行場から飛び出すと、雲の層を隔てた遥か上空で梯団を組んだ。
編隊の最上層から、満足気な眼差しで列機を見渡すと、アメルは指示を出した。
「リーダーより全機へ……『エンゲージリング』をオンにせよ」
「エンゲージリング」とは、距離を隔てた編隊間の会合を容易にするべく開発された。電波誘導システムだ。簡単に機構を説明すれば、世界各地域に設置された電波表定器に、共通の暗号電波を照射し、折り返し受信されてくる同空域に存在し、同じコードを持つ航空機への針路を読み取ることで、表定器の担当空域内において友軍の編隊や航空機の位置まで自機を誘導できるようになっている。
その使用、運用の一切は統合政府軍の管轄とされ、「エンゲージリング」関連の暗号コードの一切が軍機であることはおろか、コードそのものも頻繁に更新され、その解読を事実上不可能なものとしていた。「エンゲージリング」は、いわば統合政府軍によって守られる世界の安寧と秩序の象徴だった。
隊伍を組み、飛び続けること一時間……受信機は、イヤホンに断続的な信号音を送り込んでいた。ピコーン……ピコーン……という電気的な信号が聞こえる限り、アメルの隊は会合空域をロストすることはない。逆に言えば、信号が聞こえなくなれば、それは会合ルートから外れていることを意味する。
見えた……舌なめずりしながら、アメルはバンクを振った。絨毯のように辺り一帯を覆う雲々をバックに映えた黒い機影は、近付くにつれジュラルミン特有の光沢を露にする。
「チャリオット」と同じく双胴の機体。だが、その大きさはチャリオットのそれを遥かに越えていた。エンジンも四発。その背後から棚引く四条の真っ白な排気は、間近に見る味方に胸を時めかせるほどの安心感をもたらす。
広い主翼と、中央部から棚引くロープのような物が、アメルたちの到着を待ちかねたかのように延び始めた。
『マザー01よりロートラグーンへ、給油を開始せよ』
チャリオットの機首から延びる管は、受油口だった。アメルの命令一下、全機が馴れた動きで給油作業に取り掛かる。慎重に給油機にアプローチし、管の先端を給油チューブの漏斗状の先端に接続するのと期を同じくして、給油が開始されるのだ。
「飛行空母」、もしくは「マザー」というのがこの空中給油機の呼び名だった。艦隊勤務のパイロットに空母への離着艦技術が必須であるのと同じく、空中給油のための操縦技術は、長時間を空の上で作戦行動する騎兵隊のパイロットにとって必須の技術だ。
給油を終え、さらに南へ飛ぶこと一時間……空騎兵は、その目標を眼下に見出した。
小島の連なりの先、エメラルドに輝く環礁地帯に形成された飛行艇や舟艇の列線、さらに目を凝らした先の、砂浜に面したバラックの連なり……海賊の根拠地だ。
「リーダーより全機へ、全兵器の安全装置を解除せよ」
命令するが早いが、編隊は一本棒に連なり、銀翼を翻して急降下した。勢いを増したプロペラの回転は、悪魔の角笛にも似た唸り声を上げ、攻撃を加えられない内に地上を圧倒した。
先頭を行くアメル機の照準器の環には、目標の飛行艇が映し出されていた。
引き上げようと力を篭めた操縦桿……動かない、加速が大きすぎるのか……トリムタブ操作ハンドルを回し、効きを調節する。眼前には壁のような海原が迫っていたが、彼はあくまで冷静だった。
機首が浮いた。獲物はすでに照準器の環から大きくはみ出していた。戯れに放った一連射……それだけで飛行艇は、幾重もの水柱とともに破片を吹き上げて分解した。部下もそれに続き、銃撃で、ロケット弾で残余の飛行艇や舟艇を次々と沈め、港湾施設を破壊した。かつては海賊の一大拠点だった環礁が、騎兵隊の編隊が一航過する頃には見るも無残な瓦礫の山と化す。
上昇し、再び体勢を整えた先には、バラックの群れ――――海賊の「花街」だ。ロケット弾の吐き出す白煙の放物線が、眼下に居並ぶバラックに吸い込まれるや否や、破片とともにオレンジ色の花を吹き上げた。
通りを逃げ惑う人々を目の当たりにした眼に、残酷な光が宿る。首領の留守を狙った、前触れ無しの突然の急襲……地上で半死半生の体に直面している連中にはそう見えたことだろう。だが、実はそうではない。
「恨むなら、お前らを棄てたボスを恨め」
地上を這い回る街の人々の悲鳴を尻目に、アメルは発射ボタンも押しっぱなしに機銃を撃ち込んだ。ドドドドドッという衝撃とともに、眼前に飛び出した赤い弾幕が、地面に着弾して土ぼこりを上げ、逃げ遅れた人々の身体を木っ端微塵に引き裂いた。
「徹底的に掃射しろ。後腐れのないようにな」
街の各所から沸き起こった炎の柱が、足元の街並を併呑するかのようにその手を広げていく。部下の内数機が、搭載していた焼夷弾をばら撒いたのだ。木造、もしくは何処からかっぱらって来たのか判らないようなクズ板で作ったバラックでは一溜りもないだろう。
集合を掛けながら高度を上げ、雲と同じ高さで翼を連ねる頃には、アメルは炎に包まれた、かつては賑やかな泊地であった場所を見下ろしていた。
「さて諸君……おやつの時間だ。おうちに帰らないとな」
部下の失笑が、イヤホンを通じ聞こえてきた。
変針しようと主翼を翻した愛機の操縦席で、アメルは剃刀のような笑みを浮べる……泣き言なら、後から来るお前らのボスにでも言ってくれよ。ただし、あいつの行くところは地獄かもしれないが……。
だが、浮ついた表情も一瞬……手が延びた先は、無線通信機のダイヤル。
その周波数を、アメルは替えた。これでは、何を話しても部下に聞かれることはない。
「こちらゴールド。聞こえるか? 応答しろ」
『――――こちらシルバー、感明良好。どうぞ――――』
「こちらゴールド。フレタイ島の掃除を完了。報告終わり」
『――――シルバー了解。ご苦労だった。後は任せろ――――』
空電交じりの、機械的な口調の背後に、鈍いタービンの響き……




