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the 9th flight 「戦士の休息」



 ――――「召還」された翌日から僅かの間に、ここが飛行機の工場であり、一つの「街」であることを光義は知った。工場で働く皆は、別段この新しい闖入者に興味を示す風でもなく、黙々と日々の作業をこなしている。


 「ここは、余所者にはやさしいところなんだよ」


 と、ファイは言った。頼まれもしないのに案内を買って出たところに、光義は打算的な何かを感じたものだが、結局のところ、少女は遊び相手を欲していたようだ。


 その遊び相手に、なってやることにした。


 島を一巡りし、光義は忘れかけていた南洋の潮の香を充分に堪能した。遠方から稼動する工場の威容に目を細め、草原から砂浜を眺め、空高く舞う鴎に見入るうち、込み上げてくる眠気に誘われるままに眠る……南の最果ての海、最果ての島は、光義に南方は蘭印の、喉かな風景を思わせた。だが、同じ南の果ではあっても、そこは光義が赴いた戦場ではなかった。


 飛行場の隅に止めたあった用廃の練習機を、ファイは指差した。


 「修理が終わったら、リナが乗せてくれるんだ」


 予科練で整備学も齧っただけあって、この程度の機体の構造なら、光義には多少の理解はあった。羽布の剥がれた補助翼を直に触って動かしてみたり、点検パネルを開いてエンジンを覗くだけでも結構時間をつぶせるものだ。


 日本で言う、初歩練レベルの機体だと思った。エンジン周りは、完調とは言えないまでもよく整備されている。似合わぬ飛行服に、初めて袖を通し、霞ヶ浦の飛行場に立った時のことを光義は思い出した。


 ファイが、前席から光義を覗き込むようにした。頭には、光義の飛行帽。目の前の小さな飛行機乗りに、思わず眦が緩む。


 子供達はこの世界について、彼らなりに見知っていることを色々と教えてくれた。この世界が統合政府という機構の下で一通り纏っているということ。空を飛ぶ海賊が世界各地の海で暴れまわっているということ。「賞金稼ぎ」という私設の戦闘機乗りがいて、多額の報酬を得て海賊と戦ったりそれに加担したりしているということ……


 「お兄ちゃんも賞金稼ぎ?」


 と、子供達は光義に聞いたものだ。


 「いや……」


 「じゃあ、政府の人?」


 「違う……」


 「じゃあなんなのさ?」と聞かれると、光義には旨く答えられない。何せこの世界には日本がない。ない国の戦闘機乗りと言っても、子供達には理解しづらいだろう。


 光義は、困り果てた。そのこともまた、子供達から足を遠ざけさせた。だが、子供達の方ではこの未知の来訪者に、子供なりの興味を持って付いてくる。


 困惑はしても驚きはしなかった光義だったが、さすがに、郵便物を運んでくる有翼竜ドラゴンには腰を抜かした。


 翼のはためく音もけたたましく、大地に降り立つ有翼竜ドラゴンを初めて間近に見たとき、光義は言葉にならない叫びを上げてその場にへたり込んだものだ。それを見て、子供達はゲラゲラ笑った。


 渋る光義を、ファイをはじめ子供達は光義の手を引き、背を押してドラゴンの近くへ連れて行った。食われはしないかと、光義は本気で心配したものだ。


 外見は厳しいものの、ドラゴンは猫のような鳴声を出して光義に甘えてくる。長い舌で頬を嘗め回されるうち、光義の硬い表情にも、次第に心からの笑みが戻ってきたのだった。


 「ミツヨシは、勇者だね」


 と、ファイは言う。


 「何故、わかる?」


 「ドラゴンは、見抜くんだよ。出遭った人間がどんな人かってことを。それにドラゴンは、何よりも勇敢な人間が大好きなの」


 「それは、勇敢な人間はおいしいって意味なのか?」


 「まさかぁ……」と、ファイは笑う。


 ドラゴンが去ると、光義とファイは雷電の元へ足を向けた。


 潮風を避け、格納庫の隅に運ばれた愛機は、来るべき帰投の日に備えて銀翼を休めていた。その傍にじっと佇む人影を指差し、ファイは言った。


 「あっ……リナだ」


 「…………」


 光義と眼を合わせた瞬間、リナは隔意丸出しの眼つきで彼を一瞥し、足早に機から離れて行く。


 ファイは、光義を見上げた。


 「リナ、まだ怒ってるみたいだね」


 「うん……」


 少年……と思っていた、あのオレンジ色の髪の女には、早速昨日の夜から嫌われた。最初に会ったときから、何となく気に食わない奴だとは思っていたが。実際その通りだった。まあ……嫌われる直接の理由を作ったのはおれだったが。


 ――――その、昨夜。


 「ミツヨシ、お風呂に入れば?」


 光義の服の匂いを嗅いだファイの、その言葉がきっかけだった。


 そう言えば、ここ一週間ほど風呂に入っていないことに光義は気付いた。戦地で培った不精癖か、彼の場合、風呂といえば思い出したときに入るといった程度だ。ファイが注意するのも無理はない。


 シャワー室に、ファイは光義を連れて行った。


 一人かと思ったが、来たときにはすでに、元気の良いシャワーの音がすぐ傍の脱衣所に響いていた。


 シャワー室へと通じる、曇りガラスの引き戸に映えるシルエットからは、相手が誰かを正確に掴むことが出来なかった。

 

 何気なく、脱衣所の籠に眼を遣る。無造作に放られた、汚れた作業服……光義は、何気なくシャワー室へ通じるドアを開けた。


 「…………!?」


 開けられた引き戸の先の光景に、光義は驚愕とした、というより混乱した。


 初めてこの世界に降り立ったとき、ファイと一緒にいた「少年」の姿が、そこにあった。


 立ち込める湯気の中、振り注ぐ熱湯のシャワーに濡れたオレンジの髪は、ジャスミンの芳香を漂わせていた。


 水を弾く細身の肢体は、少女特有の瑞々しさと丸みを帯び、豊かとは言えないまでも形のいい胸と、見事に括れた腰のライン、そして小鹿のそれのようにすらっと伸びた脚は、光義の眼を釘付けにさせずには置かなかった……少年は、実は少女だった?


 「…………!」


 突然の闖入者にはっとして、リナはバスタオルで前を隠すようにした。バスタオルを掴む肩をいじらしそうに狭め、腰を屈めるようにする様が、一層光義の後頭部を刺激した。


 綺麗だ……と、本気で思った。


 ……が、当のリナは半開きの唇を震わせ、茶色の瞳は、明らかに動揺の色を湛えていた。ほっそりとした頬が、これ以上紅くならないと思われるほどに紅潮していた。


 「おまえ……女だったのか?」


 と、光義は声を振り絞るのが精一杯だった。


 「し、知いらないっと……!」


 ファイが、慌てたように脱衣所から駆け出した。驚いた光義が声にならない声を上げてファイの方を振り向き、また向き直った瞬間を、羞恥の次に湧き起こった怒りに瞳を漲らせたリナは見逃さなかった。


 延びた手が、新品の石鹸を掴んだ。


 「!?」


 石鹸は、見事に光義の鼻っ柱を直撃した。


 ――――そっと鼻っ柱を撫でてみる。不意に襲ってきた疼痛に、思わず顔を顰める。


 ファイが光義の顔を覗き込むようにした。


 「まだ、痛い?」


 「…………」


 光義は内心で歯噛みを禁じえない。あれ以来、あの女は何かとおれに突っかかってくる。


 「あんたなんか……ここじゃヨソモンなんだから、時期が来たらさっさと帰ってよね」


 「てめえの顔を見ずに済むのなら、今からでも帰りたいぜ」


 ドンッ……と乱暴に置かれたスクランブルエッグを盛った皿が、彼女の返事だった。


 くそぉ……あのヤロウ。


 煩悶を溜め込んだまま、彼は雷電の操縦席に手をかけた。また飛ぶまでに、感覚を取り戻しておかなければならない。


 途端に、ファイが光義の服を引っ張るようにした。


 「ファイも乗る」


 光義は軽く頷くと、ファイを持ち上げた。雷電の操縦席は他の戦闘機と比して異例に広く、ファイを抱えた光義を余裕で迎え入れることが出来た。


 オイルの匂い漂う機内で、ファイは操縦桿に手を延ばした。何度か操縦桿を動かす内に、始めは明るかったファイの表情から、少しずつ憂いの色が漂ってくるのに光義は気付いた。


 ファイが、ポツリと言った。


 「ミツヨシは……飛行機で、人を殺したことある?」


 「…………」


 撃墜とか、空戦とかに、憧れるような口調ではない。そう直感した。光義は、言葉を失う。


 「やっぱり殺したのね……いっぱい」


 「ああ……殺した」


 ファイを抱くようにしながら、光義は俯いた。別に、許しを請おうとは思わない。ただ、ファイには一人の人間としての自分を見てもらいたかった。


 「ミツヨシって、海賊?」


 「海賊じゃなくて、海軍だな」


 「カイグンって、つよい?」


 「……わからん」


 「でも、正義の味方だよね?」


 「…………?」


 「ミツヨシ、悪いやつじゃないもん」


 そう言って、ファイは席を詰めた。ファイの体躯と体温……そして少女の匂いが一辺に光義の五感に触れた。


 「…………」


 「ファイはね、パパとママがいないの……」


 「いない……?」


 「悪いやつに、殺されちゃった」


 「海賊か……?」


 ファイは、こくりと頷いた。


 「リナはね、空軍に入って戦闘機のパイロットになりたいんだって……悪いやつを、海賊をやっつけるって……」


 「あいつが……?」


 「リナは……リナとファイのパパとママの仇を取るんだって」


 「……殺ったのは、海賊か?」


 ファイは、黙って頷いた。


 「ミツヨシ……何でみんな……空に上がってまで戦おうとするの?」


 「…………」


 「空を飛ぶなら、ドラゴンだけでいいじゃん……なんで、こんなものまで作って空を飛ぶの? 大人はおかしいよ。なんで空の上で……殺し合うの?」


 「それは……空を飛んでまで、守らなければならないものがあるからさ」


 「まもる……?」


 「例えば……その……あいつは、リナは、君を守りたいから戦闘機に乗りたいんじゃないかな」


 「守らなくたっていいよぉ!……リナが死んじゃったら、元も子もないじゃん……!」


 リナはむずかる様にした。バタつかせた脚が、機体をガンガン叩いた。顔は見えなかったが、泣き顔になっているのが口調から感じ取れた。


 光義の手が、そっとファイの肩に触れた。


 「世の中には、死んでも守らなければならないものがある……とおれは思う」


 「…………?」


 言ってはみたものの、この子は判っている、おれがその言葉に自信を持てないでいるということを。


 誰かを守るために飛ぶ……その目的に、おれが自信を持てなくなったのは何時のことだろう。


 飛んでも飛んでも、守るべきものも守れず、徒に命をすり減らしていく翼……度重なる激戦の末、当初の高尚な意識は次第に薄れ、ただ日々を生き残るための技術主義に矮小化されていった。


 光義にとって空は、もはや勇気を、誇りを試す場ではなくなっていた。生き残るための場所。敵を倒すための場所……その世界では、もはや飛行機乗りは、何処から飛んでくるか判らぬ敵弾に怯えながら野を這う兵士と変わらなかった。


 「ミツヨシ……?」


 ファイが、振り向きざまに光義を見上げた。黙り込み、考え込む光義に何か思うところがあったのだろう。


 「何だい?」


 「この世界のこと、好き?」


 「わからないな……」


 「この子の名前、何てゆーの?」


 「この子……?」


 「ミツヨシの飛行機のこと」


 「雷電……」


 「ライデン……?」


 「うん……」


 「あたし……この子のこと、好きだよ」


 「この子……か」


 「だって……おっきいけど、カワイイもん」


 「かわいい……?」


 「うん」ファイは大きく頷く。


 「そうか……」


 何気なく、光義は操縦桿に手を延ばした。


 操縦桿を握る光義の手を、ファイの手が包むようにした。小さいが、暖かい手だった。


 ファイが、言った。


 「ミツヨシ……」


 「…………?」


 「ずっと……ここに一緒にいようよ」


 「…………」


 哀願するような口調に、光義は何も言えなかった。


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