第3話 二人の楽しみ
春の午後、庭の花壇には色とりどりの花が咲き誇っていた。
私は母と二人、花の手入れをしていた。母の指先は魔法を使うよりも優しく、土に触れるたびに花たちが生き生きとするように見えた。
「リディア、ここのバラはもう少し枝を間引いた方がいいわ」
母がしゃがみ込み、私に手本を見せてくれる。
私はその隣で、母の真似をしながら慎重に枝を切った。
「お母さま、どうしてお花が好きなの?」
ふと思い立って尋ねると、母は少し驚いたように私を見つめ、やがて柔らかく微笑んだ。
「そうね……昔はね、私は魔法ばかりに夢中だったの。でも、あなたが生まれてから、花を育てる喜びを知ったのよ。小さな命が毎日少しずつ変わっていくのを見ると、心が穏やかになるのよ」
母の声は、春の陽だまりのようにあたたかい。
「リディアも、花を育てるのが好き?」
「はい。お母さまと一緒にすると、なんだか安心します」
「ふふ、嬉しいわ」
母は私の手にそっと手を重ねた。
その手は、魔法使いの家の人とは思えないほど、土の匂いがしていた。
「リディア、あなたが小さい頃……よく泣いていたこと、覚えている?」
私は少し考えてから、「ううん」と答える。
「赤月夜の時、怖くて泣いていたのよ。最初に猫になった時も、ずっと私にしがみついていたわね」
母は懐かしそうに目を細めた。
「でも、今はもう泣かないのね」
「……はい」
私は静かにうなずく。
呪いを受けてから、涙が出なくなった。
感情の波が遠くなったようで、悲しいことも、嬉しいことも、どこか他人事のように感じることがある。
「リディア、あなたは強い子よ」
母は私の頬に手を添える。
「どんな姿でも、どんな時でも、あなたは私の大切な娘。呪いがあっても、なくても、私があなたを愛していることに変わりはないわ」
私は母の瞳を見つめる。
その言葉が、心の奥に静かに染み込んでいく。
「……お母さま、私、時々不安になるの。みんなと違う自分が、家族の中で浮いてしまうんじゃないかって」
母はそっと私を抱き寄せた。
「大丈夫。私たちは、どんな時もあなたの味方よ。あなたが猫になっても、魔力が弱くなっても、リディアはリディア」
母の声は、優しくて、強かった。
そのとき、庭の奥からルカの声が聞こえた。
「おねーちゃん! セシリアが呼んでるよ!」
私は「今行くね」と返事をして、母の腕の中からそっと抜け出した。
「リディア」
母が私の背中に声をかける。
「あなたの幸せは、あなた自身が決めるものよ。どんな未来でも、自分を信じて歩いていきなさい」
私は振り返って、母に微笑みかけた。
「ありがとう、お母さま」
花壇を離れ、私はルカと手をつないで庭を駆け抜ける。
セシリアは門の前で待っていて、私を見ると嬉しそうに手を振った。
「リディア、今日も森に行こうよ!」
「うん、行こう」
私はセシリアと並んで歩き出す。
その日の夕方、私は自分の部屋で日記を開いた。
「お母さまは、どんな私でも愛してくれると言ってくれた。私は、私のままでいていいんだ」
そう書きながら、私はそっと窓の外の花壇を見下ろした。
母の手で育てられたバラが、夕陽に照らされて静かに揺れている。
***
春の陽気に誘われて、私はセシリアと一緒にいつものように森へ向かった。
裏門を出ると、屋敷の庭とは違う、野生の花と草の香りがふわりと鼻をくすぐる。
「今日は、森の奥にある小川まで行ってみようよ!」
セシリアが目を輝かせて言う。私は少しだけ不安を感じながらも、セシリアの手を握り返した。
森の中は、木漏れ日がきらきらと揺れている。
たちは小さな小道をたどりながら、時々立ち止まっては花を摘んだり、木の実を拾ったりした。
「リディア、見て!この花、すごくきれいだよ」
セシリアが紫色の小さな花を差し出す。
「本当だ。お母さまの花壇にも植えたいな」
「じゃあ、持って帰って一緒に植えようよ」
「そしたらお母さまをびっくりさせられるかな?」
私たちは顔を見合わせて笑った。
森の奥に進むにつれて、空気がひんやりとしてくる。
小川のせせらぎが聞こえてきて、私は胸が高鳴った。
「ここが小川だよ。お父さまと来たことがあるの」
私はセシリアにそう言いながら、小川のほとりにしゃがみ込んだ。
水は透き通っていて、小さな魚が泳いでいるのが見える。
「リディア、あそこにカエルがいる!」
セシリアが指差す先には、丸々としたカエルが石の上で日向ぼっこをしていた。
「かわいいね」
「うん。……あっ!」
セシリアが足元の石につまずいて、バランスを崩した。
私はとっさに手を伸ばして、彼女を支えた。
「ありがとう、リディア」
「大丈夫?」
「うん、平気。リディアがいてくれてよかった」
セシリアは照れくさそうに笑った。
しばらく小川のそばで遊んだあと、私たちは森の奥にある大きな木の下で休憩した。
セシリアはリボンを外し、風に綺麗な髪をなびかせながら木々を見上げる。
「ねえ、リディア。将来、どんなふうになりたい?」
「……私は、みんなと一緒に、今みたいに穏やかに暮らしたいな」
「そっか。私はね、もっと魔法が上手になって、リディアや家族を守れる人になりたい」
セシリアは真剣な顔で言った。
私は少し考えてから、「セシリアなら、きっとなれるよ」と答えた。
「リディア、もし何か困ったことがあったら、絶対に私に言ってね。私、リディアのこと、ずっと守ってあげるから」
「ありがとう、セシリア」
私はセシリアの手を握りしめた。
感情は穏やかになってしまったけれど、セシリアの言葉は心の奥に温かく残った。
帰り道、森の入口まで来ると、ふいに小さな動物の気配がした。
茂みの中から、まだ幼いリスが顔を出す。
「かわいい!」
セシリアがそっと近づくと、リスは驚いて木の上に駆け上がった。
「逃げちゃった!残念……」
「また会えるといいね」
私はぽつりとつぶやいた。
屋敷に戻ると、母が心配そうに出迎えてくれた。
「遅かったわね。無事でよかった。セシリアちゃんのお迎えが来ているわよ」
「ごめんなさい、お母さま。森で少し遊びすぎちゃって」
「また遊びにいらっしゃいね」
「はい、ぜひ!」
その夜、私はベッドの中で今日の出来事を思い返していた。
セシリアが「絶対に守る」と言ってくれたこと、森の中で感じた自由な空気――。
私は、どんな自分でも受け入れてくれる家族と友達がいることに、静かに感謝した。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
楽しんでいただけていたら嬉しいです。
いいねやブックマーク、評価などよろしくお願いします!
次回は第4話「外出」
更新は6/29 10時です。