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the 17th flight 「迎撃」



 爆音は、遥か下の地上まで轟いていた。


 解き放たれた矢のように雲を裂き、天へと昇る雷電の中で、光義は抑えようのない陶酔感に身を任せていた。


 速度計は、三五〇ノット/時を指し示していた。飛び上がってすぐに三〇〇を越えたとき、光義は思わず我が眼を疑ったものだ。しかも、スロットルは全開の状態ではない。エンジン出力が強化されたというより、スロットルを操作した時の反応が飛躍的に改善されている。


 これでは全開にしたとき、何が起こるのかかえって空恐ろしい。


 『小僧! 遊んでないできっちり三〇〇〇まで回せ!』


 レシーバーにゴフの怒声が響き渡る……あのじじいには、こちらの「手抜き」がちゃんと判っている。


 「了解……!」


 スロットルレバーを開く手に、力が篭った。力を篭めるのに、少し勇気が要った。


 主翼を翻し、雷電は蒼穹を駆ける。機首上げの姿勢で雲海を飛び越える雷電の操縦席の中、光義は万力のようにじわりと圧し掛かってくる重力に耐えていた。加速度は、光義の知るそれよりずっと大きく、強くなっていた。


 回転計が、三〇〇〇を超えた。


 機を水平に戻した。雲雲は、すでに遥か下。上昇力もまた、圧倒的なまでに向上している。ここまで来ればエンジンの鼓動の他、蒼空を廻る気流の声も微かに聞こえてくる。


 高度は……五〇〇〇。ここまで昇ってくるのに三分も掛かっていない。


 直線飛行に転じ、速度計の針が急激に上昇を始める。


 速度計は?……三四〇……三六〇……三八〇……四〇〇!?


 そこまで行ったとき、高まりを増す機体の振動と、不意に沸き起こった不安が光義にスロットルを絞らせた。


 『小僧! 止めるな! なにブルってんだ!?』


 「こちら周防。上昇に入る……!」


 横転……そして旋回……翼端から延びる水蒸気は、剣のように太く、猛々しい。


 殆ど垂直の姿勢のままであっても、高度計の針は空恐ろしいまでの順調さで数値を刻んでいる。


 改造によって新たに増えた過給器操作レバーを引く。同じく、新たに増設されたブースト計、吸気圧力計が目覚め、脈々と針を刻み始める。吹き込んでくる冷気も、烈しい加速度も、もはや光義には関係なかった。


 やがて、高度計の針が振り切れた。


 「…………」


 我に帰り、視線を転じた先……遥か下の雲海は広く、そして丸身を帯びて光義の眼に飛び込んできた。これでは、征服感より先に地上から放り出されたかのような寂寥感に身を詰まされる。


 それは、自分以外の誰かを、同じ高度に見出すことの出来ない孤独感だ。だが、それは光義がこれまで抱いたことのない特別な感慨だった。


 そうだ……おれは独りだ。


 この「世界」には、「おれ以外の」誰もいない。おれの知っている人間はみんな、この空の向こう側にいる。


 そのみんなは……遠い空で日々を戦闘に明け暮れて過ごしている。


 そこから離れた、否、離れざるを得なくなった自分のめぐり合わせを恨もうとは思わない。ただ……ここで為すべきことを見つけた以上、それに全力を尽くすべきだろう。

 

 光義は、そう自分を納得させた。


 もはや、エンジンの鼓動以外、何も耳に入るものはない。喧騒の中の静寂が、雷電の周りを虚無に取り巻くばかりだ。この高さまで来れば、もう速度など出しようがなかった。


 失速させないように慎重に機体を水平に戻し、あとは来た途を戻るだけだ。操作は、以前よりずっと容易にいった。こいつは、高度一〇〇〇〇以上でも、着実に三五〇ノット/時が出せる。加速の良さは、雷電の場合そのまま良好な操縦性に繋がる。


 「おれには感謝しなくともいいが、リナに感謝するんだな」


 乗り込む間際、ゴフはそう言った。


 「こいつをいじってる間、あいつはやけに張り切ってやがった。エンジンは、殆どあの娘が手を入れたようなもんさ」


 「……で、出来はどうなんだ?」


 無言のまま、ゴフは親指を立てて見せた。それだけで、光義には十分だった。


 確かに、完璧な整備だ……着陸の姿勢に機を持っていく途中、軽い驚きに身を任せている光義がいた。雷電の翼下で眠り込み、光義を待っていたあの娘。発進する間際の雷電を地上から見届けたあの娘……


 「なかなか……可愛いじゃないか」


 『可愛い……?』


 「ああ……こいつが、な」


 そう呟き、三割がた開いたフラップ操作レバーに力を篭めようとした、まさにそのとき―――――


 『小僧、たったいまディスラークから連絡が入った……奴らが来たぞ!』


 「…………!」


 反射的に延びた手が、フラップレバーを上げた。


 続く手さばきで、絞りかけたスロットルレバーを全開にした。


 着陸態勢から一変し、雷電は飛行場を舐めるように横切り、そのまま再び上昇に転じたのだった。


 戯れるように、光義は言った。


 「じいさん……止めねえのか?」


 『止めて聞くタマか……お前が』


 「よーくわかってるじゃないか。じいさん」


 飛行場の上空を鮮やかに一旋回して、銀翼を翻す雷電。その機首の向かう先に、新たな戦場が広がっているはずだった。


 空の彼方に溶け込むように消えていく雷電を地上から見上げながら、ゴフは言った。


 「お前、あいつに声をかけなくていいのか?」


 「あたしが好きなのはあの機体で、乗っている馬鹿じゃないから……」


 「意外と、奥手なんだな」


 「ハァッ……!?」


 思わず眼を剥いたリナの肩を、分厚い手が叩く。


 「そういう時は、もっと気の利いた言い方をすればいい。機体の調子はどうか、とかな」


 「う……うん」


 悄然と頷くリナに、ゴフは皮肉っぽく口元を歪める。


 「あいつも、満更じゃないみたいだぞ」


 「え……?」


 再び眼を凝らした先には、唯漠然と広がる蒼い空。その碧を背景に一条の白い軌道が弓なりに曲がり、彼方まで延びていた。それこそまさに、電光の如きあいつの機影が蒼穹を駆け抜けた後……こみ上げてくる微笑に、ゴフは僅かに頬を緩める。


 「さあて……あの野郎、どれくらい稼ぎやがるかなあ」


 いつもと変わらない、強烈な日差しの存在に気付いたのは、雷電と光義が去って少し過ぎた頃だった。






 XB―107Fの周囲を、五機のエアセイバー戦闘機が親鳥に付き従う雛鳥のように飛んでいた。


 ディスラークを発った州空軍の編隊の眼下から、一切の島影が消えて、すでに十分ほどが経過している。抜けるような青空を背景に、こんもりと立ち上る雲の連なりは、空を行く州軍隊員にとって、鬱蒼とした森のように思われた。冒険モノや、戦争モノの本や映画では、こういう森には大抵敵が潜んでいて、主人公を待ち伏せているものだ。少なからぬ州兵が、それを思ったはずだ。


 発進した当初は一つの秩序だったまとまりを見せていた翼も、飛び立って三〇分が過ぎる頃には三々五々に散らばり、傍目にはもはや編隊そのものを維持してはいなかった。


 まともに編隊も組めないのは、ある意味当然の帰結だった。予算も限られ、軍務より忙しい本業を抱えていては、大掛かりな飛行作業など望むべくもない。


 XB―107F。「オクシアナ」にしてからか、完全な状態で飛ばすのは三ヶ月ぶりだ。輸送任務以外で飛ばす機会は予算の都合で限られ、たとえ戦闘訓練の時間が取れたとしても、今度は各員の「本業」の都合で乗員が足りない。いざ海賊の迎撃にあたって、乗員全員が駆けつけてきたのは奇跡ともいえた。


 がたの来た機体の隙間から吹き込んでくる冷風が、操縦桿を握る老体には辛い。


 「ご隠居、寒いなぁ……」


 と、副操縦席のローウェルが眼を転じた先の、機長席にはデミル‐ガル。縫い包みのような分厚い飛行服が、彼の細身の身体にはチグハグな感を与えていた。


 「フン! 敵が見えれば、寒さなど忘れるわい」


 そう言い棄てて、デミルは腰を上げた。「小便か?」と訝るローウェルに、デミルは無愛想に応じる。


 「銃座に行く。後を頼む」


 この機内で、まっとうな操縦資格を持っているのは自分だけだ……その空恐ろしい事実もまた、「親不孝共バッドサンズ環礁ラグーン」州軍を取り巻く窮状を物語っている、と言えるのかも知れない。


 整備士資格を取れば漏れなく操縦資格も付いて来た大昔に、整備員をしていたデミルは、操縦経験が皆無というわけではなかったが、それでも彼にこのような大型機の操縦桿を握らせるのには躊躇いがある。戦闘を前にしてご隠居が我を張らないだけの分別を持っていることは、ローウェルには歓迎すべきことではあった……もっとも、この硬骨漢らしく、ただ前面に出て戦いたいだけであったのかも知れないが。


 ……が、歓迎されざるものも、近付きつつあった。


 『ジャック、二時下方。クソどもが近付いているぞ』


 上部砲塔に陣取ったデミルの声に導かれた視線の先の、薄い雲下に浮かび上がる複数の機影……たとえ此方が優位にあっても、ガッチリと組まれた編隊には不気味なまでの威圧感を感じさせる。


 デミルがまた怒鳴った。


 『ジャック、信号を出せ!』


 言われるまでも無かった。背中の編隊信号板がせり上がり、敵機の発見と攻撃開始をエアセイバー隊に告げる。信号を受けてぐっと前に出たエアセイバー隊が、一本棒に雲の切れ間へと降下していく。前上方から突進し、編隊を崩す算段なのだろう。各機の発動機の奏でる重厚な協奏曲が、海賊を待ち受ける各員の緊張をいやが上にも高める。

 

 戦闘機のような急降下など望外な「オクシアナ」も、たっぷり三十分懸けて昇り切った高度から、賢明に旋回を繰り返しながら降下する。それでも漸く海賊編隊と同高度に達したときには、すでに小競り合いが始まっている編隊からはだいぶ離れている。


 案の定、前上方からの突撃で敵編隊は乱れた。戦闘機としては狙うまでもない。銃撃を懸けてきたという事実だけで、大抵の敵は混乱する。


 一機の武装飛行艇が、エアセイバーの銃撃を受けてエンジンから白煙を噴出す。一方で海賊の防空陣形に捉えられた一機のエアセイバーが燃料タンクに被弾し、慌てたように空戦域から離脱していく。


 かの「青鮫」号も、その中にいた。


 「五時上方!」


 上部砲塔に陣取った銃手が怒鳴る。


 機を左に滑らせて突進をかわす。銃撃が空振りに終ったエアセイバーの黄色い機影が舌打ちでもするかのように操縦席スレスレを掠め飛んでいく。機首砲塔から吐き出される火線が、鞭のように撓りながらエアセイバーを追う。


 火線は、エアセイバーの垂直尾翼を捉え、外板を千切れ飛ばした。


 「やった! 当った。」


 前歯の欠けた銃手の歓声。追尾から逃れた「青鮫」号の機内にはすでに火薬の匂いが白煙とともに蒙蒙と立ち込め、その床には鈍い光を放つ薬莢が散乱していた。


 火薬で鼻をやられた副操縦士に至ってはすでに鼻血を出している。戦う場は空であっても、そこには帆船時代の、敵船を前にした戦列艦の趣があった。


 気が付けば、その周囲には一機の機影も見えなかった。前方からの敵機の突撃に編隊を崩され、回避に専念する余り、空戦域から離れてしまったのだ。


 「くそう……仲間に先を越されちまう」


 機長がもと来た途を辿ろうと機首を転じかけたとき、一人の見張り員が叫んだ。


 「九時方向に機影……!」


 「敵か?……味方か? どっちなんだ?」


 「……わかりませんっ!」


 と、頼りない返事。見張り員の示す方向を飛ぶ機影は、大型機のそれだった。此方と同じように、空戦域からはぐれた味方だろうか?


 考えるより先に、機を接近させていた。だが、近付くにつれ、機長の目は怪訝さを増していく……うちには、四発機なんて無かったはずだが。


 「…………?」


 「さあ来い。ゴロツキ共」


 舌なめずりしながら動かした照準環には、海賊の武装飛行艇の機影がすっぽりと入っていた。


 「オクシアナ」の上部砲塔に陣取るデミルは、重機関砲の引き鉄を握り直す。本来対戦車用のそれを流用したこの砲は、取り回し難さと装弾数の少なさから「オクシアナ」の銃手たちには敬遠されていた。だが、一発でも命中したときの威力は大きい。


 髑髏の標識がうっすらと見える距離で、デミルは引き鉄に力を篭めた。


 ドンドンドンッ!……腹に堪える発射の響き、発射の度に軽々と撥ね上がる牛乳瓶のような薬莢……捻りの効いた弾幕は、確実に「青鮫」号の胴体で火花を散らし、外板を弾き飛ばした。


 それが合図だった。かねてより「青鮫」号を指向していた各砲塔の全てが一斉に発砲し、投げ掛けられた火線の網にこの憐れなならず者を捉えたのだ。


 「おいっ……!?」


 それは「青鮫」号にとって、それはまさに晴天の霹靂だった。主翼と言わず胴と言わず各所を撃ち抜かれた「青鮫」号は、糸の切れた操り人形のようにがっくりと機首を下げ、高度を落としていく。


 敵機の撃退に、期せずして「オクシアナ」機内に歓声が上がった。デミルですら、狭い砲塔内で両腕を振り上げ、年に似合わないガッツポーズを取ったものだ。


 「喜ぶのはまだ早い!」


 嗜めたのはローウェルだった。機首を転じた先の、一向に止まぬ戦闘に、彼は表情を曇らせていた。


 「このまま突入するぞ。ご隠居、ローラン、バット。ちゃんと上と後ろを見張ってろ!」


 「任せとけっ!」


 敵機を葬った自信からか、応ずる声には張りがあった。


 そのとき、尾部砲塔の銃手が叫んだ。


 「六時上方より敵編隊!……速い! こっちに来る!」


 まさにそのとき、光義は空戦域に到着した。


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