第2話 幸せな日々
朝食のあと、私はルカと手をつないで広い廊下を歩いた。屋敷の窓からは春の光が差し込み、磨かれた床がきらきらと輝いている。
「おねーちゃん、今日は何して遊ぶ?」
ルカが瞳を輝かせて私を見上げる。
「セシリアが来たら、庭でかくれんぼでもしようか」
「やった!」
無邪気な声に、私も自然と笑顔になる。
サロンでは母が窓辺の椅子に座り、刺繍をしていた。
「お母さま、おはようございます」
「おはよう、リディア。ルカも元気ね」
母は私たちを見て優しく微笑む。
ルカは母の足元に座り込み、絵本を開いて読み始めた。
「リディア、今日もセシリアちゃんが来るの?」
「はい。きっともうすぐです」
「あなたたち、仲が良いものね。大切な友達がいることは、とても素敵なことよ」
母の言葉に、私は小さくうなずいた。
やがて、玄関から明るい声が響いた。
「リディアー!」
門の方からセシリアが駆けてきて、私の手をぎゅっと握る。
「お待たせ!お母さま、ごきげんよう」
「いらっしゃい、セシリアちゃん。今日はゆっくりしていってね」
母が微笑み、メイドのクララが紅茶と焼き菓子を運んできた。
私とセシリアはルカを連れて庭へ出る。
花壇の陰や噴水のそばでかくれんぼをしたり、芝生の上で寝転んだり。
セシリアは魔法で小さな蝶を呼び出して、ルカを驚かせる。
「おねーちゃん、見て!ちょうちょがいっぱい!」
「セシリアが魔法で呼んでくれたのよ」
「魔法って、すごいねぇ……」
ルカは目を丸くして蝶を追いかける。
私はその様子を見て、思わず笑ってしまった。
しばらく遊んだあと、木陰に座っておしゃべりを始める。
「最近読んだ本、面白かったからまた貸してあげるね」
「どんなお話?」
「魔法使いの女の子が、森で不思議な猫に出会うの」
「猫?」
「うん。黒くて、すーっごく賢い猫。リディアみたいだなって思った」
セシリアはそう言って、私の手を握る。
「私、リディアのこと、ずっと大好きだよ」
「私も、セシリアがいてくれて嬉しい」
昼食の時間になると、メイドが呼びに来た。
ダイニングでは父も席についていて、家族とセシリアで賑やかな食卓が始まる。
父はセシリアに「最近、魔法の勉強はどうだい?」と優しく問いかけ、
セシリアは「お父さまに教わって、少しずつ難しい魔法もできるようになりました」と自信ありげに答えた。
ルカはパンを頬張りながら、「おねーちゃんも魔法、また見せて!」とせがむ。
私は苦笑いしながら、「また今度ね」と約束した。
午後はサロンでお茶を飲みながら、母やセシリアと穏やかな時間を過ごす。
窓の外には青い空と、遠くに広がる森の緑。
私はこの日常が、永遠に続くものだと信じて疑わなかった。
夕方、セシリアは家族の迎えの馬車で帰っていった。
私は玄関で手を振りながら、またすぐ会えると信じていた。
家の中に戻ると、クララが「お嬢さま、今日は楽しかったですね」と微笑む。
「ええ、とても」
私は答え、心の中で小さく祈った。
この穏やかな日々が、いつまでも続きますように――と。
***
朝の光が屋敷の廊下を照らし、窓辺のカーテンがふわりと揺れる。
朝食の後、私は父と二人きりで庭を歩くことになった。
父は、普段は執務室で忙しくしていることが多いけれど、時々こうして私を連れ出してくれる。
「リディア、少し散歩しようか」
父の手は大きくて、私の手を包み込むととても安心できた。
庭には春の花が咲き誇り、遠くで庭師たちが花壇の手入れをしている。私は父の隣を歩きながら、少しだけ背筋を伸ばす。
「お父さま、今日は珍しいですね」
「たまには可愛い娘と話がしたくてね。最近はルカも大きくなってきたし、君ももうすぐ大人だ」
父はそう言って、私の頭を優しく撫でた。
私は、父の手の温もりに、子どもの頃から変わらない安心感を覚える。
「リディア、お前は自分のことをどう思っている?」
突然の問いに、私は少し戸惑った。
「……私は、お父さまとお母さまの娘で、ルカのお姉ちゃんです」
「そうだな。それが一番大事だ」
父は微笑み、ゆっくりと歩みを進める。
「家族は、何があってもお互いを守り合うものだ。困ったときは助け合い、嬉しいときは一緒に笑う。お前がどんな姿でも、どんな時でも、私たちはお前を愛している」
私は、父の言葉を胸の奥で噛みしめた。
呪いをかけられてから、私は時々不安になる。
猫になってしまう自分が、家族の中で浮いてしまうのではないかと。
「……お父さま。私が猫になって、もし人間の姿に戻れなくても……私のこと、家族だと思ってくれる?」
「もちろんだとも」
父は即座に答えた。
「リディア、お前は私たちの大切な娘だ。姿がどうあれ、心がどうあれ、家族であることに変わりはないよ」
私はうなずく。
感情の起伏は穏やかになってしまったけれど、父の言葉は確かに心に届いた。
「それに、お前には素晴らしい友人もいる。セシリアちゃんは、君のことを本当に大事に思っているようだな」
「はい。……セシリアは、私のことをいつも気にかけてくれます」
「友人も家族と同じくらい大切だ。困ったときは頼ることも覚えなさい」
父はそう言って、私の肩に手を置いた。
庭の奥にある小さな東屋で、父と並んで座る。
父はしばらく黙って空を見上げていた。
「リディア、これから先、何があっても自分を信じなさい。お前には、家族も、友人も、色んなところに味方がいる」
「……はい」
私は静かに返事をする。
父の横顔を見て、私はこの人の娘でよかったと心から思った。
ふと、父が私の手を握り直す。
「それから、ルカのことも頼んだぞ。あの子はお前のことが大好きだからな」
「私も、ルカのことが大好きです」
「うん、それでいい」
父は満足そうに微笑んだ。
庭の向こうから、メイドのクララが「お嬢さま、セシリア様がお見えです」と呼びに来た。
私は父に「ありがとう」と小さく頭を下げてから、クララと一緒に玄関へ向かう。
「リディア」
背中越しに父が呼びかけてくる。
「お前は、どんな時でも自分の幸せを諦めるな。お前の幸せを、私は誰よりも願っている」
私は振り返り、静かにうなずいた。
玄関には、セシリアが明るい笑顔で立っていた。
「リディア、今日は一緒に森へ行こう!」
「うん、行こう!」
私はセシリアの手を取る。
父の言葉が、心の奥で静かに輝いていた。
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次回は第3話「二人の楽しみ」
更新は6/26 10時です。