35 森の奥で聞いた本音
向かった先は――
「おいおい、真っ暗だな」
手元に小さな光球を浮かべる。
淡い光が揺れ、木々の影がゆらりと揺れた。
だがその奥から、ラベンダーと自分を繋ぐ結婚誓約の印が、かすかに脈打って伝わってくる。
――ここにいる。
間違いない。
そう思った瞬間、胸の奥がざわつき、焦りに似た感情が湧き上がる。
「魔力が高い木が生えている……ここが入り口だと思うが」
しかし、目の前にあるのは木々がぎゅうぎゅうに密集した壁。
通路どころか、人ひとり通れる隙間もない。
それでも俺は、その暗闇へ呼びかけた。
「ラベンダーに会いたいんだ。話をしたい。謝りたい。森の主…使い魔から紹介状も持って来た。どうか、会わせてもらえないだろうか」
森は沈黙したまま。
ただ、冷たい静寂だけが返ってくる。
「反応は……ないか。じゃあ、入らせてもらう」
一歩、踏み出した瞬間だった。
見えない“風の刃”が無数に襲いかかった。
展開した防御をあっさり貫き、体中に切り傷が走る。
次の瞬間、俺は後方へ吹き飛ばされていた。
……入れる気はない、ということか。
治癒魔法をかけても、傷はそのまま。
森の意思がはっきりと分かるほどの拒絶だった。
「彼女を傷つけた償いをしたい。話を……させてくれ。いや、彼女が会いたくないと言うなら無理には言わない。ただ……会いたいんだ」
喉の奥が痛むほど声を絞り出し、俺は入り口に膝をつく。
謝りたい。
傷つけた。
話がしたい。
ただそれだけで、他に理由なんてなかった。
それなのに、どうしてここまで胸が苦しいのか、自分でもわからない。
夜が更け、周囲が白み始めても、森は何も返してこなかった。
それでも俺は、ひたすら入り口に向かって懇願し続けた。
ただ必死に。
彼女に詫びたかった。
クラリスに振られたときですら、こんな情けない声を出したことなど一度もなかったというのに。
なのに、ラベンダーにはどうしてかわからない。
「せめて……せめて、見守るだけじゃだめか? 前みたいに、困った時だけ助ける。それだけでいい。今度こそ、害から必ず守るから」
朝日が山を照らし始めたときだった。
ふと、魔力のある木々の奥に、細い空間が見えた。
「……道、か?」
木々がまるで意思を持っているかのように、ゆっくりと枝を避けていく。
閉ざされていた森に、ぽっかりと細い道が開いた。
開いた――。
胸が跳ねる。
「入って……いいのか?」
森は何も言わない。
だが、これが答えだ。
――見守るだけ。
そう言われた約束は守る。
俺は自分に認識阻害をかけ、気配を極限まで薄くした。
「今度こそ、害からは必ず守る……」
ゆっくりと森の奥へ踏み入れる。
◇◇◇
中は驚くほど明るかった。
清浄な空気が肌に触れ、思わず息を呑む。
その中を、小さな小人たちがちょこちょこ走り回っていた。
「小人……?」
警戒の目を向けながらも、小人たちは俺の横をすり抜けていく。
小人に認識阻害は効かないらしい。
「すまない。大きな木を探している。紹介状を渡すよう言われていてな」
紹介状を見た小人は、うんうんと頷いた。
「こっち」
「こっち」
「あっち」
「そっち!」
一斉に指す方向がバラバラで、完全にカオスだ。
「おい……それじゃ誰か嘘つきになるだろう」
ぴたり、と全員が止まり、
「バカじゃなかった」
「まぬけじゃなかった」
「アホじゃなかった」
好き勝手言い始める。全部聞こえてるんだが。
その時――聞き慣れた声が耳に届いた。
ラベンダーの声だ!
小人たちに話しかけているその声の方へ、思わず足が向く。
「冒険者用と商人用と……寝巻きもお願い。急がなくていいからね。一枚はルシアン様から借りたものもあるし……」
姿を見た瞬間、息が止まった。
昨日はふわふわの金髪だった。
だが今は――先だけ金色を残しているが、全体は真っ黒な坊主頭。
あまりに痛々しく、言葉が出ない。
(……なんてことだ)
しかも、支払った対価は自分のためになっていない。
わざわざ俺に会いに来たのに、傷つく言葉を聞かせてしまった可能性が高いのだ。
胸が締め付けられる。
触れたい。
話したい。
抱きしめて謝りたい。
だが、姿を見せれば森に追い出される。
今度こそ、本当に会えなくなるかもしれない。
そんなのは...嫌だ。
そっと見守るしかない
「エリザベート様のお部屋の情報、集めてほしいの。昨日渡した化粧品で害があったと言っていたけど、全然痕跡がなくて……理由が知りたいのよ」
ラベンダーの言葉に、妖精たちが一斉に飛び立つ。
そのまま、彼女はカゴを抱えて、かつてのように薬草をつみながら歩いている。
これからの生活費のことや、街で仕事ができるか心配しているようだ。
俺はかつてのように、気配を消しながらそっと見守っていた。
変わらないーーなんで、彼女は変わったと、遊び暮らしていたと思ったんだろう?
そのまま彼女についていくと、大きな木が見えて来た。
おそらく使い魔があっていた紹介状を渡す木だ。
ラベンダーは、その木にひたいを押し当てて会話をしているようだった。
「大樹様、お父様ってここにきたことがあるの?」
その声に俺は驚く。
ここに入るためには使い魔の紹介状だけでなく、その場所の探知も必要だったし、傷だらけになって、今も自分は気配を消している。
そんな体験を王もしたのか?
ラベンダーは、王の仕打ちを大樹に話しかけていた。
だが、独り言だったのだろう。
そのままため息をつき、大樹に向かって話しかけ続けた。
「恋か...私にはもうそんな機会は来ないわね。一度ぐらい、恋に落ちてみたかったけど、でもそんな機会なくて良かったんだわ。きっと」
ラベンダーの声に、訳が分からず心が苦しくなる。
ちがう!良くない!
俺と...いや、好きになってもらうのは無理か。
でも、俺は好きでいてはいけないだろうか?
そんな胸を掻きむしりたいような、苦しげな気持ちが襲ってくる。
声をかけたい。
でもかけられない。
「大樹様、ルシアン様は私が一人前の魔女になれるようにずっと手助けしてくれていたのですって。私は知らずに、一人で一人前になったつもりでいたの。
だから、お父様の再婚相手の方とは無理かもしれないけど、次こそ彼が幸せになれるようにしたいわ。そのためにも、早くこの結婚契約を解除しないとね。」
俺は呆然と立ち尽くした。
ラベンダーは俺に気づかず、横を通り過ぎる。
大樹は、ラベンダーの気持ちを俺に聞かせているのだ。
ここまでの純粋な優しい心に、お前は何が返せる?
どうやってラベンダーを守る?とーー
はっ!と過ぎ去った後を振り返る
その時にはもう、ラベンダーは再び薬草を摘み始めていた。
「恋が叶うようなお薬があったら...ダメダメ、犯罪に使われちゃう」
楽しそうに独り言をいいながらーー
かつてと同じように、小さな手で終わらない作業を、何度もこっそり手伝った日のように。
そっといつか、彼女が恋ができるように、そしてその恋の相手は俺であってほしいと願いながらこっそり手伝う。
ラベンダーは、カゴを見て小さく首を傾げながら去っていった。
俺はしばらくその後ろ姿を見つめ、その後、大樹へ紹介状を差し出す。
風がふわりと吹き、紹介状は枝に吸い込まれるように回収された。
「……彼女が好きだ。出会った頃は子供だったから、いつのまにか惹かれていたことに気づかなかった。今度こそ、後悔しないように守りたい。姿を……姿を現して、その気持ちを伝えたらダメだろうか?」
大樹の大きな枝が、ザワザワと風を鳴らした。
まるで思案しているかのように。




