case3 堕ちる者 :1
第九話 熱
炎が荒野に巻き上がる。
葦原の封域によって白崎は紅林と分断され、白崎の目の前には校医の大宮琥珀が立っている。
その手には炎を纏った大剣。
大宮の表情は余裕そのもので、剣の切っ先を引きずりながら近づいてくる。
「白崎さん?構えなくていいの?」
その言葉で白崎は無意識に構えを解いていたことに気づく。
剣を構え直し、正面に対応できるよう盾を向けた。
しかし、白崎の頭の中は困惑で埋まっている。
「……委員長を殺したのは先生なんですか?」
その問いに大宮は答えるでもなく、微笑みを向けるだけだった。
白崎は腰を落とすと、踏み込む姿勢に入る。
「っ答えてください!」
盾を前にし、大宮に突進する。
大宮は大剣を下段から振り上げる。
それと同時に炎が巻き上がり、衝撃波となって白崎を襲う。
「くっ……」
盾で受けるも熱風は容赦なく襲ってくる。
横っ飛びで炎から逃れると、もう一度突進し剣を振る。
大宮は鼻歌を歌いながら、回転するように交わすとその遠心力で大剣を振るってくる。
その横薙ぎをしゃがんで躱し距離をとる。
「……大宮先生」
白崎は焦げた隊服の袖を払う。
「佐々木さんの件は私も残念だったわ……」
大宮はまるで他人事のように言う。
「でも、制御も利かないし目的まで忘れちゃう子なら、かえって邪魔になっちゃうのよ」
そう言いながら、大宮は大剣を軽々と掲げると切り降ろす。
距離こそあったが、相手は炎を自在に操ってくる。
「そんなふざけた理由で……!」
白崎は敢えて正面から突っ込む。
盾に体の全ては入らないが、それでも進むと決めた。
熱が直に伝わってくる。
長袖の隊服は、耐燃性も兼ね備えていると言われたが、大宮の炎はいとも簡単に燃やしていく。
「威勢はいいけど、その『罪』の状態じゃいつまで経っても私に刃は届かないわ」
炎が更に風を巻き込み、吹き飛ばされる。
周囲にはめぼしい可燃物がないにも関わらず、大地は少しづつ火に包まれていく。
「課外授業をしてあげるわ。このまま白崎さんを殺しても楽しくないし」
大宮は大剣を地面に突き立てると、その刀身に背を預けるようにもたれ掛かる。
「白崎さんの使ってる『罪』は佐々木さんのでしょう、使いづらいんじゃないかしら」
その質問は正しかった。
実際白崎は、逆神との訓練で何度も佐々木の『罪』を使用したが、重さは変更できず、彼女の声すら聞いたことがない。
一方で御影や先程の葦原の『罪』もはっきりと意思がある。
その違和感は機関の皆が気づいていたが、解決策は見つからなかった。
「彼ら『罪』は基本的には人と同じよ。食事や睡眠も摂らないと生きていけない。じゃあその『罪』はどうかしら?」
大宮の言葉に白崎は気づく。
確かに休日の訓練でも、昼休憩中に仮面の少女は食事はおろか手洗いにも行かない。
「その顔思い当たる節があるのね。なら簡潔に言いましょう。その子はまだ眠っているの。本来の力が出ないのは当然なのよ」
言い終えると大宮は大剣の柄に手をかける。
「なら……どうすればいいんですか」
彼女の動きに呼応して、白崎も武器を構える。
「そうね……元の所有者に返してみればいいんじゃないかしら?」
地面から大剣を引き抜くと、一気に距離を詰めてくる。
当然、彼女の発言は不可能であることは白崎も理解している。
状況は変わらない。
少しづつ白崎は消耗し、追い込まれていくだろう。
紅林がこちらに来ることに賭ける。
そんなことは出来ない。そうしてしまったら白崎は自分がここに来た意味を失うことになる。
息を整える。
大宮の直線的な動き、下段に構えた大剣は、本来なら振り上げか横薙ぎしか出来ない。
しかし持っているのは『罪』だ。
その重さや質量を自在にコントロール出来る。
そこで白崎の中にある考えが浮かんだ。
大宮の攻撃を盾で受ける。
どこから来るか分からない斬撃に、反射神経だけで対応するのは自殺行為だった。
攻撃を防いだとしても膂力で何故か負けている。
拮抗すらしないことに疑問を覚えたが、それよりも別のことに頭を回す。
大剣に吹き飛ばされ、手に持った片手剣を地面に突き刺して慣性を殺す。
「『罪』……」
ふと呟く。
御影は『プライド』と呼ばれる。武器の状態を指していることは何となく分かったつもりでいた。
そして大宮が持つ桂花。彼女は『グリード』と呼ばれる。
葦原の『罪』、涼風。彼女は『グラトニー』と呼ばれた。
そして葦原の言葉が、記憶から掘り起こされる。
その人の欲望、信念。
もしそれが七つの大罪になぞるならば、佐々木詩杏の『罪』は何なのか。
「……もしかして」
佐々木詩杏が白崎に向けた言葉。
劣等感だろうか。憧れだろうか。
白崎の中に答えが浮かぶ。
「……潔く散るのもまた華かしら」
風の音が強くなる。
炎特有の発火音の鮮明に聞こえた。
大宮が地を蹴る音。
視界で正確な場所まで分かった。
彼女の動きが全てわかる。
大剣の振る軌道と、炎の規模は何度も見た。
白崎は大きくバックステップする為、右足を蹴る。
「……っ!」
後ろへ蹴り出した右足に激痛が走った。
原因不明の痛みに動きが鈍る。
直ぐに右足を確認するも、痛みの発生した箇所には傷一つ見当たらなかった。
炎が目の前まで広がる。
盾を構えるも、既に間に合わない。
「さよなら、白崎さん」
白崎は炎に飲まれ吹き飛ばされた。
熱を感じた後に痛みが走る。
皮膚が溶けだすかの如く焼けていく感覚があった。
吹き飛ばされた衝撃で、二、三度地面に背中が打ち付けられ、呼吸が一瞬止まる。
辛うじて息はできるものの、剣を持っていた右腕は真っ赤に染まり、出血すら痛みが伴う。
「まだ、生きているのね」
大宮が近づいてくる音が聞こえる。
足音は白崎の目の前で止まった。
白崎は頭を打った衝撃で視界がぼやけていた。
霞んだ視界に大宮が映る。
大剣を天に掲げ振り下ろさんとしていた。
陽の光が大剣に呑まれた時、白崎は呟く。
「……『エンヴィ』」
大剣が振り下ろされる。
その瞬間は走馬灯のようで、様々な思考が巡った。
放課後の委員会で委員長と言い合いになった時、彼女は白崎を様々な感情が込もった目で見ていた。
初めて紅林に出会った時の彼女の涙。
素直に守りたいと思い、体は勝手に動いた。
『エンヴィ』。
可能性を感じて出した答え。
あの日の委員会だけでは無い。
白崎が積極的に奉仕活動をしようと意見を出した時、佐々木詩杏は何を思っていたのだろう。
他の委員の意見に流される自分と白崎を比較していたのなら。
そして白崎のようになれないと言った時、彼女は異形化した。
佐々木の封域に近づいた時、引き込まれた事にも理由が着く。
比較したくない人間を消したいと思う気持ち。
憧れが歪んだ『罪』。
嫉妬、ではないかと白崎は考えついた。
高い金属音。
白崎の体はまだ繋がっていた。
「……ったく。いつまで待たせんのよ」
白崎と大宮の間には一人の人物がいた。
真っ白な装束。
髪は黒く染まり、佐々木の大きめの三つ編みとは打って変わった、細い二つの三つ編み。
盾で大剣を受け止めていた人物は、いつも付けていた白い仮面を投げ捨てる。
「まぁ、生み出した本人じゃないのに」
大宮は興味がなさそうに言いながら、腕に力を込める。
剣と盾の間に火花が散る。
力は拮抗しているように見えた。
「あんた、透華のなんなの?」
三つ編みの少女はそう言うと、しゃがんで剣を受けていたにもかかわらず立ち上がり始める。
「っ!」
初めて大宮の表情に驚きが浮かぶ。
少女はそのまま立ち上がると、勢いよく大宮を後退させる。
「ねぇ、聞いてるんだけど。質問には答えなさいよ」
盾を液体化し代わりに片手剣を顕現させる。
「……この学校の校医よ、白崎さんとは面識があるだけ」
それを聞くと、少女は剣を片手に近づいていく。
「うん、で?透華をどうして傷つけるの?」
大宮は大剣を構え直す。
「敵だからよ、それ以外にあるかしら?」
少女が剣を構え、切りかかる。
大宮はその一撃を大剣の腹で受け止めた。
「なら、気に入らないアンタをここで倒していいって訳ね!」
容赦なく連撃を叩き込む少女。
大宮は後退しながらもその全てを捌いていく。
「威勢はいいけど、ちょっと力不足じゃないかしら?」
大宮が大剣に炎を纏わせる。
一歩後退し、大きく振り抜く。
少女はそれを紙一重で躱し、剣を杖代わりに一回転する蹴り上げを放つ。
「……った」
見事に入った一撃は、大宮の表情を一気に歪めた。
二人の間にまた距離が生まれる。
少女は手に持った剣を一瞥すると、ため息をついた。
「……確かにそうかも。一撃入れたし、気分も多少晴れたから選手交代するわ」
少女はそう言うと、起き上がり始めた白崎の元へと駆け寄る。
「……あなたは……?」
少女は白崎の数メートル前でさらに加速する。
「え」
まるでダイビングするかのように少女は白崎に抱きついた。
「大丈夫だった?怪我は大丈夫?あの女ほんとムカつくよね!」
先程の張り詰めるような雰囲気とは打って変わった態度に白崎は困惑する。
「えっと、うん何とか大丈夫……まだ動ける」
抱きついてくる少女を優しく離れさせ、ひとりで立ち上がる。
右腕は痛む。それでももう一度戦うという意思がその拳を強く握らせた。
三つ編みの少女も立ち上がる。
「ごめん、まだ名前聞いてなかったね」
白崎が少女を見ると、彼女は少し困ったように笑う。
「『罪』は最初名前ないんだ。あはは……」
ならばと白崎は考えた。
佐々木詩杏の『罪』。彼女の名は明るい青色を想像させる。
「じゃあ、竜胆からとって、凛。なんてどう?」
少女はそれを聞くと笑顔をうかべた。
「透華、センスある!」
白崎も笑顔を返すと、大宮に視線を向ける。
彼女は大剣を地面に突き刺し、待っていた。
「もう、いいかしら?」
白崎はそれに応えるように息を吸う。
「いくよ、凛」
凛の身体が溶けだす。
先程まで真っ黒だったそれは、憑き物が取れたように空色に染っていた。
刀剣は両刃の片手剣から、細身のレイピアへと変化していた。
「透華の戦いやすいようにするからね」
剣から凛の声が聞こえてくる。
それと同時に負傷した右腕を包むように装具か形成された。
「……ありがと」
彼女に礼を言い、盾を構える。
初めて御影を使った時のような感覚がある。
白崎は集中力を高めるために、一度目を閉じた。
彼女の聴覚は、高く厚い岩壁の向こうにいる二人の戦闘音すら捉えた。
目の前の敵を倒し、紅林の元へと向かう。
白崎は目を開き、盾を前に大宮に突撃する。
「はぁぁぁぁ!」
白崎の細身の剣はしなるように振るわれる。
大宮はそれを大剣で防ぎ、そのまま大剣の腹で押し込む。
「中々の速さね、ちゃんと使えるとこんなに変わるのかしら」
大剣が炎を纏う。
白崎は大きな一撃が来ると直感で感じていた。
『エンヴィ』。彼女の最大の長所は小回りだ。
大きな一撃を受けたり、必殺の斬撃が繰り出せる訳では無い。
それを作るのは自分だと白崎は言い聞かせる。
大宮が上段から大剣を振り下ろす。
炎が纏ったそれは、たとえ斬撃を躱せたとしても炎が追撃してくる。
「ずるじゃん……」
振るうだけで強い。小技などないシンプルな戦法。
しかし、白崎はやると決めた。
普段では考えないような直感思考。
細身の剣がひとりでに火花を散らし始めた。
「……燃えろ!」
大宮の目が見開かれる。
斬撃を躱した白崎は、炎に飲まれたように見えた。
その炎を白崎は切り裂く
大宮の瞳には空色の炎が見えていた。
蒼炎とでも例えられる温度の高い炎。
白崎の剣はそれを纏った。
「透華!」
白崎の左手が、凛の声と共に勝手に動かされる。
視界が盾で埋まり、白崎は驚いた。
「ちょっと、なに!?」
小さな音ともに、足元に何かが落ちる。
「……針?」
落ちていたのは、確認するのも困難なほど細く作られた針だった。
「あの女、もう一人使ってる」
その言葉で先程の負傷の原因が分かる。
「『罪』をもう一人装備してる……?」
大宮は大きな剣を扱うには向かない長い白衣を着ている。
普段からその格好だった事が、白崎の思考を麻痺させていた。
「透華なら聞こえるはずだよ、でも他にも何か隠してるかもだから注意して!」
白崎は先程の戦いを思い返した。
単純な力量差があるにも関わらず武器の大きさで勝負してこない大宮。
炎を見せびらかすように広範囲にわたって攻撃していた。
彼女が暗器を使用するためのブラフだったかもしれない。
頭を整理し、白崎は聴覚に集中する。
「あら、小細工もダメ?……手が無くなってきたわ」
一切そう思えない表情で大宮は言う。
「もう一人『罪』を使ってるんですか……」
白崎は大宮に問う。
彼女は少し癪に障る頭の角度で考えるような素振りをした。
「流石にそんなに重装備出来ないわよ、自前で用意してたの」
明らかに嘘と思える発言に対し、凛が苛立っている事が伝わってくる。
「そうですか」
白崎はそれ以上の会話を諦め、剣に炎を纏わせる。
一気に距離を詰める。
大宮は相変わらず大剣を盾替わりに構えた。
白崎はその瞬間に姿勢を落とし、大剣を死角に使い炎の突きを繰り出す。
大宮は体を翻し、数歩下がる。
白衣が舞うように靡く。
それと同時に白衣から針が飛んでくる。
「くっ……」
盾でそれを受けると、二人の立ち位置は元の距離に戻っていた。
活路を見いだしたと思ったらそれが塞がれる。
勝てない部分で戦わない事は正攻法のひとつだと、白崎も理解していた。
「……もっと別の方向で攻めないと」
大宮は先程から攻めの姿勢を見せない。
このまま時間だけが潰され、万が一紅林が葦原に負けてしまったら状況は最悪となる。
今一度剣を握る手に力を込める。
「……凛」
白崎の左手から盾が消える。
「あら、降参かしら?」
大宮の言葉を無視し、白崎は走り出す。
大宮が動く度、空気を割いて暗器が襲ってくる。
白崎がしたのは更なる軽量化。
守りを捨てて一撃に賭けた。
音と反射神経で暗器を避け、距離を詰める。
「自殺行為ね、残念」
大宮は大剣を背に構え、勢いよく振る。
当然炎は巻き上がり目の前を熱が埋める。
大宮の炎を両断するのは容易だった。
しかしその間に距離を離されてしまう。
白崎は目を見開いた。
凛が新たに作った腕の装具。
篭手は腕のみを守るものだったが、白崎は自身の最低限の部位を守ることに使った。
足や胴が焼かれる。
それでも白崎は踏み込んだ。
「あぁぁぁぁ!」
炎を一気に抜け懐に入り込む。
蒼炎を纏わせた一撃は遂に大宮を捉えた。
大宮は炎に飲まれその場に倒れる。
「……終わりです、大宮先生」
白崎は倒れた大宮の頭部に剣の切っ先を向ける。
大宮が呟く。
「もう少し……だったわ……」
白崎らを分断した岩壁の一部が崩れる。
「……そんな」
そこに居たのは葦原だった。
所々切り傷はあったが、どれも彼を倒しうるものでは無い。
葦原は、崩した岩壁の破片を蹴り飛ばしながらこちらを見る。
「あぁ!?負けてんのかよババア!」
悪態をつきながらこちらに近づいてくる。
「凪は……?」
白崎がそう言うと、葦原は無表情で壊した岩壁を指さした。
何も考えられず白崎は走り出していた。
「……いいの?」
葦原は大宮を起き上がらせる。
「知らん。目的の半分は達成してんだ。てか桂花使って負ける方が有り得ねぇからな」
葦原は大宮に肩を貸しながら、その場を離れていった。
白崎は葦原が開けた穴の前で崩れる。
「……嫌だ」
一本の岩柱。
その下部は強い衝撃によって大きく亀裂が入っていた。
そして一面の血の海。
その中心に紅林はいた。