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the 1st flight 「追憶と始まりと」



 ―――そこでは 男も女もない


 地上の過去も 地位もない


 さあ 我と思わん者は集うがいい


 携えるのは ただ翼と勇気のみ


 蒼く無限なる この大空以外の何処に


 勇気を試すに最も相応しい場所がある?―――




 ――――「世界戦争ラグナロク」にて散りし、名も無き飛行機乗りの最後の日記。






 ――――麦藁帽の少女は、人ごみの中にいた。


 行き交う人々は、全て親子連れ……少なくとも、彼女にはそう見えた。何故なら、彼女は先程からずっと、祭りの場である広大なアスファルトの平原の一点に、ただ立ち尽くしていたからである。


 滑走路のエプロンに並んだ大小さまざまな機体……戦闘機、偵察機、爆撃機……翼下に集まり、もの珍しげに機体を眺める人々……その人々の質問に応じる基地の士官……少女は、気丈さの中に愁いの篭った茶色の瞳で、それらの光景を眺めていた。麦藁帽の下、豊かなオレンジ色の髪の毛が吹きっさらしの風に揺れ、古ぼけた縫い包みを抱く小さく白い手には、とっくに力が篭っている。


 場は活気に包まれてはいたが、そんなことは彼女にとっては何の慰めにもならなかった。ついさっきここで待つように告げて彼女を置いて行った両親の姿を見つけるべく、その場所から彼女は腰を上げたばかりだった。


 両親がこの基地に特別な関わりを持ち、それゆえに彼女から距離を置かねばならない場合もあることを、少女は彼女なりに理解していたが、それでも、この年頃の子供は自らの身近に親の存在を求めるものだ。


 込み上げてくる涙に耐えるかのように、少女は空を見上げた。


 どこまでも蒼い空。どこまでも延びているかのような蒼穹の彼方……太陽は少女を苛むかの様に熱い光を地上に投げかけ、輻射熱がアスファルトに覆われた大地を灼いていた。


 太陽を背にして、少女は振り返った。


 太陽とは反対の方向にうっすらと連なる三つの球体……レニス、クラダ、そして両者に挟まれるように位置するドムナ。それぞれに古代神話の女神の名を付けられ、この世界を廻る三つの衛星は、別名「天空の三姉妹」とも呼ばれ、古来より暦年の作成や航海の指標に役立てられた他、地域によっては信仰の対象ともなっている。


 空の遥か彼方に浮かぶ三姉妹を見上げると、少女は祈るように目を瞑る……三姉妹が、彼女と両親を再び引き合わせてくれることを……三姉妹のご利益は絶対だった。


 楽天家の父に至っては、窮地に陥ったとき、必ず三姉妹が救ってくれると信じて疑わなかったのだ。


 その日は、特別な日だった。


 「航空祭」の日……「世界唯一の正統政府」たる世界統合政府。「世界共同体」防衛のための唯一の実戦部隊たる世界統合政府軍が、軍のPRと、統合政府の下に編入され、未だ「世界共同体」意識の希薄な「統合政府市民」に対する啓発を目的にこういうイベントを行うようになってすでに十年は経つ。


 普段なら、周囲五 マイル四方の殺風景な平面の上で、少数の整備兵が用具箱を片手に走り回り、列線を形成する戦闘機に取り付いている……訓練飛行に臨むパイロット達が、航空地図を睨みながらあれこれと経路や訓練について事前の打ち合わせをする……少女には知る由も無かったが、そういう光景が広がっているはずだった。


 「あなた……お母さんは?」


 突然の声に、少女は頭を上げた。茶色の瞳から覗く麦藁帽の淵に、女性兵の顔が隠れていた。


 慌てたように、少女は帽子を被り直した。一瞬の後、少女はその瞳の先に、フェドラ帽を被った女性の顔を見ていた。


 「ママ……?」自分自身に問いかけるように呟くと、少女は俯いた。兵士は彼女なりに事情を察したのか、陽光のように微笑みかけると、少女の手を握った。


 「一緒に探そうか?」


 少女は、黙って首を振った。


 困惑した警備兵が何かを言おうと口を開いたとき、軍楽隊がけたたましいまでに軽快なリズムの曲を奏で始めた。その場の皆の目が、これから起こる何かを期待して忙しげに周囲の空に視線を走らせる。


 『ご来場の皆様!……お待たせいたしました! 当基地最高の一台ページェント!……基地戦闘機班による集団曲技飛行が、間も無く始まります! 統合政府軍の誇る名パイロット集団の腕前を、存分にご覧下さい!』


 明るい女性のアナウンスに、軍楽隊の演奏が続く。


 軍楽隊の軽快なリズムに誘われたかのように飛行場上空に侵入する五機編隊……近隣の民間空港であらかじめ待機していたのであろう。ガッチリと組まれた編隊は少しの乱れも見せることなく。真っ直ぐに飛行場上空に進入した。


 滑走路を吹き抜ける涼風に乗って、軽快なエンジンの鼓動が聞こえてくる。それは少女の胸を不安から解き放ち、茶色の大きな瞳を、眩いばかりの空の一点へと向けさせた。


 オレンジ色の胴体……操縦席を包む巨大なバブルキャノピー……中央に白黒の識別線の入った、幅の広い複葉の主翼……空冷エンジンを包み込む、空力的に洗練されたエンジンカウルの先、鮫の鼻っ柱のようにツンと前へ延びたスピナー……当時の統合政府空軍の主力戦闘機の特徴ある機影が、雁木状に幾重にも重なり、やがて滑走路の真ん中に達したところでスモークを曳きながら一斉に急上昇に転ずる。一糸乱れぬその機動に、期せずして地上から歓声と拍手が上がる。


 宙返りの頂点に達する編隊……宙返りを終えたところで、編隊は一斉に散開し、緩急自在な特殊飛行を繰り広げる。


 編隊の中央をぶち抜くように、絡み合いながら上昇する二機……螺旋状に絡み合うスモーク……陽光を反射し煌く機影……例のアナウンスが軽快な口調で二機を賞揚する。


 『――――二機は、統合政府空軍唯一の戦闘機班夫婦ペア……アル‐ナクティ大尉とサラ‐A‐ナクティ大尉です! 夫婦の息の合った演技に拍手を……!』


 「…………」


 少女は、喜びに満ちた瞳で、じっとその編隊機動を見詰めていた。胸に抱く縫い包みが小さな手と胸に挟まれ、僅かに潰れた。場を圧するように沸き起こった拍手など、彼女にはどうでも良かった。


 空の舞台に繰り広げられためくるめく一時は瞬く間に過ぎ、演技を終えた編隊は一本棒になって滑走路にアプローチを掛ける。英雄の凱旋でも出迎えるかのように、人々は滑走路の一角に設けられた観客席から、拍手と口笛でそれを出迎える……少女には誇らしかった――――操縦席の中から、人々の賞賛に手を振って応える父母が。


 戦闘機は、水滴状のスパッツに覆われた主脚を、次々とアスファルトの地面に接地させ、プロペラの回転を落としながらエプロンへと滑り込んでいく……居てもたっても居られず、少女は駆け出した。警備兵も、慌ててその後を追う。


 「パパ! ママ!」


 バブルキャノピーを開き、操縦席から身を乗り出した操縦士が、少女の姿を認めて手を広げた。


 「リナ!」


 統合政府軍のパイロットは、俗な表現を使えば「カッコイイ」。カーキ色のシャツとネクタイ。だぶだぶのズボンと編上げ靴……それらの上に黄色いライフジャケットと、パラシュートと一体化した縛帯を纏い、皮製の飛行帽を被っている。


 パイロットの男は機体から飛び降りると、駆け寄った少女を抱き寄せた。胸から漂う微かなオイルの匂い……それは少女にとって、父親を感じる証の一つだった。


 同じく航空装具に身を包んだ女性に、リナと呼ばれた少女は手を差し伸べた。助成し感は微笑むと、夫の背中越しに少女の肩を抱くのだった。


 「リナ、いい子にしてた?」


 「ウン……!」


 「大尉殿のご息女でしたか……お嬢ちゃん。よかったわね」


 と、警備兵は安堵の笑顔を浮かべる。


 「兵長、子守ご苦労だった。手間を掛けさせたろ?」


 と、リナの父は笑い掛けた。その笑顔は、一児の父であることを感じさせないほど若々しい。母が、飛行帽を脱いだ。少女の目の前でフワリと広がる、オレンジ色の髪の毛……同時に漂ってくる女性の芳香が、父と娘の鼻を擽るのだった。


 父が、リナを抱き上げた。親子は、寄り添うように母の愛機の傍へと歩み寄った。機付きの整備兵が、二人の姿を認めて敬礼した。


 「ヒコーキ……!」


 と、リナの小さな指が複葉戦闘機を指差した。父は、抱き上げた娘に囁いた。


 「エアセイバーっていうんだ」


 「つよいの?」


 「そりゃあ……強いさ。ぼくらが操縦すれば、もっとね」


 と、夫婦はお互いに微笑み合う。


 「これなあに?」


 と、リナが指差した先……天を向く機首に描かれた飛行機のシルエット……ただ、それは機体の中心から端折られている。それがリナには不思議だった。


 「撃墜マークだよ」と、父が教えてくれた。


 「何で、半分こなの?」


 「知りたい?」


 リナは、頷いた。父と母は笑うと、リナを抱いてすぐ隣で銀翼を休める父の愛機へと向かった。


 「あっ……」


 父の愛機……その機首にも描かれた同じ機影……二人の機に描かれた撃墜マークを合わせれば、丁度それは一機の機影となる。母が、リナに囁いた。


 「パパとママが一緒に海賊の飛行機をやっつけたのよ」


 リナの瞳が、いっそう輝きを増すのを、二人は見た。


 父は、娘を操縦席に座らせた。大人にはとてつもなく狭く感じられる操縦席でも、子供には大きすぎる。穴にでも落っこちたかのように少女の身体は操縦席の中に隠れてしまう。父はリナを一度下ろすと、自ら操縦席に腰を下ろし、リナを招き入れた。


 母の手で、父の上に腰を下ろせば、リナでも操縦席から周囲を見回せるようになる。操縦席機から臨める光景の、何と雄大さに富んでいることか……!


 「スゴーイ……!」


 リナは胸を躍らせて、周囲に瞳を転じるのだった。


 リナにとって、二人は誇れる両親だった……何時の日か、自分も両親と銀翼を連ね、空の彼方へ赴くのだ……漠然とした想いと望みが、少女の小さな胸を満たすのに、時間は掛からなかった。


 ――――そのとき。


 『……西方海域に海賊の武装飛行艇襲来! 戦闘機班は実弾を装備し発進せよ!』


 サイレンとともに響き渡る硬質な女性の声。一気に場が急変し、駆け寄ってきたパイロットが操縦席に流れるような動作で腰を下ろし、整備兵が受け持ちの機に取り付く……機首の機銃点検口に弾帯を差し込む兵器員……機首にあるエンジン始動用アタッチメントに、ハンドルを刺し込んで回す整備兵……操縦席に納まったパイロットが、ベルトを締めるのを手伝う整備兵……殺気すら漂わせる光景に、少女は父の胸の中で慄くのだった。


 「リナ、出ようか」


 父は平静そのものだった。父はリナの麦藁帽を上げ、リナのおでこにキスをした。リナの顔が明るさを取り戻すのを見届けると、母にリナを任せ、一目散に整備員の待つ愛機へと駆け寄っていく。


 「パパ……」


 「大丈夫、ママが付いてるわよ」


 腰を落とした母が、リナの顔に頬を擦り付けるようにした。彼女はそのまま、リナの両手を取り、茶色い瞳を真っ直ぐに見据えるのだった。


 リナの瞳にたちまち涙が溢れた。彼女の真剣さが、リナの幼心に悲愴さを感じさせたのだ。背後でエンジンの轟く音がした。父の機が始動を終えたのだ。


 同じような轟音は列線の各所から沸き起こり、少女の緊張をいやが上にも高めるのだった。


 母は、言った。


 「リナ……私の可愛いリナ……ママとパパはね、行かなくちゃいけないの……海と空の平和を守らなくちゃ……悪いやつを、やっつけに行かなくちゃ……わかるでしょ?」


 「うん……!」


 リナは、大きく頷いた。それを見届けた母の顔に、溢れんばかりの微笑が溢れるのをリナは見た。母は立ち上がると、愛機に駆け寄り、操縦席に身を滑り込ませた。オレンジの髪の毛が、こげ茶色の飛行帽に覆われた。


 母の機が始動を終えた。地上よりずっと高い操縦席から、母はリナを見下ろし、親指を上げた。一足速くエプロンを出た機を操る父が、同じくリナに親指を上げる。


 リナの顔に、笑みが戻った。


 それは、生来のあどけなさの上に、何か勇壮なるものに感じる高揚感をも含んでいた。


 銀翼を連ねアスファルトを駆け抜ける二機……それは程なくして浮き上がり、忽ち青空の彼方へと消えていく……少女は、彼女の勇敢な両親の飛翔を何時までも、見送っていた……パパとママは、必ず帰ってくる、という確信とともに。


 ――――それが、リナが両親を見た最後だった。






 ――――耳を劈くベルの音……何処からか聞こえてくる航空機エンジンの試運転の音……元気にも早起きした子供達のはしゃぐ声……作業場から遠慮なく部屋にまで入ってくるオイルの香り。金属臭……リナが目を覚まさねばならないのは、大抵この時間帯でなければならないはずだった。


 だが、この日のリナにとって、煩わしい目覚まし時計のベルと、暖かい毛布のどちらを取るかといえば、自ずと答えは決まっている。昨夜から夜更けまで続いた修理作業の疲れが、気だるさと筋肉痛となって彼女を苛んでいたのだ。


 給湯機能がぶち壊れたため、熱湯と冷水が交互に出るシャワーで滑油塗れになった躯を洗い流し、ぶっ倒れるようにベッドに転がり込んだまま、彼女の意識は朝に至るまで戻らなかった。


 ドアが、立て付けの悪さを声高に主張するかのように唸り声をあげて開き、半分まで開いたところで、動くのを放棄したドアを潜り抜けるようにして入ってくる小さな影。トコトコトコ……と、小刻みで、はしゃぐ様な歩調がベッドへ近付いてくる。


 「リナおきろーーーーおきろーーーー」


 はしゃぎ声とともに、小さな手が毛布を捲りあげる。同じく捲れたネグリジェから露になる脚は長く、流線型が目を見張るほど美しい。


 「……ウッサイ! どっかいけ!」


 年に似合わず見事な脚線美が延び、少女を押し退けるように空を切った。頭から毛布を被るリナに、縫い包みを抱いた少女が顔を近付ける。


 円らな灰色の瞳が、クシャクシャになったオレンジ色の髪の毛に小さな鼻を寄せ、匂いを嗅ぐようにした。


 「リナぁーー朝だよ。一緒にご飯食べようよ」と、囁くような声。


 「……いやだ」


 「ごはんっ!」


 「いや……!」


 少女は、泣き出した……が、リナは意に介さない。ファイ‐ファンが自分の気を惹こうとわざと声を上げていること位、長い付き合いからとっくの昔に判っている。


 嘘泣きを止め、不貞腐れた表情の少女が、いじけたようにむき出しのリナの脚を叩いた。何度も、何度も……白い脚の一点が、忽ち手のひらの形に赤く染まる。


 「あんたねー……」


 リナは舌打ちし、半身を起こした。


 短く切られたオレンジ色の髪の毛が、寝癖が抜け切らずにあらぬ方向にテンパッている。リナが起きるのを見届けるかのように、少女は顔に満面の笑顔を浮かべると、身を翻し継ぎ接ぎの痛々しい分厚いカーテンを開けた。


 頭髪を掻き毟ると、リナはスタンドの一隅に瞳を落とした。


 その先には、一枚の写真……写真の中に納まった、少女と同じ年頃の自分を挟むように写真に納まる父母は、パイロットの格好をしていた。


 目を細めて写真に見入りながら、リナは心の中で亡き両親におはようを言った。それがあの日以来、彼女の日課の様なものとなっていた……両親が、自分を置いて透き通るような青空の彼方に消えていったあの日。幼いリナは、何時までも誰もいなくなった滑走路に立ち尽くして、帰らぬ父母を待ち続けたのだった。


 並べた木箱の上に、マットとシーツを敷いただけのベッドから脚を下ろすと、リナは少女の手を引いて食堂へ向かった。


 コンクリート地肌の天井。剥き出しの配管から何時の間にか漏れていた水滴が、絨毯を濡らしていた。それを見つけ、リナは顔を顰める。暇が出来たら、また修理しなければならない。


 食堂……とはいっても、街の某高級レストランが倒産した際にかっぱらって来たという巨大な冷蔵庫から、何がしかあるであろう残り物をとって食べるぐらいだ。


 だが、その残り物がなくなったとき、工場内に、何時の間にか出来た「町」や近隣の島々にまで脚を運んで食材を仕入れたり、料理を作るのは大抵「クラクティア工場」の女の仕事……ということにされてしまっている。勿論、リナも例外ではない。


 食堂では、腹をすかせた子供達が料理を作ってくれるリナを待っていた。


 リナが姿を見せるや、フォークやスプーンで傷だらけのテーブルを叩いて朝ご飯を催促する。リナは、満更でもないという風に苦笑し、キッチンへと向かう。


 工員……特に造船工や自動車、航空機の整備工はこの世界―――特に政府の統制の及ばない辺境部―――では、徒弟制が主流である。工員を目指す者は幼い内から工場で過ごし、実地で技術を習得することになるわけだ。そしてある程度経験を積み、政府の資格試験を通過すれば、晴れて一人前となる。


 工業学校や大学の機械科のような純然たる学窓出身者が、その経歴ゆえに優遇されるのは統合政府による開発が十分に進んだ都市部や軍などの公共機関ぐらいなものだ。それ程、実は世界統合政府の意向は場所によっては及んでいない。


 これでは海空の通商路を荒しまわる海賊や、自前で空戦を請け負う「賞金稼ぎ」のような輩が横行するのも無理はない。二〇年前の「世界戦争ラグナロク」により引き起こされた混乱から、人々は未だ立ち直ってはおらず、中央政府による、施政権を回復するための努力は依然実行中だった。


 リナの住処であり、働き場でもある「クラクティア工場」もまた、そうした「辺境地域」にある航空機工場の一つだ……厳密に言えば、工場と言って片付けてしまってよいものか、判別に困る。何せ工場そのものが、「親不孝共バッドサンズ環礁ラグーン」を為す島の一つに作られた居住区の寄せ集めであるからだ。


 「親不孝共バッドサンズ環礁ラグーン」――――それは、南は最果ての海に広がる広大な島嶼帯。大小計三〇〇〇近くの島々から成り、行政面では七年前から統合政府の準自治州扱いとなっている。 


 その奇妙な名の由来は、かつて―――とはいっても二〇〇年ほど前の話だが―――この環礁に、廃業したり恩赦により放免されたりなどして行き場をなくした元海賊が多数流入し、新たな人生の出発地として住み着いたことに由来する。


 さらには、世界統合政府成立までここ一帯を領有していたさる王国が、開発に名を借りた厄介払い目的で多数の流刑者や土地を失った貧農をこの地に送り込んだことが、人口の増加を一層促進した……そして現在では、二〇万人から成る人々がこの地に居を定めるに至っている。


 ……三十年前、ご多分に漏れず遠方から流れ着いたゴフ‐ナクティとその仲間たちによって開かれた「クラクティア工場」は、当初のしがない修理屋から今では「親不孝共バッドサンズ環礁ラグーン」のみならず、周囲一帯の島々が保有する航空機や各種機械の修理、補修を一手に引き受ける一大工場施設にまで成長している。


 ある意味無計画な工場の拡大は近隣の貧民街まで飲み込み、何時の間にか同化させてしまっていた……否、巨大化し過ぎた工場に、何時の間にか他方から流れ込んできた人々が住み着き、近辺に放置されたスクラップを勝手に持ち出して彼らの家を作り足すなどして、工場の中に一つの町を作ってしまったと言った方がいい。


 工場主のゴフの方でも、生来の無頓着さか、着の身着のままでここまで辿り着いて来た人々にかつての自分の姿を重ね合わせたが故か、この闖入者の定着を黙認してきた節があった……単に無計画に広げすぎた工場の敷地を持て余しすぎたということもあったのかもしれないが……


 「……とにかくこの世の果てでも、賑やかにできるのならやるに越したことはないさ」


 自作の安楽椅子の上で、自家製の密造酒を傾けながら、老境に入って間もないゴフは言ったものだ。


 この「親不孝共バッドサンズ環礁ラグーン」に住む多くの人間と同様、彼もまた語るべき過去を持たない。だが、ここまでのことを「親不孝共バッドサンズ環礁ラグーン」でやってのけてしまった以上、彼の過去を知りたがる人間は少なからずいた……だが、普段からして潅木のように寡黙で、それに一度頭に血の昇ればただでは終わらないゴフの口から真実を引き出すことに成功した人間は皆無だった……ゴフが普段から険しいその表情の裏に隠した全ては、三十年前からゴフに従って「親不孝共バッドサンズ環礁ラグーン」に一歩を記し、今では「クラクティア工場」の副工場長的な立場に納まっているルヴ‐ルーンと、経理担当のシオ‐ジムニー。それに「クラクティア工場」から海を隔てること数十海里。そこに浮かぶ小島で、主に船員や洋上貨物飛行の飛行士相手に貸金業を営んでいる(飛行機乗りという人種は、金が絡んだ話によく首を突っ込む割には、その情熱が中々報われないという宿命を持つ人種である)ミセス‐ヴァイオレット‐リーベルだけが知っている。


 リナを頼って、毎朝のように食堂にご飯目当てにやってくる子供達も、そうした街の子供だ。リナの友達であり、北方大陸の果に住んでいたという魔導師の家系に連なるというファイ‐ファンは、彼らのまとめ役だった。


 ジャガイモ入りオムレツに嬌声を上げてぱくつく子供達の様子を、瞳に柔らかさを湛えながら頬杖とともに十分に堪能した後で、リナは立ち上がった。


 食堂の勝手口から出た先に置かれた、配管塗れの鋼鉄の塊……用廃機の液冷エンジンを改造した湯沸かし器が、スタータースウィッチ一つで悲鳴のような音を立てて動き出す……僅かな間の後、冷却水タンクからドボドボと吐き出される熱湯を、リナは使い古された薬缶で受けるのだった。


 三ヶ月前にリナが自作した湯沸かし器は、出来たお湯に若干のオイル臭さが残る以外は概して好評だった。それに若干のオイル臭さなど、茶葉の他ミルクと砂糖で誤魔化せば何とでもなる。


 「町」に作られた小さな学校へ向かう子供達を送り出し、一杯のミルクティーとパンの切れ端だけの朝食を済ませると、リナはダブダブの作業着に着替えて仕事場へと向かった。ダブダブの服の上に、帽子を目深に被ると、もはや彼女の外見は殆ど仕事場にいる若い衆と大して変わらない。


 仕事場へ向かう道の途中に佇む一機の機影……先ほどの湯沸し器と同じく、用廃となって放置されるに任されて随分経つ複葉の練習機が、おそらく二度と飛び上がることのない空へ向かって継ぎ接ぎだらけの銀翼を休めている。


 二日前から開けっ放しの点検孔からは、切れた操縦索がだらしなく垂れ下がっていた。その姿から、リナは今日が自分にとって重大な日であることを思い起こした。


 はっとすると、リナは仕事場へと駆け出した。駆け出した先、開けっ放しにされたスライド式の勝手口からは、引っ切り無しに溶接の光やガスバーナーの発する轟音が漏れている。仕事は、もう始まっていた。


 「遅えぞ。リナ」と、仕事仲間がリナを詰る。


 「ごめんっ!」


 リナはそのまま、格納庫の一番奥へと向かった。


 飛行機の外板に使う金属板を敲き出す者……オイル塗れになりながら分解したエンジン部品を磨く者……クレーンでエンジンの取り付け作業を行う者……機械臭とオイルの匂いが漂う喧騒。リナがこの中に身を置いてすでに七年が過ぎている。


 空は、その彼方まであの日と同じような青さを湛えていた。ずっと昔に父母を飲み込んだ聳え立つ密雲の姿まで……同じ。


 あの日、滑走路から遥か彼方の洋上で、聳え立つ層雲を背景に繰り広げられたという政府軍と、一帯を荒しまわっていた海賊の傭兵飛行隊との空戦……海賊は、恐るべき隠し球を用意して政府軍の戦闘機隊を待ち構えていた。


 「殺しアサシン」――――その名をリナは終生忘れることがないだろう。


 世界最強にして最狂とも呼ばれる「賞金稼ぎ」にして海賊の用心棒。この「殺しアサシン」の駆る黒い戦闘機によって、政府軍の名だたる戦闘機乗りが幾人倒され、空に命を散らしていっただろうか……?


 空を稼ぎ場にする自営の戦闘機乗り……いわゆる「賞金稼ぎ」はこの世界にはたくさんいたが、中でも「殺し屋」の悪名は世界一帯に轟いていた。


 高度な空戦技量を誇るのみならず、敵に対する執念深さと獰猛さと残酷さにおいて、「殺し(アサシン)」の右に出る者はいない。


 降伏の意を示した敵や落下傘降下する敵に攻撃を加えるのは勿論のこと、空戦の末地上に不時着し、逃走を図った敵を追って自らも着陸し、相手の首をへし折ったという逸話にいたっては、常軌を逸している。


 政府軍は「殺し屋」の乗機を「盗賊鴎」と呼んで恐れていた。海賊の出るところには、必ず「盗賊鴎」の姿があり、その姿を目にした途端、恐怖のあまり逃げ帰った戦闘機隊も出たほどだ。


 ……そして「盗賊鴎」は、リナの両親の前にも現れた。


 海賊を補足するや、数の優位と練度を生かし、忽ち優位を獲得した政府軍。そのとき、太陽を背に直上から突っ込んできた「盗賊鴎」はたちまち二機のエアセイバーを葬ると、そのまま両親へと向かって来たのだ……!


 機体の性能。パイロットの技量……その何れにおいても、「殺し屋」と「盗賊鴎」はリナの両親とエアセイバーを凌駕していた……だが、両親はその最期のときが来るまで「殺し屋」と戦ったのだ。むしろ、両親が「殺し屋」とガッチリ組み、撤退する時間を稼いだことで、大半の政府軍操縦士が救われたということを、後に彼女は知らされた……風の噂によれば、両親を葬った「殺し屋」もまた被弾し、暫くの間飛行不能となったという。


 ……それから現在に至るまで、リナは死んだ両親に取って代わった苦労と一緒に、人生を歩んできた。


 政府軍は英雄となった両親の葬儀は盛大にやってはくれた(というより英雄の行為を賞揚することで、作戦のミスを隠す意図を、当時の彼女は幼心に感じたものだ)が、その後は放ったらかしも同然で、外に身寄りがなく、政府軍の官舎から孤児院への転居を強いられた彼女は、束縛の多い孤児院生活に耐えかねて飛び出し、流れ着いた先がこの「クラクティア工場」だったというわけだ。


 おっかないおっさん……それが、リナがゴフに向き合った最初の印象だった。


 「おまえ、ここに住みたいのか?」


 鋭い眼光とともに、ゴフは少女に言ったものだ。リナの胸は、恐怖に高鳴っていた。


 「……じゃあ、ちゃんと働けよ」


 話は、それで済んだ……それから、七年が過ぎた。


 十分に経験も積み、エンジンの試運転も任されるようになったが、工場の数多のあくが強い技術屋連中から見れば、リナはまだまだひよっ子だ。そう見られるのは、リナからしてみれば当然気に食わなかった。


 格納庫の奥で翼を休める鮮やかなイエローの機体……かつて彼女の父母が駆ったエアセイバーは、多少のマイナーチェンジを経て、辺境の州空軍では今でも使われていた。


 マイナーチェンジとはいっても父母の頃に比べ格段に強化されたエンジン。引込式に変更された主脚……これらの他細かい改修を重ねた末に性能は格段に向上し、パイロットの信頼も厚い。


 州空軍から依頼を受け、定期点検のために運び込まれた機体に、リナは大きな瞳を細めるのだった。


 「リナ、カウリング外しとけ」


 「あーい……」


 ドライバーを片手に機首に取り掛かるリナ。航空機の構造と特性を直に知るための「教材」という意味で、エアセイバーは彼女にとっては打ってつけの機体だった……先月に受けた空軍士官学校の、入試の合否発表を控えるリナにとっては。


 その仕事柄、リナは何度も座席に腰を沈め、バブルキャノピーから臨む視界の良さも十分に堪能した。エルロン、ラダー操作はもとよりスロットル、プロペラヒッチ調整器の扱いから、計器の名称に至るまで全て頭に叩き込んである。これなら入学し、型落ちのエアセイバーで高等訓練飛行を受けることになっても困ることはないだろう。


 そして、今日はその合格発表の日だった。何時合否の知らせがもたらされるかと思うと、リナの胸は期待と不安で、バフェッティングを起こした飛行機のように躍るのだ。


 開けっ放しにされた格納庫のドアから臨む滑走路では、駐機する複葉輸送機に、学校を抜け出したファイたちが集っては出たり入ったりを繰り返していた。キャッ、キャッという笑い声がここまで聞こえてくる。


 そのファイもまた、海賊に両親を殺され、散々親戚間をたらい回しにされた挙句、三年前に遠縁に当るルヴ‐ルーンに引き取られて来たのだった。ルヴ‐ルーンの、彼の養女に対する養育方針は唯一つ、「仕事の邪魔はするな。それ以外は何をしようが勝手だ」。


 元々統合軍で一七年間飛行艇の整備員をしていたというこの太った、アル中気味の中年男に、繊細な少女の養育などできようはずもなく、自然と、リナの元に懐いてきたわけであった。


 両親の死により天涯孤独となって以来、ずっと肌身離さず持ち歩いていた縫い包みも、何時の間にかファイのものになっていた……まあ、悲しい思い出を詰め込んだあの縫い包みに、楽しい思い出を吹き込んでくれるだろうと思ったからこそ、自分はファイに縫い包みを預けたのだと、リナは思っている。


 そういえば、初めてここに来たときから、ファイは不思議な書物を携えていたっけ……彼女の両親の遥か先代から伝わるという「魔導書」を。恋のお呪い……金運に恵まれるお呪い……憎い敵を滅ぼすお呪い……魔術とか呪いだとか信じないリナは大して興味を惹かれなかったが、ファイは友達を連れてあちこちでお呪いの儀式を繰り広げては、面白半分で試しているようだった。


 ……が、紛い物かと言うとそうでもない。


 二週間前など、炎を出す呪文と称して書にある一説を唱えてみた途端、勢いよく炎が噴出し、小屋を一軒焼いてしまったことがある。当然、リナはファイに罰を与えた。その日、ファイは夕食を抜かれてしまった。


 その後、ファイ以外の誰もがその呪文を唱えてみても、炎は出ず、どうもファイだけは生まれながらにしてそういう資質を持っているらしい。


 「ファイのパパはね、手品師でー……ママは占い師だったの」


 と、ファイはリナによく語ったものだ。大昔に滅び去った魔導士の系譜に、今ではそういうまやかしを扱う仕事に就いている者が多いという話を、リナは聞いたことがあった。


 何かが撓る音に続けて、空から降って来る奇声……それが何を意味するのかは明白だった。リナはカウリングのビスを外す手を止め、格納庫から駆け出した。


 青空の高みから降りてきたのは、飛行機ならぬ、郵便局の配達員を背に乗せた四本足。団扇のように揺れる巨大な翅を背に生やした有翼竜ドラゴンだ。


 この世界では、ドラゴンは特に北方の寒冷地帯と南方の島嶼帯に生息する。種類によって個体差があるものの、大体において南北何れもその性質は温厚、そして従順で、そのドラゴンを飼育し、輸送手段として利用することは一〇〇〇年も前からの伝統があった。


 より輸送量の大きく、航続力のある航空機が普及してもなお、辺境ではドラゴンは家族の一員であり、物資や人間の輸送に広く使われていたのだった。だいたい単価が高額で、飛行するのに法律上の手続や操縦免許の要る飛行機と違い、ドラゴンを飛ばすのに取得に手間の掛かる免許も高くつくガソリンも要らない。ただ慣れれば勝手に飛んでくれるし、それにドラゴンは雑食性だ。


 辺境の郵便局で、郵便物の輸送にドラゴンを使うのはごく普通の風景だった。ドラゴンがあれば海は勿論、大抵の山も越えられる。


 郵便局の配達員が鞍から危なっかしい足取りで飛び降りると、ドラゴンの腹に提げた郵便物入れを探り始めた。


 「リナ‐ナクティさん。居られます?」


 リナは勢い良く手を上げた。


 「ハーイ。ここ、ココ!」


 「お手紙です」


 手紙を手渡すと、ドラゴンは再び配達員を乗せ、猛烈な風を巻き起こしつつ、元来た空へと向かって羽ばたき始めた。飛行機と違い、ドラゴンは滑走しなくとも済む。


 ドラゴンが去るのを待つまでもなかった。手紙の入った封筒には、「統合政府空軍人事教育部」という士官学校入試を管轄する機関の名が記されている。リナは逸る心に任せるまま、その場で封筒の口を切り、手紙を取り出した。


 試験の結果は―――――――「不合格」


 一目で結果を知るや否や、リナは口を真一文字に結び、文書をクシャクシャにすると、地面に叩き付けた。遠くの輸送機からは、ファイたちが滑走路に立ち尽くすリナの様子を伺っている。


 試験が難関であることは、受ける前から判っていた。だから事前に十分準備をしたし、許す限りで勉強もしたつもりだった。それに自分も整備士の端くれ。飛行機と空に関する知識は、同じ日に試験を受けた誰よりも持っているという自負があった。


 まあいい……士官学校だけがパイロットになるための途ではない。空軍に入隊すれば、操縦訓練を受ける機会は潤沢に巡ってくる。近い内、空軍一般兵の試験も州都ディスラークで行われる。そこに賭けるか、もしくは来年に再び士官学校に挑むか……選択の余地は少女にはまだ十分にあった。


 悔しいが、また頑張ろう……再起への決意を胸に、リナは再び歩き出した。仕事に戻るべく格納庫に消えていくリナの姿を見計らって、輸送機からぞろぞろと出てきたファイたちが、先程リナが投げ捨てた手紙を拾う。


 「なんて書いてある?」


 「えっと……『フゴーカク』……」


 「これって、お姉ちゃん空軍に行っちゃうってこと?」


 「ちがうよ。空軍に行かなくていいってことだよ」


 「じゃあ、リナはずうっとここにいるの?」


 子供達は、一斉に歓声を上げた。一人が、手紙に目を通すファイに話しかける。


 「やっぱりファイのお呪いはすごいな」


 「だって……リナが行っちゃったらおいしいご飯食べられなくなるもん」


 満更でもない、という風にファイは悪戯っぽい微笑を浮べるのだった。




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