the 18th flight 「ドッグファイト」
ジェイナ‐「殺し屋」‐ドローグをはじめとする「ドロバースト一家」配下の賞金稼ぎ連中が、綿雲を隔てた遥か前下方に空戦の環を見出して取る行動といえば、決まっている。
「突っ込め!」
というジェイナの指示を待つまでもなかった。解き放たれた猟犬よろしく、賞金稼ぎたちは一直線に空戦の環へ突進していく。
報酬は十分に約束されている。彼らにとって、眼前の空域を飛び回る敵機のひとつひとつが、デール貨の札束に見えたのに違いない。そこには海賊が州軍に対して見せたような編隊としての連携も、秩序も無かった。元々個人の戦績、いわば出来高によって支払いの決まる賞金稼ぎに、同業者としての連帯感など希薄だったのである。
当然そこに雇い主に対する忠誠心など介在する余地もない。賞金稼ぎの中には、当初の契約を違え雇い主を替えた者も少なからずいた。さらに言えば彼らの中には、当時普及が始まったばかりの無線機で当面の敵手――――乗り換える相手と、「戦闘中」に報酬の値段交渉をしていた者もいた……!
そして……そこに、光義の付け込む隙があった。
州軍に迫る賞金稼ぎの機影。
その遥か上方を、一筋の飛行機雲が駆け抜ける。
飛行機雲が、急に曲がった。
雷電は、あたかも獲物を眼下に捉えた鷲であった。敵編隊の最後尾を飛ぶ三機を眼にしたとき、光義は酸素マスクに覆われた口元を、皮肉っぽく歪めた。
それにしても……まるで合戦だな。
カラフルな色彩に、思い思いの形状をした「賞金稼ぎ」たちの愛機は、これまで画一的な敵味方の機影に慣れていた光義にはある意味新鮮だった。だが……こいつらは倒すべき海賊の仲間なのだ。
そう思えば、躊躇は無かった。降下姿勢のまま、最後尾を行くピンク色の複葉機へ距離を詰めると、一斉射を叩き込んだ。
一撃で、一機目の尾翼を粉砕した。最期を見届ける間も無く、二機目に取り掛かる。
二機目は、脚の出た、銀色の低翼単葉機だった。これも一撃で、片翼を叩き折った。
さらに三機目!……赤い、ずんぐりとした機影を一撃で火の玉にした。
小気味良い三段撃墜など、ソロモン以来のことだ。操縦桿を握る手に、光義は幸先のよさをぐっと握り締めた。
単機で編隊に対抗するには、まず一番端から倒す……それが長年の経験から得た、光義なりの知恵だった。しゃにむに突っ込んでいっては、やられてしまう。それで墜とされていった仲間達を、光義は数多く見てきた。
その間も、光義は次に墜とすべき相手を見定めている。目まぐるしく動く眼が、瞬時のうちに此方と敵の位置関係を把握している……上に二機、右に一機、そして前に四機。特に前、一番先を飛んでいる黒いやつには要注意だ。
あの黒いやつ、カモメのような主翼のあいつだけは、やけに挙動がいい。前方の州軍を一撃で仕留めるべく周到に位置の修正を続けている。どの位置から狙えば墜とせるか、十分に空という戦場を、そして飛ぶことを知り尽くしている。
あいつは真っ先に墜とさなければならない相手だ。何とか距離を詰められないか……はやる気持ちを抑えながら、右の四機目へ距離を詰める。
不意に、その四機目が蛇行した。気付かれた? だが、もう遅い。
腰だめに放った一連射が、昇降舵をもぎ取った。二連射目で、縞模様の鮮やかな機体は、そのまま錐揉みの姿勢に入り、海面に激突した。風防に掛かる水柱の飛沫から、海面まで幾許もないことに、光義は今更ながら気付いた。二連射目を叩き込んでいる間に、相当の高度をロスしたのだ。無理をしてでも、前へ突っ込むべきだったか。
『くそっ!……ケツを取られた!』
という混信を、ジェイナが聞いたときには、彼女はすでに照準に巨大な四発機の機影を捉えていた。射撃にはまだ早い距離だ。照準環からはみ出すくらいまで近付かないと、必殺の弾丸が当らないことをジェイナは判っている。
敵が後背にいる?……ジェイナは一瞬迷った。ここまま突っ込むべきか、それとも機首を廻らせ、後背の憂いを絶つべきか……答えとして彼女がとった行動は、機体を捻り背後へ視線を転じることだった。
そのとき、ジェイナは見た。
弾丸……?
砲弾のような銀色の機影が、ほぼ垂直に近い上昇の姿勢で、下から突っ込んでくる。無線の主がすでに倒されたことを、彼女は瞬時に悟った。
そいつは降下姿勢のまま同業の機を捉え、一撃で葬った。そして弾みを付け再び上昇……戦慣れした、鮮やかな手際に、ジェイナは一瞬息を呑んだ。ほぼ垂直に機首を上に向けているのにも拘らず、そいつはものすごい勢いを保ったまま上方へ突き抜けていく。
上に付かれる!
それは戦闘機乗りにとって最大の恐怖だった。優先的に獲物を選ぶ権利を、あいつは得ることになるのだ。
当然、ジェイナはその獲物になるつもりなど、更々無かった。
「あいつら、賞金稼ぎを雇っていたのか……!」
フッラプを開き、フットバーを一気に踏み込む。飛燕の如き急旋回。その先から操縦席に差し込んでくる強烈な日差しに、視界を奪われたジェイナの背を冷たいものが滑り落ちた。
「しまった……!」
迂闊だった。敵は太陽を背にしてまた突っ込んでくる。
陽光の真ん中に、黒い影が浮かび上がるのを目にした瞬間、ジェイナは横転に転じた。
逃げるしかない!……横転から旋回に転じた「盗賊鴎」の翼端が、そして主翼の前縁が猛烈な、白い水蒸気を吹き上げた。圧し掛かってくる加速度に耐え抜いた末に、ジェイナは愛機を急降下させた。
『上から来るっ!』
『助けてくれっ……殺される!』
レシーバーに飛び込んでくるそれらは、まさに断末魔の悲鳴だった。自他共に認める歴戦の勇士たちが、何の抗う術も無く倒されていく。
なおも此方へ向かってくる敵機を見遣りながら、ジェイナはフラップ操作ボタンを押した。全開にしたフッラプの効果で機首が勢い良く上がり、翼縁や翼端から水蒸気を曳きながらの宙返りの頂点の先に、「盗賊鴎」は雷電を見出した。鍛え上げられたジェイナの首は、重力に苛まれながらもしっかりとその銀色の敵機を見据え、そして捉えた。
ドン!……ドン!……ドン!……トリガーを引く度に、反動とともに吐き出される光弾の矢が、白煙を曳きながら雷電へと向かってくる。
光弾は……大きい。そしてその狙いは精密だ。紙一重の差で回避しながらも、雷電の機首は、眼前で蠢くカモメのような機影へと向かっている。
……一瞬で、両者は擦れ違った。その後何が起こるか、否……何をすべきかを両者ははっきりと予測し、そして意識していた。
両者は、ほぼ同時に主翼を翻し、互いの背後を追い始めた。それは……果てしなき旋回の連続。旋回を止めれば、あとは背後に食い付かれるだけだ。
勝利の要因は機体の性能、操縦者の技量、そして最後には、操縦者の精神力がものを言う。
少しでもその心の内に弱みを見せ、先に旋回を解いた者に待つのは、永遠に取り返しの付かない敗北……!
相手の腕は自分と互角だと、両者は互いに向かい合いながら思った。そしてそれは、多分に正しかった。
だが……この種の精神力を試す局面の経験は、光義に僅かに分があった。
五旋回目……六旋回目……操縦席を蹂躙する重力の豪腕に抱かれながら、両者は互いに自らの限界を悟り始めていた。
それでも、もうだめだ!……と感じたときが、まだまだ耐えられるという表れであることを光義は知っていたが、ジェイナは知らなかった。
ジェイナの指が、この機に乗り換えて以来、これまで一度も振れたことの無かったボタンに振れた。その本能の内に、彼女はこの銀色の敵手から逃れる術を廻らせていた。
不意に、これまで風防の上縁にへばり付いていた敵機の後姿が、前方に飛び込んできた。
旋回を止めた?……それは負けを認めたという意思か?
……否、違った。
敵機のプロペラの回転が、止まった。刀身の如く伸びるプロペラの翅数まで、はっきりと数えられた。
覚悟を決めたか……照準器の中に機影に、光義は目を凝らした。
トリガーに添えた指に、力が篭った。
いきなり、眼前の機影が遠くなった。加速した!?
「…………!?」
修正を誤った射弾が虚しく空を切り、距離を離した敵機の後尾スレスレで後落した。
そう、敵機は加速したのだ。
反射的に、閉じかけたスロットルを全開にした。
雷電の加速も負けない。僅かに、距離が縮んだ。
……だが、すぐさま引き離された。
鴎のような機影が、徐々に掴み所のない黒点へと化していく。
逃がした……不思議と、悔しさは感じなかった。何と言うか、州軍に対する貢献だけではなく、自分の知らないこの「異世界」において、自分の技量が通用することを知っただけでも、光義自身には大きな収穫であるように思われたのだ。
「助かった……」
もはや黒点ほどにしか見えない未知の敵手を、肩越しに見遣りながら、ジェイナは放心したように呟いた。
これまで一度しか、それも試運転のときにしか試したことのない緊急加速装置が上手く働いたのは僥倖だった。
だが、精緻を極めた特注エンジンのこと、想定を超えた相手に苦戦し、限界出力を捻り出すべく乱暴なスロットル操作を繰り返した結果として、その繊細な構造に負担を掛けた上に、やむなく稼動させた水噴射装置が機関の何処かを傷めていることは確実だ。今回の仕事が終ったら、オーバーホールに出さねばならない。最悪、特注部品の総取替えまでいくかもしれない。莫大な報酬の一方で、それらを為すために要する費用を考えると、賞金稼ぎとは何と採算に乏しい商売か……!
それにしても……離脱に転じた「盗賊鴎」の操縦席で、ジェイナは思った。機体の性能も然ることながら、あいつ、いい腕をしている。ぱっと出の新参者ではないことは確かだ。よほどの手練、元は軍のパイロットか……?
まあいい……ジェイナの口元に満足気な笑みが宿り、皺が目立つ目尻が下がった。
少なくとも一つ、忌々しい地上に足を下ろさなければならない理由が見付かったのは、既に約束された報酬以上に、彼女には大きな収穫だった。あの戦いぶりから見て、あいつはいずれ名を上げるだろう。そのとき、彼女はあいつと再び空で遭い見えるか、共に飛ぶことになるかもしれない。
ジェイナは思った。今度遭うときは必ず、あいつ――――銀色の戦闘機の乗り手の顔を見てやろう、そしていずれ来るであろうその時までもう少し、世を厭わずに生きてみよう……と。
すでに空戦域を脱し、行く手を遮るように眼前に盛り上がる層雲を、「盗賊鴎」は軽々と飛び越えた。もと来た途を辿って、飛び立った場所へ戻るつもりなど、もはや彼女にはなかった。
……今夜は、「疼き」を忘れてぐっすりと眠れそうだ。
「殺し屋」と呼ばれる女は愛機の操縦席で、そんな取り留めのないことを考えていた。
徐々に距離を離し、空域から離脱していく黒い戦闘機を、遠方へと延びていく飛行機雲とともに見遣りながら、光義は帰還を決めた。弾丸は未だ十分残っていたが、追尾するには距離があり過ぎ、相手は速過ぎた。あの黒い戦闘機の操縦者がまともな判断力の持主であることは、これで大方証明されたようなものだ。
それに燃料が心許なかった。燃料残を眼にする限り、クラクティア島へ戻れるかどうかは危うかった。腿に広げた地図には、ここから東へ二十分ほど飛んだ先に州都ディスラークがあることを示していた……二十分ほどなら、何とか飛べる。
空戦の環は、すでに消えかけていた。いまにも失速しそうな緩慢さで離脱する海賊の飛行機。当の州軍にも、それを追撃する余裕などもはや残されていなかった。それでも、州軍は辛うじて海賊を撃退したのだ。
眼下の青い海原の所々には、ポツン、ポツンと、白い花が咲いていた。これまでの戦闘で撃墜された機の墜落痕であることぐらい、容易に想像がつく。だが、その数は多いとはいえない。似たようなシチュエーションでも、太平洋での戦闘が大掛かりな、「本物の」戦争なら、今さっきまで行われていた戦いは、村同士の水争いのようなものだ。
高度を落とし、目を凝らすと、浮遊物にしがみ付いた乗員たちが此方の様子を不安げに見上げている。明らかに州軍の者もいれば、海賊らしき風体の者もいた。ちゃんと救助されるだろうか……それを考えれば、いい気のしない光景ではある。
乗機を失った「青鮫」号の面々も、その中にいた。
機体そのものはすでに海の底。唯一枚だけ残った垂直尾翼に、面々はしがみ付いていた。
「チッキショウ……未だ支払いが残ってるてぇのに」
最後の葉巻を咥えながら、機長がぼやく。弾痕の生々しい垂直尾翼に描かれた髑髏のマークが、今では空しい。
「助けは来るんですかねえ?」
と言ったのは、副操縦士だ。
「このまま鮫の餌なんて、嫌ですよ」
「海賊風情を、カタギの誰が助けてくれるんだ」
「賞金稼ぎどもはどうしたんだ。おかげでこのザマだぜ」
事前の取り決めでは、此方が州軍の本体を曳き付け、優位な位置に占位した賞金稼ぎが、止めを刺すということで合意していた。
だが、連中はとうとう現れないまま、戦闘は混戦の内に終始した。その上こちらは手塩にかけた愛機を失った。
乗るフネを失った海賊ほど、惨めなものはない。そのまま海賊稼業から足を洗うか、意地でも稼業を続けるかは、当人の根性の問題ではある。
……が、それ以前にお縄になる者も少なからずいる。「青鮫」号の面々は、どうやらそういう途を辿りそうであった。
不意に聞こえてきた軽快なエンジン音に、彼らは頭を上げた。
彼らの上空を、州軍の水陸両用機が嘲るように通過して行ったのだ。
さっきまで戦闘が続いていた空域を大きく旋回すると、その複葉機は、翼下にぶら提げていたオレンジ色のカプセルをポイポイと投下し始めた。カプセルは海面に落ちるや否や、熱せられたトウモロコシのように膨れ上がり、たちまち円形のボートを形成した。
乗員が叫んだ。
「イカダだ……!」
機長の指示は明快だった。カプセルが落ちた地点を指差し、彼は叫んだ。
「あっちまで泳げ。早く!」
彼らは必死に手足をバタつかせた。早く確保しないと、先取りした連中に乗せてもらえない恐れがある。
その意義こそ違え、「もうひとつ」の戦いが彼らの周囲で始まっていた。




