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最終話

激辛麻婆豆腐による「断罪の宴」から、半年が過ぎました。


季節は巡り、実りの秋。

かつて「帰らずの森」と恐れられた魔境の入り口には、今、長蛇の列ができていました。


「おい、まだかよ? もう三時間も並んでるんだぞ」

「仕方ないだろう。王都からわざわざ馬車を飛ばしてきたんだ、食べるまでは帰れん」

「噂じゃ、今日のメインは『ワイバーンの赤ワイン煮込み』らしいぞ……」


並んでいるのは、冒険者、商人、そしてお忍びの貴族たち。

彼らの視線の先にあるのは、巨大な古木をくり抜いて作られた、看板も掲げていない一軒のレストランです。


その名も――『森のくまさん亭』。


ネーミングセンスについては突っ込まないでください。

名付け親は、私のパートナーであるグラさんなのですから。


   ◇


「ヴィオラ嬢! 追加のオーダーだ! 『オークカツレツ』三皿!」

「はいよ! すぐ揚げるわ!」


厨房の中は戦場でした。

私は真っ白なコックコート(耐火魔法付与済み)に身を包み、三つのフライパンを同時に操っています。


厨房スタッフは、以前私を捕まえに来たはずの王宮騎士団の非番のメンバーたち。

彼らは剣を包丁に持ち替え、私の指示に従って野菜を切り、皿を洗っています。

報酬はもちろん、現物支給(まかない飯)です。


「ほら、揚がったわよ! 熱いうちに運んで!」

「了解であります!」


ホールでは、騎士団長のアレクセイ様が、なぜか給仕長として優雅にお客様を案内しています。

「氷の騎士」と呼ばれた彼が、「いらっしゃいませ、本日のスープはコカトリスのコンソメでございます」と笑顔を振りまく姿は、王都の令嬢が見たら卒倒するでしょう。


国はどうなったのか、ですって?


あの「森狩り」の失敗後、ラシード王子と聖女リリィの評判は地に落ちました。

さらに、食糧難の原因が、聖女の浪費と王子の悪政による物流の停滞だったことが露見。

民衆の怒りが爆発し、クーデターに近い形で国王が退位。

賢王として知られる王弟殿下が即位されました。


ラシード王子とリリィは廃嫡され、平民に降格。

今は北の寒い開拓村で、芋掘りをさせられているそうです。

「味がしない芋ばかりですぅ~!」という聖女の嘆きが風の噂で聞こえてきますが、知ったことではありません。


私にとって大事なのは、目の前の料理と、それを待っているお客様とグラさんのことだけですから。


   ◇


「ふぅ……やっとランチタイムが終わったわね」


最後のお客様を見送り、私は店先のベンチに座り込みました。

心地よい疲労感。

森の風が火照った頬を撫でていきます。


「お疲れ、ヴィオラ」


背後から、低い声がかかりました。

振り返ると、そこには漆黒の角と銀髪を持つ、褐色の美青年が立っています。


「グラさん……じゃなくて、グラトニー」


「ふん、どちらでもよい。……それより、腹が減った」


かつての手のひらサイズの小熊は、もういません。

この半年間、私が作る魔獣料理を食べ続けたことで、魔王としての魔力は完全に回復。

今では、自分の意志で自在に人間の姿と熊の姿を行き来できるようになっていました。


普段は「看板熊」として愛想を振りまき(本人は不服そうですが)、営業が終わるとこうして本来の姿に戻るのです。


「はいはい。今日はとっておきを用意してあるわよ」


私は立ち上がり、厨房の奥にある魔法冷蔵庫(氷魔法でキンキンに冷やした石室)を開けました。


取り出したのは、巨大な肉の塊。

表面にはルビーのように輝く鱗の跡があり、肉そのものが微かに熱を帯びています。


古代竜エンシェント・ドラゴンのテール肉。

数日前、グラさんが「散歩のついで」に狩ってきた、この世で最も希少で、最も美味とされる食材です。


「今日はこれでお祝いよ。お店の開店半年記念だもの」


「ほう……竜か。悪くない」


グラトニーの銀色の瞳が怪しく輝きました。


調理法はシンプルにいきましょう。

竜の肉は、それ自体が完成された旨味の爆弾です。

余計な小細工は野暮というもの。


分厚くカットしたテール肉に、塩胡椒のみを振ります。

そして、フライパンを極限まで熱し、ラードではなく、竜自身の脂身を溶かして焼きます。


ジュワァァァァァッ!!!!!


凄まじい音と共に、厨房が光に包まれました。

竜の肉は火を通すと発光するのです。

漂ってくる香りは、牛でも豚でも鳥でもない。

「力」そのものを嗅いでいるような、圧倒的な芳香。


表面をカリッと焼き固め、中はレアに。

仕上げに、精霊葡萄の赤ワインと醤油を煮詰めたソースを回しかけます。


ジューッ……。


香ばしい煙が立ち上り、私の唾液腺を刺激します。

ナイフを入れると、抵抗なくスッと切れ、ロゼ色の断面から肉汁が溢れ出しました。


「さあ、召し上がれ。古代竜のステーキ・精霊ワインソースよ」


テーブルに置いた瞬間、グラトニーは待ちきれない様子でフォークを突き刺しました。

そして、大きな口で肉を頬張ります。


ガブリ。


咀嚼。

そして、嚥下。


「…………ッ」


グラトニーが天井を仰ぎ、深いため息をつきました。

その身体から、黄金色のオーラが立ち上っています。


「……美味い。貴様の料理は、いつだって余の想像を超えてくる」


彼は陶酔した表情で私を見つめました。


「強靭な筋繊維が、噛んだ瞬間に解ける。濃厚な脂の甘みが、ワインの酸味と絡み合い、喉の奥で踊るようだ。……これこそ、王の食事だ」


「ふふ、お気に召して光栄だわ」


私も一口食べました。

口に入れた瞬間、全身の細胞が歓喜の歌を歌い出すような感覚。

生きててよかった。

冤罪で追放されて、本当によかった。


食事を終え、ワイングラスを傾けていると、グラトニーが不意に私の手を取りました。

その左手の薬指には、契約の指輪が光っています。


「ヴィオラ」


「なぁに?」


「国が変わろうと、店がどうなろうと、関係ない。余の望みはただ一つだ」


彼は私の手の甲に口づけを落とし、妖艶に微笑みました。


「一生、余のそばにいろ。そして、死ぬまで美味いものを食わせろ。……その代わり、世界中のあらゆる食材を、貴様の足元にひれ伏させてやる」


それは、世界で一番わがままで、世界で一番頼もしいプロポーズでした。


「ええ、喜んで。私の胃袋も、あなたに預けるわ」


「ククッ……契約更新だな」


私たちは笑い合いました。

窓の外では、夜空に満月が輝いています。

森の魔獣たちの遠吠えさえも、今夜は祝福のファンファーレのように聞こえました。


   ◇


翌日。


「店長ー! 大変です! クラーケンが一匹丸ごと持ち込まれました!」

「隣国の王子が、『ぜひシェフを引き抜きたい』って金貨の山を持ってきてます!」

「グラさんが、つまみ食いしようとしてお客様と喧嘩してます!」


「もう! 騒がしいわね!」


私はフライパン片手に厨房を飛び出しました。


かつての悪役令嬢はもういません。

ここにいるのは、魔王の胃袋を掴み、騎士団を配下にし、世界中の美食家を唸らせる、辺境最強のシェフ。


「さあ、今日も開店よ! 並んでいる人全員、お腹いっぱいにして帰してあげるから覚悟なさい!」


「「「イエッサー!!」」」


美味しい匂いと笑い声に包まれて。

私の「追放グルメライフ」は、これからも賑やかに、美味しく続いていくのです。


ごちそうさまでした!


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