118 もうひとりの使い魔
「まさかお前が訓練に来るとはな...」
ラスカルが驚いている。
翌朝、ブスッとした表情で私を連れて訓練場にやってくるルシアンを見て、みんな目を丸くした。
「このぶさ猫が、枕元でずっと泣き続けるからうっとおしくてかなわん。泣くなら、ここで泣いとけ」
わたしは訓練場のベンチに降ろされる。
ぶさ猫だったが、朝目も開かないぐらい腫れ上がった目に
「おれがやったみたいじゃないか。何で使い魔にここまで世話をせねばならない」
と治癒魔法を施してくれて目は普通に戻った。
この世界のルシアンも優しいのだ。
でも、周りは優しさに気づいてない。
「お祖父様、ルシアンは本当はやさしいのよ!怖く見せてるだけで、本当はすごく優しいんだから!!」
必死でにゃっにゃと説明すると
「それ以上喋ったら殺すぞ」
そうルシアンに恫喝されてしゅんとする。
「まあ、いいじゃないか。お前をそう言ってくれるものもそういない。妻じゃなくてもしっかり面倒を見てやれ」
お父様とルシアンはもしかしてと思っているようだが、お祖父様のラスカルはわたしの虚言だと思っているみたい。
わたしは口をつぐんで、ベンチに腰掛けた。
ルシアンが、魔術師団の中で瞬時に魔法陣をどんどん展開していく姿が見える。
「おい、俺は何をしたらいい?」
「え??いや...あの」
周りの魔術師たちが固まっている。
ラスカルがその様子をじっと見て考える。
「お前、みんなから攻撃受けても大丈夫だよな?みんなの攻撃を見てアドバイスしてやってくれ」
「分かった。」
周りがルシアンにおそるおそる攻撃しては跳ね返される。
ルシアンは、何十にも魔法を重ねて防御を作りながら、一人一人に攻撃されても、まったく気にせず、魔法陣を出し方や攻撃のタイミングを攻撃してきたものに説明している。
下手をすると攻撃した側が防御に弾き返されて怪我をして、聖女が走り回っている。
「使い魔の言う通りか。指示してやると意外と面倒見がいい。いや、今日は使い魔のおかげで機嫌がいいのか?
学生時代から今に至るまで浮いてきたやつだったから、触らぬ神状態だったんだがな」
ラスカルはそういいながら、自分も訓練に参加していく。
わたしはその様子をぼんやりベンチから眺めていた。
前のようにここにいて嫌な顔をするものもいない。
だが、誰もわたしをみていない。
使い魔の猫がそこにいるだけなのだ。
でも、それすら認識されなくなったら...
わたしはしょげかえった。
しばらく経った頃、のそっと猫の影が見える。
「ちょっと、聞いてたけど、あなた本当にヴァネッサの子供なの?」
ふと見ると、前の世界にもいた、いつもの猫の使い魔がいる。
「猫ちゃん!!」
「同じ猫の使い魔に猫ちゃんって呼ばれたくないわよ。」
猫ちゃんは、黒猫の私と違い長毛種の気品ある猫なのだ。
使い魔なら私の状況がわかるかもしれない。
「猫ちゃん!!わたし、わたしどうしたらいい!」
「だから猫ちゃんって...しかも、どうしたらいいって?わたしあなたのこと何も知らないのよ。ああ、経過はこっそり聞いてたからいいわ。あなたのいうことが本当だとして、お馬鹿ね。自業自得よ」
いつもの使い魔の猫ちゃんの声だけど...ふんっと怒っているし、容赦ない。
「猫ちゃんも傷つけちゃった。わたしのこと一生懸命守ろうとしてくれていたのに」
再び涙がポタポタ落ちてくる。
どこまで、猫は泣けるのだろうか。
「だから、この世界にはいないわたしに謝られてもね。私自身は、どっちの世界でも使い魔になって後悔はしてないと思うけどね」
「使い魔になって?猫ちゃんも前は人だったの?」
「前のわたしはどう話してた?」
少し興味ありそうに、前のめりにニャニャっと私を見る。
傍目から見ると、猫二匹がゴロゴロ言いながら日向ぼっこをしているようにしか見えない
「詳しいことは契約のことだからってあまり話してくれないの。でも、お母様が初めての主人だったのに、それより歳が上の魔女のデイジーさんと知り合いだったりするのよ」
使い魔は思わず目を見開いた。
「デイジー、懐かしい名前ね。へえ、あなた、本当にヴァネッサの娘なの...使い魔同士になったんだから教えてあげる。わたしはね、ヴァネッサの母親なの」
「え!!」
「なによ!その顔!あんた本当にヴァネッサの娘なの?えらくおっとりしているわね」
「似てないって言われるの。じゃあ、わたしのお祖母様なの?」
「あんた!その呼び方したら許さないからね。ラスカルにも正体はバレてないし、他の人たちにもバレてないんだから。あんたはもう人じゃないから教えてあげただけよ」
人じゃないから...その言葉が胸に沁みる。
「おばあ……じゃない、猫ちゃん。猫ちゃんは、どうして使い魔になったの?どうして森でお母様の修行を、待ってあげなかったの?」
わたしがそう聞くと、ちょっと戸惑ったような悲しげな顔をして、使い魔はすぐには答えなかった。
しっぽの先をカラッと丸めて座り直す。
視線はラスカルに向けていた。
魔術師たちがルシアンに向かって、叩きのめされる中、お祖父様のラスカルだけはルシアンの魔法陣を壊して進んでいた。
「私は魔女なのに、ラスカルと恋に落ちてしまったの」
一瞬、わたしたちの空気に緊張が走る。
貴族とは結ばれない、そう母もわたしも聞いて育っていた。
「一夜限りにするべきだったのにね。つい、彼の優しさにずるずると付き合いを続けてしまった。でも、ラスカルは貴族で、跡取りだった。王のアレクみたいに、貴族は何人も妻を持てないものね」
使い魔はため息をついた。
それは諦めのため息。
下に巻いていたしっぽが、ふわっと上がる。
「ラスカルは、私との別れを選んだわ。家を継がなければならないって。仕方ないわ。」
仕方ない。
でも、猫ちゃんは前の世界でも今の世界でも、お祖父様が好きなんだわ。
使い魔の動きを思い出す。
私はどう声をかけていいかわからない。
「お腹にはヴァネッサがいた。でも言えなかった。出産はデイジーに手伝ってもらって、魔女の森で育てたの。ただ、私は昔から体が弱くてね。魔力が強い森で育児を続けたわ。でも、いよいよ長くないって分かってきた。
歩くのも辛くなって、食事も、ほとんど喉を通らなくなって」
そう言えば以前猫ちゃんから、お祖母様は身体が弱かったって聞いたことがある。
「でも、子育ては順調だったの。幸い、ヴァネッサは魔法の吸収が高い子だった。だから、私が死ぬ前に、大樹様に頼んで、できる限りの加護をつけてもらって、十歳で、修行に出したの。早すぎるのよ、本当は」
使い魔は、私の方を向いた。
わたしも10歳で修行に出たのだけど、ルシアンに守ってもらわなければ危なかった。
修行の年齢が早すぎたからなのね。
お母様も知らなかったんだわ
わたしは早すぎるという声に同意した。
「でも、それがギリギリわたしが耐えられる時だった。戻ってくる頃には、私はもうこの世にはいない。それは、娘にもそれとなく伝えたけど、実際に元気に帰ってきた娘に、最初にみせるのが変わり果てた自分というのは嫌だったの」
「お祖母様....」
思わず猫ちゃんと呼ぶのを忘れてしまう。
お母様を見守ってその娘も、魔になりながらも見守ってくれていたのだ。
「それに早く別れてしまったから、教えていないことが残っていたら、伝えられない。それが怖くてね」
使い魔がわたしを見たので何度もわたしも頷く。
だって、私もたくさんのことを教えてもらったんだもの
「だから、使い魔を作ると決めた。魔だから完全に良い存在にはなれないけど、それ以外方法はない。私は、何も残らないように、わたしの魔力も、残り少ない生命も体の全部を対価にしたの」
「それで、森にお母様が帰ったら使い魔のお祖母様が迎えてあげたのね」
「ヴァネッサが悲しまなくて済むように。それから……二人が間違って出会わないようにわたしはラスカルとヴァネッサにわたしの記憶をぼやけさせたの。それでも二人は出会ってしまうのよね。不思議よね」
お祖母様の覚悟が伝わる。
誰にも自分の正体を明かさず、ただお母様を、わたしを、そしてお祖父様も見守ってきたのだ。
「後悔はしてないわ」
使い魔は、きっぱりと言った。
「ただ……ヴァネッサの子供が産まれなかったことだけは、不憫でたまらないと思ってる。そればかりは、どうにもならなかったもの。まさか、その子自身が拒否していたなんて思わないでしょう?」
「ごめんなさい。お祖母様がダメだっていったのに、わたしもう心が保てなかった。みんなを不幸にしてしまったわ」
「今は一時的に使役者が自分を消すことを望んでしまうという変な状況になってるからあなたは使い魔の中に入ってるわ。でも消えることが望みなのだからいずれはあなたは消失するわよ。」
「き、消える!!」
「だってそれがあなたの願いでしょう。今はイレギュラーが起きてるだけよ。わたしもそう。ヴァネッサを見守ることがわたしの願いだったから、もしヴァネッサがこの世からいなくなると消えるわ」
わたしはガタガタ震えてしまう。
存在を消すって、産まれなくするって、この世からいなくなることなのだ。
わかっているのに、わかってなかった。
しかも、わたしがいないこの世界の人たちは、誰も今しあわせじゃない
わたしは呆然としてしまった。
「おい、猫。なんかわたしの娘が落ち込んでいるようなんだが...何吹き込んでる?」
振り向くとお父様が立っている。
ニャーーー!
思わず出る声は猫の声だった。
「ラベンダー、お前、やっぱりわたしの娘だったんだな。検査結果が出たぞ。
ラスカルとヴァネッサは科学の遺伝子検査で親子だったよ。お前の魔力には、俺とヴァネッサの子供であることがわかる魔力、あとルシアンの魔力も含んでいた。」
お父様がやってきたので、ラスカルとルシアンも寄ってくる。そして、ラスカルは検査結果を見て絶句する。
ルシアンは、なんとなく予想していた感じだった。
「さて、この猫の言うことが本当だとわかったわけだ。」
「ヴァネッサに連絡してみようか。魔女ではないが、生まれるはずだった子供はいた証明になるよな。ペナルティが軽くならないだろうか?」
ルシアンとお父様が話している。
だが、わたしの心は沈む一方だった。
もう戻れない。
みんな、わたしのことを知らない。
わたしはいずれここからも消える。
私、なんで浅はかな判断をしてしまったの




