第三話
「キエェェェェェッ!!」
鼓膜を切り裂くような鳴き声と共に、上空から巨大な影が降りてきました。
バササッ!!
突風が巻き起こり、周囲の木々が激しく揺れます。
洞窟の前に舞い降りたのは、異様な姿をした鳥でした。
体長は二メートルほど。
トサカは毒々しい紫色で、爬虫類のような鱗に覆われた脚、そして蛇の尾を持っています。
石化鶏。
その邪眼に見つめられた者は石となり、鋭いクチバシには猛毒を持つという、冒険者殺しの魔獣です。
「グルルルゥ……ッ!」
グラさんが即座に私の前に飛び出し、小さな体で威嚇の姿勢を取ります。
なんて勇敢なクマさんでしょう。
でも、相手は石化の能力持ち。真正面から睨み合うのは危険です。
しかし、私の反応はグラさんとは少し違いました。
「……鶏?」
私の目は、コカトリスの太ももに釘付けになっていました。
あの鱗の下にある、プリッとした弾力のある肉。
そして、羽毛に覆われた胸肉のしっとりとした質感。
(間違いない。あれは……大型地鶏のような、コクのある鶏肉よ!)
私はゴクリと喉を鳴らしました。
昨日の猪肉も最高でしたが、やはり鶏肉は別腹です。
唐揚げ、焼き鳥、チキン南蛮。
脳裏に浮かぶ鶏料理の数々に、恐怖心など消し飛んでしまいました。
「グラさん、目を合わせちゃダメよ! あいつの視線は石化の呪いがあるわ!」
私は叫びながら、洞窟の入り口に立てかけてあった、表面を磨いた金属製の盆(これも調理器具として持ち出しました)を構えました。
「キエッ!?」
コカトリスが私を睨みつけようとした瞬間、私は盆を盾のように掲げました。
鏡のように磨かれた盆の表面に、コカトリス自身の姿が映り込みます。
「キョエェェェッ!?」
自分の邪眼の魔力を反射されたコカトリスは、驚いて悲鳴を上げ、たたらを踏みました。
足元が石化し始めています。自爆です。
「今よ! グラさん、お願い!」
「ガウッ!」
グラさんが地面を蹴り、矢のような速さで飛び出しました。
そして、石化して動けないコカトリスの足元をすり抜け、無防備な背後から飛びかかります。
ドスッ!
グラさんの鋭い爪が、コカトリスの急所を一撃で貫きました。
さすが魔王様(とはまだ知りませんが)、小さい体でも戦闘力は抜群です。
コカトリスはどうと倒れ、動かなくなりました。
「やったわ! ナイスコンビネーションね!」
私が駆け寄ると、グラさんは「ふん、チョロいもんだ」と言わんばかりに鼻を鳴らしました。
そして、コカトリスの巣があった場所でしょうか、足元に大きな卵が二つ転がっているのを見つけました。
ダチョウの卵くらいの大きさがあります。
「嘘……お肉だけじゃなくて、卵までゲットできるなんて!」
今日は鶏肉と卵の親子丼?
いいえ、もっとガツンとくるものが食べたい気分です。
「よし、今夜は『コカトリスの特製唐揚げ』にしましょう!」
◇
調理開始です。
まずはコカトリスの解体から。
毒袋と邪眼の部分は慎重に取り除き、廃棄します。
残った肉は、予想通り……いえ、予想以上に素晴らしい肉質でした。
適度な弾力と、透明感のあるピンク色。
もも肉は一口大にカットし、胸肉は薄く削ぎ切りにします。
「問題は衣と油ね……」
唐揚げには、小麦粉や片栗粉が必要です。
幸い、今朝見つけた蜜芋の近くに、デンプン質の多い**白根芋**が生えていました。
これをすり下ろして乾燥させれば、片栗粉の代用になります。
揚げ油は、昨日保存しておいた紅牙猪のラードを使います。
ラードで揚げる唐揚げ。
カロリーのことは考えてはいけません。美味しさこそが正義なのですから。
そして、今回の目玉は『特製タルタルソース』です。
ここでコカトリスの卵が登場します。
お湯を沸かして固ゆで卵を作り、殻を剥いて細かく刻みます。
黄身が濃厚で、オレンジ色に輝いています。
そこに、森で摘んだ酸味の強い**酢漿実**の果汁を絞り入れます。これが酢の代わり。
さらに、刻んだ香草と岩塩を混ぜ合わせれば……。
「即席タルタルソースの完成!」
マヨネーズを作るための植物油が足りなかったので、卵のコクと果実の酸味を活かしたサッパリ系のソースに仕上げました。
さて、いよいよ揚げの工程です。
鍋にたっぷりのラードを溶かし、高温になるまで熱します。
下味(岩塩とすり潰した野草の根=ニンニク風味)を揉み込んだ肉に、白根芋の粉をまぶします。
余分な粉をはたき、油の中へ投入。
ジュワワワワワッ!!
森の中に、最高の音が響き渡りました。
水分が蒸発する激しい音と、香ばしい香り。
グラさんが目を丸くして、鍋を覗き込んでいます。
「離れててね、油が跳ねるから」
表面がこんがりとキツネ色になり、衣がカリッとしたら引き上げ時です。
網の上に乗せると、余熱で中まで火が通り、パチパチと小さな音を立てています。
「できた……コカトリスの唐揚げ、タルタルソース添え!」
大皿代わりの大きな葉っぱの上に、山盛りの唐揚げ。
その横には、黄金色と白のコントラストが美しいタルタルソースをたっぷりと。
「さあ、召し上がれ」
グラさんは、初めて見る「揚げ物」に興味津々です。
鼻をヒクつかせ、熱々の唐揚げを一つ、口に放り込みました。
カリッ。
サクッ。
「……ッ!!」
グラさんの動きが止まりました。
そして次の瞬間、猛烈な勢いで咀嚼を始めます。
ジュワッ。
口の中に溢れる肉汁。
ラードのコクと、鶏肉の淡白な旨味が絡み合い、そこへサクサクの衣の食感が追い討ちをかけます。
さらに、酸味の効いたタルタルソースが油っこさを中和し、いくらでも食べられそうです。
「ガウッ! ガウウウッ!!(なんだこれは! 衣はサクサク、中はジューシー! うまい!)」
グラさんは感動のあまり、立ち上がって踊り出しそうな勢いです。
私も一ついただきます。
「ん〜っ! これよ、これ!」
前世の記憶が蘇る味。
異世界に来てから、ずっとパサパサのパンとスープばかりだったので、この「ガツン」とくる脂と肉の味は、涙が出るほど美味しい。
パクパクと二人(一人と一匹)で山盛りの唐揚げを平らげていきます。
すると、不思議なことが起こりました。
グラさんの体が、ほんのりと黒い光に包まれたのです。
「えっ? グラさん?」
光が収まると、グラさんの毛並みが、以前よりも艶やかになり、体が一回り大きくなったような気がします。
これまでどこか頼りなかった魔力の気配が、少しだけ濃くなっているような……。
「ガウ……(力が、湧いてくる……)」
グラさんは自分の手を見つめ、不思議そうに握ったり開いたりしています。
どうやら、美味しい魔獣料理を食べたことで、失われていた魔力が少し回復したようです。
「すごいわ、グラさん! 美味しいものを食べれば強くなるのね?」
「ガウッ!(そうみたいだ!)」
グラさんは嬉しそうに頷き、最後に残った一番大きな唐揚げを、私に譲ってくれました。
なんて紳士的なクマさんでしょう。
「ありがとう。……ねえ、これならもっと美味しいものを食べ続ければ、元の姿に戻れるかもしれないわね?」
元の姿がどんなものか知りませんが、きっと立派な大人の熊になるのでしょう。
私はそう軽く考えていましたが、グラさんの瞳の奥には、もっと深い理性が宿り始めていました。
「(……ああ。この女の料理があれば、余は完全復活できるかもしれん)」
グラさんは心の中でそう呟き、満足げに口元のタルタルソースを舐め取りました。
こうして私たちは、コカトリスという脅威を「極上の唐揚げ」に変え、さらなる美食を求めて森の奥へと進むことになったのです。
しかし、私が作った「揚げ物の匂い」は、森の外にまで届いてしまったようで……。
森の入り口付近。
捜索に来ていた王宮騎士たちが、風に乗って漂ってきた香ばしい匂いに鼻をひくつかせていました。
「おい、なんだこの匂いは……?」
「腹が減る匂いだ……この先に、何があるんだ?」
私の平穏な森ライフに、招かれざる客が近づいてきていました。




