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第9話 突然の話

今日は朝から屋敷の空気がざわついている。

いつも慌ただしく動き回っている使用人だけでなく、イザベルまで普段より落ち着きなく廊下を行き来している。

「今日は大事なお客様が来るから、おまえもきちんとした格好をしておきなさい」とカタリナが私に命じた。

私は理由も分からないまま、指示通りに身なりを整えた。


午前十時ちょうどに玄関のベルが鳴った。

執事が慌ただしく扉を開く。

立派な紋章の入った封筒を手にした使者が馬車から降りてきた。

使者は騎士団の制服を着ていて、

「クラウゼン家より、正式な書状をお届けに参りました」と、

エドワルドに深々と頭を下げる。

応接間に家族全員が集められ、使者は厳かに封筒を差し出した。

「騎士団副団長ヴィクトル・クラウゼン様より、

エルンスト家令嬢リディア様への結婚申し込みのご意志を、明日ご本人が正式にお伝えに参上されるとのことです」

その声ははっきりと、屋敷の静けさの中に響いた。

私は一瞬、言葉の意味が理解できなかった。

イザベルは「まあ……!」と目を見開き、カタリナは「騎士団の方から……!」と小さく息を呑む。 エドワルドは使者から書状を受け取り、何度も内容を確かめていた。

「リディア、よかったな。これで我が家も安泰だ」

エドワルドが満足そうに言う。

カタリナも「リディア、明日は最高の笑顔でお迎えしなさいね」と微笑みながらも、目には計算高い光が宿っていた。

イザベルは私の肩を強く握り、「絶対に断ったりしないでよ。こんな素晴らしい話、二度と来ないんだから」と耳元でささやく。

私は、肩の痛みに応えることも出来ずにただ呆然とその場に立ち尽くしていた。


ルカも隣で困惑した顔をしている。

「姉さん……どうするの?」

ルカが小さな声でつぶやいた。

私は何も答えられず、ただルカと目を合わせて首を振るしかなかった。

使者が帰ると、屋敷の中は一気に騒がしくなった。

イザベルは「リディア、明日は絶対に失礼のないように。ドレスも髪も完璧にしておきなさい」と命じ、

カタリナは「エリザ、すぐにリディアの部屋を整えて。明日の朝には新しい花を飾っておきなさい」と指示を飛ばす。

エドワルドは「クラウゼン家との縁談がまとまれば、我が家の名誉も盤石だ」と何度も繰り返した。

私は自室に戻ると、窓辺に座った。

外の空は、夏の雲が静かに流れている。

胸の奥がざわざわと波立っていた。


「私が、誰かに選ばれる日が来るなんて……」

ルカがそっと部屋をノックした。

「姉さん、大丈夫?」

私は微笑みかけようとしたが、うまく笑えなかった。

「……うん。大丈夫よ」

ルカは心配そうに私の隣に座り、「姉さん、おじさんもおばさんはああ言ってたけど……無理に受けなくてもいいと思う」と小さく言った。

私はルカの手を握りしめ、「ありがとう」とだけ答えた。

夕方、イザベルが部屋にやってきた。

「リディア、明日は絶対に失敗しないで。あなたが断ったりしたら、家の恥よ」

その声は冷たく、私はただうなずくしかなかった。


「……明日、私はどうすればいいんだろう」

 ――世界は、少しずつ動き始めている。

けれど、私の心はまだ答えを見つけられずにいた。



***



朝から屋敷は妙な熱気に包まれていた。

イザベルは鏡の前で何度もドレスの裾を整え、カタリナはメイドたちに「花を新しくしなさい」「廊下を磨き直して」と矢継ぎ早に指示を飛ばしている。

エドワルドは応接間の椅子の配置を何度も確認し、落ち着きなく時計を見ていた。

私も朝から髪を整えられ、淡い色のドレスに着替えさせられた。

「リディア、今日は絶対に失礼のないように。あなたの返事次第で我が家の未来が決まるのよ」とイザベルが何度も念を押す。

私はただ「はい」とだけ答え、心の奥で波立つ気持ちを必死に抑えていた。


午前十時、屋敷の門の前に立派な馬車が止まった。

騎士団の紋章が輝き、従者に先導されて青年が現れる。

銀色の髪が陽光にきらめき、まっすぐな瞳が私の心臓を撃ち抜いた。

――あの人だ。

猫の姿の私と視線を交わした、あの騎士。

思い出した瞬間、胸の奥が強く震えた。

(まさか……)と心の中でつぶやく。

ヴィクトルは何も言わず、ただ礼儀正しく微笑んでいる。

「本日はお招きいただき、ありがとうございます」

青年は丁寧に頭を下げ、エドワルドに書類を差し出す。

「改めまして、ヴィクトル・クラウゼンと申します。

本日は正式に、リディア様への結婚のご縁をお願いしたく参りました」

エドワルドは満足げにうなずき、カタリナも笑顔を作る。

「ようこそお越しくださいました、クラウゼン卿」

「ご足労いただき恐縮です、クラウゼン様」

イザベルは私の背中を押し、「リディア、きちんとご挨拶しなさい」と小声で急かした。

私は少しだけ震える声で「リディア・フォン・ヴァイスです。お会いできて光栄です」と頭を下げた。

ヴィクトルは私をまっすぐに見つめ、

「リディア様。お目にかかれて本当に嬉しいです。正直に申し上げます。私はあなたに一目惚れしました。私と結婚していただけませんか?」

その言葉は、驚くほど真っ直ぐで、私の胸の奥に静かに響いた。

イザベルがすぐに割り込む。

「もちろんリディアは喜んでお受けしますわ! ね、お母さま?」

カタリナも「ええ、もちろんですとも。リディア、そうよね?」

エドワルドも「そうだぞ!我が家のためだ!」と重ねる。

私は、みんなの視線が一斉に自分に向けられるのを感じた。

けれど、ヴィクトルだけは、私の答えを急かさず、じっと静かに見守ってくれている。

私はゆっくりと顔を上げた。

「……私、でよろしければ、どうぞよろしくお願いいたします」

その瞬間、イザベルが「やったわ!」と小さく叫び、カタリナはほっとしたように息をついた。

エドワルドも満足げにうなずく。


ヴィクトルだけがすぐに表情を引き締め、

「エドワルド伯爵、カタリナ夫人」ときっぱり言った。

「お二人はリディア様の後見人であられると伺っています。

ですが、リディア様が今年の誕生日を迎えられれば、この家も財産も、正式にご本人のものとなるはずです。

今後はお二人の意思ではなく、リディア様ご自身の意思を最優先になさるよう、お願い申し上げます」

その声は静かだが、はっきりとした威厳と優しさがあった。

エドワルドは一瞬、言葉を失い、カタリナも顔をこわばらせた。

イザベルは不満そうに唇を噛んだが、何も言い返せなかった。


ヴィクトルは私の方を見て、

「リディア様。これからは、あなたの人生をあなた自身の手で選んでください。

私は、あなたの味方でありたいと心から願っています」と、

微笑みながらまっすぐに言ってくれた。

私は、胸の奥に静かな光が灯るのを感じた。

「ありがとうございます……」

自然とそう言葉がこぼれる。


その後、形式的な歓談が続いたが、

イザベルたちの浮かれた態度と、ヴィクトルの毅然とした姿勢の対比が際立っていた。

私は、これまでの人生で初めて「自分のために未来を選ぶ」ということを、

ほんの少しだけ信じてみようと思った。

ヴィクトルが帰るとき、私は玄関まで見送りに出た。

「また、すぐにお会いしに来ますね」

ヴィクトルは私にだけ、そっと微笑んだ。

――あの夜、塀の上で交わした視線が、これからの私の人生を変えていくのだと、そう思った。

ここまで読んでくださりありがとうございます。

楽しんでいただけていたら嬉しいです。

いいねやブックマーク、評価などよろしくお願いします!

次回は第10話「落ち着かない日」

更新は7/1710時です。

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