case2 貪る者 :3
第七話 接触
機関からの帰り、白崎透華は校医の大宮琥珀と別れた後すぐに自宅のベッドへと倒れ込んだ。
「なんか変に疲れた……」
機関でのトレーニング、よく分からない紅林、大宮先生の男遊び。
一日で肉体的にも精神的にも疲れてしまった。
「そろそろ期末の準備もしないといけないのに……」
勉強机だけの明かりの中、天井を見上げる。
数秒思考を空っぽにすると、白崎は何も言わずに勉強机についた。
「…………よし」
鞄から教科書とノートを取り出す。
その両方を開くと、今度は机の引き出しの一つからまた別のノートを取り出した。
シャープペンシルを持つと、今日の授業の復習を始める。
授業中のノートと教科書で授業の内容や教師の言葉を思い出していく。
それを要点化し別のノートに書き込んでいく。
勉強法は様々なものを試したが、結局はどんな形であれその日の内に復習することが最も効率がいいということは変わらなかった。
昔から、勉強は困らないようにしていた。
別段好きでは無いが、高校生になって小遣いを左右されることになってしまった為、より一層しっかりやるようにしていた。
10年前の事故で父を亡くし、母はその分働くことになった。
その結果母は多くに事業に関わるビジネスマンになり、そのせいでひとつの場所に留まることが出なかった。
この向ヶ丘に来たのも約1年前で、丁度冬休みの直前だった。
転入試験は今までのテストよりも圧倒的に難しかったが、何とか転入できた。
次がいつになるか分からない。
この学校にも、人間関係にもいつかは終わりが来る。
それが日常で、他人と必要以上に仲良くなろうとも思わなかった。
「…………」
ペンが止まる。
頭の中の整理でどこかに違和感を感じた。
「はぁ……」
白崎はペンを置くと、着替えを持って下の階に降りる。
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翌日以降学校が終わり次第、機関へと行き逆神と戦闘の訓練をする。
佐々木との戦闘での傷も想像よりも早く完治し、少しづつではあったが運動能力が上がるのを感じていた。
約一週間がたった頃、いつもの様に機関へ行くと逆神に止められる。
「白崎くん。今日から『罪』を使った訓練をしようか」
そう言って機関の裏手、森の中に入る。
夕方ということもあり森の中は暗かったが、訓練で使われているようで、邪魔な木は倒されごく自然な障害物となっていた。
逆神が木に備え付けられえたランタンに火をつけて回ると、既にそこにはある人物がいた。
「びっくりした……」
真っ白なスーツの装束。
佐々木が生み出した『罪』だった。
「じゃあ、今日から獲物ありでいこうか」
傘立てのように置かれた置物には、剣や槍、トンファー等様々な木製の武器が立てかけられている。
逆神はその中から大剣を取り出すと、慣れた動きで肩に担いだ。
「さぁ、『罪』を手にとれ」
逆神に促され、白崎はスーツの女性の元へと近寄る。
「顕現せよ」
小さくそう呟くと、スーツの女性が黒い液体のように溶けだす。
それは意志を持った液体として、白崎の両手に集まる。
液体は徐々にその姿を両刃の片手剣と盾に変える。
「準備……出来ました」
剣を構える。
正直に言って剣の使い方は知らないが、感覚に任せる事にする。
「剣の使い方は後ほど指導しよう。今回は思うままに振るってみるといい」
逆神は笑顔でそう言うと、肩に担いでいた大剣を下方向に構えた。
来る。そう思った時には白崎は既に彼女の間合いに入っていた。
下段からの切り上げ。
盾で受けようとするも、あまりの力に吹き飛ばされそうになる。
「……っ!」
後方へステップし距離をとる。
「悪くない判断だが……」
逆神はさらに距離を詰めてくる。
左側からの横薙ぎを盾と添えた右腕で受ける。
白崎は受けきれずに吹き飛ばされる。
「ここはいつものリングじゃないぞ?」
にやにやしている逆神の言葉で気づく。
そのまま近くの木に激突する。
激痛と共に視界がぶれる。
「倒れている時間、あるのかね?」
呼吸する間もなく逆神が追撃を仕掛ける。
叩き落とすような上段切り。
受けきれないと判断し、横方向へ転がり込む。
「初見の場所での戦闘には慣れた方がいい。見知った場所で反転者と戦うことなど殆ど無いからな」
土の感覚が直に伝わる。
逆神との訓練時は学校指定の体育着を着ているが、白がメインの上着に少し湿った土が着くのはどうしても抵抗感があった。
「……あ」
土の感覚。
それで思い出した。
いつもより聴こえる。
小枝を踏む音、枯れた葉の割れる音、土が跳ねた音。
情報はいつもより多い。
体勢を立て直す時間があるか、音を頼りに距離を測る。
「いける……!」
転がりながら起き上がり、視覚で確認する。
右斜め上からの斬撃を盾で流すように受ける。
つもりだった。
受け流せるよう傾けた盾に刃を合わせられ、そのまま突き飛ばされる。
「……ふむ、悪くない」
木の大剣を地面に突き刺し、逆神は動きを止めた。
「環境の変化に対応する、相手の攻撃をよく見て攻勢にする為の布石が打てる」
彼女が手を差し伸べ立ち上がらせる。
「流石名門に通うだけの事はある」
彼女に促され休憩になる。
近くにあるベンチに座り、逆神は近くのランタンを一つ持ってくる。
「そういえ武器を発火させたのは使わないのか?」
不思議そうに聞いてくる逆神に白崎は戸惑う。
「いや、あの時のはほんとに意図的に出来たわけじゃないんですよ……」
そう素直に言うと、逆神は少し考え込む。
「そうか……ううむ……」
「というか、原理自体がそもそも理解不能です」
普通に考えて有り得ない。
考えても、御影に元々備わっていた。くらいだろう。
「なるほど、なら簡単に解説してやろう」
何処か自慢げに言う逆神。
「適合者が起こす現象の一つ。サンプルが少なすぎてね、正式な呼称は無いんだが……そうだな、ここでは『エレメント』と呼ぼうか」
逆神は適当な木の棒を拾うと、それを筆替わりに地面に文字を書いていく。
「まず適合者だ。彼らは総じて『罪』を扱うことが可能で、幾つかある感覚器のひとつが発達する。白崎くんの場合は聴覚だったね」
人型を描き、耳を大きく描いてみせる。
その隣に御影を模した鎌を描く。
「そして反転者。彼らは適合者としての能力を暴走させたような者たちだ」
そう言いながら彼女はなんだかよく分からない雲のようなものを描きだす。
「反転者らの異形化に関しては詳細は一切不明だ。決まった形態もない」
そしてまた1つの人型を描く。
「最後に、能力の覚醒の話はしたな?」
ついこの間の話だ。
自身の能力について行くことができた先にあるもの。
詳細は一切話していなかった為、白崎はあまり気にはしていなかった。
「適合者として各種器官の能力が発達すると、稀に覚醒者として超常現象の様な力を扱えるようになってくる」
そこまで聞く頃には、白崎の中で合点がいっていた。
「それが私の起こした発火現象?」
ランタンの光に照らされた逆神の表情が、その回答の正誤を物語る。
「確認できている現象は、発火、突風、水冷だな。それ以外も有り得る」
彼女はどこか楽しそうに話す。
「そして反転者、覚醒したもの……覚醒者でいいか。その両方は『罪』を作り出すことが出来る。原理は不明だ」
白崎はここでとある疑問をぶつけた。
「あの……『罪』ってなんなんですか?どうしてそう呼ばれているのかもイマイチ分からないです……」
御影は『グリード』と呼ばれていた。
考えうることはいくつかあったが、逆神の答えで考えをまとめることにする。
「いい質問だ。まず御影くん、彼は『罪』だ。獅童くんが覚醒した際に現れた。その後事後処理の際に彼は自身を『グリード』と名乗ったんだ。関連性があるとするなら、覚醒者の思考や考え方によって、かの七つの大罪から選ばれているのかもしれない」
最後は釈然としなかったが、彼女はそれ以上は柏に投げていたそうで、笑いながら「柏くんの方が詳しいいよ」なんて言った。
そこまで話すと休憩は終わりと言わんばかりに、逆神は立ち上がる。
「さて、続きをしよう」
そう笑うと、大剣をしまい、代わりに片手剣を取り出す。
白崎も立ち上がり、話しているあいだ一切の動きを見せなかった仮面の少女を武器へと変化させる。
「剣。この使い方を教えてやろう」
そう言って、逆神は剣を振り上げる。
「いや、叩きあげる気満々で……っ!」
その日は、柏が止めに来るまでひたすらに転ばされ、吹き飛ばされた。
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日は明け休日が来る。
ここ数日は機関へ行くことが多く、勉強時間が減ったため、今日は図書館へ勉強をしに行くことにした。
伽藍堂の家を出て、商店街への道を進む。
通学中に何度か商店街の中を通ったが、復旧自体はかなり順調らしく、新たにテナントも募集するそうで、使われていなかった区画は大きな駐車場にする為、取り壊しが進んでいた。
商店街の中には既に営業を再開した店もある。
図書館は商店街を東に抜け、少し閑散としたアパート街に建っている。
蔵書は多くは無いが、学生が利用するには十分なスペースがあり、週末や長期休みの最後には学生がよく利用していた。
「寒いな……」
バッグに入れたマフラーを取り出す。
陽こそよく出た冬晴れだったが、肌に刺さる空気は真冬そのもので、手も直ぐに冷えてしまう。
手に息を吹きかけながら歩いていると、知らない声で話しかけられる。
「お前、白崎透華か?」
目の前にいたのは全く知らない男。
背は高く、ガタイもいい。髪は金髪でそれだけで人が寄り付かない人物であることが分かる。
「……違いますけど。あと、通報しますよ」
こういった手合いには関わらない方がいいと白崎は知っている。
「いや、違わねぇ。そのバッグ向ヶ丘の生徒だろ。それに長ぇ髪、賢そうな顔。聞いた通りだ」
聞いた。その言葉が引っかかる。
いつでも逃げられるように身構え、話を引き出す。
「聞いた、って誰にですか?」
バッグには機関から護身用に持たされた特殊警棒が入っている。
気づかれないようにバッグに手を伸ばす。
しかし白崎の手は男の言葉で止まる。
「誰って……逆神澪だよ」
白崎の頬に冷や汗が流れる。
御影と同種のチンピラの男。この男が逆神の妹の知り合いなら、ここで戦闘になるかもしれない。
「私になんの用なの?」
焦りは見せないよう取り繕う。
静かなアパート街に風が吹いた。
「……まぁちっと話でもしようや」
不敵に笑う男。
白崎が返答を考えていると、突拍子もない音が鳴る。
「……話は飯屋で、だよなぁ?」
自身の腹の音を響かせたとは思えない顔で男は笑う。
白崎は目の前の男の知能レベルなら、上手く情報が引き出せると確信した。
男はこの土地をよく知らないようで、白崎は近くの商店街のご飯処をいくつか提示する。
「なるほどな、なかなかいい店があるじゃねぇの」
そして店の暖簾を潜る。
「何でラーメン屋なの……」
男が選んだのは古いラーメン屋だった。
クラスの男子らが口を揃えて「近づきたくない」と言うほどの汚い店だ。
「まぁ硬いこと言うなよ。ここは俺の奢りだ、好きなもん食え」
ドヤ顔の男。
時刻は午前10時。当然白崎は朝食を済ませている。
「なんかいい人感出してますけど、お腹すいてないんで……」
白崎がそう言うと、男は寂しそうに一人で食券を買う。
ガラガラの店内の中。奥の方のテーブル席に着く。
男は数枚の食券を店主に渡し、水を2つ持って来る。
「……で、話を聞く前にあなた何者ですか?」
食事が来るまでの間に話を引き出す。その後は彼の食事に合わせて店を出ればいい。
白崎はそう考えていた。
「そうだな、俺は葦原橙矢、大学一年。適合者になったのは二ヶ月前だ。その時に逆神澪に会った。こんなもんでいいか?」
予想よりも素直に話す彼に白崎は面食らった。
「そう……。じゃあ私への話って何?」
店主が予想よりも早く注文した商品を持ってくる。
「え……」
大盛りの豚骨ラーメン、大盛りのご飯、大盛りの炒飯。
「ご飯2つは頭おかしい……」
目の前の大盛りメニューに狼狽していると、葦原は意外にも行儀よく木箸を割りラーメンを食べ始める。
二啜り程して、白崎の質問に応える。
「まぁ、簡単に言うとヘッドハンティングって奴だ。白崎、機関じゃなくて俺らと一緒に来い」
大盛り用の大きなレンゲにチャーハンを盛り、口に運ぶ。
「どういうこと?あんた達に、そして私に何の利益があるの?」
葦原はチャーシューを頬張りながら、目尻を下げる。
「分かりやすい事なら機関の戦力低下だな。だがウチのボスはとにかくお前がこっち側に欲しいそうだ。それ以外の理由は何も言ってねぇ」
また炒飯を頬張ると、さらに続ける。
「んで、お前の利益だな。そうだな……俺たち適合者の情報、機関が隠してる情報、んで……自由。なんてどうだ?」
最後に関しては全く検討もつかないが、彼らしか知りえないことがある事は分かった。
白崎が考える間を作ると、葦原は更に口を開いた。
「信用の代わりじゃねぇが、一つならお前の質問に答えてやってもいい」
炒飯を平らげ、笑う。
白崎はまた思考を広げる。
この状況で彼が必ず答えられる質問。
逆神澪の居場所は口を割らないだろうう。
いくつか悩んだが、最も実用的かつ、この状況の危険度を再確認できる質問。
「葦原さん。貴方は反転者ですか?」
戦力の確認。彼がどの程度まで力を持っていて、こちらに敵意を向けた際の脅威度を測る。
葦原は白崎の質問に意外そうな表情をした後、感心するように笑みを浮かべた。
「なかなかアタマ回せるじゃねぇか。そうだよな、俺がここでボスの事なんて吐くわけがねぇ。なら俺の力を測りてぇ。って訳か、気に入ったぜ」
ラーメンにご飯を流し入れ、豪快にかき込む。
ものの数秒で丼を空にすると、水が入ったグラスも空にする。
「まぁ、勘違いもしてるみてぇだから特別に教えてやる。まず俺は反転者じゃねぇ。んで機関が言う反転者ってのはアレだろ?異形化するやつだろ?」
白崎は肯定の意で頭を動かす。
「アレは何でもねぇ。ただ自分を抑えきれなくなった結果の成れ果てだ」
「どういうこと?」
葦原は人差し指を顬に突き立てる。
「言ったままだよ。人間には欲望がある、信念がある。それを適合者がコントロール出来なくなるとああいったバケモンになっちまう」
白崎はその先の問いを投げようとする。
「なら……」
言葉の先を葦原に先読みされる。
「だからと言って俺が何も出来ない訳じゃねぇ。俺はもう自分の『罪』を顕現させてる」
機関で言う覚醒者というものだろう。
だとしたらこの状況はかなり危険だった。
「さて、飯は食った。他の客が来る前に出て答えを聞こうか?」
葦原は店主に挨拶だけし店を出る。
白崎も彼に続いて店を出た。
近くの公園まで腹ごなしをしようと葦原が言い、そこまで歩いていく。
「まぁ答えは今すぐって訳じゃねぇ。よく考えな」
この場は何とかなりそうだと思った時、二人の後ろから走る足音がした。
葦原は振り返らずに数歩前進し「それ」を避けた。
「へっ、躱すじゃねぇか」
そこに居たのは『プライド』状態の御影と紅林だった。
「え……なんで……」
どうして彼女がここに居るか分からなかった。
「この間の件からキミが標的の可能性はあった。だから尾行してただけ」
紅林は淡白にそう言うと、葦原に向かっていく。
「ったく、めんどくせぇ」
葦原は地面を触れる。
彼の触れた先の地面が隆起する。
「っく……」
寸前で紅林は体を回し、現れた土の柱を躱す。
その回転を使い葦原に鎌を振る。
「まだまだ甘ちゃんか?」
葦原が笑うと、隆起した土の柱から枝分かれするように小さい柱が現れ、紅林を横から突き飛ばす。
紅林は近くの植え込みに突っ込む。
「はいはい、やめやめ。弱いものイジメは嫌いなんだよ」
そう言うと隆起していた土は元に戻っていく。
「まぁいい。白崎、答えが決まったらその時呼べよ」
それだけ言うと一枚のカードをその場に落とし、葦原は去っていく。
「く……凪、大丈夫?」
植え込みの紅林に手を差し伸べる。
彼女は素直にその手を取り、起き上がる。
「……ごめん。ありがと」
紅林はどこか不機嫌な様子でどこかへと歩いていく。
白崎はそれを見ていることしか出来なかった。