52 孤独と温もりの境界で
唇が離れてからも、私はずっとルシアンの腕の中にいた。
言葉はないのに、体温だけが互いをつなぎ止めている。
下から聞こえるざわめきも、食器の触れ合う音も遠い。
彼の吐息からは、さっきの酒の香りがまだふわりと漂っていた。
時折、私の髪や頬を撫でる指。
そして時々落ちる額に落ちる小さなキス。
その温かさとは裏腹に、胸の奥はキーンと冷たい氷のように固まっていくようだ。
「君を求めているのは私だ。魔女が俺を懐柔しているわけではない。今もキスを求めたのは俺だ。」
私は頷く。
――私は、周りから見れば「厄災を運ぶ魔女」だ。
瘴気を連れてきて、悪魔を扱う魔女だ。
瘴気なんて見たこともないのに。
誰も確かめもしないまま、そう決めつけてくる。
そんな黒い思いがあふれ出しそうになった瞬間、
ルシアンがもう一度そっと囁く。
「嘘に飲まれたらダメだ。魔女の君を選んだのは俺だ。
囲まれても騙されてもいない。
君がどれだけ優しくて努力家の魔女なのか、俺が証明する。
時間をくれ。必ず広めるから」
彼の言葉に嘘はない。
だけど、私は彼にこれ以上迷惑をかけたくない。
胸がぎゅっと痛み、思わず顔を覆った。
逃れたいのに逃れられない生まれの宿命。
努力しても嫌われる存在は、どうしても存在する。
その存在は、自分を大切にしてくれる人たちにまでその嫌われる種を蒔いてしまう。
魔女はだから固定した相手を選ばず孤独を選ぶのだろうか。
一つの国にこだわらず移動していく。
愛する子供が同じ思いをするのは耐え難い。
だから、魔女のルールに後継を作らなければならないとわざわざしているのかもしれない。
「嫌だ……嫌だ……嫌だ!!」
声が漏れた瞬間、ルシアンが指を弾く。
世界の音がふっと消えた。
「防音にした。誰にも聞こえない。……キスしてもね」
軽口とは裏腹に、彼の目は真剣だった。
「全部吐き出していい。
もう我慢している君を、もう見たくない。
闇の妖精で姿を消す君も、無表情で耐える君も……もう見たくないんだ」
私は堪えきれず、肩に額を押しつけて叫んだ。
「ルシアン様が私のせいで白い目で見られるのが耐えられないんです。子どもができても、同じ目を向けられる。嫌なんです。子供が私と同じように、修行で独りで耐えるのも、また同じような人生を送らせてしまうのも...もう全部、全部嫌!!」
彼は黙って頷き、強く抱きしめ返してくれた。
「俺は誇りだよ。魔女の妻を持つことが。子どもだって修行なんか一人で行かせない。可愛い娘なんだろう……家族旅行にすればいい。みんなの前で俺の妻と娘はすごい魔女だって見せて歩くさ。絶対同じ人生は過ごさせない」
「……軽すぎですよ...勝手に子供はルシアン様との子になってるじゃないですか」
「決定事項のように言っておかないと、君はどこかへ消えるからな」
少し笑う彼の声に、ようやく呼吸が落ち着いていく。
そして彼はそっと、額に頬を当てた。
「君が修行から戻って、段々表情が暗くなっていくのを見ていた。本当は君のそばにいて、『この人は素晴らしい姫だ』って全部言って回りたかった。
でも俺は……任務は極秘であったことを理由に、魔女を軽んじる言葉を否定せずにいた。知っていたのに、守らなかった。すまない」
涙がひとつ、私の額に落ちた。
私は首を振り、そっと彼から離れた。
「それでも……好きだと言ってくれたじゃないですか。私をちゃんと知ってくれていた上で。そんな人、親も含めて、今まで誰もいなかった。本当に嬉しかったんです」
私は微笑もうとした。
けれど、私がルシアン様を選べば、彼はまた周囲によって傷つく。
離れれば、私はもう壊れてしまうかもしれない。
ルシアン様以外から、子種をもらってまで魔女の後継をつくる未来も見えなかった。
その時は、おそらく、魔女の理にも背いて、ペナルティを受けるのだろう。
部屋の冷たさと、抱きしめて触れ合う彼の体温が、二つの未来を示しているようだった。
触れれば温もりを選べる。
でも手を離せば....
――私は、どちらへ進むのだろう。




